« 荒れた学級で子どもたちに教えられた、学級づくりに役立つこととは | トップページ | »

授業名人が「おもしろい授業をする」ときの教材研究のコツとは何か

 「材料七分に腕三分」という言葉が、料理の世界にあるという。料理する腕がいくらよくても、材料が悪ければどうにもならない。逆に、材料がよければ少しくらい腕が悪くても、それなり味を楽しめるということである。
 では、よい材料をみつけるのは誰か。それは、料理人自身である。これは、教育の世界でもいえることである。子どもの実態にマッチしたおもしろい教材を発掘できたとき、授業は成功したも同然である。逆に、材料が悪ければ、授業にならない。
 このことに気づいてから、よい教材を発掘することに、大きな精力を注ぐようになった。
すると、子どもの追究が鋭くなり、迫力が出てきた。
 子どもの意欲を高め、鋭い追究ができるようにするには、よい材料をすばやく見ぬく目と、それを鋭く料理してよい教材にしあげる腕が、教師に要求される。
 子どもたちを「追究の鬼」に育てること、それが私の授業にかける信念の中心であった。そこで重要になってくるのが、ネタ(子どもたちにとって意外な事実を含む教材のこと)の存在である。「この教材を出せば、きっとあの子はこんな反応をして、またあの子はこんなことを言い出して・・・」という構想を楽しめるのは教師の特権である。そのためには、常日ごろから生活のなかに教材化できる素材を見つけるためのアンテナを張っていることが求められる。
 私は「ネタ論」を主張している。それは、取材によっておもしろいネタをみつけ、それを子どもにぶつけると、子どもが夢中になって追究するという事実を目のあたりにしたからである。社会の変化とともに、子どもも変わる。当然、授業のネタも変わってくる。したがって、ネタの開発も次々としなければならなくなってくる。
 授業のネタは、子どもの思考をひっくり返し、固定観念をくずすものでなくては、ネタとしての価値は低い。子どもに棹さす(逆らう)教材を教師が提示すれば、子どもの固定観念がひっくり返り、どうしてそうなるか追究したくなる。
 子どもの考えの中にない、意表をつかれた、新鮮な出会いをした教材は「生涯の伴侶」となり、長くその子どもの中で教材としてとどまることになる。
 子どもが本気になって追究しようとするネタがない授業では、子どもは低いレベルのところで遊ぶことになってしまう。授業づくりで第一に考えるべきことは、何で子どもの気持ちを引きつけ、興味をもたせるかということである。つまり、ネタを何にするかということである。
 教材研究というのは、子どもに「何を教えたらよいか」そのエキスをつかむことである。私はどの教科書でも、最低20回は読む。これが教材研究の入門である。2030回読むと「はてな?」が必ず出てくる。そこで参考資料をさがして読むのである。指導書もここで読むことだ。
 教材研究をしてみて、「教師が面白くない」と思ったことは、教えるべきではない。面白いと思うようになるまで、内容を深めてから指導することだ。意欲のない子どもをやる気にするには、教材が「面白くなくてはならない」のである。
 わたしは、1つの事象を調べるのに、最低2030冊の本を集める。それをかたっぱしから読む。すると、中心になる事がきまってくる。以後は、この事を中心に他の本の内容を関連づけて、書き込んでいく。教科書がまっ黒くなるほど書き込む。資料ははりつけて折り込む。
 「自分の足で取材するうちに、謙虚な目で物事を見つめ直すようになる。それではじめて、既成概念にとらわれない新鮮な感覚が芽生えるのではないか、と思うのである」と柳田邦男氏はいう。教師の世界においても同じことだと思う。自分の考えを変えることは容易なことではない。これをより良いものへ変えようと思うならば、若いうちに教材の取材に出かけることだ。
 社会科の場合は、私はほとんど現地に取材にいく。本をよみ、資料を読んで「百聞」をもって取材にいく。しかし、現地にいくと、必ず「+α」がある。これが楽しいのである。これがあるから取材をやめられないのである。
 教材の内容がきまったら、それを端的に表現できる資料を集める。更に教材を深め、「発問」を浮きぼりにする。「発問」が先に浮かんで、それに合わせて資料を作り直すこともたびたびである。「発問・指示」が浮かぶまで教材研究を深めること、それを面白がることがコツである。
 授業を計画するとき、教師は「目標→内容→方法」という順序で考えるのが普通のパターンである。
 まず「目標」を考える。次に、目標に対応した「教材内容」を考える。そして、教材(ネタ)で、子どものどんな考えを引き出せるか、おかしな考えが出てきたら、どう対応していくか、などを考える。
 このための、発問や手順、資料などを考え、指導案を書きあげる。というパターンが圧倒的に多い。この思考パターンをくずすことだ。
 まず、立派な目標を考える前に、どんなネタで勝負するか考える。そして、おもしろいネタをみつけよう。ネタがみつかったら、目標をもっともらしく考えればよい。
 たとえば、「一寸法師」をネタにしようと決める。すると「一寸法師で戦国時代の下克上をつかませる」という目標が、自然にきまってくる。「一寸法師のモデルは誰か」と、発問することによって、「信長・秀吉・家康らの戦国武将を引き出す」という目標も出てくる。
 授業の形態は、当然「じっくり考え合う」ということになる。なぜなら、かなり抵抗のある内容だからである。資料は、一寸法師のあらすじの典型場面をあらわした絵、四枚が必要だろう。絵本もあった方がよい。一寸法師の歌も準備しよう。
 ここまでくると、展開順まできまる。まず、一寸法師の歌を聞かせる。子どもが笑いながらも、いつの間にか歌い出す。歌詞があらすじになっていることに気づく。そこに四枚の絵を提示する。
 おもしろい授業をするには、「何で勝負するか」ということを、第一に考えよう。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

|

« 荒れた学級で子どもたちに教えられた、学級づくりに役立つこととは | トップページ | »

教材研究」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 授業名人が「おもしろい授業をする」ときの教材研究のコツとは何か:

« 荒れた学級で子どもたちに教えられた、学級づくりに役立つこととは | トップページ | »