自分の人生を歩む道をきりひらくにはどのようにすればよいか
自分には自分に与えられた道がある。ほかの人には歩めない、かけがいのない大事な道。志(こころざし)を立てよう。本気になって生命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば事は、もはや半ばは達せられたといってよい。志を立てるのに老いも若きもない。道がひらけぬというのは、その志になお弱きものがあったからではなかろうか。つまり、何か事をなしたいというその思いに、いま一つ欠けるところがあったからではないだろうか。
いくつになってもわからないのが人生というものである。それなら手さぐりで歩むほか道はあるまい。わからない世の中を、みんなに教えられ、手を引かれつつ、一歩一歩踏みしめて行くことである。謙虚に、そして真剣に。おたがいに人生を手さぐりのつもりで歩んでゆきたいものである。
他人の道に心をうばわれても、道はすこしもひらけない。古来、偉なる人は逆境にもまれながらも、不屈の精神で生き抜いた経験を多く持っている。素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生む。素直さは人を強く正しく聡明にする。とらわれることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道に思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。
人にはさまざま人生があり、歩む道がある。道をきりひらいてゆくことは、決して容易ではない。精いっぱいの心根がこもらねばならない。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。つまりは、懸命に考えてわが道をひらかねばならない。
時代は変わった。人の考えも変わった。しかし、今日ほど事をなす上において信念を持つことの尊さが痛感されるときはない。経営者に信念がなければ事業はつぶれる。誇りを失い、フラフラしているときではない。
つい日々をウカウカとすごしていると、事にのぞんでイザというとき、うろたえてしまう。決然と事にあたるというのは、至難のことである。しかし、よく考えれば、日々の営みにおいて、お互いに刻々と、その覚悟のほどを問われているわけです。
すべてのことにおいて、いろいろの姿で刻々と「覚悟はよいか」と問われているのである。そのことを自ら察知して日々、自問自答するかしないかは、その人の心がけ一つであろう。ましてや昨今のわが国の情勢は、世界の動きとともに寸刻の油断もならない様相を呈しつつある。常に「覚悟はよいか」と問われることを、おたがいに覚悟したいものである。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)
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