私の生き方は仮説実験授業によって育てられた
私の生き方は仮説実験授業によって育てられたといっても間違いなと思います。私のすべての活動は仮説実験授業の思想を腹の中にたたき込んでやっている、と自分では思っています。でもそれはべつに難しいことを言っているわけではなくて、簡単に言えば「押しつけを絶対にするな」というここと「楽しく生きよう」ということです。この2つをいつも頭に描きながら人生を楽しんでいます。
仮説実験授業は1963年に板倉聖宣によって提唱されました。例えば「50gの粘土(ピンポン玉の大きさ)と0.4gの粘土(小豆くらい)があります。これを2mの高さから落としたらどちらが先に落ちるでしょうか」という問題を、「50gのほうが速い、0.4gのほうが速い、どちらも同じ」の結果の予想(仮説)を立て、みんなで討論し、結果(答え)を実験で確かめていくことを繰り返して、科学(自然科学、社会の科学)の基本的な概念や法則を教える授業です。
私が仮説実験授業に初めて出会ったのは、1964年に成城学園で研究会に参加したときだった。「子どもたちがびっくりするような、喜ぶ授業がしたい」とずーっと思っていたときに庄司和晃さんの「ふりこと振動」の授業を見た。「こんな授業が世の中にあったのか」と、そのひと言に尽きるぐらい感動した。私が一番感動したのは子どもたちの討論。しかもその内容でした。「へえー、子どもたちがこんなすごいことを考えるのか」とね。そして実験が始まると、その時の子どもたちの真剣な顔。実験結果が出たときの子どもたちの「ヤッター!」という喜びと歓声でした。
実際に授業をしてみて、そのすごさが少しずつわかってきた。私は当時5年生を担任していて「ものとその重さ」と「ばねと力」をやった。私自身は授業が楽しくて仕方がなかったし、何よりも子どもたちの感想文を読んでもすごくよかった。観ている教師も「なるほど、これはたいしたもんや」と思った。
「いったいオレは今まで何しとったんやろか」と考えさせられた。私は理科の教師やと思っていたから、子どもたちに実験をよくさせていたんです。ところが、仮説実験授業はほとんど教師実験でしょ。それなのに、子どもたちは「実験があるから楽しい」ということをこの授業の中で見つけたわけですよ。
子どもたちに感想文を書かせたら「今までの先生の実験は面白くないけども、この実験はすばらしい」と、言いよったんです。仮説実験授業を受けた子どもたちによって私のものの見方考え方が大きく変わっていった。子どもたち自身がこれだけすばらしいことを考えたりできることを子どもたちに教えられた。
私は子どもたちに、主体的に生きていける人間になって欲しいと思っています。仮説実験授業自身が民主主義のルールにもとづいていて、子どもたちが自然にハダでそのことを体得していけるようになっている。例えば、他人の意見を聞いて自分の意見を言えるとか、少数派であっても正しいことは正しいのだと認識するとか、相手を説得しようと頑張るとか、予想をたてて考えることの大切さ、楽しさ、そしてそのことが正しいかどうか実証してみない限り信用してはダメだとか、そういうことが仮説実験授業を通して身につき、将来社会に出てからも主体的な生き方ができると考えています。
(渡辺慶二:1933年京都市生まれ、元私立四条畷学園小学校教師。研究会で板倉聖宣と出会い、生き方として仮説実験授業を実践した)
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