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2016年9月に作成された記事

保護者に非があり執拗な要求が続く場合は早めに弁護士に相談を

 従来、学校で問題が起こると、ややもすると、我々弁護士も、世間も、学校を責めることしかしてこなかったきらいがあるように思います。
 その理由の一つとしては、現在の学校での実態を知らないため、勢い、先生が権威をもっていた頃の自分との体験を重ね、「先生は一体何やっているの?」「やることやっていないんじゃないの?」と思ってしまうことがあったように思います。
 確かに、学校・教師に問題があることも多いですが、他方で、明らかに保護者側に非がある例も多数認められ、健全な学校教育を確立するためには、学校・教師を責めるだけでは、解決しないように思われます。
 実際、いじめなど悪いことをして叱られた子どもの親が、教師に対して「自分の子どもがそんなことをするはずがない。子どもの心に傷をつけた。子どもに土下座して謝れ」といって土下座させる例も多々見受けられます。
 これでは、子どもを叱った先生の面子も権威も丸つぶれです。以後、先生はこの子どもを含めた子どもたちに対してどのように向き合えば良いのでしょうか。その結果、心を病んで退職するベテラン教師も後を絶ちません。このような実態では、いじめの防止はとても困難ではないでしょうか。
 加えて学校・教師への要望は驚くほど多く、これに全て応えると学校・教師は疲弊するだけでなく、良質な人材が教師への志望をしなくなるという憂うべき事態も招来しかねないことになります。
 現実の教育現場はかなり疲弊しています。学校・教師の物理的・精神的負担を軽減できないだろうかとの思いもあります。
 不当要求に対して、逃避せず正面から対峙することは、我々弁護士も含めて大変な苦労を伴うことです。しかし、ここから逃げずに是は是、非は非としてきちんと対峙することが、子どもの教育を受ける権利を実現する上でも必要ではないでしょうか。
 例えば、学級でいじめや子ども間のトラブルが生じたことを理由として、保護者から担任を変更せよという要求を受けた場合はどうすればよいでしょうか。
 担任を決定する権限が校長にある以上、校長が保護者の要求に応じて担任を変更しなければならない法的義務はありません。
 保護者との信頼関係を損なわないよう、校長は保護者の申し入れや要求を無視することなく、保護者の言い分や要求の根拠となる事実を聴取した上で、担任を変更する必要がないと判断した場合には、担任を変更しないと明確に回答する必要がある。
 それでもなお、執拗な要求が続く場合は、弁護士に相談のうえ、対応方針を検討すべきであろう。
 学校自身が保護者から不当要求を受けているかどうかを判断するのは必ずしも容易ではない。学校としては、異常を察知した段階から弁護士に事案の経緯を伝えて相談し、法的な視点を踏まえたうえで、陰ながら弁護士のアドバイスを受けて学校側で対応するか、弁護士に委任して弁護士に前面に出てもらって対応するか検討すべきである。
(
近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会)
(
「事例解説 教育対象暴力 教育現場でのクレーム対応」近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会編 ぎょうせい)


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子どもと教師がきずなを結ぶうえで大切なことは何か

 子どもと教師の関係を結ぶうえで大切なのは、まず、教師が一人ひとりの子どもと正面から眼差しを合わせて対話できることである。子どもと教師がコミュニケーションをとることが、教室で出会い、そして絆を結ぶ第一歩となる。
 それには、その子の興味や特徴を知る必要がある。どんなことをしていると元気が出ていい笑顔を見せるのか、またどんなとき嫌な表情をするのか暗くなるのかを見きわめる。
 そして、自分から話すのが好きか、教師の話を聞く方を好むのかも理解して、相手に即したコミュニケーションをとる。
 
「話を聞いて」という子どもには、熱心な聞き手になる。恥ずかしくて「思うように話せない」子どもには、話したい話題、話しやすい話題が出せるように、教師は尋ね上手になる。先生の「話を聞きたい」という子には、楽しい話をして聞かせる。
 授業以外でも、休み時間などのちょっとした機会をとらえ、クラス全員と話をする。
 私が小学校の教師だったとき、一日一回は授業中にクラスの子どもと学習に関わる対話をするよう心がけた。「これはいい!」というひと言でもいい。微笑み交わすだけでもいい。教師がその子を温かく見ている、というメッセージを送り届ける。そういう毎日の努力が、子どもとの絆を結ぶ助けとなる。
 大人との関係に何らかのストレスを感じている子どもは、話すときに目線を合わせないことが多い。何か物をいじりながら話したり、別の方角をみて話したりする場合、無理に正面で向き合うことはしないが、丁寧に子どもを観察して、なるべく自然な体位で話せる関係を結ぶように努める。
 教師は授業を成立しやすくするうえで、子どもの関係、教えと学びが成立しやすい関係を考え、子どもとの距離を考える。それぞれの子どもにふさわしい距離を考慮し、関わり方を工夫する。
 子どもの側で、そこまで教師に入りこんで欲しくないという信号を発する者もあり、また例外的には、それ以上踏み込むと危険な子どももいるだろう。そういう場合は専門家に依頼する方が適当な場合がある。
 新任教師がよく陥るのは、子どもと友だちのように馴れなれしい関係になるか、逆に権威主義的で押え込む関係になる状態がある。これがいちばん良くないとされる。子どもが反乱を起こすと収拾がつかなくなる。バランスのとれた人間関係が今日の教室運営の中心だといえる。
 私は帰りの通勤電車の中で子どもたちの名簿を見て確認する。そうすると、どの子を見落としがちか、どの子と話す機会が多いか確認できる。見落としがちな子どもとは、機会をとらえてゆっくり関わる努力をする。
 子どもと教師の絆は、学ぶ体験、教える営みを介して結ぶものでありたい。授業を通して、共に学ぶ喜びや、やり遂げた満足感を共有し、互いの努力や苦労を認め合うなかで、信頼関係や探究的な生活態度を形成していく。
 子どもは、自分を温かく受け入れ、本気で心配し、世話をしてくれる先生を求めている。一対一の絆を結ぶことで、自分を大切にしてくれる先生に関心が向き、教師の呼びかけを聴き取るようになる。
 この傾向は、今や保護者にも広がっている。社会性の発達の遅れだが、こういう「甘え気分」が、今蔓延している。こうしたことは、他の人の立場への配慮を欠きやすく、自分の求めに相手が応じなければ、非難や攻撃となってはね返る危険性がある。
 今は教師も学校も、マスコミにたたかれる権威なき存在である。けれども別の意味で、教師への期待は明確になったのかもしれない。
 人々は教師の人間性に期待し、良い授業や学びの面白さ、仲間と育つ喜びを子どもに保証してほしいと願っているようだ。これは教育に対する本質的な期待である。これを実現すれば、教師は信頼と期待を獲得できる。
 とすれば、今は真の意味で教師が専門家であることが求められ、また、専門家となることが必要な時代なのだといえるのではないだろうか。
(
澤本和子:お茶の水女子大学附属小学校教師、山梨大学教授、日本女子大学教授を経て日本女子大学名誉教授・早稲田大学客員教授)

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学級崩壊を学級集団の視点から考えて防ぐには、どうすればよいか

 学級崩壊は、学級という子どもたちの集まりが集団として成立できていない状態であると考えられる。
 学級の子どもたちが、学級集団となるためには、次の二つの条件が学級の中に両立していることが必要である。教師が子どもたちを管理するだけのルールだと、学級の中にふれあいのある人間関係が成立しない。ふれあいのある人間関係だけだと、なれあいの雰囲気の強い集団となるからである。
1 学級の子どもたちの中に共有するルールがある
 (1)
子どもたちのコミュニケーションを成立させるためのルール(話す、聞くなど)がある。
 (2)
学習活動を進めていくためのルール(チャイムに従って行動するなど)がある。
 (3)
学級活動を進めていくためのルール(係活動に従事するなど)がある。
2 学級の中にふれあいのある人間関係がある
 学級の中に人間関係があれば、自分の居場所を見出し、良好な関係から集団として組織され、まとまっていくのである。
学級崩壊に陥りやすい担任のタイプとは
1 友だち感覚の担任
 だんだんと学級内に「なれあいが生まれ」て、学級の子どもたちの中に共有するルールが成立しなくなる。そういう中で学級は子どもやグループ同士のトラブルが頻発し、うまく解決できない担任への信頼感も低下し、学級の中にふれあいのある人間関係が崩れてしまう。
2 学級の子どもたちを管理的にまとめようとする担任
 子どもたちの欲求不満が高まり、子ども同士の対人関係がギスギスし、学級の中にふれあいのある人間関係が崩れてしまう。同時に、子どもたちの担任に対する反発は、管理の手段となっている学級のルールを無視する形となって現われる。
3 放任的な学級経営、子どもたちとの関わりや指導に一貫性がないタイプの担任
 学級の子どもたちの中に共有するルールもなく、学級の中にふれあいのある人間関係もない。学級の子どもたちの集まりは、烏合の衆である。この場合は、学級崩壊が早い段階で発生することが多い。
 学級内の子どもたちの欲求不満が高まは、他者攻撃に向かうことが多く、子ども同士のトラブルが多くなり、学習意欲や学級活動に参加する意欲も著しく低下するのである。マイナスの影響を与えるのである。
 学級集団の崩れを克服するにはどうすればよいのでしょうか。
 学級崩壊は集団が徐々に崩れていって発生するものである。学級崩壊の深刻な状況を考えると、学級崩壊にならないようにするには「崩れの兆候を察知して、速やかな対応策を講じる」これにつきるのである。
 
「学級の子どもたちの中に共有するルール」「学級の中にふれあいのある人間関係」が崩れ始めたとき、両方が崩れてしまう前に対策を講じるのである。
 学級集団の崩れに対して、これさえやればうまくいくという、単純な方法はない。だから学級崩壊がこれほど騒がれているのである。
 学級の崩れを克服するにはどのような方法があるのでしょうか。次のような流れが骨子となる。ポイントはこの積み重ねを系統的に実施できるかどうかである。
1 学級の子どもたちや学級集団の状態を把握する
 私は子ども一人ひとりの学級生活の満足感を把握するようにしている。満足感が高い場合は、学習意欲や学級活動に参加する意欲が高まると共に、学級への帰属意識が強まるのである。
 私が開発したQ-U調査(学校生活意欲と学級満足度を調査して学級診断をする。実施時間約15)で、子どもたちの学級生活の満足感を測り、自分の学級の状態を推測すると対応の予測がつきやすい。学級崩壊に近づいているのかを把握できるのである。
2 学級集団の状態に応じて、子どもたちの学級生活の満足度が高まる対応をする
(1)
自分の学級で子どもたちが満足感をもてる要素は何なのかを把握し、満足感をもてるような取り組みを行う。
(2)
いろいろな子どもの組み合わせによる、小グループ活動を取り入れる。
 特定のグループで固まるのを防ぎ、子どもたちの交流を小グループで活性化させる。
(3)
いろいろな活動の最後に、友だちのよい点を評価しあう場面を必ず設定する。よかった点を言葉にして伝え合い、認め合う雰囲気を形成する。簡単なカードに書き込ませて交換させるのもよいだろう。
(4)
学級のルールを確立する
 基本的で具体的なルールを定め、ルールにそって生活するようにする。ルールに例外はつくらない。評価を帰りの会などで確認する。短時間でルールにそって学級全体でやり遂げる経験を積み重ねるのである。
 授業も一つの課題を短くして、短時間で集中させ、その後ゲーム的な要素を入れた課題を実施するなどメリハリをつける。
 ゲーム性のある活動を定期的に取り入れ、楽しみながらルールを守る習慣を定着させる。
(5)
学級の中にふれあいのある人間関係を確立する
 授業の展開パターンを増やし、グループでの調べ学習や学習ゲーム(漢字ビンゴなど)などを取り入れて、授業に参加する楽しみを喚起する。
 学級活動の時間などに、全員で楽しむことができるようなゲーム的な活動(フルーツバスケット、構成的グループエンカウンターなど)を定期的に実施する。
 機会をとらえて教師が意識的に自己開示したり、満足感の低い子どもたちとおしゃべりする時間を設ける(給食の時間や休み時間など)
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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いじめにはどのような特徴があるか、気をつけるべきこととは

 いじめを受けている子どもは、友だちにいじわるをされたり、嫌われたりしないようにするのに一生懸命で、ときに自分が悪いという思いもあり、振り回されて、苦しくなったりします。そして、その苦しさに、自分はダメなんだという気持ちになって、人に打ち明ける自信もなくなってしまうことがあります。
 テレビや新聞で報じられるいじめの中には「犯罪行為」にあたるといってよいものもあります。犯罪行為とは、暴行・傷害・脅迫・強要・恐喝・侮辱罪などで、その行為はひどいし、受けた傷も大きい。日常起こっているいじめでは、いじめた側がつぎのような、言い分けをすることがあります。
(1)
たいしたことでないから、いじめではない
 いじめをした側からよく聞かれる言葉です。たいしたことがない行為は、相手を傷つけることはないと思っています。しかし、相手が深く傷つくことがあることはよく知られています。
(2)
いじめではなく、ふざけていただけだ
 これもよく聞かれます。遊びとしてやっていただけだというのがこれにあたります。悪気はなかったのだといっているのだと思いますが、相手を深く傷つけることがある。
(3)
相手が悪いのだから、いじめではない
 これもまたよく聞かれます。特に自分は正しいと思っている場合、対応が難しくなります。例えば「約束を破ったお前が悪い」などという非難はこれにあたります。ときに、いじめる側に「正義」があるかのようにみえることがあります。
 いじめを受けている方の辛さがみえにくく、やっている方は悪いと認めない傾向があります。
いじめの特徴にはどのようなものがあるでしょうか。
(1)
いじめを「する側」と「される側」に意識のズレがある
 
「えっ? そんなことでいじめになるの」、そんな思いが、いじめをした側に起こります。
  
「たいしたことがないこと、軽い気持ちでやったこと、正しいと思ってやっていることでも、いじめになることがあるんだ」ということを、子どもたち自身が思えるようになることが大切です。教師がそうした働きかけがとても大切です。
 教師が「いじめだからやめなさい」と言っても、子どもたちの心には届かず、こじらせてしまうことがあるのです。
 そんなとき、いじめをする側と、される側のズレを理解し「傷ついているよね」という問いかけが大切だと思います。これが「いじめを受けている子どもの気持ちに立って」考えることでもあるのです。
 いじめをした子どもを「謝らせる」という対応にも注意が必要です。こうしたズレをそのままにして、謝った場合、「自分はそんなに悪くないのに」などという気持ちを持っていると、屈辱感が残ります。その屈辱的な気持ちが表れ、謝罪の態度が問題にされたりすることがあります。
 いじめを受けた子どもがどのように解決してほしいのかというイメージが一番大切です。いじめた子どもが謝る場合には、自分の何が相手を傷つけたのかを、子ども自身が言えるようにしてあげなければいけません。いじめを受けている子どもの立場から、ズレを埋める働きかけがとても大切になります。
(2)
いじめはエスカレートする
 いじめは「する側」と「される側」にギャップがあります。特に「ふざけていたたけだ=楽しい」といういじめは、楽しいという気持ちが、相手の気持ちをおもんぱかったり、善悪を判断する態度を鈍らせてしまいます。
 「相手が悪く、自分は悪くない」といういじめの場合、いじめる側に正義があるかのように思い、そこに、いじめを抑制する力が働きません。
 また、「たいしたことがない」と考えるいじめの場合でも、それが繰り返される中で、その程度への意識がマヒしてしまうことがあります。
 そうした中で、いじめは、ときとして気づかれないまま、エスカレートしていくことになります。
(3)
いじめられていることを、人に話してくれない
 いじられていることや、その苦しさをなかなか人に話してくれません。「話したことによる報復を恐れる」「かっこ悪い(恥ずかしい)」「親に心配かけたくない、心配されたくない」と思っているかもしれません。
 そうした中で、誰もいじめに気づかず、どんどんエスカレートしていき、一人で抱え込み、追いつめられていきます。 
(4)
いじめを受けている子どもを死へと追いつめる
 悪口やからかいも、それを言われた子どもは深く傷つきます。たいしたことがないようにみえるいじめであってもまた、どのような形のいじめであったとしても、いじめを受けている子どもを死へと追いつめる、これもいじめの特徴の一つです。  
(
野村武司:獨協大学法科大学院教授。獨協地域と子ども法律事務所開所。弁護士)

