学級が荒れないよう教師が子どもを統率し動かすには、どのようにすれよいか
子どもを統率して動かすには、教師の気持ちを子どもたちの心に感応させることである。
教師として絶対必要な心構えがある。子どもをまるごと「受け入れ、包み込める」ということである。「先生なんか大嫌いだ」と憎たらしく言う子をも、受入れ、包み込まなければならない。教師が内心「嫌だ」と思っていることは子どもにも伝わるのである。クラスで最も勉強のできない、人に嫌われている子が教師のひざの上に来るような教師なら、子どもを大切にしていると言える。このことは簡単ではない。どうしても通過しなければならない教師の心の革命を必要とする。
これが教師という仕事の宿命なのである。子どもたちすべてを受け入れ包み込み、そしてさらに、子どもの可能性を伸ばそうという教師の努力が重なったとき、子どもは別の表情を見せる。
教師は情熱を持っていなければならない。また当然のことだが、責任感ぬきには統率はあり得ない。「読み・書き・算をしっかり教える」「一人ひとりの子どもの可能性を伸ばす」「いじめや差別を許さない」ことの責任感である。
以上のことをやるために、教師自身が責任感を持って研究し、謙虚に頑固に学ぶとき、子どもたちもついてくるのである。
統率するために、やらなければならない三つの段階がある。
1 共通の目標をつくる
どのようなクラスをつくるのか、共通の目標をつくらねばならない。たとえば「楽しいクラス」を共通の目標にしたとしよう。具体的に、どのようなことなのか、映像としてとらえられるまでに具体化しなければならない。教師はそのための指揮官なのである。
2 目標を達成するしくみをつくる
楽しいクラスを目標とするクラスでは「集会係」「イベント係」などが大活躍することになるだろう。もちろん授業も楽しいものにする必要がある。「追究するクラス」をつくるためには、たとえぱ「研究グループ」がいくつもつくられるだろう。「思いつき」を発表する掲示コーナーもつくられるだろう。
授業中、「追求」のために、席を立って友だちと相談したり、辞書で調べることがあってもいいはずだ。「授業中、席を立たない」ということは、一つの大切なルールではあるが、そのルールは人を生かすものでなくてはならない。「追求するクラス」の子どもたちは、「授業中、立って調べたり、相談する」ことは、自由である方がいい。
この「しくみ」は創意を生かして、さまざまな形でつくることが大切である。チェックするしくみも必要だろうし、達成度を喜びあうシステムも必要だろう。
3 子ども集団を動かす
実際に子どもを動かすことが必要になる。教師はガキ大将の如き能力が必要なのである。「うちのクラスの子は、何もやらない」となげく教師がいる。何のことはない、教師が子どもを動かせないだけなのだ。
子どもを動かす原理で、最も大切なことは「ほめる」ことである。どれほど小さな努力でも見逃さずに、ほめることである。ほめて、ほめまくるのである。「努力」を認められ、ほめられる時は、人は動くのである。
教師が子ども集団を動かすには、つぎの三原則がある。
(1)やることを示せ
目標は具体的であった方がいい。しぼり込み、全員の子どものものにする。
(2)やり方を決めろ
何を誰がやるのかを明確にさせる。子どもに言って聞かせ、教師がやって見せる。それでもやり方がわからないときは、叱らずに、もう一度「言って聞かせ」「やってみる」のである。
(3)最後までやり通せ
やる方法を明確にした後は、最後までやり通すことが必要になる。リーダーである教師が最後までやり通す意志を持続しなくてはならない。最後までやり通すためには、時々進行状況を確かめる。前進した仕事をとりあげほめる。偶発した問題を即座に処理する。
前進したことをほめることによって、何をやっていいのか、どのようにやるのかがはっきりして、全体の動きがダイナミックになるのである。偶発の問題を長びかすと、クラスの中にひびが生じる。即座に処理すべきだ。
子どもを動かす法則は「最後の行動まで示してから、子どもを動かせ」これに尽きる。何をするのか端的に説明する。どれだけやるのか具体的に示す。終わったら何をするのか指示する。質問は一通り説明してから受けよ。個別の場面を取りあげほめよ。
たとえば、校庭に出て石を拾うとする。教師は端的に「これから校庭の石を拾います。石はこのバケツに入れます」これだけで良い。次にどれだけやるかの目安を示す。たとえば「5分間だけ拾います。5分たったら笛をふきます」「終わったら、今の場所に集まってすわって待ってます」
ここまで説明してから質問を受ける。一度説明したことを二度言わなくてよい。「前に説明しました」と、きっぱり言えばよい。
さて、こうしてから子どもに石拾いをさせる。終わったら子どもたちが集まってくる。やらせっぱなしはいけない。まじめに仕事をした、授業では目立たない子どもをほめる。まず、ほめることだ。子どものいいところをさがしてやることだ。こうすると、学級全体の子どもが変わっていく。さぼっていた子も、さぼらなくなる。
そうなってきて、なお、さぼる子がいるなら叱ればよい。ところが、教師はしばしばこれを逆にする。悪い子を叱るだけで、良い子をほめないのだ。子どもを評価するとは、まず、良いところを見てあげることだ。それをほめることだ。
ほめてほめまくるくらい、良いところを見ていてやることだ。それから悪いところを叱ればいい。良いところを見つけてくれる教師の言うことなら、子どもは心から従うのである。
(向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)
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