子どもの心の扉を教師は開くことができるか
子どもに限らず人の心を開くことなど至難のわざだと思う。知りたいと思って追っかけると逃げられる。知りたくないふりをしていると疎遠になる。
子どもが話しかけてきたら、私というものを出さずに、まず聞いてみる。「そうなんや」とばかりは言わない。子どもたちは自分に心地よいことばを言う人が自分の味方だとは、必ずしも思っているわけではないようだ。
この子は何を求めているのだろう。どうしてほしいのだろう。どうしてほしくないのだろう。その子の目の動きをそっと観察し続ける。合わさなかった視線をフッと合わせるときがある。心を開こうかと迷ったときだと思う。
「大丈夫、話してみて、何か力になれるかもしれないよ」との思いが伝われと思いながら、その子が話し出すのを待ち続ける。
保健室での子どもとの対話は、
「先生」「なあに?」「あのね・・・」
「そうなんや」「よかったね」「つらかったね」
「ばかなことしたと思っているんや」「困ったなあ」「あなたは、どうしたいの?」
「私やったらこうするかなあ」
「あなたの代わりは誰もできないもんねぇ。変身できたらよいのになあ」など。
私がダメと言うこともある。他人を傷つけたり、自分を傷つけたりは絶対に許さないと強く言う。世の中には理屈ではなく、してはいけないことがあると思っているからだ。
子どもは正しい答えをいつも求めているわけではない。間違ったことはわかっている。でも、間違ったことをする自分も認めてほしいのではないか。
「何してんの。そんなことしたらあかんやろ」と、子どもに寄り添いながら、軌道修正してくれる人を、子どもは捜しているのではないかと思う。
子どもと話していると「わかってへんのに理解者のように話されると、いやになる」と言う。ドキッとする。私もその「わかってへん人」になっていないかと振り返る。私は子どものことを理解しようといろんな情報を集める。
しかし、目の前の子どもが望んでいるのは、自分に向き合ってほしいということに尽きると思う。今起きている事実のみで判断してほしい。変な憶測や同情はしてほしくないと思っているのだと思う。教師が力になれることは、本当は微々たることしかない。
子どもは自分を一人の人格として尊重してくれる身近な大人としての教師であってほしいと思っているのだと思う。嫌われても言わねばならないことを言い、大きな力にはなれないけれど、痛みを共有してくれる大人の一人になってほしいのだと思う。
(佐藤友子:元京都府公立高校養護教諭、2008年退職)
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