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教師がクレームを続ける保護者を訴える裁判を起こし勝訴したが、そこで経験したこととは

 関西の公立高校に勤務する私が2003年、保護者を訴える裁判を起こしました。裁判では保護者側が和解の申し入れをし、保護者は誹謗中傷について裏付けのない情報発信だったと認め、慰謝料を支払い、面談交渉を求めないとして和解が成立した。2013年テレビのニュースでも放映された。
 トラブルの始まりは文化際でのクラブ発表で「3年生が出る時間が1,2年生と同じなのはおかしい」というクレームであった。担当の顧問では解決出来ずに同じ部の顧問である私が対応にあたった。
 私は「娘さんに辛い思いをさせたことについては、深くおわびいたします。今後そういうことのないよう気をつけていきます」と謝罪しました。
 その1週間後にまた校長に面会を求めてきました。前回会談後、見送ったときの私の態度が悪い。「子どもの傷ついた気持ちをどうしてくれるのか」謝罪をしろ、謝罪文を書け、学校を変われ、教員を辞めろと攻撃してきた。
 私はこの時、因縁をつけるような内容に変わったなと感じました。私を辞めさせことは法的にもできないことなのに、何か別の解決方法を求めているのではないかと思いました。
 私は教育上も法的な落ち度もない自信があったので、責任の証拠を残すような謝罪文は要求されたが書きませんでした。
 その後、心身症の診断書を持って来ました。保護者は学校と私を訴えると言い出したのです。私は
「心身症は本人のパーソナリティによるところが大きいし、原因の特定はできないはずだ。私個人の名前がありましたか?」
「私個人は訴えられませんよ。学校を訴えたとしても、市が訴えられるんですよ。第一、何を訴えるんですか。訴えることないじゃないですか」とも言いました。
 校長は右往左往するばかりです。「校長として、最後のおとしどころをどこにしようと考えていますか」と尋ねましたが、答えは返ってこなかった。
 その後、裁判になるかもしれないということで、教育委員会の聴き取りがありました。行政の人で専門知識もあり、事件にもならない、たわいもないことだから、学校で解決しなさいと校長に返したようでした。しかし、校長はしばらく放置してしまったのです。
 もし、校長が保護者に「無理なことはわかっているでしょ。裁判するなら、してください。学校はこれ以上対処できません」とはっきり言っていれば状況は変わっていたかもしれません。
 保護者はネットの掲示板などに、でっち上げの誹謗中傷(セクハラ教師、不倫教師等)の書き込みを始めました。私は学年主任の立場であったので、信用失墜した中で指導することができないので一番しんどかった。
 これはもう弁護士に相談せざるを得ないと思い、インターネットの書き込みなど証拠になるようなものを印刷して、いままでの状況を弁護士に話しました。弁護士は「これは闘えるし、闘わなければならない」と言われて自信が持てました。
 インターネットの書き込みは、掲示板のプロバイダーに弁護士署名で書き込みをして、内容証明の差し止めを送って掲示板が削除されたのです。
 突然、校長から電話で「休職してくれないか」と言われました。私は憤慨して校長とはここで決別しようと思いました。教育委員会と話をして教育センターに異動することになった。
 さらに、保護者側が私を糾弾する教育集会を開催するという文書を教育委員会やマスコミ各社にフックスで送りました。私は弁護士と相談して、この集会の中止と、インターネットでの誹謗中傷や面談の強要の禁止を出そうということになりました。
 裁判所に双方が呼ばれて口頭で陳述する機会を与えられました。「保護者側は誹謗中傷してはならない。そのための集会を持ってはならない」という仮処分がだされました。
 私は保護者に対して「ここで終わり」ということを見せないかぎり、この問題は解決しないと、本訴訟し、勝訴したのです。
 訴訟が終わった後、中学校への異動で心機一転、一からスタートという気持ちで取り組もうとしました。しかし、30代から責任ある仕事を多く任され、リーダー的な立場に立ち、人脈もできていたのに、中学校へいくと人脈もなく、新採あつかいを受けているような印象をうけました。勝訴であったにもかかわらず、かなりのジレンマに陥りました。
 しかし、嘆いているだけでは仕方がない。自分で道を開こうと思いました。教育委員会という組織や管理職という立場とは決別して、対等に渡り合おう、自分自身を高めていこと考え教育行政を専攻し神戸大学で教育学修士を取得することができました。
 そこに至るまで時間がかかりました。中学校に勤めて2年目から学年主任として6年間過ごしてきました。そこで原点に帰るような教育ができ、教え子たちがまた私のもとに寄ってきていますので、その意味ではプラスになったと思います。
 
今回の件で私が経験し、考えさせられたことは、シロと認められた教師に対する周囲の信頼をどのようにして回復するか。保護者からのクレームに対して管理職等は「先生を守るため」という言葉を使って教師を懐柔し穏便に進めようとする。クレームを言ってきた保護者側のシナリオに基づいて、教師を犯罪者扱いで事情聴取される怖さを体験しました。
 いまは教師と保護者が対等と見られる時代だから、教師自身も自分を守るために一般社会の法的知識ぐらいは備えておかなければならないと強く思っている。いざというときに相談できる先を探しておく。本当のグチや弱音を言える信頼できる教師を一人でもいいからもってほしいと思います。
(
宮崎仁史:公立中学・高校教師)

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なれあい型の学級の荒れを立て直すにはどうすればよいか

 明るくて活発で和気あいあいのクラスであったのに、徐々にわがまま勝手な行動へと変化してきて、おさまりがつかなくなって崩れていくことがあります。
 子どもたちの中でグループ同士の対立がおきるようになり、教師の指示に従わない子どもが出始めて、クラスは一気に崩れ始めることになります。特徴は、学級になれあいのムードが広がって、だらしなくなってくることです。
 このような荒れは、「子どもを援助することに偏っている」タイプの教師の学級で起きています。教師の指導が子どもたちの感情に迎合し、ルールがその場その場で変わってしまい、学級のルールがなおざりになっています。
 このような、なれあい型の荒れはどのように対応すればよいのでしょうか。
 なれあいになっている教師と子どもの距離を教師が意識的にとり、指導にウエイトを移したリーダーシップをとって、ルールを確立していく必要があります。
 まず、教師が子どもたちとのなれあいの関係性に変化を起こすことです。そのためには、基本的なルール(守られないと学級の誰かが、つらくなったり、困ったりすることが起きるもの)から一つずつ確認するとよい。
 次のような、学級に最低限必要なルールを一つずつとりあげ、だれでも無理なく守れるものから順に取り組みます。
(1)
人の話は最後まで聞く
 例えば、連絡や指示を出すときには、最後まで静かに聞くことを約束させます。できるだけ具体的な内容を短い時間で指示するようにします。
 できたときは、直後に「静かに聞いてくれて話しやすかった。おかげで時間も短くすんだ。うれしいよ」と必ずほめるようにします。
(2)
問題が起きたら相手の気持ちを考える
(3)
係りの責任を果たす
(4)
みんなで使うものを大切にする
(5)
ひとの嫌がる悪口や体のことをいわない
 教師の指示で「ルールを守って行動する、時と場合がある」ことを教えていくのです。守れたかどうかを必ず帰りの会などで教師が確認するようにします。
 できたときには、教師がほめ、できなかったときには、次にどう行動すればよいかを具体的に考えさせます。
 子どもたちの必要感が高いルールは定着しやすく、子どもたち相互の関係が深まってくると、気持ちよく生活するために、集団のマナーになっていきます。
 どうしても、なれなれしい態度をとる子どもがいる場合、叱責せずに教師の方から「ていねい語」を使って、子どもとの距離をとるようにします。
 教師が不適切な行動を一つ一つ取りあげて、教えていくことによって、なれあいの関係に変化を与えることが大切です。
 なれあい型の学級の立て直しでは、基本的なルールやマナーの確立が対応策の骨子になります。大切なことは、援助的なかかわり方をやめて、指導的なかかわり方に切り替えるということではないことです。
 援助的なかかわりを前提にしながら、指導的なかかわりを強めていく方法をとります。
 今までの援助的なかかわりの中に、ルールやマナーの確立を中心に指導的な部分を付け加えていくことで、学級が立ち直っていきます。
(
粕谷貴志:1964年生、公立小中学校教師、都留文科大学講師を経て奈良教育大学准教授。上級教育カウンセラー、学校心理士。専門は学校教育臨床・発達援助)

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親や教師が子どもたちから信頼され、親密で素直な関係を築くにはどうすればよいか

 日本の多くの子どもたちが、心の休まる居場所を失っています。家庭でも学校でも厳しい言葉が、飛び交っています。みなさんの家庭は、この一年、温かい優しい思いやりのある言葉と、厳しく追いつめるようなひどい言葉と、どちらが多いですか。みなさんの学校は、子どもたちに対して、明日を語る優しい言葉と、今をしかる厳しい言葉とどちらが多かったですか。
 私は講演でこの質問をしますが、ほぼ9割の家庭や学校では、厳しい言葉が多かったという返事がかえってきます。本来、家庭や学校は、子どもたちにとって、最も優しく憩える場所でなくてはならないものです。その大切な場所が、ストレスのたまる生きにくい場所になっています。
 そして、そのイライラから、いろんな問題を生じさせています。私は、家庭や学校が、子どもたちの最高にやすらぐ居場所になってほしいのです。
 人間は日常、生活していれば、言葉で傷つくことがあります。人は生きていく上で、どうしてもだれかを傷つけてしまうし、嫌な思いをさせてしまいます。だから、私たちは「ごめんなさい」という言葉をもっています。
 この「ごめんなさい」と言う言葉が最近あまり使われなくなっています。親や教師は、自分が子どもに対して傷つけるような行為をしても「ごめんなさい」と謝ることが、自分の権威を傷つけることになると思って居直り、何とかその場をごまかしています。これが、大人への信頼感を奪っています。大人と子どもの間には信頼感が大事です。信頼関係がなければ教育は成り立ちません。
 私は教師時代、毎日のように「ごめんなさい」を子どもたちにいいました。「ごめんなさい」の一言が、いつも私と子どもたちとの関係を密なものにしてくれました。今までよりも親密な、そして素直な関係を築いてくれます。
 子どもたちは、家庭でも学校でも「ああしなさい」「こうしなさい」「なにやってるの」「だめでしょ」「がんばれ」といつも追い立てられています。子育てや教育の基本は、待つことだと私は思います。待つことには、あなたを信じているという最高のメッセージが含まれています。
 子どもは不完全な存在だから子どもなのです。だから、優しく導き育てなくてはなりません。子どもたちの過去と今を責めずに「いいんだよ」と受け入れる余裕を、そして「でもね」と教えてあげる優しさをもって下さい。
 多くの親や先生は、子どもたちが学校に行きたくないというと、その原因を子どもたち自身のなかに探します。そして、子どもたちが「弱いからだ」「甘えだ」「さぼりたいからだ」といって責めます。
 私はそうは思えません。その理由は、現在の学校の中にあると考えています。学校が、日々楽しく、そして自分がきちんと評価され、明日のために笑顔で過ごすことのできる場であったら、どの子が学校に行くことを嫌がったり、不登校になったりするでしょう。
 いいかげんに生きている子どもが、この世の中にいると思いますか。私は、ひとりもいないと思っています。今の日本のこの時代を生きていくことは、子どもたちにとってとてもきついことだと考えています。
 今の学校で褒められたことと、しかられたこととどちらが多いかを先生がた、ぜひ自分の学校で子どもたちに聞いてください。温かい優しいことばと、厳しいきついことばと、どちらが多く語られているかを。
 みなさんにとって、どんな子が「いい子」ですか。私は、すべての子どもは、生きていてくれるだけで「いい子」だと。もし、笑顔を浮かべて、目を輝かせて明日を考えてくれたら、それこそ「最高にいい子」なんだと。
 子どもは、ただ笑顔でそこにいてくれるだけで、大人たちにとって、とても幸せなんです。子どもたちは、みんな「いい子」です。私たち大人の宝物、夢なんです。ただ、生きてさえいてくれればいい。もし、笑顔でいてくれればなおいい。私はそう考えています。
 学校を変えませんか。子どもたちが笑顔で日々過ごすことのできる場所に。それは、学習をおろそかにして、遊ぶ時間をつくればいいというのではありません。子どもたちが、自分たちが必要とされていて、正当に評価され、明日の夢をもらえると感じる場になればいいのです。
 そうすることは簡単です。すべての子どもたちのいいところを、すべての先生方で手分けして、どの子どもも一日に10個はきちんと褒めて評価してあげればいいのです。子どもたちが先生に仕事を頼まれたり、褒めてもらえたりすることは、その子どもに自己肯定感、自信を与えます。これが明日を生きる強さとなります。
 子どもたちに「今の幸せ」をあげませんか。「今の幸せ」とは、子どもたちにとって、家庭や学校がとっても温かく、愛に満ちた場所で、優しさと思いやりを日々大人たちから与えられ、多くの友だちと笑顔で過ごすことができることです。
(水谷 修:1956年生まれ 1992年に定時制高校の教師となってから、横浜市を中心に夜の繁華街をパトロールする「夜回り」を始める。 2004年教職を辞し、全国で講演と夜回りを続ける。水谷青少年問題研究所所長、花園大学客員教授)

