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子どもを引きつける力がある教師と、ない教師の違いは何か

 授業参観にいくと、いくらやっきになっても子どもの注意を集中させることのできない教師がいるかと思うと、べつに何も特別な手段を使わずに、ただふつうにしゃべっているだけで子どもの注意をひきつけることのできる教師もいる。
 その違いは素質と経験とによるもので、俳優の演技力のようなものであって、技術というより芸術に近いものであろう。すぐれた落語家は高座にすわって見物席を見わたしただけで、もう、ひとつの雰囲気をつくりだすことができる。すぐれた教師も、やはり、そのような力をもっている。
 そのような雰囲気をつくる能力はきわめて個性的なものであって、千差万別である。ある人の場合にはユーモアであり、ある人の場合には生まじめさであり、ある人の場合には常識の深さである。そのような雰囲気を子どもたちは敏感に感じとるものであり、中学生などになると、アダ名でそれをたくみに表現するようになる。
 もう一つの重要な部分は、やはり、教材に対する理解の深さである。だれでも経験のあることであろうが、理解の不十分な教材を教えることは不愉快なものであり、時間がはやくたてばよいとひそかに願う。そのような教師の気分を子どもは敏感に感じとることができるものである。
 だからこそ教材の研究を怠ってはならないわけである。小学校の高学年から中学校にかけては、教師の学識ということが、子どもの尊敬をかちうるうえでもっとも重要な要素と思われる。
(遠山啓:1909年~1979年、数学者。元東京工業大学教授。1951年数学教育協議会を結成、数学教育の「水道方式」による計算体系を樹立、学校現場に大きな影響を与えた)


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