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いじめを撃退するにはどのようにすればよいか

 教師はクラスの生徒がいじめられているのではないか、というシグナルに気づくと生徒を呼んで聞くことになる。生徒は生徒どうしの世界のことについて簡単にしゃべろうとはしない。まわりの生徒もチクッた自分がやられる恐れがあるので子どもの世界のことを教師には言わない。このように、いじめを確認することは非常に困難なことで、思いつきで何とかなるようなものではない。教師が命がけでぶつからないかぎり、どうにもならないことなのである。
(1)
自分のカンを信用せよ
 いじめのシグナルを受け止めるためには、冷静に観察する目が必要である。朝の会、給食時、清掃時などに、意識的に生徒の様子を観察することである。なんとなく元気がない、ポツンとしている、給食をあまり食べない等、気になることすべてきちんとメモしておこう。そして、定期的にそのカードを見直してみよう。生徒の様子が鮮明になってくるだろう。自分のカンを磨き、そのカンを信用しよう。
(2)
信頼されるための「道」をつけろ
 いじめのシグナルをつかんだとしても、それを生徒に確認するのは難しい。それ以前に「いつでも力になるから気軽に話においで」と、道をつけておくことが大切だ。
 教師として体をはっていることが、生徒に伝わっていなければならない。教師ができることを精いっぱいやることである。そこに信頼が芽ばえる。また、生徒から得た情報は親にもきちんと伝え「家庭でも確認してほしい」と頼み、親との間にも道をつけておかねばならない。
(3)
怒鳴り込んできた親に感謝せよ
 いじめられた親が怒鳴り込んできたら、逃げ腰になるのは絶対やめて、「待ってました」という態度が大切である。親が子どもの口から、いじめの事実を確認してくれたことに感謝するべきなのである。親に感謝し、親との連合戦線を築き上げねばならない。教師は親の怒りを背景に、はじめていじめに立ち向かえるのだ。
(4)
冷静に聞きだし、考えさせる
 いじめを解決するためには、いじめられた生徒からじっくり話を聞くことがスタートである。教師は事実を整理するという中立的な立場をとることが大切である。こうした態度は、いじめた生徒から話を聞くときに重要になる。「とんでもない悪い奴め」という態度で臨むと、いじめた生徒は自分のやったことを素直に話さない。
 いじめとは、自分にとって何だったのか、それを考えさせることが重要なのだから、自分が何をしたのか、されたのか、ということを生徒自身が確認することこそ最大の課題なのである。
(5)
処置には正式の会を設定する
 いじめの確認が終わった段階で、暴行や恐かつなどの犯罪行為をともなう場合はまず、いじめた生徒と親に、学校で処置するか警察沙汰にするかの選択を迫る必要がる。そして学校での処置を望むならば、今後の生徒の生活の仕方について、親の責任を強く要求していくことが大切だ。大切なことは学校での処置は学年主任や校長が開く正式な会で行うということである。
(6)
教師は正義の味方になるな
 いじめの処置の会で教師はいじめの全体を明らかにしていくことになる。ここで親はいじめの全貌を知ることになる。一番大切なことは、生徒が自分でやったこと、やられたことをはっきり知るということである。親もいじめの中身を知って「とんでもないことをした、された」「人間として恥ずかしいことだ」と真っ青になり、親が本気で怒り、育て方を反省すれば、これで会は終わったと言っていい。教師は司会しまとめ役でしかない。正義をふりかざして親と子を断罪するなど絶対してはならない。
(7)
反省しない親子は徹底的に追いつめろ
 いじめの事実を確認しても「いじめたのはうちの子だけじゃない」「いじめられるほうだって悪い」「たいしたことじゃない」と、たじろがない親や子どもが多いだろう。このような場合、自分がやったことを反省することなど不可能である。このとき、いじめられた生徒の親の怒りは決定的になる。教師はいじめられた生徒の側に立って、いじめた親子を追いつめることが必要になってくる。親に対してしつこく感想、考えを聞いていくことになる。親子ともども、とんでもないことをした、というところまで追い込まなければならない。とても難しいことだから、無理だと判断すれば「学校として責任が持てないから警察沙汰にします」と宣言して終わることも考える必要がある。
(8)
教室は教師が管理せよ
 いじめは子どもの世界で必然的に起こるものである。すべてなくすなど不可能なことだ。子どもの世界は今、野蛮で何が起こるかわからない。教室は教師の責任下にある。だからこそ教師は、野蛮な子どもの世界に介入しなければならない。
 教師は生徒たちに、していいことと悪いことをはっきり示す必要がある。折にふれ生徒を叱ったりほめたりすることが大切だ。時には大声をあげ、全身で怒りを表すことも必要になってくる。日頃から生徒の動きをよく見て、まずいときには即座に介入する「うるさい」教師にならなくてはいけない。
(9)
生徒の自治を育てよ
いじめは子どもたちの世界で起こるのだから、子どもたちが自分たちの力でそれをコントロールするのが望ましい。生徒の自治を育てるためには、子どもの世界に公の関係を持ち込むことが必要だ。そのためにはクラスのなかに班をつくることが決定的に重要になる。班は好きなもの同士でかまわない。教師が要求することは「班員は班が守れ」ということである。クラスのなかの協同生活に必要なきまりをみんなで決めて、それを実行できるかという競争を毎日行わせるのである。これは教師の考えを押しつけることになるから、戦争であると覚悟したほうがいい。教師の人間観が日々厳しく問われることになるだろう。教師としての力と人間としての力を日々磨くことを心がける必要がある。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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