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子どもがケガをしたとき、どのような配慮が必要か

 子どもの事故防止、安全の確保には細心の注意をしなければなりません。しかし、どれほど気を配ろうと、子どもはケガをすることがあります。
 子どものケガは直ちに救急措置をするとともに、あせらずあわてず対処を考えなければなりません。教師があわてれば、ケガした子どもはもちろん、学級の子どもも動揺してしまいます。
 子どもがケガしたときは、励ましと慰めの言葉をまずかけます。そして、言葉をかけながら、救急策を考えて対処します。その際、ケガの状態を軽くみることは避けましょう。
 軽いケガと思って下校させたら、帰宅後に痛みが激しくなり、医師に診てもらったら骨折と診断されたなどの話も聞きます。こうなると事態は厄介です。やはり、監督不行き届きと思われてしまうからです。
 したがって、担任の判断で処理せず、保健室で救急措置をしてもらうようにします。つまり、学校として対応するのです。
 ケガした事実を校長(教頭)に率直に報告しなければなりません。率直に報告しなければ、校長は判断を間違えてしまうかもしれません。このことはぜひ注意したいことです。そして、事故の経過を的確に記録しておきます。ケガの原因によっては事故報告書の作成も必要になります。
 保護者に連絡する際、話し方や言葉の用い方は十分気をつけたいと思います。保護者はわが子がケガをしたと聞けばいささか動転しているでしょう。それを察して話をすることを忘れないようにしたいものです。
連絡の要点は
(1)
ケガをした事実「いつ、どこで、どのように」
(2)
ケガの程度
(3)
現在の状況(保健室にいる、医師に急送等)
(4)
保護者に直ちにしてほしいこと
(5)
お見舞いの言葉を申し述べる
 連絡の際、くどくどと言い訳したり、責任回避の主張ととられがちな話ばかりすると、保護者の心証を害することがあります。また、事故の原因を率直に話さないと、後日トラブルが生じることもあるでしょう。
 こうした際の処置は、落ち着いて冷静に、そして的確にすることです。もし事情がわかりかねる場合は、「目下、調査をしていす」と話して、わかり次第連絡するようにします。不確かな説明はいけません。
 また、日本スポーツ振興センターの給付金、つまり治療費のことを初めに話すと「お金の問題ではありません」と反論されることもあります。お見舞いの言葉の後に、忘れることなく、付け加えたいことであります。
 子どもが学校の管理下にある時、ケガをして診療を受けた場合、日本スポーツ振興センターから、治療費の一部が給付される仕組みがあります。この制度は教師や保護者の多くが承知しています。
 しかし、その細かなルールになると、よく知らないまま過ごしている教師も意外と多いのではないでしょうか。担当者(教頭、養護教諭、事務主事)に、ルールの要点をたずねてから、保護者に説明する慎重さが必要であるように思います。
 もし、説明に自信がないのなら、担当者に説明してもらうように気を配る必要もありそうです。お金がからむだけに、話の内容は正確明解でありたいものです。
(
飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県浦安市立小学校校長を経て、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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保護者とぶつからないで、保護者が味方に変わるようになるには、どうすればよいか

 保護者から学校にさまざまな要望が出されるようになり、保護者がこわいと悩む若い教師からよく相談されるようになりました。
 保護者との関係づくりは、実はそれほど難しいことではありません。ほんのひと言、ひと手間かけるだけで、保護者の反応がまったく変わることはよくあります。教師が保護者の立場や子育ての苦労を思いやることで、驚くほど保護者の態度がやわらかいものになることがあるのです。
 例えば、保護者が担任に用事があって来校するとき、時間が事前にわかっているのであれば、担任は玄関で保護者を迎えるようにしましょう。担任が先導すれば、保護者は「ついていけばいい」と気が楽になります。保護者にとって、学校では担任だけが頼りです。
 用事が終わると保護者は心が軽くなります。見送るために廊下を並んで歩いている間の会話もリラックスでき、本音を聞けます。これが保護者との信頼関係を深める時間となります。
 わが子が問題を起こすと、保護者は「子育てが間違っているのではないか」と自責の念にかられがちです。保護者はそうしたとき、動揺し、落胆します。そういう時、保護者の子育てのよい部分を担任が認めると、保護者は心強い味方になってくれます。
 期待通りに対応してくれる保護者もいれば、なかなか理解してもらえない保護者もいます。教師の不満な気持ちは驚くほど相手に伝わってしまうものです。保護者に不満を持ったときほど、慎重な対応を心がけないとトラブルのもとになります。
 例えば、連絡帳に目を通したら、見ましたという押印をしてくれない保護者がいます。「押印をお願いします」と書いても、保護者はいい気持ちはしないでしょう。
 そこで、子どものよいところを見つけ、質問するようにします。例えば「いつもハンカチを携帯しています。どうやって習慣化されたのですか?」と連絡帳に書きます。
 すると、翌日の連絡帳には、家庭での取り組みがかかれています。それに対して担任は「お忙しい中、教えてくださりありがとうございます。さっそく子どもたちに話をしました。日頃、連絡帳に目を通してくださりありがといございます。押印の確認でもいいですが、このようなコメントの確認をいただくと、勉強になります。ありがとういございます」と回答します。
 ついほかの保護者と比べて非難したくなったときこそ、このぐらい慎重に相手に受け入れやすい伝え方を考えましょう。
 子どもが欠席すると、私はその日の放課後にお見舞いの電話をかけます。病気で欠席した場合は容態を聞き、早く回復することを伝えます。
 欠席した子どもに「よし、明日は学校にいくぞ」と強く思わせたいので、ひと工夫した「連絡プリント」を渡すようにします。「今日の宿題は『安静にすること』です。勉強のことを忘れてしっかりと病気を治してください」と書きます。
 特別な「宿題」を目にした保護者はわが子の体調を気遣い、細かいところまで配慮してくれる担任に感謝と信頼をよせることになるでしょう。
 学級通信はクラスの出来事を羅列するだけでは保護者の心に残りません。保護者に目を留めてもらえるようにするため、私は「子どもとのやり取り」の意図を述べ、学校での出来事を家庭での子育てにも参考になるように書いています。
(
城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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子どもが聞いて心地よい教師の声と、子どもが聞いてくれる話し方とは

 聞き手に不快感を与える声とはどんなものでしょう。かん高い声は短時間ならいいのですが、3分もしゃべられると、きついものがあります。低すぎると怖い印象、ゆっくりだと眠気を誘ったりする場合があります。
聞いていて心地よい声というのは、
(1)
声が少し高めで、少し速く話をすると、明朗で快活、若々しく活発で健康的に聞こえます。
(2)
逆に、声が少し低く、少しゆっくりと話すと堅実、安心、安定感のある落ち着いた印象を与えます。
(3)
リラックスした状態で、口をきちんと開けて、お腹から吐き出し、胸を開いて声をだすようにする。
(4)
リズム感やテンポがいいと、安心して聞くことができ、とても聞きやすい。
 リズム感を身につけるためには、楽しいと思いながら呼吸するように話すことです。楽しいときは、弾むように話しますよね。その弾む感覚をもって話すと、リズムがうまくとりやすくなります。
自分の声を録音してみましょう。そして次の点をチェックしてみましょう。
(1)
声量・音程・速さ
 声が小さいと聞こえにくく、自信がないように感じます。声が高く速いと聞き手が疲れる。低くて遅いと、頼りなく、聞き手の集中力が低下する。
(2)
話に間がある
(3)
語尾がきちんと聞き取れる
 語尾をはっきりと言わない人が多い。日本語は、言葉の語尾(例:「・・・・・です」「・・・・・ではありません」)で決まることが多いので最後の言葉は重要です。
(4)
同じ言葉を繰り返していない
 「えー、」「・・・・ね」などを多用していませんか。ひとつの言葉を多用されると聞いていると、耳障りで、とても気になるものです。
(5)
滑舌がよい
(6)
長話をしない
 子どもの集中時間は3分間です。子どもたちが話を聞いていないと思ったら、まず自分の長さをチェックしてみてください。一番早く修正できるのは話の長さです。子どもたちにもっと聞きたいと思わせるためにも、だらだらと5分も10分も話すのはタブーです。どんなに上手な話でも早めに切り上げて、もっと聞いてみたかったと思わせてください。
 授業で教室の中をよく動く教師、そうでない教師、さまざまだと思います。授業で大事なことは、全体を見ることと、個々を見ること。この両方が大切です。
 私は大勢の人の前で話すときは、ゆっくり右から左に見ていって、話を聞き込んでいる人とは必ず目を合わせ微笑かけます。私語をしている人のところで、よく目を止めます。
 全体を見れば、自分の話がおもしろそうか、そうでないかはすぐにわかります。みんなつまらなさそうだなと思えば、少し話題を変えてみるのもよいでしょう。
 授業で話を聞いていない子どもが多いと思ったら、気分転換してはどうでしょうか。横道にそれる話をする。3分間、目を閉じさせる。音楽を聞かせて歌を一曲歌う。ある数学の教師は説明が難しいと思ったら、創作ダンスでみんな笑いながら踊って、その後、集中させる。
 子どもが夢中になるのは先生の体験談です。先生が教室で得意なことの体験談を話すときは、先生の目がキラキラ輝いて、楽しい話し方になっています。
 子どもが話を聞かない原因にはいろいろあると思ってよいでしょう。授業を聞いていなかった子どもに、少しの時間でもよいから、じかに接して話を聞いてあげてください。教師がひと声かけることで、注目していることがわかれば、次回の授業から少し気持ちが違ってくると思います。
 私は話しをするとき、まず結果を先に話すようにしています。例えば「東京都の23区のほとんどの学校給食は民営化しているって知ってました?」と結果から入ります。
 まず結果を伝えると、相手を引きつけることができます。無駄も省けます。説明が多くなりそうな授業のときは、ぜひ結果から話してみてください。
 子どもに興味をもたせるには「なんで?」「どうして?」と思わせることです。なんでと思わせて、それを説明する。説明の後に、次は「これには困った問題があるんだ」と意外性のある事柄をもってくる。そこでまた「なんで?」をつくり出す。そして最後にまとめます。
(
中村弥和:1968年福岡県生まれ、LICフレグランス代表。アロマとハーブの予防医学の第一人者として20年の経歴、教育ジャーナリスト、人材育成講師として活躍。熊本放送アナウンサーを経て、TBS,ニッポン放送などレギュラー番組を持つ)

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教師を辞めてしまいたいという思いに陥らないためには、どうすればよいか

 多いときで年間50校ほど回ったでしょうか。どの学校でも、子どもたちの問題行動は度を越えているうえ、人手も不足しています。惨憺たる現場を前に思ったものです。「これ以上、教師にどうしろというのだ」と。
 子どもたちの荒れに加えて、保護者からのあいつぐ苦情。マスコミをはじめとする世論は「教師バッシング」ばかり行う。仲間のいない教師は、孤独感にさいなまれながら、悩み続けることになります。教師受難の時代です。
 こうした学校の現状を目のあたりにして「いまこそ、教師を支える力が必要なのではないか」という思いから、私が発起人となって、1999年に「悩める教師を支える会」を結成しました。
「こんなつらい思いをするくらいなら、いっそ教師を辞めてしまいたい」と、ため息まじりに、こうつぶやく教師を、私は何人見てきたでしょうか。けれど、私は「どんなつらいことがあっても、いま、教師を辞めてはいけない」と言わせていただきます。
 実際に辞めてしまうと、そのあとは空虚な人生が待っているのです。思いだしてください。子どもたちとともにできたときの充実感を。
 辞めてしまわれた教師が2~3年たったころ、口をそろえて「辞めるんじゃなかった」とおっしゃいます。ですから、いま、あなたがつらくても、勢いで辞めてしまわないこと。これがいちばん大切です。
 「うつのときは重大な決断をしてはいけない」という鉄則があります。この教師受難の時代、教師をやっていれば、うつはだれでもなりうる病。うつは「まじめに教師をしてきた証」と言ってもいいほどです。
 教師を続けるためにはつぎのような「特別な能力」が必要とされるようになってきました。
(1)
子どもや親からの多様で自分勝手な要求に考慮しつつバランスよくコミュニケーションを行っていく能力。
(2)
子どもや親に合わせて、自分の指導スタイルを調整していく柔軟性。
(3)
何か問題が発生したときに、一人で抱かえ込まず、同僚や管理職など周囲の人に弱音を吐き、助けを求める能力。 
 こうした能力がかつてないほど求められるようになりました。私は常々「教師は教科指導のプロである以前に、人間関係のプロでなくてはならない」と主張してきました。
 子ども集団といい関係をつくれなければ、よい学級集団をつくることはできません。同様に、保護者の気持ちをくみ取り、信頼関係を築けなければ、保護者からのクレーム攻勢にあうでしょう。同僚や管理職との人間関係をうまくつくれなければ、チームワークを生かした仕事を進めることはできません。
 しかし、教師の多くは、人間関係能力が十分とはいえません。人間関係のスキルは学んできていないのです。そのために、学級運営に行き詰まったり、保護者対応が上手にできなかったり、同僚や管理職に助けを求められず一人で悩みを抱かえ込んだりします。
 多くの教師は悩みを持っていますので、何でも打ち明けられる仲間を見つけておくことが大切です。これが、安心して、充実した気持ちで教師生活を送っていくためのキーワードになります。
 
「何でも話すことができ、確実に味方になってくれる教師仲間が一人でもいるかどうか」これが決定的に重要なのです。
 いちばんいいのは、同じ学年の仲間に弱音がはけることです。お互い弱音がはけて、相談し合い、支え合える学年の教師の教師チームがつくられるのが理想です。
 また、うまが合わない管理職とトラブルが起きたときにフォローしてもらうためにも、その管理職に話を通せるような同僚と仲よくなっておくとよいでしょう。教育委員会に話しが通るような力のもった、かつての勤務校の校長など、実力者と認められる人といい関係をつくっておくと、いざというときに力になってもらえます。
 助けを求めるのが苦手な教師の特徴は、自尊心が高すぎる人と低すぎる人です。
 自尊心の高すぎる人は、四十代、五十代でいままで成功してきた教師、とくに男性に多くみられます。自分はできるという自負のある教師が学級運営や保護者対応に行き詰まったとき、プライドが邪魔をして助けを求められないのです。
 いっぽう、自尊心の低すぎる人は、二十代、三十代の女性に多くみられます。これ以上、自分のダメなところを見せたら、人から見放されるという怖さがあって相談できないのです。
 助けを求めるのは恥ずかしいことではないし、見放されることはありません。大切なのは、勇気をもって自分の苦しみを打ち明けることです。助けを求めれば救われるチャンスも得られるのです。
 助けられ上手な教師は、困っていることを解決するために「話しを聞いてくれる人がほしい」「助言や援助がほしい」「自分と一緒に対処してくれる人がほしい」「自分の周りの人に助けられながら、やっていきたい」と思っているということです。
 
「そうは言っても、助けを求められる人は、いないんですよね」と言われる教師は多いものです。でも、ほんとにいませんか。幅広く周りを見渡して、味方になってくれそうな人を探す習慣をつけること。これが、教師を続けていくための、大きな助けとなるのです。
 まじめな教師ほど、睡眠時間を削って仕事をしてしまうものです。ストレス対策の第一は何と言っても睡眠をしっかりととること。ゆとりある教師の顔が、子どもたちの笑顔をつくります。
 あるいは、同じ思いを共有している同僚の気の合う教師と「やってられないよ」などとグチをこぼしあうことです。
 
「紙を破く」方法は、子どもたちのストレス解消にも役立ちますが、新聞紙などを「ウワァーッー」と大きな声を出しながら、手でビリビリ破く方法です。声を出すことで気持ちがスーッとします。
 その他に、短時間のストレス解消法として「三十分間一人カラオケ」をおすすめします。または、三十秒間でスッキリするのが、ミント系のアロマオイルの香りを吸うだけでスッキリし気分転換にもってこいです。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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こじれさせないような保護者との関係づくりとは

