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教育は子どもと教師が信じ合い、子どもに尊敬され、慕われること、どうすればできるのか

 私の教師人生にとって、実際に役に立つ情報というのは、意外に短い言葉の片りんであったり、ある人のさりげない小さな行動であったりする。ふとしたことから、粋玉の言葉に目覚めさせられ、その後の生き方の指針となったものもある。
 私の考える教育が成立する条件は「信・敬・慕」である。
(1)

 教育は信じ合う間柄においてのみ成立する。不信感を持つ人の言葉に耳を傾ける者はあるまい。教育はまず信用され、信頼される相互関係から出発するのである。教育の成立の第一条件は実にこの「信」の有無にある。
 人と人の交わりの根幹は「信」であると福沢諭吉は強く訴えている。私たち教師は子どもをまず信じるところからスタートしなければならない。
 「必ずよい子になる・よい子にさせる」と信ずればこそ、日々の実践に力が入り、希望につながり、楽しみが生まれてくるのである。
 伸びていく子どもの姿を目のあたりした親は教師を信頼する。このようになれば、教師は自分の実践の手応えを感じ、日々生活できる。これに勝る教師としての喜びはあるまい。
 まずは、ひたむきに子どもを信じ、子どもの成長を確信して事に当たるべく努めることが出発である。
(2)

 教師が子どもからも親からも尊敬される存在であることだ。尊敬できない人の言葉に耳を傾ける者はなかろう。敬の存在は教育の成立に絶対不可欠の条件なのである。
 子どもに学ぶ意欲を高揚させるのは本当に難しい。子どもに意欲をもたせようと思っても、簡単にもたせられるものではない。だが、思いがけず子どもがそうなった、ということはある。それは、子どもが教師を尊敬し、憧れを感じたときである。子どもが担任を好きになると勉強も好きになる。
 人は役に立つために人間は存在しているのではないかと私は思う。私が身につけている服も、食べている食品も、すべて私以外の誰かが作ってくれたものである。自分もまた人様の役に立つことによって、はじめて存在価値が生まれるのではないか。それに気づき、実践した人が尊敬と畏敬の念を抱かれるのだ。もっとも身近な例は親のありがたさである。親が子どもに注ぐのは報酬を求めない無償の愛だからである。
(3)

 教師は信じられ、尊敬されれば、それで足りるだろうか。否である。「どうしてもあの先生に近づく気にはなれない」というのでは教育は成立しない。「また、あの先生に会って話したい」という思いがなければ疎遠のままで終わる。思慕・敬慕の情を抱かしめることもまた教育には必須、不可欠の条件なのだ。
 やはり、大事なのは教師の人間的な魅力なのだ。慕の情が生まれれば、子どもは自然と聞く耳をもつようになる。
 私に言わせれば「慕」こそがとても重要である。「慕」は説明しがいた情の世界だ。根底にあるのは温かさかもしれない。温かさを感じれば、誰でもそこに近寄ろうとする。
 人間は温かく明るくなくてはいけない。小学校の教師は、明るくならなくてはいけない。そうすれば子どもたちが寄ってくる。だからといって、明るい人はいつも子どもにやさしいしいかというと、必ずしもそうではない。温かいことと厳しいこととは必ずしも対立するわけではない。厳しいけれども温かみのある人はいるものだ。教師は厳しさと温かさ、その両方をもっている必要がある。
 だが、実際は、暗くて冷たい印象を与える教師もいる。気の毒なことだ。頭はいいのだが、どうしても人間味に乏しい。子どもに好かれないから、親からも好かれないまま終わってしまう。
 大事なのは、教師自身が教育者として、自分を省みることである。それができる教師は信じられ、敬せられ、慕われる。どうも教師という立場は教えるだけの一方通行になりがちで、学ぶことを忘れがちだ。人にものを教える以上は、自分が教えるに値する人間であるかどうかを、常に省みる必要がある。反省し向上を課さなくてはならない。
 教師には研究する機会は多くあっても、修養を深めてくれる場所はなかなかみあたらないようだ。修養を深めるには、「良き師、良き友、良き本」の三つにある。良き友と交わり合いたいのなら、全国各地で開催されている勉強会や講習会に参加するといい。参加している教師は謙虚で自律心があり、学ぼうとする意欲も高い。
 そのような場所へ出て行かない教師は、教育の本当の楽しみを知らない。自分の実力を過信し、自分が一番偉いと思っていることが多い。学校から一歩出てみれば、優秀な人がたくさんいることがわかり、世の中には怖い存在があるということにも気づくであろう。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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