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何度か荒れた学級を担任して得たことは、度胸がついて「なんとかなるさ」と心の余裕が生まれたこと

 クラスが荒れたときの教師の精神的な苦痛は、他の仕事とは比較にならないほどたいへんなものです。授業妨害などあれば、教師としての自信が急速に失われていきます。
 それでは、荒れた学級を担任したとき、教師にとってプラスになることはないのかと言えば、けっしてそんなことはありません。見えてくることも少なくないからです。むしろ、荒れた子どもたちと接することが、指導力をグーンとアップしていくきっかけになることも事実です。自分の実践の問題点も浮き彫りになることもしばしばあり、教育観や子ども観を深める機会になることも多いものです。
 そういう意味では、荒れた子どもたちと出会うことは、教師が従来の指導の枠や固定観念を崩し、新たな成長を遂げていく時期でもあるのです。子どもと教育を再発見する旅立ちでもあります。自分の感覚をもとにつかんだものは、ただ本を読んで学んだことと違い、自分なりの実践を創造していくうえで貴重なものです。
 私がこれまで、何度か荒れた子どもたちを担任する機会がありましたが、その中で得たことの一つは度胸がついたということです。日常の実践においてかなり重要な意味をもつものです。子どもに同じことを言っても、教師の眼差しや表情の微妙な違いによって、子どもたちの受け取り方はかなり違ってくるものです。
 度胸は実践が困難なときであっても、なんとかなるさという思いにさせてくれます。余裕を生むのです。どうしようという焦りを緩和する役割を果します。必要以上のストレスを防いでくれます。冷静に判断することが可能になり、管理主義的対応を避けることができるのです。このような姿勢は、子どもとの信頼関係をつくっていくうえで不可欠です。
 荒れた場合に「なんとかなるさ」という思いになれるかどうかは、かなり重要なことです。荒れをくぐり抜けることで、度胸はつくられていきます。一回や二回、荒れてどうしようもなくなったとしても、長い教師生活から見れば、決して無駄なことではないのです。必ず生きて働くものです。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)
 

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