 苦情やクレームを受けているうちは、関係がこじれているわけではありません。最も大事なことは、関係がこじれる前に、こじれさせないような保護者との関係づくりに努めることです。
 苦情やクレームを対応するときは、おおらかな気持ちで謙虚に受けとめる。話を途中でさえぎらず、最後まで聞く。教師に落ち度があれば潔く謝罪するようにするとよい。
 保護者のタイプによってどのように対応すればよいでしょうか。
(1)
不安感と被害者意識が強い保護者
 子どもの、ちょっとしたことでも不安になり、被害を受けていると考えてしまう保護者がいます。不安な気持ちに共感し、その気持ちを受けとめることが必要です。そして、教師が見守っていくことを自信を持って伝えます。
 その上で、教室では子どもとのコミュニケーションを多くしながら、子どもが思い込みで考えすぎないように少しずつ励ましていきます。
(2)
高圧的に接してくる保護者
 高圧的になる人は理由があります。例えば、自分弱さや辛さを守るといった、保護者が守ろうとしているのは何かに気づくことです。
 気づけば、まず、保護者が守ろうとすることに共感し、それとなくほめるようにします。そして、落ち着いたところで、話し合いをすすめていくようにします。
(3)
感情的に不満をならべる保護者
 感情的に不満を述べる人は、自分の不利益しか見えなくなっていることが多いようです。自分は正しいと思いがちです。感情が高ぶっているときに反論したり、間違いを指摘すると、火に油を注ぐことになりがちです。
 まずは、じっくりと話を聞きます。自分の言いたいことを全部言ってしまえば、あとは時間がたつにつれて落ち着いてくることが多い。
(4)
普通の保護者
 普通の保護者は、不安や不満をもっていても表に出さない人もいるのです。普通の保護者に教師の目が向かないでいると、ある日突然訴えられることがあります。
 このようにならないために、教師は普通の保護者にも目を向けるようにしなければなりません。機会をとらえて、連絡帳や電話でコミュニケーションをとります。授業参観などでお会いしたときには、こちらから声をかけてみます。
 そのようなことを積み上げていくことで、潜在する不安や不満を見つけることもでき、学級をより安定したものにすることができます。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校教師。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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学級経営の急所とは何か、すぐれた教師と、ひどい教師とはどう違うのか

 すぐれた教師は子どもの力を伸ばす方法を知っている。欠点を直すのではなく、良いところを伸ばそうとする。
 人間とは不思議なもので「良いところ」を認められ、ほめられると、さらに努力する。心地よいものだから努力してしまう。良いところは、ほめられるとどんどん伸びていくのである。そして「良いところが伸びた結果」として、それまでの「欠点」も、少しずつなくなっていく。
 ところが、反対に「欠点を直すように言われる」と、気力が減じてしまう。欠点を言われるのは、いやなものである。努力をしてみたところで、せいぜい人並みになるだけである。欠点を言う教師を憎みさえする。せっかく「子どものため」と思って、教師が努力しているのに、逆の結果になってしまうことが多い。
 教師自身のことにしたって同じである。自分のクラスをすばらしいクラスにするのに一番いいのは、自分の得意な分野をまずやっていくことである。「良いもの」をとりあげると「良い結果」が出てくるようになる。また、他人がやってよかったことを試してみて、自分にとってよかったら、どんどんやっていくことである。
 私は将棋が好きだ。だから、クラスに将棋をとり入れてきたし、クラブも作ってきた。好きなことは苦にならない。また、私は小学生の時から百人一首をやってきた。したがって、百人一首もとり入れてきた。子どもに覚えさせ、競技もやってきた。
 「五色百人一首」は、一試合が三分でできる。すき間時間にできる。「テープ」に「読み方」を入れておけば、子どもだけで熱中する。しかも、百人一首を覚え、親・子どもからも感謝される。「みんながやってよかった」ものは、とりあげていくことが大切なのである。
 すぐれた教師と、ひどい教師の差とはなんだろうか。
 すぐれた教師は、教育の結果が悪い場合は、自分自身にほこ先を向ける。自分がいたらなかったからだと思い、自分の技量が未熟だったからだと思う。有田・野口両先生がそうである。そして、すぐれた結果に対しては、それを子どもの功にするか、だまって笑っている。
 ひどい教師はまるで逆である。子どものひどい姿に接すると、それを子どものせいにする。あるいは家庭のせいにする。ひどい教師に習えば、子どもは三日で反発し、ひねくれていく。それを前の担任のせいにする。
 荒れている中学校、そこに勤める多くの教師に共通するのは、その責任を家庭のせいにして、小学校の責任にする。駄目な中学の教師は、自分のひどい授業を棚にあげて「非行の芽は小学校にあった」などという。中学生から信望のある中学校の教師はいくらもいるが、そういう教師は決して責任を他に転嫁しない。
 学級経営の急所は「人間である教師が人間である子どもと、どのような絆をつくっていくか」ということなのである。
 人間と人間との絆をつくるのだから、相手を人間として認めるということが出発点となる。
 教師は「ぼくは先生なんか大嫌いだ」と憎らしく言う子どもをも、受け入れ包み込まなければならない。教師はいかなる状態のいかなる考え方の子も、丸ごとすべて暖かく包み込める心構えが必要である。内心嫌だと思っていることは相手にも伝わるのである。簡単ではないが、心の革命を必要とする。
 相手の人格を認めるなら、子どもを「君、さん」とつけ、よびすてにしないことである。人間の絆はこうしたところからつくられていく。
 絆をつくるのだから「会話」が必要になる。ニッコリ笑って「面白いマンガ教えて」ぐらいの会話ができればいい。むろん全員の子とするのである。ニッコリ笑って、子どもに話しかける。これだけで教室は明るくなっていく。
 子ども同士の関係も目配りが大切である。休み時間に誰と遊んでいたかを聞いていくと、一人ぼっちで残る子が出てくる。一人ぼっちの子は、教師が何とかしなければいけないのである。
 子ども同士の間にある「差別」を許さないことも大切だ。弱い子どもを陰険にいじめる子どもがいるものである。断じて許してはならない。教師が見のがしてはならないのである。見のがしていたら、学級づくりは失敗する。
 学級は、いっぱい人間が集まった集団である。人間と人間のつきあいの場、生きていく場なのである。だから、教師は「あたたかく」「公平」「誠実」「明るく」なければならない。あたたかく、公平で、誠実で、明るい人が中心になっている集団なら、うまくいくに決まっている。
 逆に、つめたかったり、不公平であったり、ごまかしたり、暗かったりする人が、集団の中心になっていたら「学校に行くのもいや」ということになるのである。学級の性格は、実は教師の個性の照り返しである。
 成功体験を子どもたちに与えることが大切である。
 子どもたちが授業で「成功体験」を実感することによって「勉強への意欲」をもつばかりではない「生きていく力」も獲得するのである。「どの子にも成功体験を与える」こと、「どの子もできるようにさせる」ことをぬきに、人権を語ることはできない。
 自分のクラスの一人ひとりの子どもに「成功体験を味わわせる授業」を「意図的・計画的」に組み立ててきただろうか? この責任は教師が負うべきなのだ。
 教師は子ども集団を統率できる統率力がなければならない。統率者は情熱と責任観を持ち、学ぶ者でなければ人のうえに立つことはできない。教師が謙虚に学ぶとき、子どもも、ついてくるのである。
 統率のためには、クラス全員が共有できる目標をつくらなければならない。まず教師がはっきりと心に描くことだ。それを、クラス全員のものにしなくてはならない。目標を映像としてとらえられるまで具体化する。
 目標を達成するための仕組みをつくらなければならない。楽しいクラスを目標とするクラスでは「集会係」「イベント係」などが大活躍することになるだろう。授業も、むろん楽しいものにする必要がある。
 そして、実際に子どもを動かすことが必要になる。教師はガキ大将のごとき能力が必要なのである。子どもを動かす原理はいくつかあるが、最も大切なことは「ほめる」ことである。ほめて、ほめて、ほめまくるのである。「努力」を認められ、ほめられるとき、人は動くのである。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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教師が保護者と話すときの心得と、個人面談や保護者会で批判や反発されたときどのようにすればよいか

 教師は子どもに向けて毎日話をしています。いつしか教師の口調を身につけ、自分が話し上手と思い込んでしまうこともあるようです。
 しかし、子ども相手の話し方には巧みになれても、大人を相手にした話し方はいささか不得意なのかと思います。
 教師の話し方に、どんな特徴があるかお気づきでしょうか。子ども相手に話しているので、ついつい話がくどくなっています。また、指示的で指導的な語調の多い話し方になりやすいのです。
 この調子で、大人を相手にして話をするとどうでしょうか。人によっては「学校の先生の話は、命令調だ」と不満感を抱く人も出てきます。教師にそんな思いがなくても、相手に誤解を与えてしまいます。
 保護者と話し合う場合は、社会人対社会人の話し方をしたいものです。ところが、教師のなかには、それならと、親しい間柄の話し方でとばかりに、くだけた言葉を用いると相手に「失礼な」と誤解を与えかねません。
 やはり教師は話し方のマナーを心得て、人と接することが大事なのです。教師が笑顔もみせず、命令調で話されると、保護者の側も緊張し、やがて不満に変わっていくのかと思います。
 やはり、保護者と話すときは、相手に対する敬意、社会人として接する態度、きちんとした話し方の三つを心にとめるようにしましょう。
 例えば、保護者会で、親の側から担任にあれこれと、意見や注文が出ることがあります。教師は、意見や注文を聞いたり、批判されることに不慣れなようです。
 子ども相手の毎日だから、ついつい“お山の大将”になってしまっているのかもしれません。話をじっと聞いたり、きつい話だと思っても笑顔で対応することに、慣れないままに過ごしてきたからでしょうか。
 相手の言い分に無理があるなら、わかりやすく説明したり、誤解しているならそれを解いたりする話し方もあるでしょう。
 反論の極意は「相手に言わせるだけ言わせ、それから筋立てした話し方で論破する」ことがよいと、聞いています。
 こうしたことを書くと「教師は何を言われても我慢しなければならないのか」と、不満顔になる教師がいます。事柄によっては、反論し説得しなければなりません。
 その際、言葉を選び、話し方に気を配ることは、知的職業人の教師として当然です。相手の言い分に間違いがあったとしたら「それは違っています」などと、いきなり言ってどうなりますか。
「おっしゃる気持ちはわからぬではないのですが、そのことについては・・・・・」と、切り返すこともできるでしょう。「なるほど、そうした見方もあるのですね」と、相手の言い分を一応は認めたようにして、反論していくことも可能でしょう。
 つまり、表現力は子どもだけに育むのではなく、教師自らが育てることが課題なのでしょう。教師と親を結ぶ糸は、一度切れてしまえば再び結ぶのは容易ではありません。だから、上手な聞き手になることが大事なのです。
 次の例として、個人面談で感情的に反発する保護者がいた場合は、どうすればよいでしょか。
 親であれば自分の子どもをよくしてほしいのです。ですから、どの親も大なり小なり不安や不満はあるのです。
 担任は最大40人の子どもの成長を見守っているわけです。ですから、一人ひとりの子どもたちの願いや保護者の期待に十分に対応するのは難しいことです。
 しかし、「40人の子どもたちのめんどうを見ているのですよ。一人ひとりの子どもに十分に対応できるはずがありません」と絶対に言ってはいけません。かえって反発をますだけです。
 保護者の話の中から、子どもへの願いや担任のいたらなさが保護者にどのように映っているか冷静に聴き取りましょう。いやな雰囲気ですが、考えかたを変えれば、担任を成長させてくれます。
 保護者が感情的になったといえ、保護者の話には「なるほどな」「そう、その通りだ」などと共感できることもあるはずです。「そうですね」とあいづちをうつ担任の誠実さは、必ず保護者に伝わるはずです。
「今度、もう一度話し合いませんか」「学校での子どもさんの様子も見てみませんか」と。保護者の話をうかがたったら、自分の考えを話すことも大切です。どこかに誤解やずれがあるかもしれませんから。
 学校と家庭の協力は、対等の関係で協力し手を結ぶものです。これまでは、学校や教師の言い分に保護者が従い、協力するものと思い込んできた傾向があります。
 今は、学校は教育サービスを提供する場だと考える必要があると思います。したがって指示的な話し方などは避けるようにします。
 教師は話し方や、話の聞き方など、保護者に対しては社会人として接し、それでいて気配りもできる。つまり、世間の常識を心得ている人になればよいと思います。
 教師は子どもを指導することが仕事ですから、その指導が確かなことが保護者から信頼される第一条件です。
 そして、保護者の意見に耳を傾けることのできる柔軟さも、教師には大事だと思います。意見の適否は後から考えればよいでしょう。保護者が発言すると、文句か批判としか受けとれないような、かたくなな教師の態度は、保護者との心の距離を広げてしまいます。
 教師は、人間関係づくりに巧みになってほしいし、それをおっくうがらないことです。ささいなことで、人間関係がつくられもするし、崩れもします。
 保護者の問い合わせに対する返事や連絡はすみやかに行うようにします。返事することを忘れたり、そのままにしたりすれば、誠実さが無いと思われます。大人同士のかかわりでは「忘れた」では済まされません。誠実さは、人間関係の土台です。
 言い訳、釈明、言い逃れはしない、爽やかさも必要なことです。詫びるときは詫び、主張することは、言葉を選びながらもきちんと話しましょう。大ふろしきを広げて「あれも、これも実践する」などと公言せず、できることから小出しに実践する慎重さも必要です。
 こうしたことは、教職員研修にも登場しません。それだけに、自分自身で心を配らなければと思えてくるのです。
(
飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県浦安市立小学校校長を経て、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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学級の雰囲気をこわさないで忘れ物をなくす方法とは

 忘れ物をした子どもがいると非常に困る。学習活動がそろわないばかりでなく、注意することにより、学級の雰囲気がそこなわれるからである。
 学級の雰囲気をこわさないで忘れ物をなくすにはどうすればよいか。私は次のようにしている。
(1)
忘れた子どもを起立させる。
(2)
忘れた理由を子どもに言わせる。
(3)
「明日から気をつけなさい」と毅然とした態度で子どもに注意して座らせる。
(4)
次の日も(1)(3)を行う。ただし、「明日もやります」と予告はしない。
 忘れた子どもを立たせて、理由を聞くだけである。そして「明日から気をつけなさい」と言うだけである。感情的な「お説教」も「文句」も言わない。
 この方法は、次のような効果をもつ。
(1)
忘れ物の減少に役立つ
(2)
学級の雰囲気をこわさないですむ
 忘れ物をした子どもに対しては、きちんと「指導」をしなくてはならない。しかし、感情的な「お説教」や「文句」は「指導」ではない。
 感情的な「お説教」や「文句」は、必ずといっていいほど学級の雰囲気をこわし、忘れ物の数は減らない。そればかりか、学級の人間関係もこわしかねない。
 忘れ物をした子どもは「○○を忘れた人、立なさい」と言われたその時に、「あっ、まずい」「しまった」と思っているのである。これで十分「反省するという指導」になっているのである。
 その後に、感情的な「お説教」や「文句」のダメ押しをしなくてもよいのである。また「明日もやりますよ」と予告する必要もない。教師が、毎日くりかえして行ううちに、予告の効果をもってくるのである。
 忘れ物をした子どもに「指導」が必要である。しかし、その「指導」には 感情的な「お説教」や「文句」も必要ないのである。いたずらに教師が高圧的になって、学級の雰囲気をこわさなくてもよいのである。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教頭) 

