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今求められている教師の力は、子どもたちへの瞬時の適切な対応力である

 中学校は小学校とくらべ、難しい年頃で、手こずる生徒が多い。私が中学校に勤めていたとき、良くない生徒を注意さえしていれば良いのだと考えていた。平気で授業を中断して注意したり、怒鳴ったり、怒った態度をわざと見せつけていた。
 いつも怖いふりをしていると、真面目な生徒からもそっぽを向かれ、授業自体が成立しなくなる。反抗したり、言うことを聞かない生徒を相手にしても仕方がないと考え、淡々と授業を進めた時もあった。真面目な生徒だけを相手にしてどんどん授業を行った。私語があろうと、教室を出て行こうとしても、とにかく授業をし続けた。その時は、真面目な生徒のことだけを考えて授業をしようと必死だった。しかし、教科書の進度を中心に考えていたのかもしれなかったと反省している。結局、生徒全員を無視していたような気がする。これでは、教室の雰囲気が悪いのに意欲的な活発な授業になるはずがない。
 私は再起を誓って小学校に転勤した。教育書を読みあさると、「授業で子どもをひきつける」とか「授業が面白ければ子どもたちはひきつけられる」という内容が書かれていた。授業さえ面白ければ良いのだと錯覚していた。私語をしている子などがいても、いつか授業に参加してくれると期待し、一切注意もしないで、面白い授業をめざした。今考えると、全然子どもたちを見ていなかった。一人芝居だった。その結果、授業がうるさいと同僚から批判された。
 生徒指導のうまいと言われる教師を観察していると、子どもたちとの対応力が実に巧みである。問題ある子どもたちに対応しすぎてもいけないし、全く無視してもいけない。反抗する子どもたちに対して、うまく対応している。今求められている教師の力は、子どもたちへの瞬時の適切な対応力であると考えるようになった。個性(わがまま)が強い世の中では、真の教師の力が要求され、日々試されている。臨機応変に指導する力が必要とされている。
 例えるならば、教師はオーケストラの指揮者であり、子どもたちは演奏者である。指揮者は、それぞれの楽器の音色を瞬時に聞き分け、修正し、演奏者の持っている力を十分に発揮させなければならない。楽器の音やリズムがバラバラな状態がまさに学級崩壊である。
 その他に例えるならば、自動車の運転は、本を読んで頭で理解しても上手にはならない。実際に運転しながら学んでいくものである。ハッと息をのむような事故寸前に出くわすこともある。そうやって困難を乗り越えて、腕を磨き身につけていく。
 日々の鍛練と厳しい修錬によって、少しずつ向上していくものである。授業中の子どもたちとのキャッチボールは、毎日欠かさず、意識的に行うのは当然である。同じ志を持つ教師の研究会、サークルなどでお互い学び合って教師の実力がついていく。本も読まない、何の努力もしない教師は、実力が低下していく。前に進むか、後ろに下がるかで、教師の人生がガラッと変わる。ピンチはチャンスである。
(
渡辺敏昭:北海道美唄市公立小学校教師) 

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