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崩壊した学級をどのようにして何年も立て直し続けることができるのか

 「新五年生は菊池先生じゃなきゃ止められない」と言われていた。菊池は五年生の担任になった。前年度のクラスはバラバラ、言うことを聞かない。毎日殴り合いのけんかが起きて崩壊していた。
 同じ学級は二度と存在しない。だから過去の事例とはっきり比較できない。「見通しを立てながらも手探り」という状況で進まなければならない。菊池にはその覚悟がそれまでの経験からできていた。
 教育は教師と子どもの関わりあい。だから結果はどう出るかは分からない。何がどう反応してどう転ぶかは分からない。理想を追い求めるとキリがない。見通しを立て、教師が自分の信じる授業観を持ち、しつこいくらいに子どもと関わっていくしかない。
 学級の目標は学年の終わるころには社会で通用する子どもたちをつくること。菊池が最も大切に思っている点は「考え続けられる人間」「自分の成長と集団の成長を考えられる人間」だ。菊池が繰り返し子どもたちに伝える点は「全員で成長すること」だ。菊池は嫌われてでも善意を子どもたちに押しつけていく。手法はマイルドだが強い姿勢で教えたいと菊池は思っている。
 教室は、子どもたちにとって、初めての公の場である。だから、きっちりとした姿勢ですごす必要がある。「教えあい(お互いに助けあうこと)、競いあい(競いながら伸びていくこと)、けん制しあう(友だちにマイナスの動きをさせないこと)」ことができなければ、子どもたちは教室に足を踏み入れる資格がないと菊池は考えている。
 基本的な読み書き算は反復しないと力がつかない。一人の教師が30人の子どもたちを相手に「しゃきっとしろ」と言い続けていては教えることができない。力をつけるための土台づくりとして、子どもたちの人間関係をつなぐコミュニケーション力がつき、教えあえる状況ができれば高い効率が得られると菊池は思っている。
 子どもを育てるために必要なのは、母性(子どもを守る優しさ)、父性(外の世界でその子が通用するように教える厳しさ)、無邪気さ(ときに子どもと同じ気持ちになって遊んであげる気持ち)を全て持っているべきだと菊池は説く。
 新年度の早い時期に担任が子どもたちに「こうしよう」とあまり多くを示しすぎると、上滑りになり、マイナスに作用することが多い。学力が低い子や問題児が「ついていけない」と受けとめると、クラスの輪から離れてしまうからだ。逆に、何もかも子どもたちに合わせすぎると、子どもたちに押され、これも学級崩壊を招く。
 最初の頃は担任と子どもたちが対立する関係をつくってはいけない。初期の対立は後々まで学級づくりに悪影響を及ぼすからだ。経験上、もっとも良くないのが、最初にクラスの悪い子どもたちに、ガミガミと怒ってしまうことだ。子どもたちが担任に拒否感を感じると、クラス全体が「なんで自分たちも悪い雰囲気に引きずられなくてはならないのか」と、担任と対立することになる。そうして、ベテラン教師が学級崩壊を招いていた姿を菊池は幾度も目にしてきた。
 学級崩壊しているクラスは、教師が子どもたちに押された状態になっている。そういった状況を作らないために、教師が余裕をもった態度で子どもたちに接するようにしなければならない。
 新学期の始業式の日は大事な筋目のとき。新たなスタート、仕切り直しのときである。始業式が始まったときからが勝負だ。問題児のしぐさをしっかりと観察して、何気ないことをほめ、ほめ言葉の先制攻撃をする。
 新学期の始業式の日に「リセットの儀式」を行う。「去年までのクラスがどうだった」と子どもたちに聞き、頭の中で振り返らせる。リセットしようと訴える。過去のことはもう問わない、ここから変わるんだと。
「ここからの一年間、みんなが進む道はふたつあります」そして、どう進みたいか子どもたちに問う。
「Aの道とBの道があります」
「Aの道とは、クラスと自分が成長を続け、他の学年からも尊敬されるようになること」
「Bの道とは堕落して、他の学年からも『はやく中学校に行ってしまえ』と言われるようになることです」
「どちらがいいですか? 手を挙げてみてください。ではAがいい人・・・・・」
 新しい学期でフレッシュな状態にあると「成長したい」と子どもたちは答える。どんなにクラスで暴れていた子でもAの道を選ぶ。こうすると全員がAの方に手をあげるものだ。たとえBと答える子がいても、その子を叱ることはしない。前年度のキーパーソンを軽くほめ、そっとしておく。いっぽうでクラス全体には「リセットしよう」と伝える。
 新学期の始業式の筋目の日の特別なムードを利用して、社会で大事なことを子どもたちに伝える。「正しく生きる」という点は、どの時代も変わらない。理由は説明する必要はない。強引であっても子どもたちに伝える。
 菊池は集団の中で個人を育てる。子どもたちに、成長するよう強く働きかける。一対一で問いつめることはせず、「みんなは、どう思うだろう?」という問いかけをする。例えば「成長は必ずクラス全員でなければできないことです。例えば一人がやりたくないと言うとどうなるでしょう?」と。
 集団のなかで個を育てる。クラス全員が見ているから、個人も変わる。これは菊池流の厳しさを表すものである。集団から個人にプレッシャーをかける。