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保護者との関係づくりは「日常生活のちょっとした配慮」でつくる

(1)よいことがあれば親にすぐ電話する
 よいことがあれば、できるだけ早く直接伝えるようにする。そのときの状況がよくわかるように、具体的な場面の話をする。周りの子どもが認めたり、ほめてくれたことがあれば話の中に入れていく。つぎのような例がある。
 前年度、学級崩壊したクラスを担任した。Aくんという崩壊クラスの中心人物で職員室では知らない教師はいないという有名人がいた。私はドギマギして始業式を迎えた。
 しかし、Aくんは自分をかえようと決心していたようだ。教室から抜け出すことも、離席することさえなかった。その日の放課後、私はAくんのお母さんに電話をした。
「はじめまして、担任の○と申します。どうしてもお母さんにお話したいことがあって」と言うと、お母さんの声がこわばった。
「あの、Aがまた何かしたのでしょうか」このひと言で、学校から電話がかかると暗い気持ちになっていたのがうかがい知れた。
「いいえ、Aくんがとってもよくがんばっているので、お母さんとどうしてもお話がしたくなったのです」と言うと「そうですか」と少し明るい声になった。
 そこで、一学期が始まってからのAくんについての話をした。友だちとのトラブルがないこと。学習も積極的に取り組み、よくがんばっていること。お母さんは
「いいことで電話が来たことは初めてです」と言ってくれた。
(2)
問題があるときには連絡帳を使わない 
 連絡帳には書ききれない、伝えきれないと思うことには必ず、電話したほうがよい。無理して文章にしてしまうと「ここに書かれていることがわかりません」と親に言われ問題がこじれていく。いったんこじれると、どんなことを話しても、まず解決しない。
 また、内容によって返事を書きづらいものは、「ご連絡ありがとうございました。今から授業ですので、至急調べて、電話の返事をします。お許しください」と、返事しておくとよい。
 また、問題のある連絡帳をもらったら、必ずコピーを取り学年主任等に見せた方がよい。親が何を問題にしているのか、何が言いたいのかきちんとその問題についてつかめないうちに、あわてて返事をせず、まずは学年主任等に相談するとよい。
(3)
よくある苦情への連絡帳の返事は、教師の指導の事実を具体的に書くこと
 連絡帳で親が知りたいのは、親からの申し入れに対して、なんらかの行動を担任が、わが子のために行ってくれたのか、どうかである。要するに、わが子の困ったことに心を痛め、何か少しでも働きかけてくれたかである。
 例えば、親から「うちの子どもの消しゴムが何度もたせても、なくなるばかりです。どうか探していただけないでしょうか」という連絡帳をもらった。
 担任の返事は
「いつもお世話になっています。ご連絡ありがとうございました。消しゴムがなくなっていたのに気づかず、A子さんにかわいそうなことをしました。ごめんなさい」
「A子さんと話をすると『筆箱の中に入れておくのだけれど、なくなってしまったの』と言っていっていました」(本人が言ったことは正確に書く)
「その後、私も一緒に教室の落し物箱、Aさんの道具箱を捜しましたが、見あたりません。また、クラスのみんなに『Aさんの消しゴムを見つけたら、連絡くださいね。なくなったら、みんなだって悲しいものね。A子さんを助けてあげようね』と話しました」(担任の指導の事実は詳しく書く)
「私は授業の終わりには『机の上の鉛筆、消しゴムをしまいなさい』と声をかけているのですが、十分でなかったと反省しています」(担任の指導の反省)
「追伸、本日はA子さん、国語の授業中とってもよい意見を堂々と発表していました。ほめてあげてください」(本人のよい言動を伝える)
 すぐの返事はその日に書き、親から担任へのお願いの返事は、この程度に丁寧に一度書いておくと、親の方も安心する。
(4)
欠席したら即、電話連絡をする
 欠席はどのクラスでも日常よくあることだ。しかし、欠席したらチャンス到来。ふだん知らせたかったのに知らせることができなかった小さな「よいこと」を連絡するチャンスだ。
 欠席の理由を再度確かめ、現在の様子がどうであるか聞く。翌日の連絡をする、持ち物については詳しく。日々の様子で気づいたちょっとしたよいことを話す。
 また、電話連絡の場合は「即」連絡することも大切だ。わが子のことを心配してもらって、感謝こそすれど、怒る親はいない。早ければ早いほど、心配しているという気持ちが伝わる。
 ふだんから気になっている子どもが欠席したときもチャンスである。気になる行動について話ができるからだ。
 このとき大切なのは、学校でのよい行動を先に知らせる。気になるところをずばりと指摘しない。「そういう行動をとったお子さんの気持ちも、わかりますよ」というメッセージをそれとなく入れる。子どものことはお母さんのほうがよく知っているので、教えていただきたい。という姿勢を前面に出す。
(
大場寿子:1961年静岡県生まれ、東京都公立小学校校長)

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子どもの「けんか」の処理はどのようにすればよいか

 子どもの「けんか」は、毎日のように発生する。しかし「けんか」の処理は、けっこうむずかしいところがある。子どもの「けんか」から大人の「けんか」にまでなってしまうことがある。
 私は、けんかの処理はけっこう上手だと思う。ほとんどの場合、子どもは納得する。二十数年間、教師をやってきて、後をひいたのは一件だけである。
 子どもがけんかをした場合、まず、両者から事情を聞く。原則として、聞くのは一度だけである。ぐじゅぐじゅっと聞いているとトラブル可能性が大きい。けんかをした二人は、自分が正しいと思っている。「自分の正当性」を述べ「相手の非」をせめる。話を延々と聞いていては、こじれるばかりである。
 だから、聞くのは一度だけでいい。きちんと話させる。相手が途中でさいぎらないようにする。二人から聞いて、よくわからないときは、教師が質問する。「どちらが先に手を出したのか」などという、ポイントだけを質問する。
 時には、見ていた子どもたちに確かめるときもある。
 聞いたうえで裁定する。これは昔から決まっている。「けんか両成敗である。」しかし、5050の両成敗もあれば、7525の両成敗もある。
 例えば、7525の両成敗の場合である。私は話を聞いた後「よくわかりました。しかし、けんかは両成敗です。二人とも手を出しなさい」そして二人の手をピシャリとたたく。「ただ、最初に手を出したのはAが悪い。その点は、あやまりなさい!」こうすると、子どもは「ごめんなさい」と素直にあやまる。
 あやまらせるのを最初にすることもある。しかし、けんか両成敗は、必ずやる。
  例えば、やんちゃな子が、弱い女の子を泣かせたとき、955ぐらいで男の子が悪い。それでも、あやまらせた後「けんか両成敗」をする。これは、やられた女の子のためである。「あやまらせる」だけだと、男の子の胸にしこりが残ることがある。別の時に、その女の子を、もっと強くいじめることもある。教師のせいで、よけいいじめられるのである。
 しかし「けんか両成敗」で終わると、そんなことはない。しこりが残らないのである。けんかのとき、正義の味方で、片方をさばくだけが教師の仕事ではない。やられた子が、後々やられないようにしてやることも大切なのだ。
 「けんか両成敗」は昔から伝えられた言葉だが、けだし名言である。というわけで「けんか」一つおさめるにも、けっこう人間社会の裏文化が大切なのである。学級経営には、学級をきちんと組織して運営していく表文化と、かなりの影響を与える裏文化も大切である。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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クレームを適切に対処するには、クレーマーの特徴をよく知っておくことが大切である

 教師がクレームに適切に対処するには、クレーマーの特徴をよく知っておくことが大切です。クレーマーは、クレームの内容・方法・頻度等、クレームそのものと、訴える人物の2つの視点から分類できます。
1 溺愛型
 わが子かわいさゆえのクレームです。あまりにも自分の子どものことだけを考え、無理難題を押し通そうとする姿勢は問題です。
 このタイプの親に対しては、十分に耳を傾けて聴き、溺愛の弊害について具体的な場面で、機を見て助言するようにしたいものです。
 例えば「先日の運動会で、うちの子が1位だったのに2位にさせられた。校長に1位にするよう教育委員会から言ってください」と、いったタイプの親のクレームは、子どもかわいさゆえのものです。
 その点さえしっかり押さえておけば、問題がこじれることはほとんどありません。親心の受容に始まり、親心の受容に終わる。これがポイントです。
「お母さんの気持ち、よくわかりますよ。お子さんも悲しかったでしょうね」と、母親の気持ちを受け入れたうえで、子どもの気持ちに焦点を当てます。
教師「お母さんの要求で事態が変わったら、お子さんはどう感じるでしょうか?」
母親「もちろん喜びますよ」ときたら
教師「そのことで、まわりの子に迷惑がかかることを考えても喜ぶでしょうか。私には、お母さんがそういう子に育てているとは思えないのですが」と、二の矢を放ちます。
2 放任型
 ふだんは子どもへの関心が低く、あまりかまってやれない分、教師へのクレームを通して、その「埋め合わせ」をするかのように、子どもを守る保護者の役割を果そうとするのです。
 子どもを「ほったらかし」にしている親が、子どものことでクレームをつける場合は、親の子育てが、放任なのを責められそうになったとき。責められるのを避けるために、子どものことを真に思う親を演じるときが考えられます。
 いつもは放任されているのに、突然、愛情深い保護者のように振る舞われて、子どもは混乱するばかりです。
 そんな態度の保護者のクレームに対するには、教師の側にも強靭な精神力が求められます。  
3 欲求不満解消型
 保護者自身が抱えている不平・不満を学校にぶつけることで、欲求不満を解消しようするタイプです。このような人にとって学校は格好の対象となります。クレームの内容はそう重いものではありませんが、教師のろうばいや学校の混乱を目のあたりにすると、攻撃型に転じる可能性は否定できません。
4 攻撃(愉快犯)
 クレームに戸惑う教師や学校を見て満足感を得ます。学校や教師に対して明らかな敵がい心や嫌悪感をもっていることが多い。
 教師や学校に不安感を与えて楽しむというところから、保護者の「心の問題」も疑われます。
5 利益追求型
 クレームをつけることで、金品の要求を突きつけることがあります。直接的な要求は脅迫や恐喝に当たるので、手を替え品を換え、巧妙に金品の提供を迫ります。
 学校事故で子どもがケガをしたり、教師の不用意な発言や不適切な指導のため、子どもが不登校になった場合などに起こりがちです。
 学校のミスに関しては、誠意をもって対応しなければならないのは当然ですが、これ幸いとばかり過剰なクレームに対しては毅然とした姿勢が求められます。
6 理解不能(混乱)
 クレーム内容が突然変わったりするなど、混乱が見られるタイプです。クレームが終わるまでに多くの時間と人間が費やされます。
 このタイプの保護者は、多くの人間を巻き込む術にたけているうえ、心理的に不安定な状態に置かれているなどの問題がからんでいます。
 大勢の人を使って要求を通そうとする。一つの要求をのむと、もっと高い別の要求をしてくる。感情の起伏が激しく、まわりの者が巻き込まれていく。感情を逆なでにすると非常に攻撃的になる。といった例があり、教師を精神的に追いつめることがまれにあります。
7 敏感・依存型
 何かひと言いわずには気がすまない人で、チャイムの音や庭木の落ち葉などに敏感に反応し、学校に不平・不満をもち込みます。クレームが学校と人間関係を結ぶ役割を果たします。
 ささいな出来事を大げさに訴え、たびたび学校を訪れたりします。学校にとって貴重な情報を提供してくれることが多いので軽視するわけにはいきません。
 ただ、少々度が過ぎる振る舞いが目立つようになると、教師がへきえきする場面が増えていきます。
8 善意の問題指摘型
 登下校の子どもの迷惑行為、教職員の不適切な指導、施設・設備の問題など善処を求めるタイプです。不登校の子どもをもつ保護者が学級だよりの配布を求めたりするなど、保護者として当然の「要望」で、これをクレームに入れることさえはばかられます。
 学校や教師が気づかなかった問題点を指摘してくれるわけですから、学校にとっては「厳しくも温かな、ありがたい存在」です。教師に、保護者の思いをきちんと受け止める力があれば、クレーマーとは映りません。
 ただし、教師の力量が乏しいと、当たり前な要求を不当な苦情と受けとめてしまうことがあります。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学教授)

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初期対応につまずくと後々まで影響する、大切な理由と失敗しないためにはどうすればよいか

 「初めよければ終わりよし」といいます。初期対応のつまずきは後々まで影響します。
素早い「初期対応」が何よりも大切です。
その理由は次の4点にあります。
(1)
初期対応が効を奏すれば、二次的問題の発生を阻止し、問題の拡大を防ぐことができるからです。逆に、初期対応に失敗すると、その処理に多大なエネルギーを注がなければならなくなります。
(2)
初期対応はそのあとの対応を方向づける重要な段階です。初期対応が危機管理全体の成否を左右するのです。
(3)
問題の渦中にある子どもの「心のケア」を成功させるポイントは、即時対応・早期解決にあるということです。即座に対応すれば小さく収まるということです。
(4)
初期対応で、「素早く対応してくれた」「一生懸命にやってくれた」という評価は、そのあとの「小さな失策」を寛大な目で見てもらえることにつながります。
 日々の教育活動を進めていくなか、多くの危機場面に遭遇します。初期対応をつまずかないようにするにはどうすればよいのでしょうか?
 そのつど「さて、どうしよう?」と首を傾げているわけにはいきません。自ら判断し、即座に対応しなければならない場面は数多くあります。「今すぐ、何をすべきか」に悩んだときに、その答えが詰まった救急箱を各教師が持っていなければなりません。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学教授)

