四月、三分と話が聞けない、シラーと冷たい目つきの荒れた学級の子どもたちを、どのようにして私は変えようとしたか
荒れた学級と話は聞いていたが、自分がその四年生の担任になるとは思っていなかった。予想通り三分として集中して話が聞けない。おしゃべりを注意すると、シラーとした冷めた目つきである。三年で学級が学級として成立していない生活が続いてきたのだろう。
子どもたちの心の傷をどのように癒したらよいか。できそうなことから始めるしかない。一日で全員の名前を覚えて、個々の子どもへ語りかけを続け、その子らしさを認め励まそう。二日目から朝、教室で子どもを迎え、名前を呼んでおしゃべりをしてから職員朝会に出ることにした。出席を取るときも、出席簿を見ず、子どもの顔を見て呼名し、ひと声かける。休み時間は子どもと一緒に遊び、一緒に掃除をし、また放課後ドッジボールなどで遊んだ。ボスで勝手なことをし、男子を思うように動かしていた子も、遊びや掃除に加わってきた。子どもが下校したあと、記録ノートや作文に赤ペンを入れ、明日の教材づくりをする。
「授業で達成感を」というのが私のモットーである。楽しかった、わかった、できるようになった体験が、子どものやる気を変えていくと信じている。授業で子どもを夢中にさせる作戦を練った。導入の工夫である。「オヤッ」「チョット違うぞ」と、子どもたちの既成概念を砕くようなインパクトのある設定をする。子どもの持っている「そんなこと当たりまえだ」「わかっている」という気持ちにパンチを当てる工夫と努力が必要である。
その上で、子どもの疑問を大事にするのである。子どもが自分の疑問や問題に向かい合わせることだ。ここを丁寧に扱うか、軽く扱うかによって単元全体の活動意欲と活動の質的な深まりが決まってしまう。
できた、わかったという実体験を積ませることである。どの子も、できるようになりたい、わかりたいという欲求を持っている。教師は、いかにそれを受けとめ、その子なりの高まりを認め、その子に応じた励ましを与えられるかにかかっている。
四月初めの冷たい目や、言われたこともやろうとしない姿は、「もっと感動体験をさせるような場を与えてください」という、やむにやまれぬ子どもたちの訴えであったのだ。
(塚田 亮:元東京都公立小学校長)
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