私を教師として育ててくれたものとは
私は高校や大学時代の友人がよく「なんで、教師やってんの。子どもが好きだったとはとても思えなかった」と言われます。今の私も、容姿からはとても教師には見えないらしく、私の職業を当てた人はいません。
教師として就職したときは、ずい分と疑いの目で見られました。当時の教師は、「明るくて、元気」なのがトレードマークでした。しかし私は、その反対に、体は弱く、運動は苦手、無愛想なうえに、いっぷう変わっていたのです。
「いつまで仕事が続くだろう」と周りの人が思ったのも、今考えると当然のような気がします。「何を思われても、仕事はちゃんとするぞ」というのが、自分の意地にもなりました。
その逆風があったから「認められなくとも、黙々とがんばる」という、自分のめあてを持って、自分のために努力をする私が育ってきたと、今は確信しています。これが私の原点です。
小学校の教師になってから、あちこちの研究団体に一人で顔を出していました。そしてたまたま、全国生活指導研究協議会の教師と職場が同じになり、誘われてサークルで勉強し始めました。
当時サークルで中心になって助言をしてくれていた教師が私に「子どもはね、教師の力量以上には育たないんだよ」と、なんとも優しい言い方のアドバイスでした。私に対する暖かい思いもよくわかりました。私は「これは大変なことだ!」と思ったのです。
「力をつけなければ、この仕事をやっていくことはできないぞ。私も力をつけて、子どもを伸ばせる教師になりたい」と、そのとき強くそう思ったのです。それが私の二つ目の原点です。
私はチャンスがあるとよく、隣のクラスや学年の違うクラスでいわゆる「飛び込み授業」というのをさせてもらいました。なぜかというと、わずか一時間の中で、初めて出会った子どもの心をひきつけ、授業を展開することができるかどうか・・・・・。なんともドキドキ、ワクワクすることだったからです。
その体験は私にとって大きな収穫になりました。自分で考えた教材や授業方法で授業をやってみたり、うまくいかなくても何でも挑戦してみました。和太鼓を習い、子どもに教えたり、ダンスや演劇も行事の中で、自分なりのアレンジを入れました。
楽しみながら、いつも自分に新しいことにチャレンジする目標を持ち、仕事をしてきました。「同じことは二度しない。二度目は一度目にはなかったアレンジを入れる」これも自分なりのポリシーになりました。
私は「子どもが成長するよう指導し、見守るのが好き」なのだと思っています。それでいいと思うのです。今だからこそ言えることですが、教師になったときの逆風に感謝です。
私が教師を始めたころは、ひ弱で、はた目にはいつやめてしまうかわからないほど、頼りなかったが、仕事を続けてきました。その秘訣は「自分ができることから、一歩を踏み出すこと、あきらめないこと」だと確信しています。
これは教師としてだけでなく、人として、どのように生きていくかということと同じだと思います。
(今関和子:1945年東京生まれ、東京都公立小学校教師を経て大学講師。全国生活指導研究協議会常任委員)
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