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苦しいときこそ「笑いのある場」に身を置けたら救われる

 苦しいときこそ笑いましょう。意識的にわらうことが大切です。私は新聞記者として日々事件を追っていたが、なぜ「笑い」に魅せられたのか。明石屋さんまといった大阪の芸人さんを取材して、笑いに興味をもったのがきっかけです。
 面白いことを積極的に見つけ「多く笑う」ことが、今の世の中で最も強く求められていることではないか、と私は思います。
 東日本大震災で家を流失して避難所生活を送っている婦人がいました。仲間とともに食事を作っているときに、誰かが冗談を言うと、そのつど笑いがおき、笑うことでみんなが支え合っていたと後に彼女は語っています。
 避難所生活には、希望を取り戻そうとする人々の結束があります。同じ哀しみを抱く人々が寄り添う場があります。この場は被災者に限らず、すべての人が欲しているものだと思います。不安と孤独を抱えながら生きる人が「笑いの共同体」に身を置けたら、どれだけ救われるかわかりません。
 ここでの笑いに求められるのは、話術ではなく、まして毒舌や皮肉でもなく「やさしさ」です。「やさしさ」には強さも必要です。人を元気にしたいなら、自分の中にもパワーがなくてはなりません。そこで、「自分で自分を笑わせる」ことも、重要になってきます。
 「相手を笑顔にしよう」という思いやりに基づく、たわいのない冗談。これなら芸人なみの技術などなくとも、みんなにできるでしょう。
 それには、どうすればいいでしょうか。答えは簡単です。「笑顔をつくり、笑い声を立てる」だけでいいのです。笑顔をつくると、表情筋の変化を感知した脳は「面白いと感じている」と認識します。笑い声を立てると、同じく脳が「楽しいのだ」と思い込み、幸せな気分になれるのです。
 この笑いのトレーニングは、お風呂で、笑顔をつくって「ワハハハ」と五回、言ってみてください。言い終わったとき、確実に気持ちが明るくなっていることを感じるはずです。
 コミュニケーションに笑いを増やすには、ネタが必要です。相手を笑顔にできるような話題を、数多く仕入れておきたいところです。「ネタなんて見つけられない」などという心配はご無用。日常のあらゆるところに、笑いのモトは転がっているものです。
 例えば、先日、私がバスの中で聞いた女子高生たちの会話。「『煮炊きもの』ってなに?」「ニタキモノ? 知らない」「どこで売ってるんだろ」・・・・・笑いをこらえるのに苦労しました。
 劇作家の中島らもは、これを「笑いの天使」と表現していました。呼んでもいないのに笑いの天使が降ってくると語っていました。私たちの周りにも、必ず笑いの天使がいて、そっと目の前に立っているはずです。
 天使と目が合ったら、ぜひ笑ってください。そして、誰かにその話を伝えましょう。そうして人から人へと広がる笑いは、この世界をきっと、明るく照らすでしょう。
(
近藤勝重:1945年愛媛県生まれ、毎日新聞社特任編集委員)

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長い教員生活では教師を辞めようかと迷うことがある、その危機に直面したときどうしたか

 子どもや子育て・教育の状況が大きく変わってきているだけに、多かれ少なかれ、ほとんどの教師は子どもの指導に困難を抱えています。教師の苦悩は、教育という仕事に誠実にとりくもうとしている証でもあります。
 教師もまた、間違いや失敗をしながら、成長していくものです。ときには実践上の壁にぶつかり、自信を失うこともあります。長い教員生活のなかには、続けようか辞めようか迷うことも一度や二度はあるかと思います。私自身もそんな危機に、二回直面しました。
 一回目は遠足で子どもが転落事故に遭遇したときでした。万一子どもの生命が途絶えるようなことがあれば、そのときは教師を辞めようと決意していました。20日間ほど昏睡状態が続きましたが、医師の努力と、なんとか回復してほしいという両親および周囲の方々の願い、そしてなによりも生きようとする本人の生命力で、奇跡的に意識を回復したのでした。
 普通に生活できるようになったとはいえ、重大な事故に子どもを出合わせてしまった道義上の責任は、消えるものではありません。
 校長先生、教頭先生には事故当日から献身的に対応していただきました。職場の教職員は遠いのにもかかわらず、毎日誰かが病院へお見舞いに来てくださるなど、さまざまな形で支えてくださったのです。そのお陰で、私は教師を続ける気持ちになりました。
 二回目の危機は、「いじめ」あり「暴力」ありの「荒れ」た6年生の学級を担任したときでした。暴力を振るう子がいて、立ち歩きはふつうに起き、おしゃべりで授業が成立しなくなるのです。
 ひとりがしゃべりだすと、子どもたちはつぎつぎ話しだすのです。「いま授業中だから、おしゃべりをやめてください」などと言っても、まったく通用しない状況でした。
 苦しみのあまり、「いくら担任希望者がいなかったとはいえ、自分がもつのではなかった」と、日増しに後悔の気持ちがつのるばかりでした。
 担任した当初から見る夢は、このクラスの卒業式のことでした。司会の教頭先生が「卒業生入場」と言っても、誰も入場してこないのです。そこで、ハッと目が覚めるのです。
 授業中、子どものおしゃべりで授業ができなくなると、胸がきゅーんと締めつけられ、息苦しくなってしまうのです。こんな状態が何度も続けば、教室で倒れてしまうのではないかと不安がよぎります。
 そんな日々が続いていたある日のことです。進んで担任を引き受けたわけではないのだから、もうこれ以上やりきれないというときには、早めに病院で診察を受け、精神的な疾患ということで入院すればいいんだと考えた。
 そうなると、当然、保護者の皆さんも心配されるだろうし、長引けば、さまざまな噂も広まるだろう。来年度あたらしい学年を担任したとしても、やりにくくなるはずだ。そうなれば異動し、またあらたな気持ちで取り組めばいい、と思ったのです。
 要するに、肩の力を抜いてみようと。こう考えたら、気持ちがグーンと楽になったのです。このことがきっかけで、子どもとも少し余裕をもって対応できるようになりました。
 私は、本格的な指導をする具体的な場面を持ちました。指導には、具体的な場面が必要だからです。新学期が始まって1週間ほど過ぎた4月13日のことです。給食当番の子が、給食をくばっている最中でした。まだ「いただきます」もしていないのに、ボス的な存在の子が、急に食べ始めたのです。
 私は「これは許せない」という思いから、教室中に響きわたるような、かなり厳しい口調で、「ちょっと、待てー。一体こういうことが許されていいのか」と言って、語り始めました。
 子どもたちも、私の声と真剣な表情に驚いたようでした。それまでは、勝手にしゃべっていたり、手いじりたり、後ろを向いたりしている子たちもいましたが、さすがに全員の子が、微動だにしないで、黙って真剣な表情で聞いていました。もちろんふてくされた態度も全くみられませんでした。
 
「いただきますもしないうちに、勝手に食べ始める。何もしていないのに、いじめたり、蹴ったりする。『死ね、バカ』などと、人を傷つける言葉を平気でいう。大事なものをどんどん破壊する。授業中でも立ち歩く」
 
「これでどうして学級といえるだろうか。人間は、単なる群れではないぞ。集団だぞ。一定の規律があるだろう。そこが、他の動物とちがうところだ。しかし、このメチャクチャな状態は、群れとあまり変わらないじゃないか」
 
「まわりの人だって、全く責任がないわけじゃないぞ。いじめられている人がいても、注意する人がいない。それだけでなく、こわいからといって、ほんとうは嫌なんだけど、ペコペコしながら『強いもの』についていく。それでほんとうの友だちと言えるだろうか」
 
「今日の、今の、この瞬間から、先生は、一切の『暴力』『いじめ』『人を傷つける悪口』『自分自身をダメにする自分勝手』を絶対に許さない。このようなことが完全になくなり、誰もが安心して楽しく生活・学習できる学級にするため、あらゆる努力をする。・・・・・」
 私の語りが、いくらか子どもたちの子どもの中に浸透した様子でした。
 私は、とにかく勉強は面白くなければならないし、ああ楽しかったというところがなければだめだと考えていた。授業は「できる、わかるだけでなく、楽しい」ということが実感できるような内容にしていかないと、学びから逃走してしまう子を授業の中に入れることはなかなかできない。 
 
「いじめ」「暴力」克服のとりくみをしたこともあり、二ヵ月ほどで子どもたちは静かに、しかも意欲的に学習するようになっていったのです。後に、このクラスの卒業生が学級崩壊がなくなったことについて、つぎのように述べている。
 
「僕たちが暴れたり、動き回ったりしていたのに、どうして変わったのか。それは授業で先生は僕たちに、わからせるとか、できるようにする前に、楽しくさせてくれたから僕たちは変わった」と。
 数ヵ月の期間で、こんなにクラスが変わっていくなどとは、私自身まったく想像もできないことでした。「荒れ」ている学級ほど変革のエネルギーに満ちているということも、実感することができました。
 学校行事などの都合で、歴史などの授業ができなくなると、「どうしてきょう歴史がないのですか? きょうできなければ、あした必ずやってください」と「抗議」にくる子たちがいるほどなのです。
 一見、学ぶ意欲にまったく欠けているとしか感じられなかった子たちが、深い学びに飢えていることを知ったことも驚きでした。
 「学びからの逃走」という事態が進行していることは事実ですが、子どもたちが拒否しているのは、学び一般ではなく、意味もわからずただ機械的に覚えるような「勉強」です。
 ものごとの関連や人間が見えてくる本質的な学習には、むしろ飢えています。ここに、教育の可能性があるように思います。
 子どもの声を聴きとろうとする教師、対話と共感をだいじにする教師、子どもから学んでいこうとする教師であれば、この困難な時代でも教育という仕事を豊かにしていくことができます。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)

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クレームをつけてくる親にどう対応すればよいか、対立した際に解決するポイントは?

 どうしても、学校に不満やクレームをつけてくる保護者に対しては「なんだ、あの親は」という目で見てしまい、自らをふり返る余裕がなくなる。
 冷静に原因について振りかえってみたい。クレームの内容に目を向けるのは当然だが、保護者のなかには、わが子のことでやり場のない辛さのはけ口として学校にクレームをつけてくる場合がある。その背景について考えることも大切である。
 クレームには、誠実に対応することが原則だ。そのためには、まず「しっかりと保護者の考えや意見を聴く」姿勢が大切である。そのときのポイントは、保護者の話を共感的に聴けるかどうかである。保護者の切なる思いを感じ取ることができるか、ということであろう。
 保護者がなぜそういうことを言うのかがわからないうちは、教師の考えや意見を言わないほうがいい。そうしなければ、保護者と教師の考えに「ずれ」ができたまま話し合いが進行することになり、時間をかけても話し合いの意味がなくなってしまう。
 保護者が安心する教師は、やはり「プロ」の教師ということになる。どの保護者に対しても専門性をもって的確な指導をする教師には、保護者がむやみにクレームをつけてくることはない。
プロ意識を持った教師とは、
(1)
専門的な知識や指導の技術を持った教師。
(2)
安心して接することのできる人格をもった、豊かな感性を培った教師。
(3)
子どもの発達の可能性をひらく教育を推進する教師。
 次に大切なことは、子どもや学校の問題について、教師が保護者と共に解決していこうとする姿勢を見せることである。クレームをつける保護者も、主体的に問題の解決に参加できる条件を整えれば、無責任にクレームを言ってくることができなくなる。
 保護者の立場になれば、学校から一方的に否定されているという感覚ではなくなり、肯定されたり評価されることになり、「自分の考えや行動は認められているのだ」という安心感につながる。意欲的に協力したり、後押しをしてくるはずだ。
 私が保護者との対応で心がけていることがある。クレームは他の保護者も同じような考えや意見を持っている人がたくさんいるだろうと考え、少しばかり感謝の念をもって迎える。
 実際に話し合いに入ったとき、保護者の考え方とは違っていてもすぐには私の考えは言わない。必ず「○○だと考えておられるのですね」と言うことにしている。これは、保護者の考えを受けとめたこと、保護者が自分で言ったことの真意を確認させる意図がある。
 このような対応で、たいていの保護者は自分の考えは受け入れられているという安心感をもつ。
 次にクレームの解決である。「私もそのことについては大切なことだと思っているので、一緒に解決していけるようにご協力ください」と返す。
 また、自分の考えを言うときも「私は△△だと考えて指導してきたのですが、これについてはどうお考えになりますか?」と、必ず保護者に穏やかに問い返すことにしている。
 最も注意しなければならないのは、「学校の方針」によって生まれる保護者との対立である。本来、学校は「学校のために」あるのではなく「子どものために」ある。子どもの実態があり、その子どもたちをどう伸ばしていくかに力を注がなければならない。
 問題があるときには、素直にその問題に目を向け解決していく、謙虚な姿勢が必要だと私は思っている。
 しかし、学校では、子どもの中には何人かは不満を持っていたり、教師についていけない子どもがいるものだ。そんな子どもの親が学校に不満を持ちクレームをつけてくる。
 学校と保護者が対立した際、解決に向かうための考え方のポイントは
(1)
対立してもよい結果は生まれない
 保護者と対立しても問題がプラスの方向にいくことはほとんどない。教師は保護者の考えなどを包み込む大きさ、専門職としての意識や気持ちの大きさで対応することが大切だろう。
(2)
「子どもの育成」に焦点を当てれば、共通点が見いだせる
 一般論を言っていると焦点の定まらない対立がおきることがある。目の前のこの子が今どんな問題を持ち、どう解決していけばより成長し向上するか、ということに焦点を当て冷静で思いやりのある態度で接していけば、協力関係が築けるものと思う。
(3)
対立するのは「目的」ではなく「方法」が多い
 方法は100人いれば100通りのものがある。最終的には、責任をもってやらなければことを「学校」、「家庭」、「両方が協力して」やらなければならないことをきちんと話し合うことが大切である。
(4)
言いたいことだけを言い、耳を傾けない保護者には、根気強く、ねばり強く言い分を聴き、学校の考え方を伝えていくしかない。その際も、子どものよい点をしっかと伝えることで協力する姿勢を引き出したい。
(
深山 寛:元千葉県公立中学校校長)

