« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »

2016年11月に作成された記事

教師が保護者に信頼されるためには、どのように接すればよいか

 教師は先生になる前に、保護者との関わり方は教わりません。自動車運転に例えれば、無免許運転と同じで、保護者と衝突事故が起きても不思議ではありません。
 私は、教師になる前は学習塾で働いていました。そこで、顧客である子どもや保護者との関わり方について徹底的に上司から教わりました。
 保護者に信頼されるには、教師はどのように考えて保護者に接すればよいのでしょうか。
1 保護者と教師は子どもの成長を見守るパートナーである
 常に心の奥底に持っておくべき考え方は、教師と保護者はお互いに子どもの健やかな成長を望んでいるパートナー同士だということです。
2 保護者を顧客と考える
 企業がお客様を丁寧に扱うように、保護者に対しても丁寧な対応を心がけるということです。企業は顧客満足度を重視します。それと同じように、私たちも保護者満足度を重視するのです。
 難しいことではありません。自分がこの対応をされたらどう思うか、という第三者の視点を常に持ち続けるだけです。保護者満足度を高めるような視点で物事を考えるのです。自分が社会で生活していて気持ちのよかったサービスや気づかいを活かせるようになります。
3 苦手な保護者と上手につき合う
 塾やいくつかの学校で様々な保護者と関わってきた中で私がたどりついた結論は、苦手とする保護者は「クラスに一人はいる」ということです。それを受け入れることが第一歩です。
 苦手な相手をまるごと理解しようとしなくてもいいのです。どんな相手にも、あなたの知らない顔がいくつもあります。その中にあなたが勉強してみたいと思えるようなことが、ひとつくらいはあるものです。
 そこに興味が持てれば、自然に相手にも興味が持てます。その結果、相手の人柄の印象も変わり、ひいては人間関係も変化するものなのです。保護者の職業や趣味でもかまいません。ちょっと観点を変えて向き合うと、印象が変わってくるかもしれません。
4 保護者に楽しんでもらう
 保護者のことを思い、楽しませようと教師が工夫している気持ちは確実に伝わります。楽しませると言っても、学級通信に子どもたちの楽しそうな様子を載せたり、保護者会で面白いエピソードを用意したりするなど、ほんのひと工夫で構わないのです。
5 保護者のニーズをつかむ
 保護者と教師のニーズがミスマッチになってはいけません。だからこそ、しっかりと保護者の考えや思いを聞く必要があるのです。
6 即対応する
 熱意はスピードでしか表すことはできないと私は思っています。学校は予期せぬトラブルは当たり前のように起こります。100%の解決策が見つかるまで対応を控えるのではなく、たとえ80%の段階でも即対応を意識すべきです。
 時間を経ることで保護者の悪い感情がどんどん増大していきます。即対応で熱意をアピールしていくと、驚くほど保護者からの信頼が得られるはずです。
7「ささいなこと」を軽々しく扱ってはいけない 
 教師にとっては「ささいなこと」であっても、保護者にとっては、ささいなことではないからです。人間関係は小さなことが大きなことです。保護者はわが子のこととなると、深刻に考えて不安になりやすいものです。
 信頼される教師は、保護者が不安に思ったことを10倍にも感じて対応します。「先生、何もそこまで気にしなくても」と言われるくらい、事を重大に考えます。保護者はそんなことを言いつつも、子どもを大切に扱ってくれる教師を信頼してくれるのです。
8 保護者と学校の風通しをよくする
 教師から何の情報もなく、保護者が子どもの話だけに耳を傾けるようになると偏りが出て、疑問が思わぬ形でクレームになってしまうことがあります。そうならないようにするためにも、学校と保護者の風通しをよくする必要があります。
 そのために、学級通信や各種お便りで様子を伝える。子どもの様子がいつもと違ったときには必ず保護者に確認する。保護者の話をよく聞く。ふとしたときに、教師が蓄積している情報(経験、趣味、出身地、家族、好き・苦手なこと等)を保護者のニーズに合わせて喜んでくれそうな話をします。
 保護者や子どもと良好な人間関係を築くためには、まずは教師自身が、人生を楽しみ、充実した毎日を送ることです。「いつも元気だなぁ」「なぜかニコニコしている」「あんなふうになりたい」と思われる教師になることです。
(
栗田正行:1976年千葉県生まれ、教師、料理人、熟講師を経て私立高校数学教師。コミュニケーションを学び、わかりやすい授業、子どもや保護者への気遣い対応で10年以上の塾講師で9割以上の子どもから満足を得た)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クレーム対応の流れは共通しています、対応の極意とは

 クレーム対応の基本的な流れは、すべてのケースで共通しています。クレーム対応の基本は「ヒアリング」「謝罪」「説得」という流れで対応することです。その極意とは
1 ヒアリング
 クレームを訴えてくる相手は怒りの感情を抱かえています。クレーム対応がスムーズに進むかどうかは、相手の怒りをうまくコントロールできるかにかかっているといっても過言ではありません。
 クレーム対処で重要なことは、相手の怒りが爆発しないように、上手に発散してもらうことです。怒りを発散させる一番のポイントは、相手の話をしっかり聞くことに徹します。
 相手の話を聞くときは、やや前傾姿勢をとります。相手に聞いていますよという合図になります。ずっと相手を見つめると威圧感を与えてしまうため、相手が強く主張しているときは、しっかり相手の目を見て、それ以外のときは、のどもとあたりを行ったり来たりするのがよいと思います。
 しっかりと話を聞いていることをアピールするためには「相づち」と「相手の言葉を反復」をします。そうすることで、相手に話をしっかり聞いていると感じさせます。
 ここで大切なことは、相手の怒りを一回ですべて発散させるということです。いいたいことを言い切ってしまえば、相手も冷静になり、「自分にも悪いところがあったかな」などと、相手の立場を考える余裕が生まれてくるはずです。
 コメントや言いわけは差し控えて、相手の主張をすべて言い尽くしてもらうことで、相手の怒りを発散させます。
 そのうえで、効果的な質問をはさみながら、相手がなぜ怒っているのかという本質的なクレームの原因を探ります。質問をするときは、抽象的なことからスタートし、徐々に具体的な部分を聞いていくことが重要です。
 ただし、ここで気をつけることは、相手の怒りが発散されて落ち着いているときに、こちらの質問によって不愉快な気分を思い出させてしまう可能性があることです。
 質問するときには、相手の意見を汲み取って、満足度を高めたいという気持ちを示しながら「よろしければお聞かせください」という姿勢で臨むようにします。
 クレーム対応では、お辞儀も重要なポイントです。最初と最後はもちろん、要所要所で気持ちを込めたお辞儀をしましょう。
 電話でのクレームで一番気をつけなければいけない点は、相づちをはっきり打ったり、相手の話をきちんと反復することで、話を聞いているという姿勢をしっかりと打ちだすことです。また、声のトーンは低めの声で、落ち着いた雰囲気を出すことも求められます。
 相手から責任者をだせと言われたからといって、すぐに責任者を出すのは考えものです。責任者というのはフォローの段階で出てくるべき人間です。責任者は切り札なのです。最初に話を聞く役ではありません。
 責任者でなくても、しっかりとした対応ができることをアピールする必要があります。「私が責任を持って、お話を上司にお伝えします」という姿勢で、しっかりメモを取りながら相手の話を聞いていきます。
2 謝罪
 本質的な原因がわかったら、それに対して「申し訳ございませんでした」としっかりお詫びします。クレーム対応中は、お詫びのスタンスを徹底することが大切です。
 気をつけることは、表情と態度です。目線と声のトーン、言葉遣いなどをつねに意識して、相手のカンにさわらないよう細心の注意を払うことが求められます。言葉に気持ちのこもった言い方かどうかで印象がだいぶ変わってくるはずです。
3 説得
 クレームの原因に対する対応策を提示し、相手を説得します。即座に対応できるクレームの場合は、すみやかに手続きに入りましょう。
 組織的な問題などで即座に解決できない内容の場合は、クレームの解決策とともに、それを今後どのように反映させていくかということを話します。
 このとき「考えておきます」といったあいまいな答えでは、相手の信用は得られません。「今週中に話し合いの場をもち、具体的な施策を考えまして来週以降実践します」というように、期限を設けることがポイントです。
(
江澤博己:1970年生まれ、ホテルに勤務したあと、独立しコンサルティグや講演活動を行っている)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師が悩んでいるのは「子どもとの対応」「親との対応」「職場の関係」である

 「悩める教師を支える会」を作って、学校の中で教師の声を聞くと、一番多いのは、子どもとの対応のことです。子どもが変わった。教師が振り回され始めた。前ほど教師の指示がすんなり入らなくなったと、すごく悩んでいます。
 あともう一つ、教師の苦しみとして多いのが、親が変わったということです。親が協力してくれなくなった。例えば、子どもが恐喝をしたと親に伝えても「それでどうしたんですか。先生」と開き直ってしまう親もいます。
 学校を離れて相談を受けた場合、個人的に相談を受けると、多いのが同僚との悩みです。教師同士の関係で決定的に落ち込むということが非常に多い。特にこれは学校を休職、退職まで追い込まれた教師にすごく多いのです。
 あるいは他の教師とトラブルがあったことを管理職に伝えると「あんたはだいたい教師としての能力がないんだ」と言われると、もう自信をなくしてしまう教師もいる。
 教師の悩みは「子どもとの対応」「親との対応」「職場の関係」の、三つに問題があるということです。
1 子どもとの対応
 子どもとの対応でカーッとしたとき、そのまま出てしまったらよくないことが起きるので、そういう時こそ、一呼吸おいて心の余裕をって「自分を見つめる目」を持たなければいけない。
 そういうときほど、穏やかな雰囲気づくりをしていくクラス経営が求められます。例えば、「さん」づけをして言葉づかいを丁寧にしたり、間を取ったり、ヒーリング音楽を活用したりしてクラスの雰囲気をよくするだけでもずい分違う。
 毎朝5分くらい教室のなかで遊びを取り入れてみたり、休憩時間に遊びをしていると、「けんか」がたえなかったクラスなのに、教室が落ち着いてきた。
 今までは、問題を起こす子どもに「お前、何やってんだ」と、怒鳴ったりしていた。そうするとクラスの他の子どもたちもすごくストレスを抱かえていくんですね。
 子どもが何に傷つき、どこで苦しんでいるか気づいてあげる必要がある。そこから、子どもと共感しあえる教師の言葉や対応が生まれてくるのだと思います。子どもに苦しみ痛みに共感できない対応は子どもをいっそう傷つけたり、追い込んでしまう。
 イライラする子どもはどうすればよいか。イライラしっぱなしの子なんかいないから、イライラしていない瞬間に注目するとよい。これができるといいですね。
 問題児ばかりに注目するのではなく、普通の真面目な子や頑張っている子どもたちを取り上げ、周りの子を高めていく。時間がかかるがこのやり方でやっていくしかないなと思います。
 教師は子どもの行動が枠から外れることにこだわり過ぎていると思います。そのことに全力を注ぎ過ぎると、教師と子どもの間に対立しか生まれてこない。だから教師は疲れてしまう。
 私は、子どもは多少問題を起こしてもしょうがないと思っています。個々の問題は教育相談で対応しながら、一方では「子どものパワー」を授業や行事で創造性を生かし活用することだと思います。
2 親との対応
 今は親から教師との対話を求めてくることは少なくなってきています。ですから、私は意図的な工夫をしています。宿題プリントなど一か月ごとにまとめて返却するのですが、そこに互いに感想やコメントを書き合うようにしていくのです。
 子どもに問題があったとき、保護者に、こちらの意図することをわかってもらい、味方になってもらう努力をします。
 そのために、何か問題が起こった時だけに保護者に話をするのではなくて、常日頃から学級懇談会や学級通信の中で、自分の考えを知ってもらうと同時に「子どもたちは、こんなところで頑張っています」とか「お宅のお子さんはこんな感じですよ」というのを伝えていく必要があると感じています。
 子どものいい点を報告したり、親や教師が自身の悩みや生活を語り合うことも必要だと思います。そういう関わりが持てるようになった時、親も真剣になるし、子どもにも変化が現われる。
 小さい頃からの成長をみてきた親の、子どもの見方を教えてもらって、教師と親の視点を合わせて対応策を練り、その子どもを見ていく、という感じで保護者と接していく。親と共同歩調がとれたときの、子どもの回復成長ぶりにはめざましいものがあると思う。
 問題があって保護者が学校に呼び出されると重い足取りで学校に来られる。つらいと思います。子どもに個人的な指導をする場合は、できるだけ家庭訪問して、親と話すとよい。その方がいろいろな視点から話し合いができると思います。
 子どもも含めて親が「どうなりたい」と、思っているか。問題がどうであるかより、この問題が解決した姿がなんであるかが大切ですね。親としてはどうなったらよいか。
 それには、当面は何をしたらいいか。じゃあ、当面それで行きましょうかと。一回方向が定まると後はどんどん変化します。それで落ち着いてしまうということもあります。
 教師は低姿勢でいったほうがいい。冷静で低姿勢でいかないと続かない。とにかくほめるということです。
 親との関係で悩んでいる教師に、まず最初にするアドバイスは「親は簡単に変わりません」ということです。熱心な教師ほど、親を何とか変えようとする。「目の前の子どもたちに何ができるかに視点を変えましょう」と申し上げるんです。
 多くの教師がやってしまうことなんですけど、クレームをつけてくる親に正論で対応しようとすることです。親はキレてしまい、教師もキレる。そうすると悪循環のまま、ののしり合うことが多い。
 つまり、正しいことを言うかどうかは親との間でそんなに大切じゃないんです。まず「関係づくり」に徹しましょう。よく話を聞きましょう。話を聞いてうなずいて、この先生は味方なんだなあ、というふうに感じてもらうことが先決です。
 
「本当にお子さんのことを一生懸命に考えてくださっているのがよくわかりました。私たちはそのために何ができますか」というふうにもっていくとよい。もしかしたら学校のための戦力になってくれるかもしれない。
 だから、カウンセリングマインドというのは相手が責めてきたら、その力を積極的に利用する合気道の精神なんですよ。そういう精神は親との対応でも必要なのかなと思うことがあります。
3 職場の人間関係
 学級崩壊とか親との関係で悩んでいる教師も、それだけで休職や退職にまで追い込まれる教師はそんなにいないんですよ。むしろ「それはあんたの力不足だ。教師としての適性がないんじゃないの」と同僚や管理職から言われて、ものすごく自信を失ってしまった。そういうケースが多いと思います。
 力のある教師が管理職との折り合いの悪さに悩んでいる場合も多い。特に同じ学年の教師との関係がうまくいかないと、決定的に勤めづらい職場になってくる。
 前の学校でよく思われていた教師が転勤で次の学校に行くと、全然だめということもある。
 いつのまにか競争の雰囲気やシステムのなかで教師たちは生きているように思います。教師一人ひとりがバラバラになってきているかなという気がします。
 この学校でやりにくいと思っている教師は自分だけだと思っている教師が多いんですよ。私が「あの先生もちょうど同じこと言ってましたよ」とつなげていって、その学校で不適応を感じている教師が3人くらい集まると学校変革の機動力になったりします。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもが授業に熱中するにはどうすればよいか 

