知識や才能に乏しくても、強い熱意や信念があれば、磁石のように周囲の人を引きつけ、情勢も大きく動かしていく
竹にはフシがある。フシがなければ、風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。せめて年に一回はフシをつくって身辺を整理し長い人生に耐える力を養いたい。
そういう意味では、お正月は意義深くて、おめでたく、心もあらたまる。常日ごろ考えられないことも考えたい。そして、新たな勇気と希望も生み出したい。すがすがしいお正月はいいものである。
私は高野山に登って、非常に教えられたことがあります。高野山は現在、日本仏教の聖地の1つである。「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。
標高約800mのあれだけへんぴなところを開拓し、そこに道場をたてるという弘法大師の執念、信念というものは想像もできないほど強いものがあったと思うのです。
私はそのとき、人の心、一念、信念というものは偉大なことを成し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念、信念をもたなければいけないなと感じたのです。
いかに才能があっても、知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しいのです。反対に少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、一生懸命というか、強い熱意があれば、そこから次つぎとものが生まれてきます。
その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢というものが自然に生まれてきます。それが才能の乏しさを補い、知識の乏しさを補って、その人の仕事を進行させ、全うさせる、ということになるわけです。
あたかも磁石が周囲を引きつけるように、熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです。
また、人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひとも成功させたい、させねばならないと思うとき、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起こってくるのではないか。
そこには神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろう。そういうことは真剣さの現われであり、また自らの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)
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