子どもたちがその気になって、そうじに取り組むようになるには、どうすればよいか
汚い学校では、たいしたことはできない。そうじがまずいのに、他のことはうまくいく、ということはなかなかないのである。生徒が不安定になりガサガサしてくる。
担任は新学期に、そうじのやり方を生徒たちに説明し、一年間こんなふうにやってほしいと言うだろう。その説明どおりに生徒が動いてくれたら、こんなに楽なことはないのだが、そうはいかない。根本的な問題は、生徒が教師の言ったことを、自分からすすんでやろうとするかどうか、ということである。
生徒がその気になるのは何によってなのか。一番いいのは、教師がそうじを本当に大切なことだと思っており、しかもそうじが好きでやり方を自分のものにしている、ということである。
この場合、最初の説明の段階から当然熱が入り、その熱気が生徒に伝わるだろう。お手本を見せる教師の姿を見て、生徒が自分もあんなふうになりたい、という気持ちが出てくればしめたものである。つまり、教師の生き方が見本になり、自分もあんなふうになりたいということになって初めて、そうじが生徒のものになるのである。このような教師と生徒の関係なしには、自分からすすんでそうじをやろうなどと思わないだろう。
最近の多くの教師たちは、そうじを本当に大切なものだとは思っていない。まして、そうじが好きな教師なんてほとんどいない。だから、新学期の説明も熱が入らず、言ってることが生徒の心に届くこともほとんどないだろう。生徒の手本になるわけでなく、これでは生徒が本気になってそうじをするわけがないのである。
普通の教師は、どうすればそうじを指導できるようになるのだろうか。まず、そうじについて、できそうなことだけを決めることが大切だ。そして、そうじが好きでなくとも、決めたことは仕事として一生懸命に努力することである。仕事として自分に強制することである。つらいことになるだろうが、生徒に強制するのだから、自分だけ楽をしていいわけがない。
このような努力を三年、五年と続けていくうちに、そうじの技術が少しずつ身につくことになり、そうじの意味がわかり、技術が身につけば、自然とそうじが自分のものになり、好きになるだろう。
そうなれば、生徒たちへの言葉は力を得ることになるだろう。まず、生徒に要求したことは、自分も歯をくいしばって一年間やりきることである。これは教師への信頼にかかわることである。
なにもそうじに限ったことではない。しつけについても、同じことが言えることだろう。ああなりたいという大人が身近にいなければ、子どももすすんで努力しようということはむずかしいのである。しつけられるのは嫌だけど、それを身につけなければ一人前の大人になれない、それは恥ずかしいことだ、ということがなければむずかしいのである。
地域の共同性が崩れ、価値観が多様化した今、しつけはとても困難になった。これでは、迫力を持って生徒に向かうことは無理である。残された道は、学年の教師たちが、最低限どこまでまとまって動けるか、ということになる。みんなで決定し、それをどこまでいっしょに実現していけるか、ということである。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)
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