日本の授業改革(グループ学習や机の配置など)の歴史はどうであったか
日本人の多くは認識していないが、大正自由教育と戦後新教育の展開で日本の学校は授業改革では世界の最先端を切り開いていた。
日本の教室の革新は大正自由教育の子ども中心主義の私立実験学校(成城小学校)において創始され、昭和初期に全国の師範学校附属小学校を中心に公立学校にも普及した。
成城小学校では男女混合4人のグループ学習が行われている。明石師範学校附属小学校の及川平治の分団式動的教育法のように効率性を追求した能力別の編成においては、6人を標準とするグループ学習も実施されていた。公立学校のグループ学習は、男女混合4人のスタイルが多く、昭和初期には相当数、普及していたことが知られている。
教室の「コの字」型の机の配置も、大正自由教育において創始され、昭和初期に全国の学校に普及した。日本の小中学校において一般化していたグループ学習も「コの字」型の教室の配置も、欧米の一般の学校において普及するのは1970年代以降である。
戦後の新教育は1947年から1955年ごろまでの間、小中学校の教師の約8割が「学校独自のカリキュラムづくり」を推進し、「単元学習」の実践を展開した。この事実は驚異的と言ってよいだろう。これほど多くの教師が新教育の実践に挑戦した国は日本以外に存在しない。
しかし、日本の教室は後進性においても特徴的である。高校の一斉授業は100年以上にわたって変化しないまま今日を迎えている。
日本の教室の後進性は高校だけでなく、小中学校にもみられる。教師が黒板を使い、教科書を中心に説明と発問と指名で子どもの応答を組織する一斉授業の様式は、途上国以外の国では博物館に入っている。
その事実を参照すると、日本の教室は輝かしい革新性を有しながら、一斉授業という後進性の枠組みに縛られているのが現状である。
(佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授。学校を訪問(国内外2800校)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)
| 固定リンク
「教育史(教育の歴史と変化)」カテゴリの記事
- 従来型の競争的な学習から協同学習の時代に変わった 江利川春雄(2021.06.06)
- 吉田松陰に学ぶ、人の育て方とは(2020.07.09)
- 大正時代に提唱した手塚岸衛の「自由教育」はどのようなものであったか(2020.06.28)
- 社会が変わり、教師がものわかりのいい、やさしい態度で接すれば、生徒はおしゃべりをやめない、それでは学校は成り立たない、どうすればよいか(2020.06.02)
- 大正自由主義教育と綴り方教育とは、どのようなものであったのでしょうか(2018.02.21)
「教育改革」カテゴリの記事
- 朝一番に遊ぶ時間を設けると朝ごはんを食べるようになり、学習の反応がよくなった(2021.02.18)
- 授業の多くが体験学習にあてられる「きのくに子どもの村学園」とは、どのような学校でしょうか(2020.09.16)
- 書籍「教育は死なず―どこまでも子どもを信じて」がベストセラーとなり映画化された(2020.08.18)
- 学校改革に成功した神奈川県茅ヶ崎市立浜之郷小学校とは(2020.08.14)
- 教育界に大きな影響を与えた大正自由主義教育「分団式教育法」とは、どのようなものであったか(2020.05.30)
コメント