 授業づくりで第一に考えるべきことは、なにで子どもの気持ちを引きつけ、興味をもたせるかということである。
 子どもが興味をもち、しかもよくわかり、追究できるネタを考え出すことが、授業を進める上で最も大切なことだと思う。
 
「ネタ」つまり「教えたいもの」をはっきりと持ったとき、授業になり得るということだ。しかし「教えたいもの」を鮮明にもたねばならないが、決して教えてはならないのである。
 わたしは、授業の計画をたてるとき、授業のネタを何にしようかと、いつも迷い、悩む。
 例えば、A児の考えとB児の考えをネタにしようか。それとも、実物や写真、絵などでゆさぶることにしようか。おもしろい話をしてこの話をもとに考えさせようか。C児に発表させてみんなで検討することにしようか。等々と頭を悩ませる。
 それで、他人の指導案を見たり、授業を見たりするとき
(1)
ネタは何か
(2)
それを子どもはおもしろがって追究しているか
(3)
子どもにネタを追究させるために、教師はどんな手をうっているか
という目で見るようになった。
 子どもが遊んでいる授業は、ネタのない授業だといえる。一人ひとりの子どもが、確かに問題をもち、予想がたち、追究の方向がみえ、問題追究に熱中するようになったとき、勝負が成立したといえる。
 そして、追究の途中で、子どもの考えを大きくゆさぶり、目を開かせ、より確かな統一のある考えに発展させることができれば、より確かに勝負が成立したといえる。
 勝負を成立させるためには、
(1)
子どもが、今どんな考えをもって授業に臨もうとしているか、どんな知識や経験をもっているかつかむこと。
(2)
子どもの考えに対して、どんなネタをぶつければよいかつかむこと。
この二つのことが最低限必要である。
 ユニークな授業をするためには、子どもの能力・興味関心にマッチした、よいネタをつかむことがポイントである。
 ネタには、子どもの思考のすじ道をふまえ、しかも、真実に迫っていく契機が含まれていることが必要である。
 何としても、子どもがネタにひっかかるようにしなければならない。ひっかかって、追究していく過程で、より真実に迫っていくような内容を含んでいなければならない。
 こういうネタをどうみつけるか。これが、授業前の一つの勝負である。おもしろいネタをたくさんストックしておいて、子どもの状況に応じて、自由自在に勝負してみたいというのがわたしの夢である。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

授業中、子どもが突然教室を飛び出したとき、どう対応すればよいか

 子どもが授業中に突然教室を飛び出すことは、小学校では珍しいことではない。休憩時間に飛び出す何らかの原因が生じたと考えられる。子どもは学校内のどこかに隠れている場合が多い。学校外へ出て家に帰っていたり、公園や商業施設に行っている場合もある。
 このような場合、最優先されるのは、子どもの安全確保である。隣のクラスの教師に「Aが飛び出したので追いかけます」と伝え、その子を追いかける。学級に自習課題などを指示できればよいが、難しい場合には必要はない。
 その子が校内にいるか、校外に出たかは、下足箱を確認するとよい。すぐに居場所が見つからない場合は、教頭に連絡し、他の教師の応援を乞う。このとき、教師の人数に余裕があれば学級の様子を見に行ってもらう。
 10分程度探しても見つからない場合は、保護者に状況を緊急に連絡する。トイレに隠れていたなど、居場所が判明した時点で、子どもの安全が確保できたということになる。すぐに保護者に連絡する。
 子どもがクールダウンした後、なぜそのような行動に至ったのか状況把握と、今後どう行動すればよいか指導を行う。必要に応じて周囲の教師の協力を得るようにするが、終始前面に出て行動するようにする。
 近年、このような子どもの増加に伴い、学校として体制を組んでいる場合も多い。事前に、勤務校ではどのような体制が組まれているのか、自分の学級にこのような行動を起こす可能性のある子どもはいるのかなどを確認する必要がある。
 また、いつこのようなケースが起きるかわからないことから、学級の子どもたちには、教師が不在時の自習体制を指導しておく必要もある。
 いずれにしても、初動に教師としての資質が問われる。日頃から研修等で、学校の体制、対応方法などを確認しておくことが重要である。
(
赤井 悟:1955年生れ、寝屋川市立中学校教師、寝屋川市教育研修センター指導主事、寝屋川市立小学校校長を経て奈良教育大学特任准教授)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級崩壊・学年崩壊し、子どもの願いから再出発して落ち着きを取り戻した

 子どもたちが急に荒れ始め、家庭科室より包丁を取り出す事件も起きました。小学校高学年の全クラスが同時に崩壊し、運動会の予行も成立しないほどの荒れようで本当に大変でした。
 絶え間ない私語、奇声。騒ぐ、はしゃぐ。些細なことでトラブルが起きる。いやがらせ、いたずら。机の中やロッカーに物が溢れ散乱している。時間にルーズ。机に落書きといった状態です。
 子どもたちのなかには、朝食も満足に食べさせてもらえない子、洗濯もしてもらえない子、お金だけを握らされ、夜まで一人ですごす子、全く手をかけてもらえず愛情に飢えている子など、様々な生活を背負いながら「荒れる、すさむ」という表現で、私たち教師に訴えていたのです。
 学校も教師も親も否定し、生きていることへも絶望した子どもたちや、配慮が必要な子どもを相手に、毎日が闘いで心身ともクタクタでした。
 学校の研究テーマを「子ども研究」に切りかえ、「子どもが安心感のもてる学校、ゆったりとした学校、子どもの願い・思いから出発する学校」を、めざしました。
 そのなかで、指導方針を「楽しい学級、わかる学習、豊かな人間関係をめざす」とし、
(1)
生活リズム・生活習慣の確立、身辺の自立を早期にめざす。
(2)
多様な体験やとりくみを組織し、手先の器用さ、物事を見通す力、段取り能力を育てる。
(3)
楽しくわかる学習素材、できる喜び、達成感のもてる教材の活用。
(4)
科学的系統に基づく大胆な教材の精選とスモールステップ学習。
(5)
「焦らず、慌てず、怒鳴らず」(3つの「ず」)じっくりと、わかるまで、できるまで、待ち寄り添う姿勢をこころがける。
(6)
失敗やつまずきを学級の宝とし、どの子も「安心感、信頼感」が持てるように、こころがける。
(7)
「助け合い、励まし合い、認め合い、教え合い」(4つの「い」)を、取り組みの中で力を育てる。
(8)
子どもの「願い、思い」に寄り添い「共感と共同」を育てる。
(9)
「民主的、自治的」で、みんなが活躍するクラスづくりをめざす。
 全国のレポートを読み合い、子どもの声を聞き、全校の子どもからアンケートをとりながら、何度も全教職員で議論を重ねました。
 何よりも困難だったのは、教師集団の意思統一、まとまりづくりです。全教職員でつくりあげることは大変なことでした。担任は自分の弱さを知られたくないので出さない。かくそうとする。プライドが許さない等、いろいろの課題をもっています。
 それを乗り越えるのが大変なのです。いたわり、励まし、癒しのない学校職場では荒れたクラスの担任は生きていけません。
 さらに、保護者の力を借りながら、ようやく落ち着きを取り戻したのです。
 でも、子どもたちの苦悩の根底にある心の声を聞いたとき、涙が出てきました。子どもたちに共感できたとき、叱るより健気に生きる子どもたちに、いとおしさを感じられるようになりました。
(
樋口清隆:東京都公立小学校教師)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもへの話しかたは今の時代の教師としてどのようにすればよいか

 時代は大きく変わっているのに、変わらないのは教師の話しかたです。子どもを指導するための話術は、教師と子どもたちとのコミュニケーションの技術です。当然のことながら、子どもに対する教師の指導観がベースにあります。今の時代の教師として、子どもたちを指導するための話術は、どのようにすればよいのでしょうか。
1 やさしさの時代になったのに変わらない学校
 私が病気になって生まれてはじめて入院しました。なによりも驚いたことは、看護婦さんやお医者さんの患者への接し方がたいへんやさしくなったということです。看護婦さんが血圧をはかりにきますが「家本さん。お休みのところ、すみません。血圧をはからせてください」とは、なんというやさしさでしょうか。お医者さんもそうでした。点滴の注射を刺すとき「痛いですよ。ごめんなさい」と言いました。
 やさしい接し方で「この病院は患者を大切に扱ってくれるんだ」と、ハッピーな気持ちになります。精神衛生上からも快適な話し方でした。私が子どものころの医者は「治療してやっているんだから、痛いのをがまんするのは当然だ」という態度で接していました。時代は大きく変わったといえます。
 そんな目でみていくと、変わらないのは学校であり、教師の話し方です。子どもに対する教師の言葉は荒っぽく「早くやれ」というような指示・命令形で、しかも感情的で高圧的な話し方がめだちます。「いいか。一回しか言わないぞ」などと、不親切で思いやりに欠ける言葉づかいが少なくありません。
 学校の指導は管理することと思われています。指導は「注意、叱責、説教、脅し、処罰」によって子どもたちを動かすのではありません。
 
「指導」の本来の意味とは「子どもたちがやりたくなる、気持ちをおこさせる」働きかけをいいます。子どもたちが「やろう」という気になるように働きかけることです。そのためには、教師は指導する方法を学び、指導のための話術を磨くことが求められます。
 つごうのよいことに、教師は毎日、子どもたちに話をしていますから、毎日、話す練習ができます。とりわけ「朝の会で注意するとき」「問題が起きたときのアプローチ」「日常の話法」の3つは特に注目して練習するようにします。
 その場面のなかで「注意しないで指導しよう」「怒鳴らないで指導しよう」「脅かさないで指導しよう」という「指導するときの話法」を自覚して追究してほしいと思います。
 特に注目して練習する3つについて、順に述べます。
2 朝の会で注意するとき
 子どもたちは、朝の会で注意や伝達を聞くために朝早く時間通りに登校しているのでしょうか。朝っばなから「そんな話は聞きたくない」と思うのは当たり前のような気がします。
 例えば、教師の話が面白く、楽しく、何か新しい世界を切り開いてくれるようなものであれば、子どもたちは早く登校したくなります。今、必要なことは、子どもたちに自信をもたせ、朝は「やるぞ」という気にさせる明るい、楽しい話題を提供すべきです。注意しないでも指導できる工夫を考えるようにします。
 そのために、朝の教職員の打ち合わせであった注意・伝達事項を次の条件で仕分けし、工夫して指導します。
(1)
子どもたちの前で話してはいけないこと
 例えば、PTA会費の未納者がいるので催促してください。名簿は担任の机に置いてあります。
(2)
朝のうちに緊急に指導する必要のあること
 例えば「消火器のいたずら」は、子どもの命にかかわるからです。「昨夜、火事があったの知っている?」私はそう切り出します。日本のどこかで、かならず火事があります。「大やけどをした」と言うと子どもたちは「へぇ」とびっくりします。
 
「消火器が使えず人の命も奪いそうになった。火に関する物をいたずらすると寝小便するとお婆ちゃんに教わった。大きくなっても寝小便なんて、みっともないだろう」と、まあそんな話をすると、子どもたちは大笑いします。これが「注意しないで指導する話術」です。そのためには、エピソードをもっていなくてはなりません。
 ある高校教師は卒業生にかこつけて話をします。例えば、遅刻の多かった卒業生が家に遊びにきて「会社を首になりました」といって涙を流した話をすると、少しは遅刻が減ったといいます。
 注意事項はだいたい決まっていますから、いくつか作っておいて、小出しにしていけばよいのです。
(3)
ゆっくり時間をかけて指導すること
 例えば「ガムの食べ捨て」については、子どもたちが主体的に受けとめないと効果はありません。「どうしたらいいか」考えさせ、意見や感想を求めたりします。子どもたちが、自主的に取り組む姿勢へともっていきます。じっくり発酵させていきます。
3 問題行動へのアプローチ
 子どもの問題行動にどうアプローチするか、これが指導としての話術にとって大切な場面です。子どもを指導するときは、まず「身体」からみる、ついで「心」をみる、これがセオリーです。
 私は子どもの問題行動に際して「おい、どこか、具合悪いのか」と問いかけます。やさしさが伝わる問いかけです。この言葉を発見して以来「元気ないけど、どうしたんだ。調子が悪いのか」と問いかけることにしました。
 あるとき、掃除サボリをしている子にそう声をかけると「いえ、なんでもないよ」と言ったが、なんとなくぐずぐずしている。こういう場合は「身体」の次に「心」を見なくてはなりません。心にあるものを知るには、まわりの子どもたちにそっと聞くことです。
 しかし、まわりの子どもたちにもわからないことがあります。そういうときは、掃除が終わった後「ちょっと」とその子を呼びとめ「なにかあったのか」と聞きます。「なにもありません」と言ったら、サボリなので叱ります。
 要するに叱ることはいつでもできるから、最初に叱らない、最後にとっておくということです。原因がわかるまで、やたらに指導しないほうがいいということです。教師は一回、一回分析し、方針を立て、指導します。なぜなら子どもは異文化の存在なんですから。
4 日常の会話法
 教師は知らず知らずにその話法が権力的になりがちです。話が長く粘っこくて、威張った口調と解説的なバカ丁寧さ、しかも言って聞かせるといった一方的な話法になりがちです。これはなかなか抜けません。 
 教師の話し方は、対話的でなければならないのに、一方的で強い調子がめだつのは、学校のなかで管理しようと「教師の言うことを聞け」「学校の方針にしたがえ」といった命令調で話をしてきたからでしょう。
 教師のこうした命令的な語法は、子どもたちを苛立たせます。そこで、勧誘的な話法に切りかえるようにします。例えば「早くやろうな」「早くやりましょうね」と誘う言いかたに切りかえることです。子どもたちに働きかける親しみやすい表現です。横並びで「いっしょにやろうぜ」というようになります。
 この話法ができるようになると、子どもたちの人格を尊重する話法が身についてきます。例えば、どうしても朝の会で注意しなくてはならない場合「朝からいやな話で悪いが」と前置きして話はじめることができます。
 権力的な話し方を克服するには、まず人間の弱さに立つことが求められます。この気持ちを忘れなければ、子どもにたいするやさしさを失うことはないでしょう。人間の弱さに立たない教育は偽ものです。教師も至らないところがある人間だがという前提に立って、子どもを指導するということでもあります。
 教師は毎日、子どもの行動に接していますが、基本的に善意でとらえることです。例えば、遅刻する子どもがいます。悪意でとらえると、だらしのない子どもだということになります。そういうとらえ方をして、子どもに接するとよい結果をもたらしません。教師の悪意はすぐに子どもに察せられ、反発を招くからです。
 しかし、善意でとらえると「なにかわけがあって遅れたにちがいない。でも、よく登校してくれた。うれしいことだ」となります。今、善意をもって子どもをとらえることが望まれています。裏切られても善意でとらえ、信じてやる。それが教師の仕事だと思います。善意でとらえれば、またちがった教育の世界が開けてくると思います。
 今の子どもたちは当たり前のことができなくて困っているんですから、当たり前のことができたら「ありがたいことだ」と思えるのではないでしょうか。よく見ていると、子どもに好かれ信頼される教師は、かならず「ありがとう」と言っています。
 今の子どもたちは、自分に自信をもっていない子どもが多い。子どもに自信を持たせるには「ほめる」ことです。すぐに「ほめる」ことできるのは、事実を認めてやることです。悪いことをしなかった、めいわくをかけなかったこれすべて「よいこと」なので「ほめる」ことなのです。それでもほめることがないというなら、ほめることをさせてほめることです。
 話術は話す術と聞く術からなります。教師は子どもの話を聞くのがへたなようです。上手に聞くには「子どもの感情を聞く」「くり返しの技法」を用いることです。例えば、子どもが転んで「痛い」と泣きべそをかいているとき「痛いのか。どこ、ぶつけた。・・・・・・」と、最初に「痛い」という感情をやさしく受けとめる。「痛い」を繰り返して「の」をつけて送り返すのです。つまり「痛いの」です。こう繰り返すと「先生はきみの痛さを受けとめているんだよ」ということを子どもに伝えることができます。共感的な話法です。
 遊び心があると、教師の語法にゆとりが生まれます。指人形のようなものを用いて話をすると子どもたちの反応はよい。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師たちが悩んでいることとはなにか

