教師はどのような勉強をすれば教師力が向上するか
現在の学校教育は容易ではない。いったん教師にはなってみたものの、その厳しさのため、やめたいという若い教師が多いのも事実である。我慢も必要であるが、それ以上に教師としての力を高めるための広い勉強が重要である。教師には生涯にわたる無限ともいうべき勉強の課題がある。
教師の多くが子どもを理解できないと言って嘆く。こういう時にこそ勉強が必要になる。心理学、生理学、社会学、哲学、歴史学、もちろん教育学、その他、こういう幅広い勉強なしに、現代の人間としての子どもの内面に迫っていくことはできないのである。
この他にも、教師の勉強課題は多様なものがある。例えば、よい授業をしようと思えば、カリキュラム論、学習心理学、認知科学、教育工学、評価論、その他多方面の勉強が必要である。
教師の勉強は、毎日の教育実践との関連抜きに成立しないのである。教師の勉強は、勉強のための勉強、研究のための研究ではないのである。
子どもにどう働きかけるのが最も正しいのか、ここに基本的な課題がある。教師は、こういう勉強をすることを通して、毎日の生活をより充実したものにすることができるのである。
現実の課題に直結した勉強こそ、ほんとうの勉強である。こういう勉強を通して初めてほんとうの教師の喜びを実感することができるのである。
私の体験から、勉強しようとする教師に言いたいのは、一人でやる勉強も重要であるが、他の人と一緒にやる勉強が重要である。私は勉強グループをつくっている。そこでは毎日の教育活動の中の課題を現実的に解決する方法を追求する。毎回レポーターを交替で決める。
教師の多くは毎日の教育実践において、教育学はほとんど意味がないと思っている。しかし、教育論の本を翻訳でいいから読む必要がある。実際に読んでみると、優れた教育論は「人間が人間としてよりよく生きていくうえで、教育がどういう役割を担っているかについて論じているものなんだ」ということがわかる。つまり、教育論の基本は「人間学なんだ」ということがわかる。
毎日の具体的な指導をよりよくしていくために、教育論についての理解が必要である。現実の教育が深刻であればあるほど、なまじっかな浅薄な理論では対処しきれないのである。
私が薦める教育論の本は「プラトンの饗宴」「ルソーのエミール」「ペスタロッチの隠者の夕暮れ」「デューイの学校と社会」「ブーバーの我と汝」をあげたい。
日本の教育界には、文部科学省が出す資料は実践の改善に直結しないと考える人がいる。しかし、教師が勉強するときには、生徒指導資料などはやはり有力な情報源として活用することが有益ではないかと私は考える。
教育学は人間学、特に人間としての子どもについての勉強ということになる。とすれば、まず文学。教育を真剣に考えるなら、小説を読むことが絶対に必要になる。志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」など、子どものことを描いた文学は無限にある。
教師の勉強の最も具体的な課題は、学習に関するものである。いかにすれば、子どもが自発的に勉強するようになるか、本当に勉強のできる子どもにすることができるか、教師はもっと勉強することが必要である。
真の学習とはどんな学習をいうのか、一人ひとりの教師が見識をもたなければならない。そのためには、教師が一生かかって毎日の自分の授業に即して、真に良い授業とは何かを追求していくよりしかたがないのである。
授業研究の方法もずいぶん進んできているし、優れた実践家は日本にも大勢いる。すぐれた授業とは何かを論じた本もある。これらを参考にしつつ、教師は自分独自の授業を創り出していくことが期待される。
授業の導入を工夫することにより、子どもが勉強してみたいという気持ちを喚起するように多くの教師が工夫している。私が授業を参観させてもらうと、導入部分での教師の苦心を感ずる。
いったん喚起された学習への意欲をいかに持続するかという問題がある。粘り強く学習することにつながる工夫としては、個別指導の充実、学習のプロセスにおける評価とか、スモール・ステップ学習の充実とかが必要であろう。
教師の勉強には、教科の指導方法についての勉強がある。優秀な教師はだれも指導法に独自の工夫をしている。有名な実践家もいる。参考書も出版されている。勉強としては、有名な実践家の実践記録を読むとか、学習心理学の本を読むことは有意義である。しかし、結局は、各教師が自分で授業を工夫していくことを通して実践的に研究すること、仲間同士が共同で勉強することが基本である。
指導技術の優れた教師ほど多く発問する。一斉授業の場合、発問の適否が重要なポイントになる場合が多い。では、どのような発問をすればよいのか。基本的には、子どもの既習の知識や技能を明確にする。子どもの漠然とした課題意識を明確にする。自発的学習活動を誘発する。学習の整理。以上を勉強の手がかりにして考えてもらえればと思っている。
板書をどう活用するかも、教師の勉強である。発問と共通するところがある。基本的には、既習の知識や技能を明確にする。課題意識を明確にする。学習内容を整理する。次の学習への発展の方向を示す。と整理することができる。
このような勉強は実践抜きにはできない。どこでも通用する指導技術の訓練も重要であるが、それだけでは十分ではない。毎日の授業で、一人ひとりの日常的な努力の積み重ねが基本である。ただ時間が経過すれば指導技術が自然に向上するものではない。長年、教師をやりながら、それでいて指導技術が一向に向上しない人もいるのである。
(亀井浩明:1930 年生まれ、公立中学校・高等学校教師,東京都教育委員会指導主事,指導部長、帝京大学教授を経て帝京大学名誉教授)
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