教師が授業で必要な専門的な力や基礎訓練とは何か
教師は授業者としての専門的な力をもっていなければならない。
教師としての専門的な力を持っていることによって、教師は授業をつくり出すことができ、授業のなかで、どの子どももが持っている可能性を豊かに引き出すことができるからである。
教師がそういう専門家となるためには、専門家としての基礎訓練を受けなければならない。
一般教養とか教材に対する専門的な力を持っていることはとうぜんとした上で、さらに具体的に仕事をする上に必要な、授業の一般的な原則とか技術とか方法を身につけていなければならないことである。
さらに必要なことの一つは、具体的に子どもと対面した場合の教師の豊かな表現力である。自分の持っている内容とか子どもに伝えたいものとかを、身体とか声とか表情で十分に表現できるということである。
そういう力が教師にあったとき、授業は豊かになり生きたものとなる。子どもたちは授業のなかに全心身ではいってくるからである。
いままでの教師は、大学においても現場においても、専門の教師としての技術とか、技術にともなう表現方法とかを専門的に訓練されるということはなかった。
やはり教師は、技術や表現方法の基礎訓練を大学や現場において受ける必要がある。そうでないと、教師にどんなねがいがあっても、授業は貧相で形式的なものになり味気ないものになってしまうだけである。
そういう意味で島小学校の教師たちは、自分たちの一般教養を高めたり、人間を豊かにする努力をするとともに、自分たちを解放された表現の豊かな人間になるための努力をした。
授業実践をし、授業研究・教材研究をするとともに、職員合唱をやったり、職員演劇をやったり、舞踏をやったり、歩く練習をしたりした。朗読とか話し方とかの訓練もした。また、絵や文章をかいて、その合同批評会をしたりもした。
たとえば、音楽に合わせて、教師全員がいっしょに前後左右に動きながら、さまざまの表現をする練習をする。演出者の指示で教師は表情をさまざまに変える。そこには少しの恥じらいも、てらいもない。外が暗くなるまで練習をした。
舞踏とかステップとか歩く練習とかは校庭でもした。先生たちが全力をあげて表現している姿から、子どもたちもまたさまざまなものを学び、自分たちを解放していったわけである。
教師はそういうことができてはじめて解放されていくのである。解放された人間になったとき、授業での自分の表現を豊かで自然なものにしていくことができるわけである。
またそういう授業をすることによって、さらに表現力も身につき、解放された生き生きとした教師になっていくわけである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)
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