 学校現場で悩んでいる教師をサポートしたいと「悩める教師を支える会」を立ち上げました。全国の学校を年間3040校を訪問してきた私ですが、そこで目撃した学校の現状は、私の想像をはるかに超えていました。
 荒れた子どもたちは教師のコントロールの範囲をはるかに超えていました。こうした子どもたちからの攻撃に、保護者からの攻めが加わります。
 先生をカウンセリングしていますと、教師を辞めたいという人の8割が保護者からの攻撃が大きなきっかけとなったと言います。「困った親とのつきあい方を教えてください」という相談が年々増え、絶えることがありません。
 教師たちは、保護者から次々と矢のようにあびせられるクレームの対応に疲弊しきっています。
 教師の悩みは大きく分けて4つあります。
1 雑用の多さ
 書類の量だけでも10年前にくらべ2.5倍に増えていると言われています。
2 子どもとの関係
 教師をなめて、集団で振り回す子どもが増えています。荒れた子どもたちは教師のコントロールの範囲をはるかに超え、女性教師や一見軟弱そうな男性教師がターゲットにされています。
 ADHDなどの、障がいをともなう多動の子どもたちへの対応が問題になっていますが、彼らへの対応は困難を極めます。授業中パニック状態に陥って教室を飛び出していく。教師は放っておけないので、その子の後を追います。すると残された子どもたちは騒ぎ初めて騒然となる。それが学級の荒れにつながっていくケースがけっこうあるのです。
3 同僚教師や管理職との人間関係
 かつては日本の学校は、先輩教師が後輩教師をサポートし、教師間のチームワークのよさがありました。しかし、学校での成果主義の導入で、教師間や管理職とのあいだに冷ややかな空気が生じ、サポート力が低下しているように思えます。
4 困った親への対応
 困った親に共通しているのは、きわめて利己的、個人主義的で、自分の子どもの立場からしか、ものを考えられないことです。
(1)
わが子しか見えない
 困った親たちの中で、最も一般的なのが「わが子しか見えない」親です。このタイプは授業参観をはじめ、あらゆる学校行事でみられます。
(2)
子どものためのお金を惜しむ
 給食費は払う必要がない、払えるけど払いたくないと思っている親が、経済的な問題で滞納している親を上回っています。
(3)
親の責任を放棄している
 多くは、生活が乱れ、子育ての責任を果たす気がなく、子どもに本気でかかわるのを面倒がります。
(4)
子どもの言いなり
 子どもに甘すぎて、子どもの欲しいものを買い与え、きちんと叱れない親も増えています。
(5)
子どもにキレる
 子育ては根気がいる。そのストレスに耐えきれずにキレてしまう親がすごく増えています。
(6)
学校や教師をストレスのはけ口にする
 子どもの教育には関心がないけれど、文句だけは学校に言う。何かストレスを抱えていて、それをどこかにぶつけたいときに、標的にしやすい学校や教師に向ける。
 以上のような親は一部ですが、言動は笑ってすまされる範囲を超えています。教師を振り回し、学校の機能を破壊しつつあります。
 教師の多くはすばらしい人ばかりです。この教師受難の時代にあえて教師になった人たちばかりです。情熱もあり、教育技術も備わっている教師でも、学級崩壊が起きています。
 いまや、教師の力量があればうまく学級経営ができて、いい授業ができるなんて、言えなくなってきました。その限界を超えたレベルの悪質な保護者や、子どもたちがたくさんいるのです。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授。専門は臨床心理学、カウンセリング心理学。現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている。「教師を支える会」会長)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちょっとしたことでも「いじめだ」と言いたてる保護者にどう対応すればよいでしょうか

 「いじめのサインを見逃すな」といわれていることは、情報を軽視するなということでもあります。耳に入った情報を聞き流さないことは、鉄則でもあります。
 いじめ防止のために 「子どもの人間関係をつくること」「状況をよく把握すること」「情報を軽視しないこと」の三つは、いじめ防止のためにだれでもが心がけたいことです。
 ところが保護者からの情報について、これを重視する教師ばかりでないのが教育界の実情かと思います。「保護者は、ちょっとしたことでも、すぐに『いじめ』だと言いたてる」「保護者は余計なことばかり言い出す」などと、教師が愚痴ることや、腹を立てることが無いとは言い切れないでしょう。
 保護者に誤解や思い過ごしのあることも事実でしょう。だからといって保護者からの情報を「ああ、そうですか」と、聞き流したり「心配することはないでしょう」と、放置していいでしょうか。
 聞き流したり、放置することは、対処の甘さです。誠実さに欠けるとも受けとられかねません。とにかく、事実を確かめ、状況を把握しなければなりません。確かめたり、把握した状況を保護者と連絡し合うのです。
 そして、保護者が誤解しているのなら、事情や状況を話して、誤解を解くように処置しなければならないと思います。
 こうした話になると「忙しいのに、仕事がまた増えた」「厄介だ」と、教師の口から不満も出るでしょう。一本の電話によって生じた突発的用件で、教師の仕事の手順は狂ってしまいます。
 しかし、情報を入れた保護者にすれば、大火にならないうちにと、知らせてくれたのでしょう。このことがわかる教師には、いつでも情報が入るし、わからない教師には情報をいれても無駄と、いつか情報を入れる人はいなくなります。
 
「面倒だな」と表情に出してはならないし、「忙しいので」と口にはしないことです。もし、誤解であるなら、事情を説明した方がよさそうです。それをしないで「あれは間違ってます」とだけ言ったのでは納得しないでしょう。
 古くから「火の無い所に煙は立たない」と言うし、いじめの事実はなかなか発見しにくいものなのです。ですから、念には念を入れて、状況把握、事実の確かめは続ける必要必要もあるでしょう。
 教師として大事なことは何でしょうか。いじめられている子はさぞ辛いだろうと思える心や構え。悪いことは許せないとする気構え。保護者と手を結ばなければ子どもは育たないと確信することです。
 もちろん、手を結ぼうとしても、学校に足を向けず、教師と手を結ぼうとしない保護者もいるでしょう。そうなれば、根気強いこと、忍耐強いこともまた、教師に大切なことではありませんか。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

授業中、関係性ができていない子どもを注意するとき、どうすればよいか

 相手に自分の想いを伝える場合は、「私」を主語にした「I(アイ)メッセージ」と、相手を主語にした「YOU(ユー)メッセージ」とがあります。
 相手に自分の想いを伝える場合は、「私」を主語にした「I(アイ)メッセージ」の伝え方のほうが自分と相手を大切にする表現となります。
 一方、「相手」を主語にした「YOU(ユー)メッセージ」で発言した場合は、断定的な印象を相手に与え「あなたは・・・・・であるべきだ」という支配的、かつ相手を責めるニュアンスになります。
 日常でのコミュニケーションでは「私」を主語にした「Iメッセージ」でなく、相手を主語した「YOUメッセージ」の表現で、相手に伝えようとするケースが多い。
 そうすると、相手が思ったように行動してくれなかったり、 時には反発されることもあります。
 授業中に私語をした子どもを注意する場合、「私語をやめなさい」(YOUメッセージ)と言うのと、「私語をやめてほしい」(Iメッセージ)と言ったときでは、子どもの受け取り方がかわります。
 教師と子どもとの関係性がまだ十分にできていないときに、YOUメッセージ(「私語をやめなさい」)を使うと、子どもの反発を招く恐れがあります。それ以上教師の話を聞こうとしなくなる可能性もあります。
 Iメッセージ(「私語をやめてほしい」)を使ったからといって必ずしも言うことをきくとはかぎりません。しかし、伝わる可能性は高まります。伝わらない言い方をするより、可能性の高い方法で伝えた方がいいでしょう。
 友だちにすぐに暴言を言ってしまう子どもには、Iメッセージで「あなたにそんな言葉を使ってほしくないな」と教師の感情を語るようにします。教師がIメッセージを活用できるようになると、関係性ができていない子どもともコミュニケーションが取りやすくなります。
 私がキレる子どもから学んだことは、「キレて暴れるには理由がある」ということです。「どうして殴ったの」と聞くと、興奮している相手を責めるようなことになるので危険です。「何があったの?」と聞くと、出来事に注目した聴き方ですから、あまり感情的にならずにすみます。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、2008年上越教育大学准教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。「学級づくり改革」セミナーで全国行脚)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

残念な教師とは、どのようなところが問題なのか

 残念な教師とは子どもを成長させない教師のことである。学級崩壊やいじめの原因に教師説がある。確かに私の実感としても教師が実力者である場合はほとんど生じない。中学校や高校で、同じ学級でも教科の教師によって、生徒が話をよく聞く授業と、集中できない授業になるという話はよく聞く。
 私はジャーナリストとして全国の犯罪事件を取材していた頃、不思議なことに私にだけヤンキー少年が取り囲み、いろんな情報を知らせてくれた。もし自分が教師になったら彼らのような若者の役に立てるかもしれないと思い、私は教師になった。
 このような経験が教師として出発点となったものだから、私の教師生活はどこか傲慢さをはらんでいた。この傲慢さがほころびを生む。国語の授業中、小学2年生の女の子に「何しゃべってのるか、わかんないよ!」と言われた。
 私は焦った。逃げ出したかった。今思い出しても冷や汗が出る。この女の子の指摘は、私という教師を作りあげる契機となった。これ以降、私は徹底した授業準備、授業技術の習得に邁進し始めた。
 私がジャーナリズムの世界から教師に転身したとき、最初は公立小学校だったが、現在は中学高校一貫校の教師であるため、子どもを成長させない残念な教師とは主に中学校や高校の教師のことを指していると理解していただきたい。
 私が直接見聞きしたことや、研究会等で報告されたことに私の分析を加えて紹介していきたい。
(1)
鈍感な教師
 残念な教師の半数以上は生徒よりも「鈍感」である。私もかつては気づけない教師だった。教師が持つ鈍感さは、学校の教室という閉鎖された所で、誰にも非社会性を指摘されずにきた点にあるのではないだろうか。
 授業中、そのクラスの雰囲気を感じ取れず、毎授業、冒頭から最後まで同じペースで語り続ける、といった残念な教師の振る舞いはどこの学校でも見られるが、それが改善したという事例はあまり聞こえてこない。
(2)
学ばない教師
 あるアンケート調査によれば、教育関係の本を年間20冊以上読む教師は23%となっていた。教師として読むべき実践事例や研究といったものが、ごまんとあるのにそれを知らないまま実践をしている教師が多い。
 ある中学校長は「教員養成系大学を卒業した若手教師でも指導案すら満足に書けないよね。斎藤喜博や東井義雄も知らないからね。若い教師がよくいう『子どもが好きで』は当然でさ、そこから何ができるかが大切なんだから」と嘆いていた。
 
「学びの共同体」で知られる佐藤学教授は「古来、教えるという不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教えることが許されたのだ」と述べている。
 私は時間があれば、出かけ様々な人と交流するようにしている。私は生徒によっても形作られている。人は人の間で育つ。私自身多くの人に磨いていただいて今があると思っている。
(3)
学べない教師
 
「生徒は教師の話を聞くのが当たり前」というスタンスでは教育が成立しなくなったことに気づいてない教師がいる。こういう教師は、話法の向上や話す内容の精選、生徒が話しを聞くときの心理に目を向けない。
 先輩教師の素晴らしい実践を見せてもらっても、その良さがわからず、何も学べない教師がいる。私自身、何人も出会っている。
(4)
練習をしない教師
 説明することを抜きに授業はできない。生徒は下手な説明しかできない教師をすぐに見限る。だから教師は説明の技術を向上させる必要がある。しかし、教師の多くは説明の練習をしない。私は練習をせずに授業をしたことはない。そもそも練習なしに生徒を満足させることは考えられない。
 教師は多忙で練習する時間が限られるので、大切な部分(授業の冒頭やまとめ、重要な所、生徒がつまずく所)を対象として練習する。説明には、語彙の選択、発声、声量、速度、抑揚、くり返しなどの強調表現、話すときの表情などチェックすべきポイントがあり、練習し反省しなければ技術は伸びない。
 だから、自分の授業を動画で撮影して確認すべきなのである。そうすることで、自分の動きと声が合っているか、全員に届く声量・速度で話せているか、一文が長くわかり難い説明になっていないかなど、冷静に分析できる。
 私は、自分の授業を全て撮影し、それを何度も見て弱点部分を意識して練習を繰り返すことで改善してきた。さらに研究授業など緊張する授業実践を多くし、教師同士が学び合ったりすることが重要である。
(5)
先人の意図を理解せず追試する
 
