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授業の最初、静かにして準備をしなさいと説教せずに、三分間で学級をシーンと集中する状態につくりあげた

 授業がスムーズに展開していくためには、最初の一分間が重要である。子どもたちの関心をわしづかみにして、学習活動へ「ぐい」とひき入れるのである。
 授業の最初の三分間を見れば、その教師の力がわかる。「指示」がテンポよく展開され、途中で「発問」が入るのがいい。力のない教師は、とにかく言葉が多い。
 授業の始めに「ちゃんと席につきなさい」「教科書を出しなさい」「おしゃべりをやめなさい」「ノートを開きなさい」と言って始める授業にろくなものはない。これらの日常的な言葉は授業を濁らせる。上質な授業は、ピーンとした緊張感が漂い、子どもたちが集中している。
 たとえば、算数の授業。私は「こんにちは」と言いながら教室に入り、黒板にチョークで丸()を書いた。「ノートにうつしなさい」と指示した。十秒後「まだ書けてない人は立ちなさい」と言って立たせた。「円を書いたらすわりなさい」と指示する。
 この授業では、ノートを開き、授業の準備をしていた子は、一秒で終了している。ノートを用意していた子は、五秒で終わる。何も用意していない子が、ガサゴソ机の中から教科書、ノートをひっぱり出すのである。そういう子を待つ必要はない。楽しい授業ならすぐおいついてくる。次の授業の時には用意して持っている。
「円に一本線を入れ、円を分けなさい」と指示し、五秒後に「いくつになりましたか」と聞く。ついてきている子は70%。指名して答えさせる。「二つです」大げさにほめ、黒板に図を書く。「次に、円に二本線を入れなさい」と指示する。10秒後に挙手させる。ズラッと手があがる。すでに全員おいついてきている。指名する。「三つです」そして私は聞く「他の答え、ありませんか」一瞬けげんな表情がうかぶ。二本入れれば三つに決まっている。一人か二人そっと手があがる。「四つに分かれました」「どう線を入れたのですか」「十字形にしました」私は板書する。「すごいなあ、えらいなあ、すばらしいなあ、ノートを持って来なさい、ダブルAをつけてあげる」子どものうれしそうな顔。「次に三本線を入れなさい」教室はシーンとなっている。みんなけんめいに考えているのだ。
 私は、一分間で学習活動にひきずり込み、三分間で、シーンと集中する状態をつくりあげた。お説教を一回もしていない。叱ってもいない。準備をしなさいとも言わない。ただ、テンポよく指示をしただけである。子どもは、ついてくるし、熱中していく。
 教師の惰性の働きがけが、教室の動きをにぶいものにするのである。「これから、○時間目の授業をします。礼」こんな形式的な行為からは、絶対に上質の授業は生まれない。このような形式的な行為を心の底から憎み嫌ったのは斎藤喜博であるが、さすがに教授学を創ろうとした人である。授業の本質をずばりととらえていた。
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向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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