「ねばならない」思いで指導すると管理的になり、子どもとの関係が悪化する、どうすればよいか
問題行動を起こした子どもをどう指導したらよいかわからずに相談にくる教師、ノイローゼ状態に陥っている教師たちの相談にのっていてつくづく感じるのは「ねばならない」強迫や「指導」強迫である。自分の基準にあわせた「ねばならない」という強迫的対応を強め、子どもたちへの指導が管理的になってしまい、子どもとの関係が悪化し、結果として神経症状態に陥っていることもある。それらの教師は、子ども時代から培ってきた「良い子」性がそのままになっていて、子どもたちの管理に過剰反応していたり、私生活までをも不自由にしていることもある。
この強迫性というワナから逃れるにはどうすればよいのであろうか。
強迫性が教師と子どもの間の共感性の欠如をもたらす。子どもの心をキャッチする柔軟な感性を麻痺させる原因になっている。したがって、教師は「ねばならない」強迫から解放される努力をする必要がある。
強迫性とも深くかかわっているのだが、教師は職業柄か、子どものすべてを把握していないと不安になる。人間は他人の視線にさらされることのない秘密が保障されることによって、自分のなかに自分の居場所をつくる。子どもも例外ではない。
ところが教師は指導のためという言葉をタテマエにして、子どもの内面の触れてはいけないことや秘密にして置きたいことにまで踏み込む。そうすることによって子どもをどれほど傷つけているか気づいてない教師が多い。
教師が子どものすべてを把握しておかなければという背景に、子どもは何か悪いことをするにちがいないという教師の疑惑や不信の眼差しがあり、それを子どもは本能的に嗅ぎとってしまう。
以上のことが教師に見えてくると、子どもの起こすさまざまな問題行動が子どもの悲鳴のシグナルととらえることができる。教師自身の苦しみとも重なるものであるということが実感できれば「子どももつらいのだ」「子どもの心を傷つけることだけはするまい」という気持ちが自然に湧いてきて、子どもを問題視したり、敵がい視することはなくなるにちがいない。
そうなれば悲鳴のシグナルに出会うたびに、教師もまた弱者であるという前提に立って、まず自分自身の心の奥をみつめる作業をしてから、その眼を子どもに転ずるようになるだろう。その時にこそ、子どもの心の奥に届く言葉が出てくるはずである。そして自分を知る作業なしに、子どもとともに生きることはできないのだ、と気づくにちがいない。他人を感じるためには自分を知ることである。
グループカウンセリングに出席していたある教師は、他人の内面の悩みや苦しみを感じることができるようになるに従って、いつも他人を支配しようとしていた自分に気づき「ねばならない」という焦りで、かん高い声を出していた自分に嫌悪を感じはじめた。「焦りに満ちて、他人を支配しようとすると、他人の話を聴くことができないだけでなく、相手を傷つけてしまうこと、そういう自分は傲慢であり、人間をバカにしていたんだ、子どもたち一人ひとりを大事にしていたことにはならないんだと気づいた。自分は他者を支配しようとしないで、他者と向きあえるようになりたい。そう思えるようになった自分はいくらでも変わると思う」という実感を述べている。
自分を知ることによって、他人を感じるということは、このようなことなのである。
(横湯園子:1939年静岡県生まれ、中学校教師、国立病院児童精神科病棟生徒対象学級教師、千葉県市川市教育センター指導主事、女子美術大学、北海道大学を経て元中央大学教授。専門は教育臨床心理学。増大する子どもの困難状況に対処するための包括的な研究を行う)
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