「教育技術の法則化運動」を起こした向山洋一が求めた技術は「指示」だった。指示をしっかり理解して実践すれば、全員跳び箱を跳ばすことができるようになったからである。この活動は教師にとっては福音となった。
 指示は短い方がいい。確かに熟達者の指示は短くて明快なので若手教師でも盗みやすい。私もそれを使ってうまくいった経験がある。
 だが、未熟な教師は適当にざっくりと盗んでくるのだ。追試するとき、言葉の隅々までケアしていた先人の意図は伝わらず、生徒から質問がでると、詳細な理解をしておらず返答に苦慮する。すると学級の空気は冷えたものになり、それが続くと「あの先生は何を言っているのかわからない」となる。
(6)
見づらい板書
 中学・高校教師の書く板書の約半数は見づらい。小学校の教師は字も綺麗で良い。赤チョークやホワイトボードの緑ペンは見えないことがある。教科書に書かれている内容の劣化版イミテーションを黒板に再現することを板書だと考えている教師が多数いる。
(7)
ダメなプリント(ワークシート)
 プリントも生徒にとって非常に見づらい、わかりづらいものが多い。例えば、情報の配置に無自覚で視線の移動を考えていないもの。余白がすくなすぎて書き込めないもの。引用がずらずら書かれているもの、がある。
 塾などで、そのような汚いプリントが配られることは少ない。プロの教師として対人意識が希薄だと生徒に判断されてしまう。
(8)
課題の出来具合を確認することしかしない机間指導
 机間指導は課題の出来不出来を確認する程度しかなされていないことが多い。私が求めるレベルはこのようなものではない。生徒の様子や質と、その変化を見るのだ。
 例えば、筆箱の種類、机の落書き、髪型、色の好み、芸能人等の好みといった基本情報から、服の汚れ、フケや白髪の量、爪の状態、アイプチしているかまで多岐にわたる。これらの情報をカルテ化してキープしておく。すると会話のきっかけになったり、SOSを捉えられたりするのだ。
 生徒の変化を見ることのできる機会はそう多くない。授業中がチャンスだといえる。
 机間指導で注意すべき点は、教師の清潔感と匂いと距離である。相手は多感な10歳代である。汚らしい大人には近寄られたくない。私も爪を切る、髪型を整える、シャツやズボンの折り目やしわをとる、食後に歯磨き、口臭予防のガムを常備することを励行している。
(9)
子どもをよく見ない
 授業中に黒板と教科書のみに視線を集中し、一部の生徒しか見ない教師がいる。生徒は教師をよく観察している。「あの先生は、いつも○くんばかり見ているよな」と、不平が出る。その教師の授業を見にいくと、たいてい独りよがりの動作や授業展開であることが多い。結果として教師と生徒の距離が遠くなり、教室が冷えているように感じる。
(10)
子どもを怒鳴れない
 私が怒鳴る理由は2つある。まず、教室の緊張した空気が生徒の心理や理解に効果的に働く場合である。だから怒鳴ることは全て計算づくであり、論理的に筋道の通っていないことを言ったことはない。感情で怒鳴るのは教育行為ではない。
 現実的に、怒鳴るレベルでないと、生徒が大人をなめる状況が生まれることもある。往々にしてヤンチャな生徒は甘い教師をなめる。この力関係ができあがると、指導が非常に困難になる。
 全ての教師がそうである必要はないが、父性を担当する教師は怒鳴ることができないと、生徒と対決する場面で指導力が弱まってしまう。適切な怒鳴りができれば、生徒に内容を深く理解させられることも多い。
 もう一つ、誰からも怒鳴られたことのない者が社会の荒波を乗り越えていけるのかという点である。今の生徒は社会の荒波をも乗り越えいかねばならない。そのためには心理的な屈強さが不可欠であり、それを身に付けてもらうために壁になろうというのが、私の考え方である。
 しかし、何度もシミュレーションし、怒鳴るしかないと決めて怒鳴った日でも、ひどく落ち込む。教育には完璧がないと実感する瞬間である。
(
林 純次:1975年埼玉県生まれ、大手新聞社記者、ジヤーナリストを経て関西の中高一貫校教師。読売教育賞優秀賞(国語)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級崩壊で教師を辞めたいと思ったが、いかにして克服していったか

 転勤した中学校で初めて担任となった。教室の扉を開けると、給食当番の白衣が飛び交い、傍らで男子生徒が泣いていた。白衣はその生徒に向けて投げられていた。「やめなさい、何でそんなことをするの」と、状況が十分につかめないまま、ただ声を荒げるしかなかった。
 泣いていた生徒との交換日記で少しずついじめの状況を把握するとともに、いじめている生徒からも事情を聞いた。すると、うまく説明できずにイライラしている様子が伝わってきた。言葉が出ないから手が出てしまっていたのである。
 コミュニケーション能力が弱いうえに社会的スキルも違う。異なる言語を持つ子たちが集められたようなもので、それが荒れやいじめとなって表出してしまう。
 自分だけの手には負えないと感じ、多くの保護者が出席しやすいように夜の懇談会を開き、当事者名を出さずに学級の状況を説明して助けを求めた。とにかくやれることは何でもやろうと必死だった。
 そんな悪戦苦闘の中で、教師のセンスやキャラクターによって場当たり的に解決していくことの限界を感じた。何かが起きる前に打てる手はないのか。社会性を身につけ、ルールを定着させる手立てを多くの教師が共有できる術はないのか。思い悩んでいたときに出会ったのが、「エンカウンター」だった。
 東京都立教育研究所で教育相談専修コースを修了し、渋谷区の中学校に赴任。エンカウンターを研究していた教師2人と同じ学年の担任となった。生活指導上の問題が少ない中学校だったこともあり、対応に追われることなく、17個のエクササイズを中心とした年間プログラムを作り、その3クラスが同時に進めた。
 生徒同士のつながりだけでなく、教師と生徒、教師と教師のつながりが深まった。「これでいじめなどの問題が予防できる」そう自信を持ち始めた矢先、次の中学に異動となった。
 始業式当日、受け持つクラスの教室に入ると、生徒があちこちで好き勝手におしゃべりし、歩き回っていた。いわゆる学級崩壊状態です。たまらず注意すると罵声が返ってきた。「ウザイ」「ババア」「帰れ」と言われ、何かしゃべると、「聞いてねえよ」と返ってきた。
 授業中に机の上を走りまわる生徒、以前の生徒よりも手強く、教師を半ば“無視”をした。前年の担任6人のうち5人が他校へ異動となり、「見捨てられた」と感じた生徒たちは教師を信頼できなくなっていた。
 鹿嶋先生が何度熱く語りかけても、生徒達はなかなか変わってくれない。それまで築き上げてきた教師としての自信を完全に失った。朝、出勤前に布団で泣き、休み時間にトイレに駆け込んで泣いた。このまま教師を続ければ、自分が壊れると。
 鹿嶋先生は、胃潰瘍になり、学校の校門をくぐるのが怖くて、帰ってしまったこともあった。「人間やめますか?それとも、教師やめますか?」というような状況だった。20年近く教師をやってきて、はじめて「教師を辞めたい」と思った。
 そして、友だちに「教師を辞めたい」と相談した。友だちから帰ってきた言葉は、「鹿嶋さんらしくないね」と。そこで、鹿嶋先生は、ハッとします。自分が20代の頃、ガムシャラに教師をやっていた時のことを思い出した。
 
「今の私は、昔のように本氣で生徒に向き合っていない。自分の苦しみから逃れることだけだ」「自分は独りよがりだった。私ばっかり、なんで私ばっかりこんな辛い目にあうの」と考えていた。
 
「本当に一番苦しいのは、子どもたちじゃないだろうか?」「子どもたちに、何かしてあげられないだろうか?」と見方を変えた瞬間に、「周りの人を支えたい」と思った。「視点を変えれば、光は必ず見えるんだ」と鹿嶋先生は考えた。
 エンカウンターをやろうにも取り付くしまもない。同じ学年の担任は皆、夜遅くまで学校に残り対策を話し合った。6月初旬の2泊3日の移動教室で「小さいころに、親から、してもらったこと、してあげたこと、迷惑をかけたこと」を思い出す「内観」をやろうということになった。
 教師がまず自分の思い出を話した後、内証で親から預かっていた手紙を生徒たちに渡した。生徒たちは壁に向かって読んだ。感動している様子が背中から伝わってきた。すすり泣く生徒もいた。そして、その手紙を、生徒同士で見せ合い、コミュニケーションを取り始めた。
 一人の生徒が鹿嶋先生のところにやって来て、「先生読んで」と手紙を差し出した。それまで「ババア」と罵っていた生徒だった。鹿嶋先生だけでなく参加した教師みんなが変化の兆しを感じた。
 ここで鹿嶋先生は気づきます。「そうか、先生と生徒ではなく、生徒同士がコミュニケーションを取れる方法を考えればいいんだ」と。そこから、「エンカウンター」を使って、生徒同士がコミュニケーションをとれる方法を作っていった。
 移動教室から帰った後、鹿嶋先生はクラスでエンカウンターを始めた。他の教師には耳慣れない言葉なので、あえて「エンカウンター」という名前は使わなかった。ところが、1学期も終わりに近づいたころ、学年主任から「できることは何でもやりたい。鹿嶋先生のやっていること、学年でやりましょう」と言われた。
 そんな言葉に後押しされて、2学期からは道徳の時間などを使って学年単位で取り組んだ。クラスごとの経験を教師同士がシェアし、反省点を反映することもできるようになった。
 何度かのエクササイズをへた10月の運動会の予行演習で鹿嶋先生を真ん中に3839脚をやった。転んでゴールをした時、隣で肩を組んでいた生徒が顔を覗き込んで「先生、うれしい?」聞いてきた。何度も聞き返す姿に、確かな信頼関係を感じると同時に、「この子たちは人の喜びを自分の喜びにできるまでに成長した」と実感した。
 学校・学級生活における意欲や充実感を測定する尺度調査票(Q-U)を使って、「友人との関係」や「教師との関係」などについてチェックをした。調査票から「学級との関係」や「友人との関係」について課題が浮かび上がった。
 
「思っていることは言う、書く」を継続することで関係性を深めていくことが大切だと考え、何かをしてくれた友だちにお礼のメッセージをあげるエクササイズ「あなたに感謝」を席替えの度に行った。次第にクラスの雰囲気がまとまっていくのを感じた。
 担任による日ごろの観察と合わせて「気になる子」をピックアップし、学年会やスクールカウンセラーなども交えた検討会で対応を話し合う。また、年2回の「ハートフルウィーク」では、自分の話したい先生を選んで相談ができるようにもなった。
 
「エンカウンターの授業が生きるのは、仲間の教師の存在と学校全体での取り組みがあってこそ」と鹿嶋先生は強調する。
 12月、受験への対応でしばらくエンカウンターの授業をできずにいると、給食の最中に一部の生徒たちが「勝手にエンカウンター」と称して、友人への感謝の気持ちを伝え合い、拍手をしていた。
 
「自分のした行動が人から感謝される」→「自分の行動は人を喜ばせると自覚する」→「他の人にも同じ行動をしてみたい」→「他の人からも感謝される」と言う思考や行動が強化された成果だと、鹿嶋先生は感じた。
 
「エンカウンターですぐに生徒が変容し、自己成長していくわけではありません。日々揺れ動く思春期の心に寄り添い、そうした揺れに対して臨機応変に展開していくことこそ、いまの中学で求められているのだと思います」
 
「教師は情熱がまず第一条件。情熱だけではダメだなっていうことを体験したので、そこにワザがなくちゃいけない。立ち止まることなく、いつもいつも研究をし続けながら現在進行形で実践する人です」と鹿嶋先生は語る。
(
鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校で30年間勤務、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学准教授。TILA教育研究所代表。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。 『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