 一日の始まりは、「おはようございます」と、しっかりとした挨拶から始めるようにしている。教室の右端前の席から一人ずつ順に大きく声をだして「おはようございます」と挨拶する。
 挨拶の後、日直が前に出てきて、質問タイムになる。「よろしくお願します」と言って、ひと言、自分のことを切り出すことになっている。これをうけて、日直の個人のことを知るため、質問を浴びせる。終わりの会の「ほめ言葉のシャワー」に対する準備運動のようなものである。 
 菊池は集団の中で個人を育てることを続ける。4月のリセット後、ゆっくりと自分の考えをクラスに浸透させていくのに2か月くらいはかかる。秋以降にクラスをぐっと成長させるための種まきを続ける時期だ。
 その切り札が「ほめ言葉のシャワー」だ。その日の日直が、帰りの会で黒板の前に立つ。子どもたちが自由に起立して、「元気よくあいさつしていた」など、その子の1日のなかでよかった点を全員がほめていく。シャワーのようにスピード感をもって伝える。
 ほめる規準「評価語」を菊池が説明する。いわば教室のなかに広めたい流行語だ。コミュニケーションを高めるための言葉や、社会に出ていくための重要な言葉のことだ。黒板に書く。ほめ言葉に成長というキーワードに結びつけることを教えてきた。
 話すことが苦手な子もいるから「ほめ言葉のシャワー」の最初は、まず紙に書いて友だちをほめることから始める。班に一枚の紙を渡して、それを小さく折り曲げて、いいところ回し書きする。
 一学期の途中になってから話せるようになると、話し言葉による「ほめ言葉のシャワー」が始まる。これによって「ほめられる→やる気がでる→よりほめられたいと思う」という流れになることを目指す。ちゃんと話せない、声の小さな子も多いがそっとしておく。子どもたちがお互いに関心を向けあうことが大切だと考えているからだ。
 書くことを学ぶ「成長ノート」も実践している。担任と子どもの交換日記だ。教室で起きた大きな出来事について「自分はどう成長してくのか」と思うことを書いていく。書けない子どもが多いので成長の基準を説明する。話すよりも書くことのほうが、物事を深く考える習慣をつけるのに効果があると菊池は考えている。よい成長ノートは、たびたび教室で読み上げていく。
 学級づくりには、中位にいる6割の子どもたちが重要だ。ここが不安定だと学級づくりがうまくいかない。少しでも上位2割のグループに近づけるように働きかけをする。この2割の子どもを成長させて学級の8割にする。そうすると厳しく指導しても学級崩壊しない。下位2割の指導も着手できる。そこまで待つことが教師として最も難しい。
 6月末、菊池は初めて子どもたちを叱った。前年度、学級崩壊の中心だったHが質問を無視し、寝ていた。授業を中断し、菊池は黒板に「Hくんが質問の答えを言えなくて、しばらくだまっていた」と書いた。
「友だちとして、どうしたらいいのか」
「おまえたちがいい加減だから、こんなにひどくなったんだろう」と強く言った。
 寝ているのはHだったが、クラス全体を叱った。叱るというのは、正しいことを目的を持って教えることだ。クラスの真ん中の六割の子どもたちが上の二割に近づいていると直感したからだ。授業中の発表も簡単な話し合いも係活動もクラス全体が関わるようになっていた。
 二学期始め、クラスは落ち着きをみせ、雰囲気は悪くはなかったが、菊池がめざす「子どもたちが話し合いと学びあいを自主的に行える形」には至っていなかった。
 クラスの成長は六月半ばくらいから、そこそこよくなっていき、11月以降に加速度的によくなる。10月の後半、学級は集団への関心が個人の成長を促し、個人の成長がまた集団の成長を促す状態にある程度達していた。Hくんに対しても、周囲の子どもが勉強のやり方を教える場面も多くなっていた。
 もうやっても大丈夫と感じて、クラスではじめてディベートの授業をした。難易度が高いゲームだ。テーマは「獲る漁業と育てる漁業、どちらが良いか」、ルールを簡単に説明して実施した。勝ち負け、ルールがある話し合いのあるゲームです。話す順番があり、意見、質問、反論の三つに分かれる。
 北九州市の公立小学校は11月の第一週、学校開放をする。菊池にとって現場を見てもらえる機会は重要だ。子どもたちにとっては自分の姿を外の人に見てもらえる「新たな公の日」を意識する機会になる。成長しようと子どもたちに説いて聞かせていた。県外の人も見に来る。このころになると子どもたちが自主的に動くようになっていた。菊池が担任した卒業生が27年ぶりに学校に来た。目にした菊池先生に心底驚いた。余裕がある。締めるところは締め、緩めるところは緩める。そういったメリハリがあった。その姿はテレビ番組の司会者のように、子どもたちの発言をうまく引き出すべく、ときに言葉を補い、ときに印象的な発言から次の展開を生み出していた。
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菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)
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吉崎エイジーニョ(英治):菊池省三を取材し「学級崩壊立て直し請負人 菊池省三最後の教室」を著作した)

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