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授業で教師と子どもの関係づくりをどうすればできるか

 やる気がある子どもが集まってくる部活動とは異なり、授業はさまざま子どもがいる。興味・関心、知識量、理解力など異なる子どもが同席する。教師は一人ひとりの子どもを生かせる授業を展開していかなければならない。
 一人ひとりの子どもを生かす授業とは、言いかえるなら、一人ひとりの子どもが「うれしい」と感じる時間をすごすという意味である。そのために教師は何ができるだろうか。
(1)
子どもにとって「うれしい」授業とは
 伝統的な一斉授業から脱却し、授業で扱う教材や授業形態などを工夫した授業を展開することが、今、教師に求められている。
 また、一人ひとりの子どもへの「言葉かけ」をどれだけ意識的に行っていくかが、授業という勝負の場ではとても大切なものとなる。一人ひとりの子どもの心情や課題を教師が正確にとらえ、教師の真摯な思いを子どもに言葉で伝えていくようにする。
 教師のメッセージが子どもの心に届いたとき、子どもは「うれしい」と感じ、がんばろう、挑戦しようという前向きな心情を引き起こす。教師は子どもへの真摯な願いや思いを持って、子どもにとって「うれしい」言葉かけのできるスキルを身につけたい。
(2)
授業を始める前の言葉かけ
 授業の始め、教室に入ると私はまず「おはよう」「こんにちは」と大きく明るい声であいさつすることを心がけている。子どもが返事しようがしまいがかまわずに続けている。
 ある年、とても荒れた学年で校内巡視して子どもを追いかけ回していた。学年末に自由記述のアンケートをとった。私のことを多くの子どもが「先生がいつも変わらず明るく教室に入ってきてあいさつをしてくれた。内心ほんとうにほっと安心した気持ちになれた」という感想を書いてくれた。
 これに励まされて、ここから私は意識的して「言葉かけ」が始まったのである。教室をぐるっと見回して、気になる子どもに「どうした、気分でも悪いか」「何か嫌なことでもあったか」「どうした今日は荒れているなあ」と心配の気持ちを言葉や表情に表し声をかける。
 次に、必ず一人ひとりの顔を見ながら点呼を行う。その際、いつもと違うような子には「元気がないようだね、どうかしたか」「なにかよいことでもあったかな」と声をかける。
 そして、絶対に忘れてはいけないのは、欠席している子どもの名前も呼び「Aくんは欠席か。風邪かな、気の毒だな」とひと言添える。長期欠席している子の名前を呼び「Bくんはどうしているかな」とつぶやきでもいいから何か言うことが大切だと思う。
 こうした「欠席者への言葉かけ」は言い換えるなら、出席している子どもに「自分もいなければ、こうして気にとめてくれるのだな」「自分も大切にされているのだな」というメッセージを送ることになるからである。人を勇気づけるものである。
(3)
授業中の言葉かけ 
 子どもが挙手して発言をすることは、教師にとって授業を活気づけてくれるありがたい行為である。だから、そういった私の気持ちを子どもに伝えるために、必ず答えてくれた子には最初に「ありがとう」と感謝を言葉で表す。
 私のねらいにあった答えをした子には「お、きみはズバリ僕の答えてほしいことを言ってくれた」、求めているものと違った場合は「なるほど、そういう視点もあるか。うん、ちょっと考えさせられるな」といった類の言葉をその場の状況に応じて意識的に返すことにしている。
 私は「質問」を大歓迎している。どんな質問にもていねいに対応し「きみが質問してくれたおかげで、このクラスは得をしたよな」といった言葉を送る。
(4)
テスト返却時の言葉かけ
 子どもたちから私が毎年いい評価をもらう内容にテスト返却の仕方がある。定期考査の返却に一校時を費やして、子ども一人ずつ呼び、時間をかけて話し合う。順番を待つ間は課題を与えておく。
 得点の上がった子にはがんばりをたたえ、どういう点が伸びにつながったのか確認しあう。成績の伸び悩んでいる子には、具体的な学習時間と学習法を聞き、次への具体的なアドバイスをする。得点の下がった子には、私の「心配」を伝え、思いあたる原因はないかを言わせる。原因がはっきりしている子には「それだけ自己分析できるということは大丈夫だ。いまそれがわかっただけ得をしたんだ。次から失敗が生かせる」と伝える。
(5)
教師の「思い」を子どもたちに伝えることを積み重ねる
 これらの「言葉かけ」に流れている私の信念には、いかなる発言にも「意味がある」「生かすことができる」、いかなる質問にもむだなものはないというものが流れている。
 このことは、子どもに「自分の発言や質問を大切にしてくれる」という勇気を与え、ひいては「自分は大切にされている」「認められている」という子どもの思いにつながっている。
 ただし、「言葉かけ」と教師の本心が一致していることが重要である。子どもの発言を「くだらない」と感じているにもかかわらずほめることは、迎合していることになる。これはただちに子どもに見破られる。そして、あっという間に発言の乏しい授業となるはめになる。
 教師にもそれぞれのキャラクターや持ち味がある。自分が無理しない伝え方を、めんどうがらずに伝えていく積み重ねが重要なのではないかと思う。子どもへの思いや願いをどれだけもっているかが最終的に伝わるようである。
(
川崎知己:東京都公立中学校教師、三鷹市教育委員会指導課長を経て東京都公立中学校校長)

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基礎学力をつけると子どもが落ち着き問題行動も減る、基礎学力づくりを実践した学校の方法とは

 兵庫県の山口小学校()の実践はNHKの番組で全国に伝えられると、大きな反響がありました。読み書き計算の徹底反復の実践だけをやっていたわけではありません。基礎学力を生かして、仲間づくりや体づくり、生活習慣づくりなどと組み合わせながら、全人格的な発達をめざして実践しました。
 「学校で学ぶことが楽しい」と思える学校をめざしました。子どもたちには笑顔があります。学校と家庭が協力しあった生活習慣づくりで基礎学力が育てられてきたのです。
 子どもたちに基礎学力がないと、課題をお互いに発表しても理解できないのです。それで私たちは基礎学力が大事だということを感じるようになりました。実践が進み子どもたちに基礎学力がついてくると、子どもたちは落ち着いてきました。問題行動で教師が悩まされることはありません。しっかり学習させているにもかかわらず、八割の子どもたちは学校が楽しいと答えています。保護者も95%が山口小学校に満足していると答えています。また卒業生の中から難関と言われる国公立大学に続々と合格したのです。
 読み書き計算の学習は、子どもにとってしんどいものです。しかし、友だちが励まし合う学校では、一緒に学んでいるという共同意識に支えられ、つらいハードルも乗り越えられます。苦しい学習も喜びに変っていきます。そして成長が自覚されることによって自信もわいてきます。競争がゲーム、楽しさとなり、真のライバルは昨日までの自分なのです。
 すべての教科の学習には、必ず読み書き計算の能力が必要となります。つきつめると言葉と数です。豊富な言語と、数の処理が速く正確であることが学力の土台なのです。学習能力は、見聞きすることを理解する能力です。体得すると、授業がわかって面白くなります。だから、学習能力が伸びてくると、子どもも教師も授業が楽しくなってくるのです。そうすると子どもたちの学習能力が加速度的に高まっていきます。
山口小学校の実践を紹介すると
1音読・暗唱
 音読でつまずいているようだと、満足な読解はできません。育てるには毎日の音読練習が有効です。音読が上手になるコツは、少しずつ全員の音読を毎日聞いてあげることです。3行ほど読ませ、よくなるポイントを助言することが大切です。
 国語の表現読みなどの音読をさせるとき、効率よく上達させるには、教師が手本を示すことです。もうひとつ重要なのは、評価をきちんとすることです。私の場合は5段階評価を行って、何をどうがんばればいいかを確実に伝えるようにしました。音読カードを用意し宿題に出します。
 同じ文章を一か月くらい音読させると子どもたちは暗唱してしまいます。小学生は格別の記憶力がある時期です。言語の学習には暗唱が最も効果的です。
 どんな教科も音読させることが重要です。社会や理科、算数などでも音読させ、すらすら読めるようにすることが大切です。算数の文章題などを理解するためには、論理的な思考が必要となります。私たち大人が社会で読むのは論理的な思考を必要とする説明文が多いのです。そのためには、読みこなす力をつけておかなければなりません。
 読むということは認識そのものですから、とにかくたくさん読ませることが認識訓練になります。
2 読書指導
 読書指導は、朝の10分間読書と「お話を聞く会」があります。頭の新鮮な朝に、短時間集中的に読書をするのは効果があります。
 「お話を聞く会」は全校一斉の読み聞かせの会で、学期に一回です。あらかじめ教師は読み聞かせする本を決めます。子どもたちは聞きたい本を選びます。その人気の度合いに応じて大小の部屋が決められます。本番の時、子どもたちは聞きたい本の部屋に行って、どの先生が本を読むか初めて知ります。
 ふだん触れ合わない先生が読み聞かせしてくれたり、いろいろな学年の子が集まるのでいっそう楽しくなります。いろいろな人間とふれあうことによって、子どもたちが閉塞感を持たないようにし、学校の中の空気を循環させることは非常に大切だと考えます。
3 読解指導
 読解の指導は「一人調べ」と、その読解を比べ合わせる「全体学習」の二段階に分かれます。読解力は一人調べと発表をくり返せば深まります。
 「一人調べ」は、物語の登場人物の心情を表すことばなどを見つけて、自分なりの解釈を書く学習です。それぞれの段階でつまずいている子の指導ができます。そのやり方はほかの教科へも応用できます。将来、世の中を理解していくためにも確実に役立ちます。
 私は子どもたちに「ノートを見てごらん。ノートに書かれていることが、キミの頭の中だよ」と、よく言います。ことばなどを映像的にとらえて頭の中に整理されれば、理解はより深く正確になるものです。
 理解した内容のなかで、何か必要で何が必要でないかを考えて、一つの中心的なことを軸に関連づけて、再構築していけば、わりに簡単に頭の中が整理できます。
 「全体学習」は、子どもたちに読解の内容を発表してもらい、確かな読解や多様な読解ができるようにします。人の発表を聞く構えが子どもたちにないと話しにくいし、発表がへたな場合、聞きにくいものです。聞く・話す技術が必要になります。朝の会のスピーチや発表活動などを多く作って、意識的に訓練する必要があるでしょう。
4 書く力を育てる
 今の子どもたちは、漢字を書くことを極端に苦手にしています。ですから、書きながら覚える「読み書き同時習得」が重要になります。漢字は読み書き同時習得で、初めて学力になります。
 熟語は一見するだけで、その意味を理解することができます。山口小学校では、熟語から漢字の意味を知るというやり方のほうが、子どもたちにとって理解しやすいということがわかったのです。それで、新出漢字の復習のときは、熟語をすべてピックアップして、連想ゲーム式に覚えます。加速度的に漢字を覚えることができます。
 方法プリントの左に新出漢字、中に熟語の読み、右に熟語を書きます。漢和辞典を引き、熟語の意味を確かめます。書けなかった熟語は、次の日練習させます。最初は学校で指導し、慣れれば宿題にします。1日に10程度の漢字の熟語を2日で覚えることができるようになってきます。
 漢字は要素ごとに分け、まとめて覚えると覚えやすくなります。
漢字の習得率を上げるため、
(1)
毎日必ず漢字の練習時間を作り、間違いの多かった漢字ばかりをプリントにまとめて、全部習得できるまで指導する。
(2)
新出漢字の学習は教科書の進度とは別に指導する。短期間に覚え、復習に時間をとり、11月中に終了する。
(3)
三学期は漢字学習の復習期間とする。
(4)
年度末に、全校一斉に「漢字力試し」(各学年熟語20)を実施し、習得率の確認をすると同時に、次年度の指導の参考とする。
(5)
習得率の悪い漢字をピックアップすることで、効率的な習得率の向上を図る。
5 計算力
 計算力は算数のかなめです。計算力の土台は、一桁のたし算、ひき算、かけ算です。分数や少数、わり算は、それらの組み合わせでしかありません。土台をしっかり築くと以降の学習のつまずきを防ぐことができます。そこで、簡単にきたえられるように考案された教材が「百ます計算」(岸本裕史考案)です。
 百ます計算は縦と横に10個ずつ、百個のますを作り、たし算やひき算、かけ算やわり算を行い、時間を計ります。中学年以上では2分以内でできると算数の計算が支障なくでき、3分になるとつまずきが目立ちます。それで2分以内を目標にします。大切なのは毎日少しずつやることによって、記録が伸びることが励みになり、自分の成長に喜びと自信を持てるようになることです。全学年で、算数の授業の最初の10分間やって計算力をつけています。
 最初いやがる子どももいるかもしれませんが、どんどん自分の記録がよくなりますから、多くの子どもたちは百ます計算を喜んでやります。大切なのは毎日少しずつやって、毎日記録を取ることです。記録が伸びることが励みとなり、子どもたちは自分の成長に喜びと自信を持てるようになります。学校ぐるみで見守り、フォローすることで初めて生きた成果が得られるのです。
6 運動
 年間を通じて体育にもたいへん力を入れています。朝のジョギングや縄跳びなどをして、体が活性化した状態で学習に入れるようにしています。5月の運動会、6月の鉄棒発表会、夏の水泳、11月のマット運動会、冬のマラソンなど、知育を伸ばすためにも体育は欠かせないと考えているからです。
7 家庭と連携し生活習慣を改善する
 知育と体育の健全な発達を支えるものは生活習慣です。子どもたちの学力が伸びるためには、全力で学習するための集中力と忍耐力が必要です。生活習慣が乱れてくると、子どもたちは落ち着きを欠いたり、集中力がなくなり、キレたり、荒れも増えます。
 生活の乱れをなくすためには、学校と家庭は常に密接な連携を保っていなければなりません。私は生活習慣の乱れを直すことが、学力づくりの条件と考え、保護者にアンケートを実施しました。食生活や生活習慣についての授業を授業参観に合わせて全校で実施しました。
 朝食をしっかり食べると子どもの精神の安定のためによいことがわかってきました。各家庭には、米飯の朝食を推奨したり、睡眠時間の確保とテレビの視聴時間の短縮をお願いしました。
 生活習慣点検を毎日、音読指導とあわせて行うことで、家庭との連携も進みました。
 PTAの講演会では生活リズムの研究者や医者を招き、みんなで学習しました。こうして、子どもの学習を支える体と健康作りが進むことで、子どもたちの集中力と忍耐力がつちかわれていくのです。
6 宿題
 宿題をしっかり出すようにしています。宿題は主に市販のプリントでだします。ドリルも使います。だいたい「学年」×15分~20分です。宿題の学習時間はそれほど多くはありません。なぜかというと、どの学年でも宿題を出しますから、家庭での学習習慣が早くから確立していること、学校の学習で得られた集中力が家庭でも発揮されるからです。
 学校での学習と家庭学習が相互的に働きあうことで、自分の学力がしっかりしたものになるということを、子どもたちはよくわかっているのです。ですから、宿題をしない子どもが少ないのです。
(
)
陰山英男は兵庫県朝来町立山口小学校教諭時代に、独自のプログラムに基づいた「読み書き計算」の徹底反復練習と家庭生活の改善で子どもたちの学力を驚異的に伸ばす。その指導法は「陰山メソッド」として教育者、保護者から注目を集めた。
(
陰山英男:1958年兵庫県生まれ、兵庫県公立小学校教師、広島県尾道市立小学校長(公募)、立命館小学校副校長、国の教育再生会議委員、大阪府教育委員長を経て立命館大学教授、日本教育再興連盟代表理事、徹底反復研究会代表。兵庫県の朝来市立山口小学校で保護者を巻き込んで、基礎学力向上のための岸本裕史が提唱した百ます計算や日常の生活を見直すチェックシートの活用などで成果を上げた)

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学級の荒れを防ぎ、子どもたちが教師の話を聞くようになるにはどうすればよいか