菊池省三流「荒れた学級」の立て直しかた

 「学校は公の場」であることを子どもに意識させる必要があります。学校は「公の場」であることを毅然と示す態度と、学校全体のシステムの見直しという二つの視点から、学校を対直す糸口を見つけていくことが必要です。
 教室という「公の場」で、決められたルールを守り、仲間とともに楽しく気持ちよく学びあうのが学校です。ところが、荒れた学級では公の秩序が乱れていることがわかります。例えば、教師と子どもが「教える」「教えられる」関係になっていません。
 学級を再び「公的な場」として立て直すためには「言葉づかい」「授業を見直し始業時間の厳守」「授業以外でのルールを示し共通理解する」の三つのポイントが重要であると考えています。
 学校のシステムを見直すには、例えば、毎日10分間のドリルなどの反復練習で基礎学力の向上をはかる。児童会で「あ(挨拶)・し(姿勢)・へ(返事)・そ(掃除)・は(履物入れ)・い(椅子入れ)運動で生活習慣の定着をする。教師が「させる」のではなく、子どもたちが決めたことを、周りの子どもたちに広げます。教師だけでは限界があります。
 不信感でいっぱいの子どもたちの心を解き放ち、本来の子どもらしさがあふれる教室を取り戻すためには、教師と子どもがしっかりとつながり合うことが必要です。学級を立て直すには
1 子どもの過去は問わない
 進級してすぐ、私は必ず子どもたちにかける言葉です。新しい学級で新しい自分を築き上げていこうという意味です。新しい自分を意識させていきます。プラスの方向に導きます。
 しかし最初は、子どもたちは不安でいっぱいなのです。ふとしたことをきっかけに学級が荒れてしまうのです。教師と子どもたちとの信頼関係が十分に築けていないからです。一学期中は、教師が子どもたち一人ひとりとしっかりつながりあう、大切な期間です。
 新学期早々、わざと指示の逆の言動をしたりする子どもがいます。このとき教師は即座に反応し、対抗してはいけません。自分の思いを素直に表現することになれていないため、わざと斜めに構えた態度をとってしまうこともあるからです。「ああ、この子は変わりたいんだな」と新しい担任や学級に期待を抱いているのだと受けとめましょう。
 そういう子に対しては、ぶつかるのではなく、一歩引いて「すかす」形で対応します。例えばプリントを配ったとき「○くんは、プリントをていねいに二つ折にしました。勉強を頑張ろうという姿勢が見られていいですね」とほめます。いいところを見つけ、価値づけをしてほめることで、子どもたちをプラスの方向に導いていく仕掛けが必要です。
2 子どもの情報を把握し、先手を打つ
 気になる子どもの情報をしっかりと把握し、マイナスの行動を止めることも重要です。タイミングを見計らって先手を打つことが大切です。
 問題を抱かえている子どものマイナス情報に引きずられると先入観をもち、子どもとうまくつながることはできません。マイナス情報は、むしろほめる材料として使うようにします。「昨年は、・・・・・だったけれど、今年はこうなったよ。すごく成長したね」と比較してほめるのです。
 教師は周りの子どもたちを味方につけ、問題を起こしがちな子どもに引きずられないようにすることが必要でしょう。
3 子どもを「見る」だけでなく「眺める」視点が大切
 気になる子どもとの距離を縮めすぎると、悪いところばかりが目につきやすくなります。問題を起こすと、つい感情にまかせて叱ってしまい、子どもと衝突してしまいます。
 教師は子どもを見るだけでなく、一歩引いて客観的に「眺める」視点も大切です。問題を起こす子は責められることが多く「どうせ自分なんか」と自己肯定感をもてずにいます。特に問題を起こしたとき「またこの子か」と先入観で決めつけず、きちんと話を聴くことで、落ち着いた気持ちで問題に向き合うことができます。
4 教師は「母親、父親、子ども」の3つの役割を演じ分ける
 母親のようにおおらかに受けとめ、父親のように厳格に接することも必要です。「眺める」視点をもっていれば、どの場面でどう演じればいいか、自ずと見えてくるはずです。
5「報告・連絡・相談(ほうれんそう)」は早めに
 生徒指導で大切なのは、早く子どものサインに気づくことです。常にアンテナを高くし、問題行動の小さな芽に気づくようにしましょう。気になることがあれば、同僚や管理職に早めに報告・連絡・相談しておき、多くの目で子どもを見守っていくことが大切です。
6 特別な配慮が必要な子どもへの対応 
 発達障害児など特別な配慮がいる子どもがいいます。過剰に接してしまうと「あの子だけ特別扱いしてる」と反感を買うことになります。教師はどの子についても価値を認めて、ほめることが大切です。「今日、○さんは明るい顔で友だちに話しかけていました。すごいですね。それを見つけた△さんもえらい」と、価値ある行為をクラスみんなで共有していくのです。ともに成長していこうとする学級づくりが必要です。
7 ほめ言葉のシャワー
 さまざまな問題を抱かえた子どもたちに自己肯定感をもたせ、教室を安心できる場にしたいと取り組み始めたのが「ほめ言葉のシャワー」です。一人ひとりのよいところを見つけて、クラス全員がほめ合う活動です。対象になった子のよいところをみんなで見つけ、帰りの会で発表し合います。時間は1015分あればできます。
 いざ取り組むとなると難しいという声が聞かれます。根づくためには、教師と子ども、子どもと子どもの人間関係づくりが土台に必要なのです。そのために、私はまず教室につぎのような「ほめ合うサイクル」をつくります。
 担任が子どもたちをほめます。やる気が出る。よいことが増える。安心する。すると、ほめられた子どもは徐々に自分に自信をもち、相手をほめたいという気持ちが芽生えます。子ども同士がほめ合います。みんなのために自分らしさを発揮します。
 このような「ほめ合うサイクル」で、ほめ合う関係が生まれることで「ほめ言葉のシャワー」は初めて成立するのです。
8 指導に即効性を期待しない
 若い教師たちに多いのですが、指導後、期待通りに子どもに効果がでないと焦るという話を聞きます。即効性に期待してはいけません。即効性を期待すると、理想と現実にギャップが生じ、教師の思いと目の前の子どもたちがずれてきます。学級崩壊の要因になってしまうのです。
 教師は1年間というスパンで見通しを立て「1年後にできるようになっていればいい」と余裕をもちましょう。私の学級では、4月に子どもたちから「教室にあふれさせたい言葉」「教室からなくしたい言葉」「1年後に言われたい言葉」「1年後に言われたくない言葉」を挙げさせ、1年間教室に掲示しておきます。子どもたちに1年後の未来像を示すことは、とても意味があることだと思います。
9 日々のふりかえりを
 学級づくりにおいて、教師の日々のふり返りが必要です。特に4~5月は、毎日のふり返りが重要になります。
 子どもの姿のいい面、悪い面ばかりとらえてしまうと、偏った指導になってしまいます。
 例えば、気になる子どもに対して、いつも悪い面ばかりとらえてしまうと、言動をやめさせることばかりに目が行き、その子のいい面を見逃してしまいます。
 ふり返りには客観的な視点が必要です。そこで、子どもたちの姿を記録しておくことが大切になります。書いた直後は主観的でも、翌日改めて読み返してみると、冷静な判断ができるようになります。
10
毅然とした態度で臨むことも必要
 子どもいいところをみつけ、一人ひとりの子どもとつながることは大切です。ただし、つぎのような時は絶対だめだという毅然とした態度で臨むことが必要です。
(1)
教師に対する不遜な態度(教師をバカにしたものの言い方や無視、タメ口で話す)
(2)
時間を守らない
(3)
忘れ物をする(社会に出たとき、相手から信頼を失うほど大切なことです)
(4)
掃除や給食など、当番をさぼる(みんなのために働くことは、集団生活に必要不可欠です。認めてはいけません)
 かつてはどこの家庭でもこういう生活規律をしつけていたのですが、今は家庭でしつけられず、いきなり学級で「公」のルールを出しても実感できないのが現状です。
 お互いに信頼関係ができてくる中で「相手への思いやり」の気持ちが生まれてきます。相手を思いやる気持ちがまだ十分でない4月は「公」を少しずつ意識させながら、子ども同士の人間関係づくりをしていくことが大切です。
 学校は「公」の場であり、社会を教える場でもあります。教師は「子ども」を育てるのではなく「人」を育てるという自覚をもつことが大切です。
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級崩壊させないためにも、今の時代の教師として身につけるべき資質とはなにか 

 私は教師生活が20年を超えていますが、教師に必要な資質をあげろと言われたら、次のように答えます。
1 いつも笑顔でいること
 教師が子どもたちのそばに、いつも上機嫌でいること以上に教育効果を発揮する教育手法などないと、考えるに至りました。教師は子どもたちのモデルです。もし、子どもたちと和気あいあいと過ごし、なごやかな子どもたちを育てたいと思うならば、教師であるあなた自身が常に上機嫌で「いつも笑顔でいること」が必要なのです。
 いつも機嫌よく過ごすためには、よく寝なければならない。余裕をもって仕事を進めなければならない。子どもとのトラブルさえ楽しめるような心の余裕もっていなければなりません。それができないうちは、実は教師としての実力もまだまだなのです。
 楽しくないことがあっても、多少体の調子が悪かったとしても、子どもたちの前では上機嫌に振る舞えることが、教師にとって最も求められる振る舞いなのです。そういう原因が自覚できれば、けっこう対処の仕方というものはあるものです。それを意識して子どもたちの前に立っているうちに、特に意図的に振る舞わなくても、ほんとうに上機嫌でいられるようになるものです。
 いつも笑顔でいることができないということは、おそらく人生を楽しめてない場合が多いのではないか、私はそんな気がします。
2 孤独に耐える力をもつこと
 教師という職業は、子どもたちを「社会に有用な人間」「将来、自分で生きていくことができる人間」にするために「自立した大人」へと成長させるためにあるのです。子どもに好かれるためにあるわけではないのです。
 教師が良かれと思ってしたことが子どもや保護者に理解してもらえないことがあります。教師には子どもや保護者とぶつかったとしても筋を通さねばならないことがあります。それでも笑顔でいなければならないということです。自分が正しいと判断したこと信じて行う。人を導くには孤独をかみしめることも少なくありません。幾度となく孤独に耐えねばならないのです。それがリーダーであり指導者なのですから。
 子どもに嫌われるのに耐えられなくなったり、保護者のクレームを怖れて事なかれ主義に陥ったり、同僚とのあつれきを避けて納得できない提案を受け入れたりするのは、すべて「孤独に耐える力」欠如が原因なのです。教師たる者は孤独に耐えねばならぬという覚悟が必要です。
3 無駄もまた楽しむ
 教師は子ども相手の仕事です。当然、指導してすぐに成果があがるとは限りません。すぐに成果が上がらないのが普通です。一度指導しても、また同じことを子どもがしてしまうこともあります。
 
「あんな子に指導しても無駄だから指導しない」と言っている教師がいました。気持ちはわからないでもありませんが、それは仕事を放棄しているのと同じです。だって、教師の仕事は無駄の連続なのですから。無駄だからしないと言ってしまっては、教師の仕事はほとんどなくなってしまいます。
 一つの指導、一つの取り組みによってすぐに効果があらわれることは皆無です。それを続けることでしか、成果があがることはないのです。「それでもやる」、教師の仕事はその連続です。やり続ける覚悟が必要なのです。長いスパンで子どもを見つめていると成長しているものです。いろんなことが見えてくるものです。
4 子どもといっしょに馬鹿げたことを楽しめること
 人はいっしょに笑った分だけ、人間関係を築くことができます。いっしょに楽しく過ごすということだけが重要なのです。学生時代の友人とのやりとりを思い浮かべれば合点がいくはずです。一見意味のない、くだらないことにいっしょに取り組む。そしてばかばかしいなと大笑いする。
 行事やレクレーションなどでは、子どもたちとともに楽しむ姿勢が必要です。何度もいっしょに行うことが、少しずつ大きな意味をもち始めることもあるのです。
 いつも苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたり、口うるさくお説教ばかりしていたりしていて、子どもたちに「自分の言うことを聞け」と言っても無理があります。もちろん、必要なときには指導をしなければなりませんが、日常の学校生活においては、馬鹿げたこと、くだらないことを子どもたちといっしょに楽しめる感性をもちたいものです。
5 学級を統率していくコミュニケーション能力
 学級崩壊にならないためには学級を統率していく力が必要です。それには、つぎのような3つのコミュニケーション能力が必要です。
(1)
自己主張
 自分の意見をしっかり主張することができ、他人のネガティブな言動や態度に対してしっかりと戒めることができる力。
(2)
共感力
 他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考えることのできる力。リーダー性にとって絶対に必要とされる能力。
(3)
同調力
 バラエティ番組に代表されるような「場の空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げたりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。現代的なリーダーシップには不可欠と考えられている。
 教師はいま、この3つの力の総合力としてのコミュニケーション能力をもたねばならない立場に置かれています。ベテラン教師、お母さん教師、優しいお兄さんお姉さん教師が学級を統率できずに学級を崩壊させる要因がここにあります。
6 自らを変える
 教師は成長することが重要です。成長とは自らを変えることです。常に自らを変化させようとアンテナを高くする。現状を一歩でも進める方法はないかと常に考えている。そういう教師だけが子どもたちを導く資格があると私はそう考えています。
 教師は何より変化を恐れます。変化しないことが楽で安全で安心だからです。しかし、同じ手法を8~10年程度使っていると、時代の変化や子どもたちの変容によって耐用年数が切れてくるものです。転勤して質の異なる子どもたちを受け持っているにもかかわらず、同じ手法で実践し続けるという傾向もあります。常にいま目の前にいる子どもたちの実態に合ったシステム、スキルを身につける必要があるのです。
 教師が変わるために最も必要なことは「自信」です。変えることによって、想定外のことが起こる。それに対応できるという自信がある人はシステムやスキルを変えることができるのです。自信をもっていない人ほど変えられません。
 教師は子どもたちに「変われ」と言い続けなければならない立場にいるのです。そんな私たち自らが現状維持に安住しているとしたら、子どもたちの前に立つ資格があるのでしょうか。
 成長しないことは子どもの前に立つ資格を問われるほど重大事なのです。成長とは現状を破壊し再構築すること、即ち「変化すること」なのです。
 教師が日々学び続け、日々変化し続け、日々成長し続けることによって、教師が自信をもって子どもたちに言おうではありませんか「成長せよ、私も成長する」と。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」顧問)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級が崩壊するプロセスと崩壊しないための条件とはなにか

 学級に「ふれあいのある人間関係」と「ルール」の確立がともに満たされると、一人ひとりの子どもに大きな教育効果をあたえます。
 学級にふれあいのある人間関係がないと、子どもは教師に信頼感がもてず、管理的だととらえられてします。ルールがなければ、子どもたちの生活が快適にならず、感情の交流が生まれにくいでしょう。 
 この「ふれあい」と「ルール」は学級づくりに欠かすことができない重要な2つの条件です。
 この二つの条件を満たしている教師は、私の調査では2割です。この条件を満たしている教師たちは共通して、子どもたちの気持ちや考えを察すること、教師の考えや気持ちを伝える技術、具体的な対応といった面ですぐれている印象を受けました。
 もっとも多いのが、ふれあいのある学級よりも管理的にまとめようとする教師で6~7割です。残りは、学級内の人間関係がなれ合いになってしまい、秩序が形成されず学級が崩れていくケースです。どちらのケースも、学級経営に必要な2つの条件のどちらか一つが欠けています。
 その欠けた一つ条件の影響がもう一つ条件にマイナスの影響をあたえます。最後には2つの条件とも確立できない状態になり、学級崩壊につながっていく危険性が大いにあるのです。
 学級が崩壊するプロセスを教師のタイプ別で見ていくと
(1)
教師の働きかけが少ないタイプ
 もっとも学級崩壊が早い。このタイプの教師は、最初から学級を育成するために、学級のふれあいのある人間関係とルールを確立しようとする働きかけが少ないのです。
 ルールを確立しようとしないために、子どもの行動の枠が育たず、子どもたちは烏合の衆になっていくか、力の強い子による勝手なルールによって、彼らの思い通りに牛耳られていきます。その結果、教師の指導はまったく通用しなくなってしまいます。
(2)
罰や叱責で子どもの行動を規制するタイプ
 子どもの行動を規制する枠を、教師の罰や叱責というかたちで、いちおう学級は形を保っている状態です。
 しかし、そのうち抑圧されていた子どもたちから徐々に不平がでてくるようになってきて、教師に反抗する子どもが出てきます。その輪が過半数を超えると、子どもを押さえていた教師の力は急速に効力を失っていきます。
 子どもたちに反抗の余地を与えないような圧倒的な権威をもって、教師が子どもを完全に押さえ込んでいる学級では、子どもは教師の指示に従うが、子どもの心には不安や緊張が高まっています。子どもにとっては学級崩壊に等しい状態であるといえるでしょう。
(3)
自分の意図通りに子どもを管理するタイプ
 この教師は、子どもが抑制されてストレスが溜まってきたなと思ったら、発散させるテクニックにたけています。例えば、授業時間をつぶして、子どもの喜ぶことを特別にやらせたりします。やがては飽きてきて、その手も通用しなくなってくるでしょう。
(4)
温和で親しみやすいタイプ
 子どもから好感をもたれます。でも、それに教育技術が伴わないと学級崩壊を招いてしまうことがあります。
 なるべく子どもと衝突したくないから、ルールを確立すべきときに、一貫した指導を行うことができません。学級生活を送るために必要な最低限のルールを確立する技術が乏しいのです。
 そのうち子どもの指導が必要なときに、教師として罰や叱責の力を使わざるを得なくなります。しかし、力の弱いものになってしまい、学級内がなれあいの雰囲気になります。それまで、温和でやさしい教師であったので、子どもたちはついていけなくなります。
 学級づくりに必要な「ふれあいある人間関係」と「ルール」づくりはどうすればできるのでしょうか。
 教師が教育愛に燃えて熱血的な指導をすれば、子どもたちはそれを受け止めて成長してくれると考えるのは、あまりにも短絡的です。教師の思いを子どもに伝える取り組みや技術が必要なのです。
 注意すべきポイントは、その教師の学級経営を子どもたちはどういう風に受けとめているかという視点から検討することが必要です。
1 学級の子どもと「ふれあいのある人間関係」をつくるには
(1)
子どもを尊重する
 子どもの失敗を受容する。問題行動は注意するが、人間性は否定しない。指導や指示を命令口調でいわない。子どもをプラス志向でとらえ、よいところをほめてあげる。
(2)
子どもを豊富な視点でとらえる
 一人ひとりの子どものよいところ、興味のあることを知っていて、言葉がけの話題とする。
(3)
子どもが話しかけやすい雰囲気を意識的につくり、子どもに話かける
 意識して楽観的な雰囲気を醸し出す。休み時間、放課後などで、子どもとくつろいでおしゃべりできる時間をつくる。自己開示し失敗談など話す。その子と共有できる会話を楽しむ。子どもの甘えを受けとめる。
(4)
ユーモアと遊び心
 子どもが喜ぶような楽しい話、怖い話をいくつかもっていて、ちょっとした時間に話す。
(5)
教師と一人ひとりの子どもとの関係づくりをする
 交換日記など、一人ひとりの子どもと心をつなぐパイプをもっている。わずかな時間をとらえて話し合う。
(6)
子ども同士のふれあいのある人間関係を育成する
 子ども同士で教え教えられる活動を取り入れる。友だち関係が活性化するように班編成や席決めをする。学級通信で全員紹介し友だちづくりのきっかけをつくる。友だち関係のマナーや心配りを説明する。
(7)
学級でのふれあいある人間関係の育成する
 楽しいゲームや遊びを教師が持っている。一人の人間として自分はこう思うんだということを場面に即して率直に話す。人権侵害、いじめは絶対に許さないと表明し実行する。
2 学級生活を快適にするルールづくり
(1)
子どもたちの考えの取り入れ  
 ルールを決めるときに、子どもの考えや希望を調査して、すべての子どもの意見が反映される最大公約数的なものを考える。
(2)
ルールの意味を説明する
 子どもを管理するのではなく、子どもたちが快適な学級生活を送るためにあることをくり返し説明し理解させる。
(3)
ルールの運用
 ルールにそう行動を、モデルを示して説明する。ルールをみんなで共通理解させる。ルールを守る大切さを説明する。週に2回くらいの割合で、ルールが達成されている場合はしっかりほめる。学級目標の下に小目標を設定し、子どもが抵抗なく取り組める配慮をする。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもに好かれ、子どもとつながるにはどうすればよいか

