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今の社会状況では叱ることが難しくなった、叱るには覚悟と戦略が必要だ、プロ教師としてどうすればよいか

 「叱って育てる教育」は非常に重要なことである。しかし、今の社会状況のなかでは非常に難しい。状況を正確に見すえたうえで、戦略をしっかりたて、覚悟してあたることが必要である。
 まず、世の中が大きく変わったことを確認する必要がある。世の中は個人を絶対視し、個性尊重、自由・人権第一という考え方が支配的になった。
 同時に人間は平等であるという考え方が、大人と子どもの境目をなくしてしまった。個人の欲望が肥大し、好きなことは何をやってもいいという雰囲気が支配的になった。
 家庭も社会の影響を受け、親も子も同じ人間という考え方から、しつけと呼ばれる生活の仕方や人とのつきあい方を教えることが家庭のなかから消えていって、子どもはわがままいっぱいに育つことになる。
 学校もまた「生徒におしつけたり、管理するのはまずい」と批判され、はげしくたたかれ続けてきた。こうして学校では、叱ることはおろか、生徒に強制することが非常に難しくなった。教師たちは後退するだけだった。
 教師のなかにも、自由、ノビノビが広まり、ほめる教育が強調されるようになってきた。そして、生徒は教師の言うことをきかなくなり、学校は混乱し、生徒は際限なくだらしなくなってしまったのだ。叱るなど、とてもできない状況なのである。
 人間は自由にノビノビさせておいて、自然に一人前になれるわけではない。この社会で生きていけるように、大人が文化をきちんとたたき込むことが必要なのだ。しかし、子どもにとってそれは、自らの欲求に根ざしたことでないから、いやがるのはあたりまえで、それにひるんでいては、子どもはいつまでたっても一人前にはなれないのだ。
 文化とは、生活の仕方、人とのつきあい方、基本的な知識などをさす。すると、教育とは、まずおしつけであると覚悟しなくてはならないのだ。だから大人と子どもが同じ人間である、などと言っていたら、とてもできやしないことなのだ。子どもがいやだといっても、断固おしつけることが基本的に必要なわけだ。これは人類に与えられた宿命といっていい。
 しかし、おしつけだけで子どもが育つわけはない。子どもが自由に遊ぶことを保障し、そのなかで、自分で考え、行動し、責任をとるという自治の訓練が行われる必要がある。しかし、この自治の訓練にしても、大人の考える大わくを超えたときは、叱って中に入れる必要があり、子どもを一人前にするには、叱ることが必要不可欠であるということなのだ。
 叱って育てる教育は必要不可欠であるにもかかわらず、日本の社会はそれを軽視し、欲望のみを肥大化させいる状況にある。状況は相当に深刻である。叱ることが大切だからといって、むやみに叱っても混乱するだけだ。叱るには、覚悟と戦略が必要なのだ。その戦略をたてるときの原則は
(1)
学校の大わくをしっかり固める
 まず、学校は家庭や社会と違うことを、生徒にはっきりと示す必要がある。学校は生徒に基礎的学力、生活の仕方、人とのつきあい方を身につけさせ、一人前の国民にするところで、生徒はそのために来ているのだ、ということを示すことである。
 自由、ノビノビ路線など論外である。おしつけるところと、生徒が大枠のなかで自由に活動するところをハッキリわけて生徒に示すことが大切なのだ。このことについて、教師の間に共通認識をつくることが出発点である。
 教師の間に共通認識をつくらなければ、教師が個人的にどんなに頑張って叱っても、トラブルになるだけで、ほとんど意味がない。
(2)
教師と生徒の関係をハッキリさせる
 学校は、基本的に生徒が教師の言うことをきき、教え教えられるという関係が成立しなければ何も始まらない。現在、この根本がくずれているのである。
 やさしい、ものわかりのよい教師など論外だ。生徒との距離をとり、クールに生徒に接することを基本とすべきだ。べたべたと生徒にくっついていたら、叱ることなどできはしない。
 教師自身が自分の仕事を誠実に行うことが必要だ。例えば、いつも時間にルーズな教師が、生徒のチャイム着席を叱ることはとても難しい。
(3)
みんなで同じように叱る
 家庭でもほとんど叱られたことがない子どもが相手である。教師たちが共通の原理をハッキリ示して、同じような場面で、教師がみんな同じように叱ることが大切だ。教師がバラバラでは叱ることなど無理である。
(4)
学校の役割や目的は学校生活では必要なことであることを生徒に訴え続ける
 学校を成立させる必要から、生徒におしつけることだ。例えば、学校の役割や目的である、授業をしっかり受ける。掃除をしっかりやる等である。クールに、ていねいな言葉でハッキリ叱ることが大切だ。
 それに違反したからといって、人間として悪いということではない。道徳的ではないからだ。生徒の内面には立ち入らず、外側だけを規制するということだ。言うことをきかない悪い生徒だと、ヒステリックに叱れば生徒と泥沼におちいる。だから、納得させようといろいろ説得すると混乱し、最もまずいことになる。教師はこの区別をきちんとしていない。ここが落とし穴である。
 守れない生徒がでてくるのは当然のことである。学校生活では必要なことであり、それを守らないと学校の目的が達成できないから努力してほしい、ということをしつこく言い続けることである。生徒との根くらべと考えていい。できれば全教師が一致して要求し続けるほうが効果が大きい。教師と生徒の力関係に左右されるので、時と場合によって戦術を立てる必要がある。
(5)
人間の生き方にかかわること(道徳的なこと)ついて叱る
 人と人とのつきあい方について、叱らねばならないことがでてくる。いじめについてもこの分野に関することである。
 しかし、これは教師が子どもと人間として向き合うことになり、かなり難しいことである。叱る教師の人間的な力量が試されるからである。つまり、権威がなければ無理なのだ。教師は自分の人間の大きさをじゅうぶんに自覚したうえで叱らねばならない。
(6)
すべての生徒を同じように差別をせずに叱る
 子どもはえこひきを最もいやがる。なかなか言うことをきかない子どももいる。すべての子どもに対して、同じように叱るのはエネルギーと根気がいる。仕事だと思って根気よくやることだ。ただし、力のある教師であれば、叱り方にバリエーションをつけるとよい。
(7)
叱るということと、言うことをきかせることは別
 これをゴッチャにしている教師が非常に多い。
 叱るとは、学校としてのサインをハッキリだすということである。サインをだし続けることに徹する必要がある。
 言うことをきかせるためには、ある種の力が必要なのだ。教師個人として生徒に言うことをきかせるには、権威というものが必要である。
(8)
権威をつくる
 子どもが教師を信頼することが権威のよりどころである。教師としての仕事をハッキリさせ、それを誠実に実行していくことが大切だ。難しいことだが、自分で権威をつくるしかないのである。
 生徒に言うことをきかせるためには、教師として生徒の前にしっかり立つ必要がある。生徒と距離をとり、ていねいな言葉づかいで、きちんと対し、要求することはハッキリ要求することが必要だ。生徒とベタベタして、ものわかりよく対応していたのでは、生徒におしつけることなどできはしない。
 権威は、親や地域社会の支持が不可欠である。子どもの危機的な現状を率直に親にぶっつけ、親と手を結んで子どもを育てるという方向が必要だ。
 以上の原則をもとに、学校の現状を冷静に把握し、自分としての戦略を立ててみよう。そのうえで、具体的な場面でどのような叱り方をすべきかを考えるのだが、これは個々の教師が、その場その場で生みだすしかなく、マニュアルに頼るなどできることではない。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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