正しい指導法は子どもが教えてくれる
教師は自分の指導が良かったか悪かったかを、どう判断したらよいのだろうか。それは、子どもが伸びた、成長したという事実があれば正しい指導法であったのだ。
教育の世界には、いまだに熱意や愛情さえあれば、良い教育ができるといった考えが根強く残っている。多くの教師が、熱意があれば何とかなるというのは幻想だったということを、つらい体験を通して述べている。
正しい指導法を身につけるには、どうすればよいのだろうか。それは、子どもの成長の事実を見て、自分の指導を振り返るようにすればよいのである。子どもの事実を見ようとしないと、とんでもない指導になってしまうことが多々ある。自分を振り返る謙虚さがあれば、苦しんでいる子どもの姿に自分の指導法が間違っているのではないかと思いを巡らせたかもしれない。そして、他の指導法を追及したことだろう。
子どもの事実ほど、真理を含むものはない。子どもの事実は、様々な原理を含んでいる。法則や理論は子どもの事実からつくられるのである。
子どもの事実を見ていれば、指導法を迷わずにすむ。子どもが伸びない授業はどこかに隙があり、だめな部分があるのだ。子どものせいにせずに自分の指導法のせいにすべきなのだ。
昔からやっているからといって、同じ指導法を何の考えもなく取り入れるのもだめだ。いつか、その指導法が通用しないときがくるかもしれない。新しい指導法を模索、創造していくのである。教師は先人の知恵を学ぶことで、力を身につけていく。大いに指導法を学んだうえで、その指導法を絶対とは思わずに、子どもの成長の事実をもとにして指導を行うことが大切なのだ。
教師の学級経営や授業を子どもや保護者がアンケートで評価するようになった。「先生は分かりやすく教えているか」など、無記名で、かなり辛口の評価も含まれる。私は教師にとって良薬だと思っている。いやがおうにも、子どもの意見を取り入れて自分の授業や学級経営を改善せざるを得ない。
当然ながら、自己改革ほどつらいものはない。教師は子どもや保護者の視点から得た評価であっても、自分を高い所から見おろすくらいの器量がなければならないと考えている。
自分を磨くには、改善点を知ること、自分の至らなさに気づくのが第一歩である。この自分の至らなさに気づくことがない限り、自分を磨きようがない。
子どもの視点から教師を見るための一番の修業は、ビデオ撮影である。自分の授業している姿をビデオで撮り、自分の生の姿を直視するのである。自分が思い描いていた理想像と、現実の姿がこれほど乖離していたのかと、驚くこと間違いなしである。撮影で、いつもより頑張ったのに、この程度かと。ふだんはどれだけひどいのかと、空恐ろしく感じるだろう。
教師は常に子どもたちから見られている。自分が恥ずかしくて直視できないような姿でいるのを、毎日子どもたちは見せられているのである。
大切なのは、子どもの視点から、教師自身を振り返り、自分を磨き続けることである。一年後に、もう一度同じビデオを見るとよい。もし、恥ずかしいと思えば成長している証である。恥ずかしいとも、おかしいところも見つからないのであれば、要注意である。一年経っても成長していないことになる。
卒業式の日、涙を流す教師は多い。私はその場の雰囲気だけの涙では価値がないと思っている。これだけは子どもに教えたいときは、私はたとえクレームが出て仕事を失うことになったとても、教師としての正義を貫きたいと、そんな気概をもって指導にあたるようにしてきた。価値があるのは、やりきったという涙である。もてる力の全てを費やし、成功するときもあれば、失敗するときもある。しかし、とにかく一年やりきったのだ、妥協することなくやりきったのだという涙こそが価値あるものだと考えている。
(大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)
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