 学級づくりは、まず「担任と子どもたちとの人間関係づくり」から始めます。担任は全力で子どもたちとの関係づくりに努めることが大切です。「教師の指導力は子どもとのつながりの強さに比例する」との自覚が教師には必要なのです。
 担任が目標を達成しようとしても、子どもたちとの信頼関係がないところでは、目標の達成をしようにも、子どもたちは受け入れないのです。つまり、担任と子どもたちとが信頼関係をつくることで、学習指導や生徒指導ができるのです。
 では、担任と子どもたちは、どうしたらつながることができるのでしょうか。
 子どもとつながるには「子どもに好かれること」です。好きな人の言うことは聞くが、嫌いな人の言うことは聞きません。子どもに好かれる教師になるには、一緒に遊んでくれる。時間を守る。熱心に教えてくれる。頭ごなしに叱らない。間違ったら謝る。などいろいろ挙げることができます。
 好き嫌いは個人の感覚の問題ですから、子どもによって違ってきます。では、子どもに好かれる最低条件はなんでしょうか。それは「子どもが好きであること」です。しかし、子どもを好きな教師でも、子どもとうまく関係がつくれない人がいます。なぜでしょうか。
 教師が子どものほしいものを与えることができていないということです。それでは、子どもは何を求めているのでしょうか。それは「教室で自分の居場所を見つけること」です。
 教室が居場所になるためには、教師が「あなたのことを見ていますよ」「認めていますよ」というサインが重要な働きをしていると考えられます。子どもは、いつでも、ちゃんと自分を見てくれている人を好きになります。
 だから、教師はいつも「あなたを見ているよ、大切に思っているよ」というメッセージを発するようにします。気持ちを伝える。注目しているならば、その事実を伝えるようにします。具体的には
1 見ていることを伝える
(1)
「・・・・いいなあ」「・・・・・好きだなあ」と伝える 
「美しい字だなあ」「いい意見だなあ」「○さんのそういうところ好きだなあ」と、いいと素直に認めます。本気でないと伝わりません。
(2)
変化を見逃さない
 ちょっとした変化に気づいてもらうと、子どもはうれしいものです。しつこくしないのがコツです。
(3)
努力や過程を見る
 
「がんばったんだね」と声をかけます。
(4)
感謝する
 
「窓を開けてくれてありがとう」など、日常の行為をあたりまえと見ない。
(5)
感動する、笑顔でいる
 力のある教師の共通点は「機嫌がいい」ことです。教師が笑顔でいると、子どもに安心感を与えます。きわめて大切な技術だと思います。
(6)
ねぎらう
(7)
アイコンタクト
(8)
誕生日を祝う
(9)
暑中見舞い、年賀状、サプライズレター
 そこにクイズを入れたりします。その日のがんばりを書いて机のなかに入れておきます。
2 一緒に遊ぶ
 子どもは遊んでくれる先生が好きです。まずは、一緒に遊べる子どもと遊び、遊べる子どもを増やしていきます。遊ぶのが苦手な教師はおしゃべりが有効です。
 教師が本当に楽しみ、ちょっとでもいいから「盛り上げる」ようにします。子どもと同じくらいのテンションで始め、ちょっとテンションを上げて終わるくらいでいいのです。
3 叱る
 子どもには叱ることは必要です。場合によっては、かなり厳しく出なくてはなりません。
 自分で悪いとわかっていてもやめられない場合もあります。そういうときは、ちゃんと叱ってあげたほうがいいのです。
 また、人権侵害行為には、毅然とした態度で、こってりキッチリと指導する場合も必要になってきます。重大事件に発展する可能性があるからです。叱る勇気を持ちましょう。
 叱ってダメ出しするのですから、そのままにしておいてはいけません。子どもの居場所を奪わないように叱るにはどうすればよいでしょうか。
(1)
恥をかかせない
 大勢の前で大声で叱ることはさけたほうがいい。
(2)
叱る基準を示しておく
 命の危険にさらす。いじめなど人権侵害。集団への迷惑行為。宣言した以上に絶対守ります。徹底的に指導しないと嘘だと思われてしまいます。
(3)
短く叱る
(4)
一度に叱ることは一つだけ
(5)
人格を否定しない
(6)
逃げ道をつくる
 適度なところで逃げ道をつくってあげることも大切。
(7)
終わりは穏やかに
 最初から最後まで激しい指導では、心を閉ざしてしまいます。
(8)
フォローする
 叱りばなしにしない。フォローのひと言が大事です。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。現場の教師を勇気づけたいと願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「できる」教師になるには、どうすればよいのでしょうか

 その人の品性、知性は日常つかう言葉に表れます。丁寧な言葉つかいは社会人として当然のことですね。
 教師が子どものことを「こいつら」と言うのはやめてほしい。「傲慢さ」「決めつけて話す」「相手の話を聞き入れない」「礼節を欠く」などは、子どもと接する教師としては絶対持ち合わせてはいけない。
 そういった残念な人達と職場で接して、山のように学んできました。私は嘆くことなく「神様が自分を成長させるために刺客として送り込んでいるのだな」と思う習慣を持ちました。
 結局、問題は言葉や態度の奥にあるものです。その人の意識です。仕事、人、生き方に対する意識が言葉や態度として発信されているのです。言葉や態度はその人の名刺です。常に自戒し、気をつけていきたい。
 表情豊かな教師は子どもに支持されます。子どもたちは驚くほど教師の表情を見ています。私は笑顔でいようと努力しています。
 質問上手は授業上手です。質問は自分が一番聞きたいことをズバッと質問します。また、司会上手は授業上手なのです。司会は本当にその人の力量、意識が表れます。
 教師という仕事は子どもたちと接している職業です。だからこそ、新鮮さが求められます。新鮮な気持ちで勝負したいものです。慣れや、こうすればうまくいく、ということの蓄積はもちろん大事です。しかし、それが惰性や流れ作業のようになってはいけません。
 同じことをやるにしても、ちょっとアレンジを入れて変えていく。同じ単元でも違うアプローチにしてくる。常に貧欲に、子どもたちとの授業や接し方を追い求めたいですね。
 教師はどれだけ忙しくとも、美術館など知的な場所に行く習慣をつけたいものです。会場に入ると、頭のモードが教えるから教わるに変換されます。教師にとってとても重要です。子どもの側に立つことになるからです。
 学んでいる教師、吸収している教師から発せられる言葉には重みが生まれます。子どもたちには教科の学習だけを語るのではなく、教師自身の学びの軌跡や楽しかった経験を生き生きと語ることが大切だからです。子どもたちは、後々までこぼれ話を覚えています。
 教師という仕事は、多くを学び、多く遊ぶ必要があると私は思っています。教師の生活感や教師自身が楽しんでいる姿は子どもたちの心に響きます。
 教師が子どもの前で話す内容を高めるためには、投資することが必要です。
 例えば、本や教育雑誌を買って会話しながら読む。この本だと思ったら何度も読みましょう。自分を変えてくれる幸運な本かもしれません。
 セミナーや研修に自費で参加し、新しい知識や方法を吸収する。あこがれの先生のセミナーや講演会に出かけて行き、講師の考え方、生き方、オーラを肌で感じる。講師との出会いから生き方が変わることもある。
 博物館や美術館に行き、専門員に聞いて教材探しをする。
 そのうち、そういうことが楽しい体質に変わっていきます。最初は狂気じみているくらいに熱中するくらいでちょうどです。ノートにびっしりとメモを書く。ファイルしていく。その日の学びについてすぐにまとめる。自分の身体の中に溶け込ませることを習慣にしましょう。
 自分に投資した分だけ、子どもの前で話す内容が変わってきます。子どもとの瞬時の受け答えが変わってきます。学んだことは確実に自分の中に蓄積されているのです。夢を叶えている人には必ず、誰にも言っていない努力というものが存在します。
 ただし、学んでトコトン真似てみても、なかなか結果が出ないことがあります。その時はあなたの教室やあなた自身にあっていないのです。怖いのは全肯定して思考停止になることです。「学んでは試す」をたくさん繰り返した人だけが、あっているかどうかの見極めを自然と実感できるようになるものなのです。
 教師の力量を上げるというのはステキな習慣を増やすということだと思います。本を読む、セミナーを聞いている時に、どんどんアイデアが沸いてきます。私の習慣になっています。
 子どもは教師の姿を鏡となって映し出しています。子どもの笑顔は教師が笑顔でなければ生まれません。子どものやる気は教師にやる気がなければ生まれません。子どもたちを変えたいと願うなら、教師である自分がまず変わることです。
 あなたが得意とする分野で徹底的に勝負して「△といえば、○先生」という具合になるよう心がけたいです。私の場合は、書くことでした。そこを中心に授業をつくっていくのです。
 できる教師は、その人の生き方がにじみ出ています。一貫した「前向きな姿勢」でエネルギッシュに魅せます。一貫した「あきらめない心」は他人からの信頼を生みます。
 毎日をコツコツ勝負していきましょう。「○先生らしいね」と言われたら、教師として最高の勲章ではないでしょうか。信念を持って生きていれば周りが評価してくれるものなのです。  
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保護者から無理な話を持ち込まれたら、どうすればよいか

 学校には、保護者からこれは無理だと思うような話が持ち込まれることがあるでしょう。どうしてこんなことをと、思ってしまうことがあります。怒りたくなることもあれば「非常識だ」と、言い返したくなることもあると思います。
 でも、ちょっと深呼吸してみてください。教師なら何とかしてくれるかと思って、保護者が話をもち込んでくるのだ、とひとまず考えてみたらいかがですか。
 しかし、いくら考えてみたらいかがと言われても、無理なことは無理でしょう。でも、無理かどうかは、自分一人の判断でいいのでしょうか。ゆとりのある人は、ここで一呼吸入れます。もち込まれた話の内容によっては、校内で相談してみる必要もあるでしょう。
 一方、ゆとりがないと「それは無理です」などと、頭ごなしに言ってしまうでしょう。「それは無理だ」と言い切ることは、勇ましいし気分もいいでしょう。しかし、言い切った時には、保護者と絶縁状態の発生を覚悟した方がいいのです。
 教師は学校組織の一員です。一存でものを言っていいかどうかはとても大事なことです。「一存では答えかねるので、ちょっと考えさせてください。2、3日後にはご返事しますから」と、話を預かる知恵は、教師にも必要ではないでしょうか。世事に疎いと対処に失敗しがちです。
 無理な話や厄介な話を聞いた時「わかりました」と答えると、後日、「わかりました」を巡って、またまた厄介になることがあります。保護者は「わかりました」のひと言に、自分の主張や言い分を了解してくれたと思ってしまうことがあります。こちらは、保護者の言っている内容が何かわかったので「わかりました」と言っただけなのに。
 そこで何と答えるかが大事。あなたの言いたいことは聞きとったと「お話しの内容はわかりました」と、きちんと言うことが必要なのです。こうすることで誤解は避けることができます。教師の表現力の問題だといえます。
 そして、厄介な話であればあるほど、自分一人で思い悩まないことです。自分が責められているようなことであっても、校長(教頭)に報告したらいいのです。大火になると消しにくい火災も、ボヤのうちなら消しやすいといわれていることを、この際はぜひ思い出してみてください。
 ただし、報告したら一件落着ということではありません。報告すれば事は済んだと、当事者意識をすっかり忘れてしまう教師が最近は増えていないでしょうか。あれこれと校内で相談し合って、対処したり回答したりすることは当然ですが、報告したからと言って自分の役割が済んだのではないでしょう。窓口は自分だ、次の対応もまた私がするのだと考えることを忘れてはなりません。
(
飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県浦安市立小学校校長を経て、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今や学校のクレーム対応は、企業と同じような対応をすべき時代になった

