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国語科:読解指導    

 国語科の読解や鑑賞指導では、教師の作品解釈の深さによって授業そのものが変わってくる。素材研究というのは、教師が一人の読者として力いっぱい作品と向き合って読むことをいう。私はこの作品をこう読む、こう考える、こう批評すると自分自身の読みとりの確立を図ることが最も大切で授業の成否を決めていくことになる。
 そして、その教材が何年生に向くか、子どもはどのくらいまで読みとれるか、どのような抵抗があるかという教材研究する。さらに「何をこの作品で教えるべきか」という指導事項の明確化がこの段階で中心的な仕事になってくる。
 さて、指導法というのは、教室での授業を想定して、発問・板書・助言・指名・学習態度・学習分量などの授業技法である。具体的な子どもたちの実態に即した形で研究されなければならない。
 しかし、一般的には、素材研究も教材研究もしないで、いきなり指導法の研究に飛び込んでしまいがちだ。教師は初めから教える人として作品を読んでしまうことになれているのではないか。とかく教師は「自分はわかっている」と思いがちである。そしてよくないは子どもであり、そのよくない子どもをどう教えるかということばかりを考えてしまうのである。自分自身のよくなさに気づいていない教師がけっこう多い。
 スイミングスクールに通う子どもたちの泳ぎ方の上達は早い。力のある指導者は、習いに来る子どもの欠点が具体的によく分かるのである。よく見えるのである。だから欠点のところを直してやれば、子どもはぐんぐん伸びていくことになるわけだ。よい授業をするには、ある教材が決まったら、目標をまず的確につかみ、指導の方法よりも、その子に何を指導すべきなのかという指導事項を精選し重視する必要があるのではないかと思うのである。
 教師は、まずもって自分自身の力量形成を常にめざすべきである。自らの力を高めることによって、初めて子どもの力量形成の方法が見えてくるのである。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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