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教育で最も大切なことは子どもが伸びていくのを助けること、そのために愛情と技術が必要である

 私は教育技術を過大に評価したことは一度としてない。教育という仕事の中で、技術によって解決できることは、ごく小さいものにしかすぎない。教育技術・方法によって解決できる割合は80%ぐらいとお思いだろうか。私は「七~八%」ぐらいだと思う。10%はいかない。
 では、残りの部分、教育にとって最も大切なことは何であろうか。それは「一人ひとりの子どもは自ら伸びていく力がある。教師は子どもが伸びていくのを助ける」ということなのである。
 伸びていく力を助けてやるには、一方では愛情が必要で、一方では技術が必要なのである。技術もなしに助けることなどできないのである。技術のない教師は愛情によって伸ばそうとするらしいのだが、伸びるのを助けるどころか、子どもの持っている伸びていく力を殺してしまっている場合が多い。本を読まない教師のおそろしさは、我流の方法によって、子どもの伸びていく力を摘み取ってしまうところにある。
 すぐれた教師はすぐれた教育技術を使いこなすが、しかし、それはその人の技量のすべてではない。すぐれた教師はすぐれた教育観の持ち主でもある。
 教師は尊大になってはだめだ。自分が育ててやるなどと思い上がってはだめだ。伸びていく子どもの力を助けてやるのだという謙虚さがなければならない。一人ひとりの子どもを大切にするというのは、教師が子どもを自分の好みになるようにと、あれこれ手を加え、つぼみを摘んだり、伸びようとする勢いをそいではいけない。
 授業で子どもに意見を求めると、とんでもない意見が出ることがあるが発展性のあるすばらしいものが多い。そんなとき「しょうがないなあ」と思いがちだが、私は「しめた!」と思う。常識はずれの意見が出るからこそ、授業は発展するし、深いものになっていくのである。教師に技量が足りないために発展させられないだけなのだ。
 教師は子どものことを理解しなければならない。理解するには表面のことだけ見ていてはだめなのである。子どもの裏側(内面)を見なければならない。つまり「子どもが自分自身をどう思っているかということを理解してやる」ことなのである。だから教師は鈍感ではいけない。研ぎすまされた感性を必要とする。包み込むような温かさを必要とする。
 私は子どもたちの中に入って遊んだとき、いろいろなことを教えられた。力の強い子、仲間はずれにされる子を知ることができた。クラスがまとまるのだということも知ることができた。子どもの中に入るのが大切なのは、子どもと仲間になるためだけでない。今までの見え方とちがって見えるから大切なのである。
 教師は話すのが商売だから「教師は話がうまい」と世間の人は誤解されているようだが、うまい人は少ない。教師の話は、ダラダラと長いだけでつまらないのが多い。話には、説教と語りがあって、説教できる人が多いが、語りができる人はほとんどない。有田和正氏、野口芳宏氏のように、すぐれた教師は語りがうまい。
 教師の技量は経験を積めば向上するというものではない。40歳を越えた教師は経験を積めば技量は向上すると思いたいだろうがそんなことはない。教師修業の基本は「授業の腕をあげる」ことであり、その中心は教材内容の研究と共に「子どもが動く発問・指示」を見つけることである。しかし、自分の力だけではなかなか見つけられるものではない。だから、教育の本や雑誌を読むのである。よい本なら求めるものが載っている。こういう本を読んで授業をしてみると確かに子どもは動き、今までの授業と変わる。
 新卒のときは「子どもに学ぼう」という謙虚な姿勢があるが、教師がいい気になって思い上がったとたん、技術は成長がとまってしまう。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

 私は教育技術を過大に評価したことは一度としてない。教育という仕事の中で、技術によって解決できることは、ごく小さいものにしかすぎない。教育技術・方法によって解決できる割合は80%ぐらいとお思いだろうか。私は「七~八%」ぐらいだと思う。10%はいかない。
 では、残りの部分、教育にとって最も大切なことは何であろうか。それは「一人ひとりの子どもは自ら伸びていく力がある。教師は子どもが伸びていくのを助ける」ということなのである。
 伸びていく力を助けてやるには、一方では愛情が必要で、一方では技術が必要なのである。技術もなしに助けることなどできないのである。技術のない教師は愛情によって伸ばそうとするらしいのだが、伸びるのを助けるどころか、子どもの持っている伸びていく力を殺してしまっている場合が多い。本を読まない教師のおそろしさは、我流の方法によって、子どもの伸びていく力を摘み取ってしまうところにある。
 すぐれた教師はすぐれた教育技術を使いこなすが、しかし、それはその人の技量のすべてではない。すぐれた教師はすぐれた教育観の持ち主でもある。
 教師は尊大になってはだめだ。自分が育ててやるなどと思い上がってはだめだ。伸びていく子どもの力を助けてやるのだという謙虚さがなければならない。一人ひとりの子どもを大切にするというのは、教師が子どもを自分の好みになるようにと、あれこれ手を加え、つぼみを摘んだり、伸びようとする勢いをそいではいけない。
 授業で子どもに意見を求めると、とんでもない意見が出ることがあるが発展性のあるすばらしいものが多い。そんなとき「しょうがないなあ」と思いがちだが、私は「しめた!」と思う。常識はずれの意見が出るからこそ、授業は発展するし、深いものになっていくのである。教師に技量が足りないために発展させられないだけなのだ。
 教師は子どものことを理解しなければならない。理解するには表面のことだけ見ていてはだめなのである。子どもの裏側(内面)を見なければならない。つまり「子どもが自分自身をどう思っているかということを理解してやる」ことなのである。だから教師は鈍感ではいけない。研ぎすまされた感性を必要とする。包み込むような温かさを必要とする。
 私は子どもたちの中に入って遊んだとき、いろいろなことを教えられた。力の強い子、仲間はずれにされる子を知ることができた。クラスがまとまるのだということも知ることができた。子どもの中に入るのが大切なのは、子どもと仲間になるためだけでない。今までの見え方とちがって見えるから大切なのである。
 教師は話すのが商売だから「教師は話がうまい」と世間の人は誤解されているようだが、うまい人は少ない。教師の話は、ダラダラと長いだけでつまらないのが多い。話には、説教と語りがあって、説教できる人が多いが、語りができる人はほとんどない。有田和正氏、野口芳宏氏のように、すぐれた教師は語りがうまい。
 教師の技量は経験を積めば向上するというものではない。40歳を越えた教師は経験を積めば技量は向上すると思いたいだろうがそんなことはない。教師修業の基本は「授業の腕をあげる」ことであり、その中心は教材内容の研究と共に「子どもが動く発問・指示」を見つけることである。しかし、自分の力だけではなかなか見つけられるものではない。だから、教育の本や雑誌を読むのである。よい本なら求めるものが載っている。こういう本を読んで授業をしてみると確かに子どもは動き、今までの授業と変わる。
 新卒のときは「子どもに学ぼう」という謙虚な姿勢があるが、教師がいい気になって思い上がったとたん、技術は成長がとまってしまう。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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