 私は毎日さまざまな相談を受ける仕事をしている。そんななか、教師から保護者対応に関する相談が増えてきている。「こういう保護者に、どう対応すればよいか」そんな相談が増えてきているである。
 内容を聞くと「担任をかえてほしい」「今のクラスの友だちと相性が悪いので、クラスを替えてほしい」といった無理難題の要求をしてくる保護者が増えている。以前にはなかった相談である。
 いくら保護者からの要求であっても、学校としては、できないことはできないと返答するしかない。ところが「できません」と言うと保護者がものすごい勢いで怒りだし、あっという間にエスカレートし、担任の「力量がない」「問題教師だ」などと個人攻撃に転化し、さらに校長への個人攻撃へと転化するというのだ。
 おさめようとしてもおさまらない、何度話し合っても解決できない。そして、いつの間にか教師個人の誹謗中傷へと姿を変えてゆく。「不倫している」「借金を抱かえている」「生徒にセクハラしている」などの事実無根の誹謗中傷が、メールやホームページへの書き込みなどによって保護者間に流されるのだという。もう名誉棄損の範囲である。
 しかし私がとても驚いたのは、教師たちがそうした保護者たちによって心身共に疲労し、心の底からおびえてしまっている、という事実であった。
 考えてみれば、教師は非常に無防備だ。連絡先を教えている。だから、へたをすれば24時間、保護者対応を強いられてしまうこともある。そして保護者との信頼関係を失ってはならない、という責任感によって、事態が悪化しても誠実に対応することで、何とか解決しようと努力していた。
 教師たちがどれだけ誠意をもって対応しようとも、事態はおさまるどころかエスカレートするばかりである。「訴えてやる」「マスコミに言う」などの言葉に心底おびえ、「謝れ」という保護者の言葉に、繰り返し謝り、それでも収拾がつかない事態になる。教師は人生の危機を感じていた。そして最後に、私のところに相談にやってくるのである。
 こうした保護者にとりつかれてしまった教師たちの多くが、精神的に追いつめられ、うつ状態に陥ったり、燃え尽き、休職に追い込まれているのも全国共通の事情なのだ。
 私は思った。まず学校の教師たちに教えてあげなくてはならない。それは保護者という名の「クレーマー」なのであって、学校がすべきことは「保護者に対する誠意ある対応」や「丁寧な謝罪」ではなく、「クレーマー対応」なのだ、ということを。
 クレーマーに謝る理由がないのに、絶対に謝ってはならない。「謝れば許してやる」などの言葉は信じてはいけない。謝った時点でこちらの非を認めたことになるのだから、要求はエスカレートしていく。
 クレーマーの対応の基本は、毅然とした態度をとり続けるということである。できないことは、学校として「そんなことはできません」と明確に返答することである。金銭の要求、「担任かえろ、辞めさせろ」といった荒唐無稽な要求は、即座に否定することが必要である。特別扱いは一度でもしてはいけない。
 曖昧な返事は絶対言ってはいけない。後々「やると約束した」という話になる。言った言わないが始まると、クレームは長期化し、エスカレートする。
 もちろん、否定しきれない内容もある。「先生の言葉に、子どもが傷ついて、学校に行かれなくなった」などである。こうした苦情の扱いは難しい。親は教師に謝罪しろ、責任をとれと言う。
 ここで重要なのは、問題の本質がすりかわってしまわないことである。謝るのであれば、子どもに対してである。責任は子どもが元気に学校に通えるようにすることである。その目的は、親と教師は一致するはずである。双方が子どものことを思っているのなら、話し合いを重ねていくことは必要である。
 子どもと話し合うためには、親に対する謝罪は必要かもしれない。重要なのは謝罪は一回で済ます、ということである。謝罪は非を認めての謝罪ではなく、今後の話し合いを始めるためなのだ。
 
「謝り方が悪い」など理由が変化したら応える必要はない。教師を傷つけ自分たちの思い通りにしようとするクレームなのだ。「今回のことに関する謝罪はすでにいたしました」と断言すべきである。クレームをエスカレートさせない重要なポイントは、一つの要求を一つひとつ確実に「終わらせてゆく」ことである。
 こうしたクレームは絶対に個人で対応してはならない。精神的に追いつめられてしまうからである。確実に相手のペースに巻き込まれる。個人で対応できる問題ではないのだ。学校は組織として対応しなくてはならない。
 
当事者になっている教師に事実確認をし、学校組織としてどう対応するかを検討したうえでなければクレーマーと対峙してはならない。最も必要なことは教師間の信頼関係である。
 教職員全体で情報を共有し、意識を一致させて、被害にあっている教師を支える。被害者の教師も安心できる。クレーム対応は、笑い飛ばすくらいでなければやっていられない。
 これ以上、熱心で優秀な教師たちが、教師という職業に絶望し、疲弊し、心身を壊したりして辞めていってしまうことは、絶対に子どもたちにとってマイナスであり、日本にとってもマイナスでもあるのだ。
(
山脇由貴子:1969年東京生まれ、東京都児童相談センター・児童心理司を経て、山脇由貴子心理オフィスを開く。講演を行うなど国内外を問わず幅広く活躍。また、新聞や雑誌への寄稿を通し、臨床現場の生の声を発信し続ける)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもが問題を起こしても小学校では指導が甘く、中学校では厳しい傾向がなぜあるのか

 深刻さを増す小学校の子どもの問題行動。なぜ歯止めがかからないのか。多くの教育関係者が学校側の生活指導のノウハウの欠如、対応の遅さなども原因と指摘する。
 ある小学校の教師Aは、小・中学校間の人事交流制度で2年間中学校に異動した。その中学校での出来事。放課後、生徒二人が殴り合いのけんかをした。
 まもなく学級担任ら同学年の担当教師10人に非常招集がかかった。一人の生徒に複数の教師が付き添い、事情を聴く。それが終わると、ただちに保護者に連絡した。こうしたすばやい対応は、学級を一人で受け持つ小学校では、考えられないことだった。
 中学校では、生活指導部が中心となって全校体制の指導をするが、小学校にはそんなシステムはない。これで、子どもの問題行動などに対応できるのか。
 別の小学校の教師Bは、6年間勤めた中学校から異動した。「小学校では生活指導担当者がいるのに、担任に問題解決が任され、担任一人で問題を抱え込みがちではないか」という印象を抱いた。この教師は前任中学校にあったマニュアルをもとに、生活指導マニュアルを作成した。
 授業妨害、けんか、暴力行為、いじめなどのケースに応じて、具体的な対策を明文化した。警察や児童相談所といった関係機関との連携体制も整えた。
 
「担任だけでは解決できない問題が増えるなか、学校全体で対応する組織が整ったことは大きい」と小学校の校長は話す。
 小学校と中学校の文化の違いは、システムの問題にとどまらない。子ども一人ひとりの個性を尊重し、やわらかく育てるのが小学校の指導。これに対し、中学校では厳格にルールを守らせる指導である。
 A教師は中学校の経験で「最初は、ここまで規則を厳しくする必要があるのか」と思った。しかし「小学校の認識が甘いのかもしれません。中学校ではルールを徹底させないと、すぐに荒れる傾向にある」という背景があるから、生活の乱れを防ぐために厳しくしていると理解した。
 小学校では、子どもが問題行動を起こしても、時間をかけて「心に寄り添う」指導が好ましいとされる傾向がより強い。そんな環境になじんだA教師から見れば「中学校のシステム化された対応では、子どもがかわいそうな気がする」という。
 しかし、一方で「現状のままでは深刻化する小学生の問題に対応できなくなるかもしれない」とも思う。そして「中学校に入学した子どもが、ルールというものを前にしてとまどうのは間違いない」と考え始めている。
(
産経新聞社会部 教育問題取材班)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師が保護者と話をするときに気をつけることとは何か

 人は見た目で多くのことを判断します。見た目が大切です。保護者に対して、きちんとした身だしなみで臨むべきでしょう。保護者は教師の態度に敏感です。話してないときでも、常に全部みられているのだと思ってください。
 緊張していても、無理にでも笑顔を作りましょう。笑顔は、人の心をやわらかくしてくれます。鏡を見て口角をあげるようにします。目の周りを軽くマッサージして、目じりを少しさげるようにします。
 保護者に安心感を与える話し方というのは「熱意」の感じられる話し方です。保護者は教師の熱意に対しては敏感です。
 保護者はどういうことに不安を感じるかのかというと、やる気の見えない教師。視線が定まらない。下を向いて話す。声が小さくて聞き取りにくい。書いたものを読んでいる。というような教師に不安を感じます。やはり、見た目が大きいということです。
 教師が話しをしているとき、保護者が一番注目するのは、この教師は信頼できるかどうか、ということです。それを話のはしばしから嗅ぎ分けてきます。保護者が最も嫌うのは、自分の行為を言い分けすることが多い教師です。自分の身を守ろうとする行為ですから、保護者の信頼は絶対に得られないでしょう。
 大げさに自分を宣伝するような教師は「えらそうなことを言ってるわ」などと、保護者に反発されないよう、誠実に話をすることが肝要です。教師の話を聞きながら、教師の子どもへの姿勢がどのようなものかを保護者は見ているのです。
 教師の年齢や子どもがいるかいないかも、保護者が教師を見る一つの大きな要素です。教師は年齢、経験を踏まえて、等身大の自分を素直に語ることが一番よいと思います。
 教育には専門用語があります。教師は教育のプロですから、専門用語を知っていることを保護者に示さないと値打ちがありません。専門用語は、できるだけかみくだいて、中学生にでも分かる言葉に置き換えて話すべきです。
 保護者会で反応を見ていたら「どうもうまく伝わっている感じがしないな」と思ったときは、「今の話は、分かりにくかったですか?」と、たずねましょう。「ごめんなさい。もう一度、説明し直します」と話し直すことです。時間がなければ、通信などの文書を配布してフォローするしかありません。
 保護者会には、子どもたちの笑えるエピソードとか、オチのある話を用意しておきます。
 保護者会で話すとき、緊張してあがってしまうこともあります。そういう心配のある教師は、あがることを前提として、準備をしておくことです。「あがっていると感じたときは、こうする」というものを用意するのです。そうすると落ち着きます。
 個人面談のときに伝わっていないなと感じたときも、はっきり伝えて誤解のないよう分かり合える努力をするべきです。話の元となる事実の認識が違っている場合もあるので気をつけましょう。
 個人面談では、保護者一人ひとりに応じてていねいに対応しましょう。基本は、子どものよいところの事実をあげて話すことです。「○さんは、黙って黙々とそうじの後片付けをしています。おうちでも、そうですか?」というように具体的な事実で話しをします。
 個人面談では、私は保護者の話を「聞き切る」ことを大切にしていました。保護者の話をじっくりと聞いてあげれたら、保護者の方も、こちらの言葉に耳を傾けてくれるようになるのです。
 話し方には個性があっていいと思います。しかし、やってはいけない話し方があります。次にあげるような話し方は、気をつけたほうがよいと考えます。
 皮肉まじりに話す。第一声が小さな声になる。言葉づかいが乱暴である。同じことを何度もくり返して言う。話すときの姿勢がよくない。長話や長い説教。声が暗い。抑揚がない。
 話し方というものは、話す技術と同時に精神的な要素が大きいものです。話す技術だけを追求していけばよいというものではなく、教師の教育観というものが大きく関係してくると思います。
(
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級が崩壊する原因と崩壊しない学級づくりとは  

  今の教師の最大の問題は、子どもたちに「押されてしまっている」ことです。バラバラな子どもをまとめきれず、押されてしまっている。その状況を作ってしまう原因に、最初から子どもと衝突するような「厳しさばかりでダメダメと怒り続ける」やりかたをしていることが考えられます。
 つまり、子どもたちとぶつかってしまうんです。すると、教室が教師「1」対、子ども「多数」になってしまう。こうなると、負のパワーが教室に充満してしまいます。
 それがエスカレートすると教師は恐怖を感じ、病気になったりする多くのケースはこの状況のためなのです。
 教育現場の外から見ると「厳しく出たらいいじゃない」と思うかもしれない。それが逆にうまくいかない空気をつくりだす。子どもとはいえ「教師1対多数の子ども」の状況ですから、教師が上から押し付けるやり方は、もう通用しないのです。
 クラスの悪い子を叱ることばかりを考えているうちに、頑張っている子たちまで士気が下がってしまう。すると学級が崩壊へと向かっていきます。
 子どもは変わった。だから、教師も変わらないといけない。昔みたいに自分のスタイルを子どもたちに見せつけて指導するやり方では通用しない。
 教師が若い時期にはぐいぐい引っ張ることは必要かもしれませんが、それはいつまでも続かない。子どもたちと合わなくなっていきます。学級崩壊になったクラスに、40歳代から50歳代の担任が多いというのもそういった事情がある。
 今の子どもに合わせて、教師の技を増やして、少しずつ対応力をつけて、教師の一方通行にならないようにしなければならないのです。
 私は教師になって9年目から積極的にディベートなど言葉によって子どものコミュニケーション能力を高める「コミュニケーション教育」に取り組んできました。
「ほめ言葉のシャワー」もそうです。帰りの会でその日の日直がみんなの前に立ちます。クラスの子どもたちが思い思いに挙手して立ち上がり、その子のいいところをほめる。ほめるためには、クラスの子のよいところを関心を持って眺める必要があります。
 それを表現する言葉も必要。子どもたちは、ほめられるとやる気が出る。よりほめられたいと思う、という良いサイクルを描きます。
 また言葉を使うためには、書くことも必要です。子どもと一対一のやりとりも行いたい。そのために「成長ノート」という取り組みも行っています。まず、テーマ(例:先生への質問など)を私が与えます。子どもたちが返事を書く。私がコメントを返す。それを繰り返していきます。
 学校で書かせるようにしています。これによって、学級が子どもにとって安心できる集団になることをめざします。安心できるからこそ、自分らしさを発揮できる学級集団を作ることができるのです。
 崩壊していた学級でも変われます。スタートが肝心です。4月は「よくなりたい」と、どんな子どもでも考えている。これを最初に確認し「成長する」と約束する。
 しかし、すぐに変わることはない。だから、教師が「我慢して、子どもたちを眺める」ことを続け、考え方や行動を「プラスに導く言葉」が浸透していくように方向付けていく。
 子どもたちを「大人の社会()に強い自分になる」という最終ゴールに導いていくのです。私は、子どもたちのゴールのイメージを描きながら、1年間の見通しを立てます。
(菊池省三:1959年生まれ、 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級崩壊の根本的な原因とは何か、どう考えて取り組めばよいか

