自分の実践を記録することで自分を鍛え成長させることができる、実践をどのように記録すればよいか
私は通信教育で教員免許を取得したこともあり、教育についてまともに学んだことがないという思いが強かった。そのような私に「教師という仕事」について考えることを迫ったのが、荒れと向きあった中学校での体験でした。同僚教師や生徒に育てられ鍛えられたのです。それが自己形成につながったのは自分の実践を記録したからだと思う。
教師の仕事は瞬間の判断と行動の選択が迫られます。中学校教師になり立てのころ、生徒の困難な事実に直面し、どうしてよいかわからず、立ちすくむような場面で、先輩教師たちが的確な判断をもとに対応するのを目のあたりにした。
「いつかはあんなふうになりたい」というモデルが身近にあったことはしあわせだったと思います。そのような先輩教師たちの多くが、自分なりに工夫したノートをもっていました。「人に見せるようなものじゃないよ」といいながら、私に見せてくれたノートには、走り書きや忘備メモを含んだ、いろいろなことが書き込まれていました。
私も見よう見まねで記録をとり始めました。多忙ななかで記録することを自分に課するのは、考えることを自らに迫ることだと思うようになりました。
最初は、何を記録すればよいのかわからないのです。生徒のさまざまな事実はたしかにあるはずなのに、目に入らないのです。「見れども見えず」の状態なのだといえるかもしれません。それはつまり、「自分の眼ができていない」ということなのです。
一日をふり返って何か記憶に残ったこと、気になったことはあるはずです。そして、それがなぜ気になるのかが、そのときよくわからなくても、その事実にはなんらかの問題や意味がかならず含まれているのです。
ですから、事実をメモするということは、その意味を考えるスタート地点に立ったということです。ノートを開いて、書いたメモを読み直す、場面を思い浮かべる、なぜ気になったのかを考えるのです。
これを繰り返しながら記録し続ければ、見えるものや見え方が変わってきます。それは問題発見の力がついていくということであり、とりもなおさず認識が深まるということです。
そして、はじめは断片のようなメモ群ですが、読み返して関連するものをつなぎ、文脈化するのです。それは生徒の事実と実践の意味の発見であり、記録をもとに、より意識的に意味づける努力は実践を再構成することになります。
自分の実践をリアルに記述し、分析し考察を加えたものを実践記録とよびます。どのように書けばよいのか。子どもの具体的な事実を書くのが大事だと思う。簡単に一般化せず、その子、固有の問題を考える手がかりになるように書くことを考えたいのです。
例えば、ある生徒に注意したことが気になっていたという場合、「ダメでしょ」といった言葉一つでも、子どもはどう響いたかが考えられるように書くのです。当然、子どもの反応も具体的に書くのです。
「ダメでしょ」と書いても、叱責か、たしなめか、別の方向への促しか、などは判断できかねます。自分の意図を思い返し、それがわかるように書く工夫がいる。声の大きさやトーン、表情、周りの雰囲気を思い返して書こうとすれば、自分の言葉や対応を吟味することになります。
また、教師の働きかけは、必ず生徒にはたらき返されるわけですから、その吟味は生徒の反応の深い観察と結びつきます。このようにして自分の対応を省察することになります。
実践記録というためには、実践の目的、内容、方法、結果を記述し考察することが必要です。教師のねがいをこめた働きかけの内容と方法を考えるのですが、そのためには、生徒への深い理解が求められます。生徒の示す瞬間の表情、雰囲気などの重要性にも気づくことになります。
子どもの発達を見通す、教育的ニーズをつかむ、何を生徒の真実と考えるのか、それにかみ合う働きかけを考えるのです。そうすれば、生徒への働きかけを意識化することになります。
その働きかけは、知・徳・体を含む総合的なものですから、教師の主体的で創造的な実践が重要です。そこに教師の生き方が浮かびあがるのです。
(福井雅英:1948年滋賀県生まれ、滋賀県公立小学校・中学校教師31年、「教育困難校」に長く勤務し荒れと向きあい学校再建に取り組む。北海道教育大学教授を経て北海道文教大学教授)
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