すべてのものから学びとるようになって、働くことが楽しくなった
子どもに対する温かさと厳しさ、それは校長(注:斎藤喜博)のたくさんの著書の中からも読みとれることだが、じかに接し指導をうけた者でなければ、ほんとうにはわからないのではないだろうか。校長は子どもを決して否定的に見ない。学校の誰よりもやさしい。それでいて、誰よりも子どもに厳しさをもっている。
校長が「学校は子どもをかわいがるということばかりではなく、厳しさで子どもをふっきらせるという教師の意志が大切ですね。教師と子どもが汗だくになって厳しさをふっきったとき、教師も子どもも、さわやかに、素直になるのですよ。学校とは、そういう仕事の舞台ですよ」と、職員室で仕事が終わったあと、職員にさりげなく話された。私は校長から徹底的にそのことを学んだ。
「大槻さんは、我が強い。教師としてそういう我を取り除かないで子どもを良くすることはできっこない。我を捨ててこそ見える世界がある。他から学ぶということは我を捨てることなのですよ」と指摘された。死んだ母からも「お前は我が強すぎる。その我をすてないと、素直にみえないよ」と言われていた。
とび箱の開脚とびこしの指導で「ふみきり板に、自分の力を加えるのではなくて、ふみきり板からもらいなさい」と校長が言うと、子どもたちは理解し、そのとおりのふみきり方をした。翌日、私が校長の言葉どおりに指導してもできなかった。質の高い実践を重ねた経験があるものでないと、話を聞いただけでわかったとはいえないと思った。学んだといっても、自分自身の中をろ過してみるとなにも残らなかったり、残ったとしてもほんのわずかな小石のようなものであった。
校長は、ときどき「そこで教師は何をしたかが教師の思想なのですよ」と言った。
校長にたびたび授業を見てもらった。子どもが沈滞しているとき、校長の発問でたちまち子どもが生き生きと活動しはじめた。子ども一人ひとりに問題意識をもたせることによって、子どもが蘇生したかと思われるほど生き生きとした場面を見せてもらった。教材の解釈の深さはいうまでもないが、ひとつの発問の中に、子どもを引き出すものが織込まれているように思われた。
合唱の指導もそうであった。校長は全神経を集中し、言葉ひと一つひとつにも、指一本の動きにも、子どもを引き出し、子どもを高めずにはおかない魔力のような力があった。校長は真冬でも上着を脱ぎ、汗を流していた。私の学級の子どもの歌も、校長のことばひとつ、指一本で一変してしまうのだった。
子どもは無限の可能性を持っているのだということを思いしらされた。自分の力の弱さに耐えられないような気持ちになっていった。授業がうまくいかないので、仲間の教師に話すと「授業とは、自分の内臓をえぐり出さなければならないような苦渋をなめなければ、みつけ出せないものなのだよ。教師はそうした苦渋を経て強くなれるんだよ。そんな弱気で何ができる」と、廊下で静かに話してくれた。
今になって思えば、校長が定年までいた境小学校での二年間は、私にとって貴重な毎日だった。死にものぐるいといったら大げさかもしれないが、いままでに経験しなかった強い意志で仕事をしたつもりだ。それでいて働くということはこんなに楽しいものかということを、しみじみと味わうことができたように思われる。それは働くことによって、必ずそれが自分の力になるという生産の場だったからだろう。自分以外のすべてのものから学びとるという校長のことばは、私の生き方になった。
(大槻志津江:元群馬県境小学校教師)
(注) 斎藤 喜博:1911年-1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者。
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