固い真面目な教師から脱出し、実践で事実を創造し、そこから生み出されるもので自己を成長させよう
佐藤 学は斎藤喜博(注)の本「一つの教師論」を読んでつぎのように述べている。
この本は教師のあり方や生き方を具体的に問うている。その教師批判は、痛烈の一言につきる。たとえば、
○他人の言葉や技術の借り物に依存する「形式主義」と「個性のなさ」
○一般的な考え方に安住した実践と研究の「平板さ」と「通俗性」
○教える者につきまとう「ごうまんさ」と「不遜さ」
○批判されると自己弁護に向かう「卑屈さ」
○大過なく教職を勤める「保守性」
○他者の経験に学ばない「偏狭さ」
など、日常の言動に表れる教師の体質が厳しく検討されている。
なかでも目を引くのは「教師の固い真面目さ」に対する批判である。この教師の「前近代性」は、現在も教師文化の根底に横たわっていないだろうか。今も、日本の教師たちは、この閉ざされた体質を露呈しているとは言えないだろうか。
そこで、斎藤喜博は教師たちが閉ざされた世界から脱け出して開かれた創造者に成長する道を示している。
それは、やはり、「自分の教室で実践の事実を創造し、そこから生み出されるもので、自己を豊に成長させる以外にはない」と、繰り返し力説している。
現在、学校は危機的な状況を迎えている。学校と教師の閉鎖性と独善性の文化を厳しく問われている。「おかしいではないか」という斎藤の言葉は、私たち自身の言葉にならなければならないのだ。
そうした現実的な問題と結びつけるとき「教師に何より必要なことは、厳しい自分の実践を持つことである」という言葉は、時代をこえて響いてくる。
(注)斎藤 喜博:1911年~1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者。
(佐藤 学:1951年生まれ、東京大学教授を経て学習院大学教授。国内外2800校の学校を訪問し、学校現場と共に「学びの共同体」の改革を進めている)
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