 学級が荒れるのは「日常のていねいさが、はがれおちている」ことが原因である。例えば「教室のごみを拾わない」「日直の仕事をしない」「あいさつをしない」などの、「いい加減さ」の頻発が学級の荒れである。
 「ていねいさ」は人への優しさであり、それが「生活のルール」の基本である。教室に落ちていた物を拾い「誰の?」と言って探すという「生活のルール」の確立は「学級に良好な人間関係が存在している」という証明である。
 活発な話し合いが展開する授業は、教師がめざす授業像のひとつである。活発な話し合いを成立させる素地が、子どもたちの発言であり、学習への集中である。
 子どもたちの発言の前には「発問を聞く」という学習活動が必要である。「聞く」は基本的に「先生の話を聞く」という「生活のルール」が前提となる。
 年度初めに、私は子どもたちに、話を聞くことの価値を次のように伝えている。
「先生の話を聞かずに勉強していない子がいたら『いっしょに勉強しようよ』と言ってあげられるクラスにしていきたいなあ」
「自分が聞いていないとき、注意してくれる友だちがいることを『私のことを心配してくれる友だちがいる』と、幸せに思おう」と。
 このように話をして、話を聞くことの「生活のルール」の意図・価値を子どもたちが納得し、共有することが大事である。「意図の納得、価値の共有」があれば、子どもたちが自律して「生活のルール」を守るようになる。
子どもたちの先生の話の聞き方は、
①手をひざに置く。
②先生を見る。
③先生は①②を確認する。
「こんなこと、当たり前」という人もいるだろうが、かなりの教師ができていないと思っていい。「そんなことはわかっている。しかし、徹底していない」のが現状である。徹底していない現状が二つある。
(1)
①と②を要求しないで話し出す。
(2)
要求はするが確認しないで話し出す。
 教師が話すなら①②を徹底することである。年度初めにきちんと「生活ルール」化しておかないと「先生が話すが、子どもは聞いていない」状態が続く。
「先生の話を聞く」指導のポイントは
(1)
教師は黒板の前に立つ。
(2)
不動の姿勢で、「作業をやめなさい。先生の方を見なさい」とゆっくり大きく指示する。
 不動の姿勢は「先生が強い意志で聞くことを子どもたちに要求している」と、子どもたちに感じさせるためである。
(3)
初期の時期は、次の具体的な指示をする。
「手をひざに置き、先生を見なさい」
「おへそを先生の方に向けなさい」など
(4)  (3)
の指示が徹底しているか確認する。毅然とした姿勢で、ゆっくり教室全体を見回す。
 毅然とした姿勢とは、怖い顔をするのではなく、教師が言ったことを徹底することを子どもたちに見せていくことである。
 ゆっくり教室全体を見回すのは、子どもたちに「指示が徹底しているか、先生が確認している」ことを意識させるためである。
(5)
初期の時期は、「聞く姿勢がとれている」ことをほめる。
もし「先生の話を聞いていない子」がいたらどうするか。
「静かに」「先生を見て」とか「ちゃんと聞きなさい」と注意することを、私は避けたい。先生の話を真剣に集中して聞いている子どもたちがいるのに、話の途中で「静かに」「聞きなさい」と注意すると、この集中を切らしてしまうのが私はいやなのである。
 そこで、私は、事前に、「先生の話を『聞いていない子』がいたら、その子を先生が指さすから、『聞いていない子』の肩や机をそっと触り、注意してほしい」と、子どもたちに依頼しておく。
そして、次のように指導している。
(1)
教師が聞いていない子を指さす。
 教師が話を続けながら「聞いていない子」を指さす。
(2)
隣の子が「聞いていない子」の肩や机をそっと触り、注意する。
 声を出して注意しないのは、教師の話の邪魔をしないためと、聞いている子の集中を中断させないためである。
(3)
「聞いていない子」が先生の方を見たら、指さしをやめる。
 このようにして、教師の話も、子どもたちの集中も寸断せずに「聞いていない子」を「聞いている子」にさせるのである。
 指導の最初は、指さしすると、学級のみんながそちらを見てしまう。しかし、二週間もすると、子どもたちも「何もなかったように」教師の話を聞き続けるようになる。
(
松永昌幸:横浜市立小学校教師・校長、横浜市教育委員会教育部長、横浜市教育センター所長、鎌倉女子大学教授を経て関東学院大学教育学部教育実践センター・横浜教師塾塾長)

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保護者が教師に協力的になってくれるにはどうすればよいか

 保護者の教師に対する意識は従来と明らかに違ってきています。学校への要求が厳しくなり、その中に不条理なものも少なくない。家庭で支援をお願いしたいが保護者は子どもまで手が回らない。保護者が教師を批判し教師が悩まされている。
 このような社会風潮の中で、教師はどのように保護者と連携していけばよいのでしょうか。教師が子どもたちにしっかりとした実践をしていれば、保護者は自然と教師を理解し、教師に協力してくれるのではないかと、期待しないほうがよいでしょう。
 保護者と連携するには関係づくりが第一歩です。そのためにコミュニケーションをとることが大切になります。
 まず、教師から保護者に対して自己開示し、学級を開示することが関係づくりの第一歩となるでしょう。人は相手がどういう人間かわからないとき、本心を明かして接することはありません。
 教師が保護者に協力してもらうためには、教師自身がどういう人間なのかを保護者に自己開示することが必要です。
 教師の出身地、専門、家族構成や趣味、特技など、身近に感じてもらえるような情報を伝えましょう。そして、自分の教育方針を表明するのです。例えば、「授業の中にグループ学習を積極的に取り入れていきます」「漢字と基礎的計算は小テストでこまめにその定着を確認します」など、何をするのか具体的にわかるようにします。
 次に、学級の様子を開示します。学級全体の様子を保護者がイメージできるような内容を伝えましょう。授業だけでなく、休み時間、給食など、なにげない日常の学校生活の様子を保護者は知りたいのです。
 そして、自分の子どもは全体の中でどのような位置にいるのかが保護者は知りたいのです。したがって、好きな給食の献立ベスト5など、子どもにアンケートをとり、学級の様子を伝えると効果的です。そうすると、保護者は自分の子どもがどうなのかを、夕食時などの話題としてわが子に聞くことができます。
 これらは、保護者会で話したり、学級通信などで伝えていくことになります。 
 同時に、個々の保護者との関係づくりも欠かせません。有効なのは連絡帳です。欠席の連絡を受けた場合は、確認のサインだけでなく、今日一日の学級の出来事を伝えると、保護者は安心するものです。
 月に一回は、教師の方から、子どもの様子や良くなってきた点を、連絡帳を用いて報告するのもよい。このような対応が、保護者との関係づくりの確実な一歩となります。
 保護者は、「教師に親しみがもてる。話を聞いてもらえる。自分の子どもが常に気に留めてもらっている」と、いう思いをもつと、教師に公平に扱われていると感じ、教育活動にも協力的になってくれます。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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子どもたちの可能性を授業で引き出すにはどうすればよいか

 教育という仕事は、子どもたちの具体に応じて、こまかい手入れをしていかなければならないものである。
 子どもたちに、言葉でなり、声でなり、身体でなり表現させたら、その事実のなかにある、よいものとか悪いものとかをとらえ、その場ですぐに具体的に指摘していかなければならない。
 その事実のなかにあるよいものは拡大し、悪いものは否定して他のものをつくり出させることによって、子どもたちの持っている可能性は、はじめて引き出され形となっていくものである。
 そういう指導をするためには教師は、子どもの事実をみぬく力を持ち、表現の方法を指導する教師としての技術をもっていなければならない。
 また、それらのもととなる、教材への解釈とかイメージとかを持っていなければならない。
 教育という仕事においては、子どもの事実にふれるごとに、問題が生まれ、新しい解釈とかイメージとか、それに即した新しい指導の方法とか技術が生まれる。だから教育という仕事は面白いのである。
 事実を動かすような仕事をしていったとき、子どもたちは無限に教えてくれるのである。教師は、子どもに学ばせることによって自らも学んでいる。 
 教育の実践は、事実を大切にし、子どもを動かし、子どもを変える事実を日々つくり出していかなければならないものである。
 教師は子どもを動かしていく仕事である。教師の仕事は、授業という、教師と子どもが対決する作業によって、的確に具体的に子どもを動かしていかなければならない仕事である。授業は子どもを動かし変えることができ、子どもたちを新鮮に強じんにすることができる。
 授業で、教師が子どもや教材のなかから課題や問題をつくり出し、子どもたちの考えを引き出し、子どもたちから出た考えをつぎつぎと打ちくだいたり、発展させていくことによって、集中や緊張が生まれ、創造が生まれていくのである。
 そして、その課題や問題をみんなが理解し解決すると、子どもたち全体が豊かな気持ちになりリラックスする。「緊張や集中」と「リラックス」のどちらもある授業によってリズムが生まれてくる。
 そういう授業をすることによって、すべての子どもたちが、心をひらき、自分をおいかけて追究し、自分をつくり出すようになるのである。そのなかで子どもたちは新鮮になり、清純になり強じんになっていくのである。
 子どもが生き生き学習するには、教師が意図的に組織し構成することによって生まれてくる。教材のなかにある本質とか方向とか問題点とかをとらえ、それをもとにして子どもたちに働きかけ、それに対して子どもたちの出す発言とか行動とか反応とかの事実を見て、それらを組織し発展させていくことによって、はじめて可能になる。
 授業を組織し構成するということは、教師が子どもに働きかけていることであり、教師が子どもたちのなかに入っていることである。すぐれた組織がされ構成がされた場合は、それだけで子どもたちが生き生きとなり、心をひらいて学習に参加するようになる。
 授業は明確な方向性を持ち、単純化されていなければならない。それではじめて授業は力を持ち、リズムとドラマを持ち、新しいものを生み出していくようになる。
 教材の方向性と授業の方向性をどこで一致させるかということが、授業展開を成功させる条件である。一つの教材によって方法論を持つことが、授業での教師の方向性であり授業に方向性があることである。
 教材の方向性を考える。現実の子どもを考える。自分の方向を考える。教材のなかからもっとも適切なものを抜き出し拡大する。
 展開を単純化しようとする場合は、何をどうきりすてるかということが大事になる。教師が「読み取ったもの・解釈したもの・疑問に思ったもの・発見したもの」のなかから、こんどの授業では「何を取り上げ・何と何は切りすてるか」を決定する。授業展開に方向性を持たせるために、単純化し明確にするために惜しげもなく切りすてるとよい。
(
斎藤喜博:1911年-1981年、元小学校校長。島小学校などに優れた実践を残した昭和の代表的な実践者)

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できる教師になるにはどうすればよいか

 尊敬する師匠をもち、互いに高め合う友人をもつことは、よりよい教師になるためにはどうしても必要なことと言ってもいいでしょう。
 尊敬する人には少しでも近づきたいと思うのが自然なことですから、師匠をもてば、自分を向上させようと常に意識できます。また、研究するにしても実践するにしても共に歩んでくれる友人がいれば、相談したり批評しあったりすることができます。
 しかし、まわりを見回してみても、互いに高め合うような友人をもっている教師はあまり多くはありません。まして尊敬する師匠をもっている教師はほとんどないと言ってもいいでしょう。人を教え導くことを生涯の仕事としている教師として、これはあまりにも寂しいことではないでしょうか。
 どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか。それは多分、多くの教師が勉強を怠っているからではないかと思います。自ら求めて本を読み、自ら求めて講座に参加すれば、多くの優れた人物や優れた実践にめぐりあうはずです。
 しかし、勉強を怠っていればこの出会いのチャンスが極端に少なくなってしまいます。当然、師と仰ぐほどの人、友と呼べるほどの人との出会いのチャンスも少なくなっていくでしょう。そして、しだいに尊敬する師とも高め合う友人もいない生活が当然と思えるようになってしまうのです。
 自ら求めて学ぶことで、よき師よき友にめぐりあい、教師人生を充実させてはいかがでしょうか。
 国語授業の名人、野口芳宏先生は、よりよい状態をめざし、常に変わり続けることを「向上的変容」という言葉で表現しています。野口先生は、教師は授業の中で子どもたちに「向上的変容」を保障しなければならないとおっしゃいます。
 教師は「向上的変容」を心掛けなければなりません。なぜなら「進みつつある教師のみ、他人を教える権利あり」と言われるからです。なぜなら、向上的に変容する素晴らしさも苦労も分かっているからです。素晴らしさが分かっていれば子どもに意欲をもたせることができます。苦労が分かっていれば子どもを励まし助けることができます。
 ところが、多くの教師は日々の仕事を片付けていくだけで精一杯になってしまい、向上的に変容しようということなど考えられなくなってしまっています。ではどうすればいいのでしょうか。
 まず、何をすればいいのかを行動レベルにまで具体化します。さらに、それらを段階的に実行できるよう並べ直します。そして、いわば流れ作業のようにそれらを順番に実行していくのです。
 それができる教師は一目置かれることになりますし、他の教師よりも一歩抜きん出ることができるのです。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校に勤務。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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教師は子どもたちの過去と今を責めずに受け入れる余裕を持ってほしい

 「いい子」とはどんな子なのでしょうか。ある親やある先生にとっては、勉強ができる子が「いい子」なのかもしれません。それはそれでいいです。健康で元気でいる子が「いい子」なのかもしれません。それもそれでいいです。でも、私は、何か違う気がします。
 みなさんにとって、どんな子が「いい子」ですか。成績のいい子ですか。親の言うことにすべて従う子ですか。スポーツができる子ですか。今、日本で、多くの子どもたちが、親にとっての、先生にとっての、友だちにとっての「いい子」になろうとして、苦しんでいます。
 そして、なれないイライラから、いつも期待される重みに耐えられないから、大切な仲間に「いじめ」をしたり、明日を捨てて、こころを閉ざしてしまったりしています。悲しいです。
 水谷は、こう考えています。すべての子どもは「いい子」だと。生きてくれるだけで「いい子」なんだと。そしてもし、笑顔をいっぱい浮かべてくれて、目を輝かせて明日を考えてくれたら、それこそ「最高のいい子」なんだと。
 どんな花でもいいです。どの花が、愛されるために咲いていますか。どの花がほめられるために咲いていますか。どの花もただ自然に咲いているだけ、そこにあるだけで、人に優しさや安らぎを与えてくれる美しいものです。
 子どもも同じです。ただ笑顔でそこにいてくれるだけで、あらゆる大人たちにとって、とっても幸せなんです。子どもたちは、みんな「いい子」です。私たち大人の宝物、夢なんです。ただ、生きてさえいてくれればいい。もし、笑顔でいてくれればなおいい。私はそう考えています。
 私が、教員生活の中で最も子どもたちに言った言葉は、「いいんだよ」です。
 子どもたちの過去や今は変えることはできません。でも、明日は変えることができる。ただし、私は教員です。この言葉には、いつも「うん、でもね」がつきました。これが教育だと考えています。
 しかし、今の日本の教育や子育ては「だめよ」「こうしなさい」「なにやっているの」など、否定の言葉を子どもたちにぶつけてしまうことが多いのではないでしょうか。これでは、子どもたちは、自分はだめな人間だと、明日を見失い、いらいらしてだれかをいじめたり、引きこもってしまったり、心をやんでしまったりします。
 子どもには、いろいろな苦しみやつらさがあります。子どもが罪を犯すまでには、親や先生ら大人からの、この子どもに対するひどい扱いが必ずあります。
 すべての子どもたちは、純白の心で生まれてきます。罪を犯そう、いじめをしよう、引きこもろう、心を病もうとして生まれてくる子はいません。どの子も「幸せになりたい。幸せにしてね」と私たち大人を、特に親を信じて生まれてきます。
 どの子も、学校での多くの先生や仲間との楽しい出会いを心から楽しみにして、でも少しだけ不安を抱いて入学してきます。
 子どもは不完全な存在だから子どもなのです。だから、優しくみちびき育てなくてはなりません。子どもたちの過去と今を責めずに「いいんだよ」と受け入れる余裕を、そして「でもね」と教えてあげる優しさを持ってください。
(水谷 修:1956年生まれ 1992年に定時制高校の教師となってから、横浜市を中心に夜の繁華街をパトロールする「夜回り」を始める。 2004年教職を辞し、全国で講演と夜回りを続ける。水谷青少年問題研究所所長、花園大学客員教授)

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