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斎藤喜博(さいとう きはく)(小学校)子どもの持っている可能性を引き出す

Photo_2  斎藤喜博、1911年~1981年、群馬県出身、群馬師範(現群馬大学教育学部)卒。小中学校の教師、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い参観者があった。その後、境東小学校や境小学校で校長を務め、子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。教授学研究の会を発足させ、多くの教師や研究者たちの参加のもと、子どもの可能性をひらく授業の創造や教師教育に尽力した。
 その後宮城教育大学教授をつとめる。昭和を代表する教育実践者の一人。また、早くからアララギ派の歌人としても活躍し、ケノクニ選者をながく務めた。斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。
 

 
 斎藤が卒業して赴任した群馬県の玉村小学校は校長を中心にして学校中が活気にあふれ、低学年は能力別の学級編制をし、それぞれの子どもの持っている能力を最大限にのばそうとしていた。しかし斎藤は、教師としての抱負もなく、気弱で消極的で自分のからを固くまもっている人間だった。ただ、受け持った二年生の子どもは可愛く、争うように斎藤の身体にぶらさがってきた。
 三年目に四年生76名の子どもの担任となった。能力差がはなはだしかった。それで、1年から3年までの算数と国語の教材を調査しテストをした。どの子がどの漢字がよめないかを一覧表にしてみた。
 その調査をもとにして個人別に特別の時間を設け、学習させ、指導していった。算数は、一位の加法・減法・・・の順に練習問題をつくり画用紙の裏表にはり、順に教室にかけておいた。子どもたちはこれを使って、朝も放課後も練習をした。子どもたちはわからないところがあると斎藤や友だちにたずねた。自信がつくと斎藤のところに検定を受けにきた。
 国語も算数の練習の場合と同じように個人で辞書を引いて勉強したり、斎藤や友だちに質問して学習し、検定を受けにきた。合格すれば表に○をつけ、つぎの学習へと進んでいくのだった。
 一つの教材の授業が終わるとテストをした。基本的な問題を出し、できない子どもは学習させたりして、全員に百点をとらせるようにした。
 とにかく斎藤は、気負いこんで努力した。だからほとんど教室にはいりきりだった。朝、学校へいくと子どもは検定を受けるのを待っていたし、放課後も待っていた。
 日曜日も斎藤は教室に入り、子どもの学習具をつくったりしていた。毎日子どもたちの日記を家に持ち帰り、書き込んだり、本を読んだりして夜ふかした。子どもたちといるとき、斎藤は明るく楽しそうに遊んだ。斎藤教室の空気は実に明るくのびのびとしていた。

 斎藤が自分の身を打ち込んで実践すればするほど、今まで見えなかった新しいもの豊かなものが斎藤の目の前に事実として出てきた。その実践の事実によって斎藤が目をひらかされ、斎藤は新しいものをつくりだし、豊かになっていった。そういう豊かな実践をしたいからこそ斎藤は芸術や科学、他人から学んで自分を肥やし高めた。
 教師としてのスタートはひ弱で病弱であった斎藤がそのような厳しい実践をすることにより、強じんで豊かな教師になっていったのである。
 斎藤は歌人であったことが、教育の仕事のなかで非常に役に立った。有名な歌人である土屋文明の人間性や歌を学ぶことによって、自分や自分の歌を高めることができたのだ。巨大な先生にみてもらえる安心感から、巨木を追っかけて、思いきって「これでもか、これでもか」というように歌をつくった。
 弱弱しかった斎藤が、自分を新しく、太くし、創造的な教育の仕事をすることができたのだ。斎藤はそのことを誇りにし、しあわせに思っていた。
 斎藤は先生たちに、詩でも童話、脚本、作曲、絵、記録、何んでもよいから何かの表現活動をすることをすすめた。一つは解放された人間だけに表現活動があり、表現することによって人間は解放され、生き生きとした創造的な仕事ができるようになると思っていたからである。
 もう一つは、教育の実践は苦しみやはかなさをともなう。教育以外の表現活動をしていないと、長続きしないと思っていたからだ。教育の仕事は結果が子どもの上に現われる。しかし、その子どもたちは、他の芸術作品のように定着させておくことはできないものである。
 教育の仕事はすればするほど孤独で、さまざまな苦しみやはかなさがつきまとっている。長く続けていくためには教育以外に自分の表現活動をもっていないと、ささえがないから、きびしい仕事を続けることはできないと思っていたからである。
 そうしてまた、そういう芸術的な表現活動ができること自体が、創造的な仕事をしなければならない教師の大事な条件の一つだとも思っていたからである。
 斎藤は正岡子規の「真砂なす数なき星のそのなかに吾に向ひて光る星あり」の歌がすきだ。口ずさみながら星をみたり、草や木をみたりするが、真砂のようにたくさんある星のなかから、自分と心を通い合わせている星を持つことができることに感動した。
 こういう自然との心の通い合いのできる人間であって、はじめて、子どもとも心を通い合わせることができるのだ。自然から学び、自然と心を通い合わせ、自然や人間の本質とじかに交流できるようになる必要がある。自然や人間から豊かにものを学びとり、自分を豊かに変革していけるような謙虚な人間になることが大事であると考えていた。
 自然をよくみることは、子どもをよくみつめることと同じだからだ。自然の本質とじかにふれあうことができるということは、子どもの本質とじかにふれ合うことができるということだからだ。
 教育という仕事は具体的な仕事であり、具体的に子どもを動かし子どもをよくしていかなければならない仕事である。したがって具体的な子どもの事実についていき、具体的に子どもの事実を動かすことをしない限り、教師としての責任を果たすことはできない。
 数学のできない子どもをできるようにし、跳び箱のとべない子どもをとべるようにするという、具体的に事実を動かすことのできる技術を持つということである。子どもたちはとべないと思った跳び箱がとべたとき、だめだと思っていた数学ができるようになったとき、自信を持ち喜びを持ち、可能性が引き出され、能力をつくり出されるのである。
 教師は専門家としての技術を身につけ、技術をつくり出していかなければならないのである。もし専門家としての教師の仕事をしようとすれば、仕事へのきびしさとか集中とかを学ばなければならない。教室の仕事に専念し、仕事によって自分をつくり出し、自分の仕事をつくり出していく努力をしなくてはならないと考えていた。
 教師の仕事は一般論をいったり、甘い常識的なことをやっていたのでは成立しないのである。教師の表現である技術によって、具体的に行われるものであり、教師の表現の武器としての技術を鋭くみがくことによって、はじめて教師の仕事は成立していくのである。

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