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国語科:文学作品のなかの言葉の裏に隠されている意味を子どもたちに読みとらせる

 教科書に出ている文学作品のなかの言葉の裏に込められた感情や思いを読みとることが重要である。
 感情や思いを読みとる読み方が特に必要とされるのは、たいていクライマックスにおける主人公のことばである。
 たとえば、「ごんぎつね」では、火縄銃で「ごん」をうった後、土間にくりがかためておいてあるのを見て兵十がはなったことば「ごん、おまいだったのか。いつもくりをくれたのは」である。
 この言葉は、疑問文の形をとっているが、言うまでもなく、死にかけている「ごん」に尋ねることが真意ではない。「まい日、まい日」栗をもってきてくれたのは、「ごん」だったことを知った驚き。その「ごん」をうってしまったことの深い後悔と嘆きがこめられたことばである。
 兵十のそういった思いは「ごん、おまい」という呼び方にもにじみでている。ここでの兵十のどんな思いがこれらの言葉にこめられているのかを子どもたちに問えば、低学年の子どもたちからもさまざまな答が返ってくる可能性は十分にあるだろう。
 つぎに「一つの花」では、お父さんが戦争に行く日、汽車が駅に入ってくるという時になって、ゆみ子の「一つだけちょうだい」がまた始まる。そこでお父さんがプラットホームのはしっこからコスモスの花を一輪とってきて「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう-」という言葉をかけるところがある。花もらったゆみ子が喜ぶのを見て、お父さんはにっこり笑うと、何も言わずに汽車に乗って行ってしまう。
 このお父さんの言葉の裏に込められた感情や願望をどうとらえたらいいのだろう。
 この言葉は、ゆみ子に向けて呼びかけているようにみえるが、はたしてゆみ子にその意味がわかるようなことばだろうか。「一つだけの花、大事にするんだよう」ということばには、むしろお母さんに向けて自分の願いをこめて語っていることばとしてとらえた方が、子どもたちにも「一人っ子のゆみ子を大事に育ててくれ、母子でしっかり生きていくんだよ」といったお父さんの願いを読みとらせることができるのではないだろうか。
 国語教育では、教科書の表面的理解にとどまらず、裏に隠されている意味を子どもたちがふだんから読みとることに慣れさせることが、今日のように真偽いりまじったさまざまな情報が氾濫する社会では特に必要であろう。
(
柴田義松:1930年愛知県生まれ、東京大学名誉教授。専門は教授学。教育内容・教科内容と教材の区別を提起し教授学研究に革新をもたらした)

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