 学級崩壊は、子どもの自由や個性を第一に考えてきたなかで起こっているのではないかと私は考えている。学ぶ自由を主張することは、学ばない自由も認めることであり、学級崩壊はその表れと考えることもできるのだ。
 子どもに自由にさせろと言いながら、学校は管理していないと攻撃されても教師としてどうしたらいいかわからないではないか。学校たたきをしてきた人たちは、学校をたたくことだけを考え、一貫性など考えていないようだ。まじめに取り組んできた教師は、いい面の皮である。
 社会と子どもの変化に教師や学校がうまく対応できず、ありたきりの授業、教師の指導力不足という指摘はまちがいではない。しかし、学級崩壊の根本的な原因は、子どもが変わってきて、我慢しなくなったり、他の子どもたちといっしょに生活することがむずかしくなってきていることによる。
 学級崩壊は社会のうねりと家庭の変化が根本のところにある。それは担任だけの力でなんとかなることではないのである。
 決定的な問題は「日常」が何かをきっかけにしてあっというまに崩れてしまうという点にある。その変化の原因が、私たち教師にもはっきりつかめず、毎日が綱渡りをしているような危うさのなかにあると言っていい。学級の中のたった一人か二人が枠を越えて振る舞いはじめると、クラスの秩序がなくなり学級崩壊が起こる。
 最近、教師の多くは、子どもに押しつけたり、抑えたりすることはよくないと思っている。ひょっとすると教師-子どもという上下関係に教師自身が耐えられないのかもしれない。だから、つい説得しようとしてしまうのだ。 
 しかし、説得に踏み出したとたん、教師と子どもの関係は五分と五分になってしまう。最近、小学校では、叱ってはいけない、ほめることが大切だ、怒鳴るなどもってのほかだという考え方が支配的である。しかし、教師にある程度の「怖さ」がなければ、子どもは言うことを聞くはずがない。
 教師の言うことを聞かないというのは、子どもにとっては面白いのだと思う。わあわあやって授業妨害するのも楽しいだろう。トイレへ行くのだって遊びなのである。最近の子どもたちは、自分の感情や欲望を抑える訓練をほとんど受けないで小学校へ入ってくる。そうした子どもたちのふくれあがる欲望を言葉で説得して抑えるのは不可能である。力で抑えつけなければいけないのである。
 教師は、子ども集団を相手にし、集団をどうつくるかということを第一に考えるべきである。教師はその意味で、組織者なのである。押しつけや強制も必要である。
 一年生のときから、教師と子どもはちがう、学校は自分の好きにはならないところだ、学校と家とはちがう生活の形があるのだということを、教師がみんなで根気よく教え込む必要があるのだ。
 さらには、そこからはみ出す子どもには、厳しく対することが必要だろう。それは子どもとトラブルを生み出すかもしれないから、どこまで何ができるかは一律には言うことはできないが、状況を見ながらやっていくしかない。
 学級の荒れが起きたとき、しなくてはならないことは、
(1)
子どもの現状を冷静に見るなかで、事態が担任一人でなんとかできることではないことを確認すること。
(2)
教師はこれまでの教師としてのメンツとプライドとかは捨て、できることは何でもやる必要があるが、できないことは率直にできないと発言し、助けを求めることから逃げてはいけない。
(3)
個人でなんとかとしようと思わず、学年や学校としての集団性をつくる努力をし、一年間、共同で問題に取り組もうとしてみること。
(4)
子どもの荒れが学校だけが原因で起こっていることではないことを宣言し、現状をありのままに親や社会に知らせること。
(5)
とくに不安定な子どもについては、親に様子をしっかり報告し、一時的に教室から離すことも相談しなくてはならないだろう。
(6)
校長が行政の末端としての立場しかとらず、現場のリーダーとしての責任を回避する場合は、校長と直接ぶつかることも必要だろう。校長のメンツより、現実の荒れる学級をどうかするほうが大切なのは言うまでもない。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもに好かれる教師が行っている学級作りのステキな習慣とは何か

 教師は、毎日生活を更新し、新鮮な教師でいることが大切だと私は思っています。鮮度抜群な教師の周りには、いつも子どもたちが集まります。
 鮮度は若さではなく意識です。年齢は関係ありません。まず意識して、教師としてのステキな習慣を身につけましょう。何度も何度も意識することで無意識にできるようになります。
 教師になったとき「子どもたちに、これだけは伝えたい」という思いが必ずあったはずです。いつしか毎日が、昨日と変わらない今日になっている教師もいるでしょう。子どもたちを見て、教師になったときの思いを思い出してください。
 私は教師という仕事が好きでたまらない。この感覚は習慣がつくります。子どもと目を合わせたら笑っている自分。習慣とは無意識についやってしまっていることです。
 教師の力量を上げるというのはステキな習慣を増やすということだと思います。日常をただの日常にしないで、ステキな習慣が自分の中にたまってくれば、日頃見ている教室の景色が変わってきます。自然と子どもがよく見えるようになります。
 私は習慣化することを意識し、ステキな習慣を増やすことによって、何度もそれによって私は救われてきました。
 学級の子どもたちがまとまるステキな習慣には、どのようなものがあるのでしょうか。
1 教室密度の濃い時間帯をつくる
 一日のすべてが始まる「朝の密度」が恐ろしく高い。朝、教室に入るとき嫌な顔をしていたら、子どもに嫌な思いをさせることになるのです。朝の連絡に入る前に、私は短くても何か子どもたちにまつわるエピソードを話すようにしています。
 話すときの順序は「笑顔になる」→「面白いことがあったんだよ」と前置きする→「笑顔になれるクラスの子どものエピソードを語る」という順序です。笑いが起きる話題は子どもが提供してくれます。「お、○○くん、今日は朝から、ひときわハンサムな顔をしているね」でいいのです。
 朝は、特に全力で勝負しなければなりません。家で嫌なことがあった子も、もやもやしている心を引きずっている子も、それらをリセットするは、担任の明るい笑顔と声なのです。
2 ワクワクを伝染させる
 
「あの先生、楽しそうだなあ」「この授業何だか明るくていいなあ」これらは、教師が子どもたちにワクワクのオーラを伝染させているのです。 
 ワクワクのオーラは教師が
(1)
心底、教師という仕事を愛しているときに生まれます。
(2)
その授業内容に、のめり込んでいるときにでます。
(3)
遊び心があると発散されます。
(4)
楽しんでいるときに出ます。
(5)
笑顔から発散されます。
(6)
子どもが大好きなときに発散されます。
3 誰よりも明るい
 担任は教室の中で誰よりも明るい存在でなければなりません。気分が沈んでいた子が、登校して担任を見るなり、明るくなれるような存在です。何だか楽しく、笑顔になる。言うなれば、担任は子どものパワースポットであるべきだと私は思います。
4 たまには、テンションを高くする
 子どもたちはテンションが高い。たまには教師が「先生テンション上がってきたわ」と、いつもの二割増しくらい、ニコニコ顔で声を高く、身ぶりを入れてみる。気分がのらない時こそ効きます。
5 子どもたちに信用される
 子どもたちに信用されているか。それは教師にとって生命線です。「何気ない口約束」には要注意です。「よし、明日の休み時間には○○してあげるね」と一度言ったら、子どもたちは覚えていますから、必ず守るようにします。
 子どもたちから話しかけられたら絶対にスルーしないことです。教師以前に、人として信用を基盤にしたつき合いをして、常に信用を得ることに全力を尽くす姿勢でありたい。
6 説得よりも共感で話す
 人間は「納得はしたいけれど、説得されたくない生き物」です。子どもに話すときにも、「説得」色が出すぎると伝わりにくくなります。共感で話すのです。「そうそう!」と子どもが思うとき、学びは定着しやすくなるのです。何か気づきがあるときに人は納得します。
 寄り添う言葉がけで子どもは頑張ることができます。子どもが納得して考える、動く、そのような状態に持っていくことが大切です。
7 善人捜しをする
 素敵なことはささいなことでも、教師は子どもたちの誰がやったか探します。「雑巾ラックを整頓してくれていた」とき、教師は「誰ですか? ここに落ちていた雑巾を拾ってくれたのは? 名乗りもせずにそっと拾ってかけておくなんて、すごいなあ。先生はそういう人、大好きです」と話します。
 そういうやさしい空気、素敵な振る舞いを教室のすべての子どもたちにふれさせるのです。
8 挑戦する
 教室で行われる活動、学びの数々はすべて担任の言動にかかっているのです。だから、担任があきらめたら終わりなのです。挑戦しなかったら始まることすらありません。担任のさじ加減にすべてがかかっているのです。
 新しいことへの挑戦は、担任が握っているのです。新しいこと、ちょっと高度なこと、面白いこと、背伸びすることに子どもたちをぜひ挑戦させましょう。子どもたちを信頼して、いろいろなことを教室に持ち込みましょう。
 挑戦する子どもたちの姿は挑戦する教師のいる教室でしか生まれないのです。
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クレーム対応には手順がある、どう対応すればよいか

 まず覚えていただきたいのは、クレーム対応には手順があるということです。私は今までいろいろな業種で、さまざまなクレームに対応してきましたが、クレームの内容に違いがあっても、その本質は変わりません。手順は同じなのです。
 まず、きちんとお詫びをし、それから相手の話をしっかり聴き、心情を理解します。そして、どう考えても心情は理解できないというケースが出てくると、事実確認の時点で事実がはっきりします。そうして、どうやらこれは異常なクレームだ、何か別の目的があるとわかってきたら、その段階で、対応を変えるなどしていきます。
 クレーム対応の6つの基本手順をつぎに示します。
1 お詫び
 お詫びの目的は、クレームを言っている相手の気持ちを落ち着かせることです。クレームを言ってやろうと思っている相手も、はじめにきちんとお詫びをされると、かなりトーンダウンすることが多いのです。
 原因が何であれ、相手は何らかの不快な気持ちをされているのです。そのことに対して、まずは言葉でお詫びをしてください。申し訳ないという気持ちが伝わるようにします。
 
「ご不快な思いをおかけしまして誠に申し訳ございません」と言いましょう。このお詫びは、あくまで不快な気持ちに対するもので、こちらが全面的に悪いとは、一言も言っていません。これを言ったから、その後不利になるようなことはありません。
 このときの注意点は、くれぐも、こちらが全面的に悪いと受け取られるような謝罪はしないということです。言ってはいけない言葉は「二度と」「絶対」です。私はこの言葉を言ったために最悪のケースに発展したクレームをいくつも見てきました。
2 話を聴く
 相手の緊張を解くために、たくさん話をしてもらいます。相手の話をさえぎることなく、聴き続けましょう。言い分けや反論して説明をしたくなることもあるでしょうが、相手は人の話を聴ける状態になっていませんので、ぐっと我慢します。
 相手の話を聴くときに使ってもらいたいのが、傾聴のワザです。つぎにあげるワザを使って、積極的に話を聴く態度を示すことで、相手は話しやすくなります。
(1)
うなずき
 話の終わりに合わせてタイミングよく、大きくうなずくようにしてください。
(2)
あいづち
 共感していると感じてもらうことが大切です。「はい」「そうですよね」が基本です。
(3)
オウム返し、復唱、要約する
 相手が言ったことをそのまま繰り返すことです。クレーム対応で大変効果的なワザです。「・・・・・・ということで、よろしいですか?」と言うのです。このように言われて不愉快になる人はいません。「そうです」と言っていると、怒っている人もクールダウンしてきます。激怒していて、止められないとき、実に有効な手段です。
(4)
相手の動作を真似る(ミラーリング)
 鏡のように相手の姿勢や動作をさりげなく真似ることで、相手に仲間のような安心感を与え、お互いの距離をぐっと縮めます。
 相手が早く話すときには、テンポよくうなずき、早く話すようにします。ゆっくり話すときは、じっくり話を聴きながら、納得できるところで深くうなずき、ゆっくり話します。
(5)
「ありがとうございます」と言う
 クールダウンには非常に有効な言葉です。「ありがとうございます」と言われて不愉快な人はいないからです。
3 相手の気持ちを理解する(心情理解)
 クレームがこじれる原因は心情理解がないからです。相手が今どのような状況で、どういう気持ちかを、話を聴き、観察することで、知らなければなりません。心情理解せずに事実確認に入ろうとすると、こじれることになります。
 人間は誰しも怒られるのは嫌ですから、クレームは早く終わらせたいと思うものです。しかし、それが結果的にクレームをこじらせているのです。
4事実確認 
 事実確認に入るときには「誠実に対応させていただきたいので」とクッション言葉を入れたあと「もう少し詳しくお話をおうかがいできますでしょうか」と言ってから、ひとつひと細かいことを確認していきます。
 事実確認ではクレームの原因や真因は何か調べます。クレームの原因との間に因果関係があるか。聴きながら情報を収集し理解を深めていきます。チームで対応すべきなのか、法的に対応すべきなのか判断できるようになります。
 正確に情報を収集するために「メモを取らしていただいてよろしいでしょうか」と言って、「よい」と言われたら「ありがとうございます」と言ってメモを取り始めます。メモの目的はクレームが悪化し裁判になった場合の証拠を残すことです。職場で情報共有もしやすくなります。
5 解決案・代替え案の提示
 要望が規則やルールで実現できないこともあります。だからといって「規則ですからできません」と言うのは避けます。相手はいい思いはしないからです。まず心情理解を示したうえで「ご要望はわかりますが、・・・・・・のような理由がありまして・・・・・」と説明し納得していただかなければなりません。
 相手の要求を断るときも、即答は避けましょう。断るときは、まず「○○様のおっしゃることはよくわかります。私が○○様の立場でも同じように思うかと思います」と言い、相手の気持ちを受けとめたうえで「しかし、・・・・・・」と切り出します。
 同じ断る場合でも「できかねます」とだけ言うのとは印象が大きく変わります。代替え案がある場合は、しかしの後に言いましょう。
 解決案があればなるべく早く行うことが原則です。提案を受け入れてもらうには「していただけますか」という依頼形でお願いします。待たせる場合は途中経過を伝えるだけでも相手の気分がまったく違います。
 相手の要望に応えることができないが、納得いただける代わりの案が代替え案です。 
 何とかしようとする姿勢を相手に見せることも大切です。要望通りにはできなくとも、きちんと話を聴き、状況を確認し、誠意を見せることで、納得いただけることも多いのです。「この人は私の気持ちをよくわかってくれている。この人がこう言うから、もいいいか」と思っていただける対応ができるかどうかです。
 本来、解決案や代替え案は、組織として考えに考えて、これしかないところで出すべきものです。もし、相手がダメだと言えば、これ以外の案はないと答えるしかありません。
 それでも要求を通そうとしてくるようであれば、法的対応に切り替えたり、弁護士に移管することになるかもしれません。
6 最後のお詫びと感謝
 もう少しで終わると思うと、人間は早くこの場から解放されたいと考えてしまいます。しかし、最後にお詫びがなかったために、クレームが再熱することがよくあります。最後まで気を抜かずに、改めてお詫びをしましょう。
 クレームの締めくくりはとても大切なものです。締めくくり次第で、相手との今後の関係性が決まるからです。
(
津田卓也:1995年ブックオフコーポレーションに入社、年間MVP獲得。2005年人材マネッジメント会社「Cube Roots」設立し社長。主席講師として年間約200回登壇している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »