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教師が言っても子どもがよくならないのは教師に責任がある、意識改革し発想を変えよう

 指導ということがわかっていないと、失敗します。ひどいときは、学級崩壊につながります。子どもがよくならないのは、ほとんどの場合、教師に責任があると思います。
「そんなことはありません。私はがんばっています」と言う教師がいます。なるほど、その人から見ればがんばっているのかもしれません。授業を見ると空回りしていることが多いのです。
 例えば、チャイム着席です。「うちのクラスは、チャイム着席しない」「2学期になるのに、まだできない」と怒っている教師がいます。どのように指導しているのかを聴いてみました。「『チャイムが鳴ったら席に着きなさい』って、何度も何度もいっています」と。私は悲しくなりました。これが教育界の現状なのでしょう。
 これでよくなったら、教師はいりません。これは指導ではありません。まずは、教師がチャイムを守っているかどうかを確かめましょう。多くの人は、終了のチャイムが鳴っても、授業を続けていませんか。教師が守らないのに、子どもには守らせよう。これは傲慢です。言うことを聴かないのも当たり前ではないでしょうか。
 教師の意識、これがかなりずれています。まずは、自分の行動を振り返ってみましょう。子どもには要求するのに自分はやらない。自分はやらなくていいと思っていることがいかに多いか。自分の発想を変えない限り、何をやってもうまくいきません。発想を変えませんか。
 「うちのクラス、忘れ物が多いんです」「専科の授業に行くとき、何も持っていかないんです」という話を聴きました。忘れ物で苦労しているようです。「口が酸っぱくなるほど、忘れ物をしないようにっていっているのに」と。どこでもありそうな光景ですね。
 これで忘れ物がなくなったら、教師はいりませんよ。ただ口だけで指導しているだけです。忘れ物をさせないための工夫がありません。これはプロの指導とはいえません。あなたはどんな工夫をしていますか。
 私の場合は何もしていません。忘れ物についてあれこれいうことはありません。忘れ物は、バロメーターの一つだと思っています。授業がおもしろくない、教師への反抗などが、忘れ物という形としてあらわれると考えています。ですから、忘れ物をなくそうとやっきになるのは、本末転倒です。
 私の場合は、忘れ物をする原因は他にあると考えています。直接そのものを指導しても直りません。指導すべきは、他にあるのです。問題は教師の姿勢です。持ってくるのが当たり前という傲慢さ。言えばできるという安易な心。この意識が変わらない限り、子どもが悪いと責めます。自分の指導不足を棚に上げます。子どもたちは教師の傲慢さを敏感に察知します。そんな教師のいうことを聴きたくないのです。
 忘れ物は、教師の傲慢さを教えてくれるメッセージなのです。意識を変えましょう。授業がおもしろければ、忘れ物する子は少なくなります。努力すべきは、授業なのです。
 「あの子、あいさつしないんですよ」という話をよく聴きます。教師からあいさつすれば、子どもはあいさつするものですけど、中にはしない子もいるでしょう。
 あいさつしない子を怒ってしまうのは、ちょっと待ちましょう。あいさつしなかったのでしょうか。あいさつできなかったのでしょうか。なぜしないのかを考える必要があると思います。わざと無視しているのか、氣がつかないのか、面倒くさいのかなどなど。よく見る必要があるでしょう。それをしないで、子どものせいにするのはいただけません。
 自分のことを振り返ってみましょう。あいさつされたのにあいさつできなかったことはありませんか。私はけっこうありますよ。あっと、思ったとき相手は通り過ぎてあいさつしそこなってしまうことがあります。用意ができていないとき、反応が遅れるのです。
 相手の用意ができるように声をかけてみるといいと思います。まず、「○○君」と声をかけます。相手がこちらを向きます。目があったところで「おはようございます」という。そうすると、ほとんどの場合「おはようございます」とあいさつがかえってくる。これは、私の経験です。ちょっと工夫するだけで、結果は大きく異なってきます。料理と同じで一工夫を。
 私がようやくわかった衝撃的な事実があります。漢字に弱い子は何が弱いか。漢字ができないのではない。できなければ練習すればいいが、 効果的な練習方法を教えてもやらない。「できる、できない」以前の問題である。やらないのは、「どうやったらいいかわからない」からかもしれない。「これくらい教えても」というくらい何回も教えてもできない。 漢字の問題ではないのである。
 ポイントを教えても、すぐにはずす。 人の話を聴いていないように見えるが聴いてもできない。 このへんの能力がないか、まだ育っていないのである。
 よく見てみると、漢字ができない子は、単に漢字が書けないのではない。その活動における認識が、極端に低い。違いがわからない。見えない。形が取れない。1つずつ別々なものとしてみている。
 人間は自分よりちょっと先のことしかわからない。「いっても」わからない。 「やらせても」言われたようにできない。「やらない」のではなく、できない。まずは、やる氣をださせることから。 
 ふつうの子が1歩であるくところを、10歩くらいかける必要がある。「あそこに落とし穴がある」とわかっているのに、また落ちる。この子たちは、練習が練習になっていない。 労力の多くを無駄にしている。
 たとえば、今やるべきことは何か、方法 、回数など、具体的に指示する必要がある。焦点化されていないから、何をやっていいかわからない。漠然としているのである。明確な意識で練習していないから、覚えない。できるようにならない。できないのは、意識、方法など、すべてである。それ自体ができないことなど、あまり問題ではない。だから、1回限りで終わり。積み上がらない。
 もちろん、一緒にやる必要がある。ひとりではできない。教育は個別指導にはじまり、個別指導に終わる。個別指導にあたっては、やる氣と意志、発想の転換、ブレーキはずし。考え方 は、子どもに神性が宿る、必ず伸びる。方法は、教材研究(高さ、広さ、深さ、厚み)、相手に合わせる 、次の一手、ちょっと一工夫 、ワンポイント、ほめる、はげます、継続。このように指導していくと、子どもは化ける。潜在能力を発揮するようになる。
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杉渕鉄良:1959年東京生まれ、東京都の小学校教師。「教育の鉄人」と呼ばれる実践家、子どもを伸ばす為に命をかける熱血教師。ユニット授業研究会代表。その実践スタイルは全国の教師、保護者から支持を受ける。2003年夏、日経スペシャル「ガイアの夜明け」に出演。PHP「VOICE」や、経済誌「プレジデント」での教育シリーズに取り上げられ、各方面からの注目も高い。ユニット授業、10マス計算、表現読み、指名なし発言など、子どもの可能性を引き出すため、さまざまな工夫を凝らした教育実践を行っている)

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