いじめのおかげで私は成長した、人生の出発に年齢はない
父は荻原朔太郎です。名の知れた詩人で、娘である私は何不自由のなく育ってきたと思われているようだ。しかし、家庭のぬくもりはまったくなかった。妹は五歳のとき高熱を出したが母は恋に夢中のため手遅れになり、知恵おくれの後遺症が残った。母は31歳のとき「子どもたちの犠牲にはなりたくない」と私と妹を捨て、家を出て恋人のもとへ走り去った。
その後、祖母が母代わりなった。祖母は憎い嫁の子である私を恨み、毎日「虫けらにも五分の魂というが、葉子には一分の魂もない」、「お前は死ぬしか能がない」などと罵倒した。少女時代の私は、自分を虫けら、ダメな人間と決めつけ、毎日死ぬ場所をうろうろ探していた。
私が21歳のとき父が亡くなった。父の死後、親族が家を乗っ取り私と妹は身一つで追い出された。
私は職場結婚したものの、四畳半一間のアパートで内職をし、その日食べるだけで精一杯だった。貧困生活と夫の暴力に鬱々した暮らしに明け暮れた。やがて母は夫に捨てられ私が引き取った。母はわがままで脳軟化症となり妹とけんかをし、刃物が私の足元に飛んでくることもあった。母は夫とも刃傷ざたまで演じた。夫とは八年後離婚した。
私は38歳から執筆活動を始めた。あの悲惨な少女時代を書かずに死んだら、それこそ虫けら以下、犬死にになってしまうと思った。虫けらにも取りえはあるはずだ。自分の体験を文学に昇華させ、完結させることが、私の人生の課題だと思うようになった。
「蕁麻(いらくさ)の家」(女流文学賞を受ける)は、こうした私の小学校三年生から21歳のとき父が亡くなるまでの家族の出来事を題材にした小説です。蕁麻の葉と茎の毒のように、家族に毒のトゲを刺されて苦しむ少女のイメージを重ねて題材にした。
この作品は悲惨で暗いのに、ベストセラーとなり、連日たくさんの手紙が読者から届いた。「自分と似た運命で感動して読んだ」「自分よりずっと困難ないばらの道を歩いてきた人がいることを知り、死のうと思っていたがやめた」という手紙が多かった。「親に反抗していましたが、反省しました」と書かれた小学生からの手紙もあった。
自分を不幸だと思っている人が、自分よりもっと不幸な人の存在を知ることは魂の浄化になるようだ。この作品で私は自分を解放したが、お会いしたこともない読者のお役に立ったことを素直に喜んだ。
虫けらはいつまでも虫けらのままではない。サナギになり、やがて蝶になる。私も作品を一つずつ仕上げることで脱皮していき、蝶に近づいていった。死ぬことばかり考えていた少女時代と比べれば格段の進歩である。
私の信条は「人生の出発に年齢はない」である。実際、私が「蕁麻の家」を書き始めたのは四十代後半、猫を中心としたオブジェ創りは六十代半ばからで個展も開いている。
人間はだれしも「楽」を望むらしいが、私は不思議なことに楽を追求したことはない。楽は人間をダメにする鬼門だと思っている。
これまでの私は苦しみの連続で、今日の明るい自分など想像もしなかった。楽のできる環境だったら、このような暮らしは訪れなかっただろう。自分の能力探しや生き方も「蕁麻の家」が出発だった。その意味で父に感謝してよいのかもしれない。
(萩原葉子:1920-2005年東京都生まれ、小説家、エッセイスト。「父・萩原朔太郎」で日本エッセイストクラブ賞を受賞、「天上の花」で田村俊子賞、「蕁麻の家」で女流文学賞を受ける)
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