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学級崩壊で教師を辞めたいと思ったが、いかにして克服していったか

 転勤した中学校で初めて担任となった。教室の扉を開けると、給食当番の白衣が飛び交い、傍らで男子生徒が泣いていた。白衣はその生徒に向けて投げられていた。「やめなさい、何でそんなことをするの」と、状況が十分につかめないまま、ただ声を荒げるしかなかった。
 泣いていた生徒との交換日記で少しずついじめの状況を把握するとともに、いじめている生徒からも事情を聞いた。すると、うまく説明できずにイライラしている様子が伝わってきた。言葉が出ないから手が出てしまっていたのである。
 コミュニケーション能力が弱いうえに社会的スキルも違う。異なる言語を持つ子たちが集められたようなもので、それが荒れやいじめとなって表出してしまう。
 自分だけの手には負えないと感じ、多くの保護者が出席しやすいように夜の懇談会を開き、当事者名を出さずに学級の状況を説明して助けを求めた。とにかくやれることは何でもやろうと必死だった。
 そんな悪戦苦闘の中で、教師のセンスやキャラクターによって場当たり的に解決していくことの限界を感じた。何かが起きる前に打てる手はないのか。社会性を身につけ、ルールを定着させる手立てを多くの教師が共有できる術はないのか。思い悩んでいたときに出会ったのが、「エンカウンター」だった。
 東京都立教育研究所で教育相談専修コースを修了し、渋谷区の中学校に赴任。エンカウンターを研究していた教師2人と同じ学年の担任となった。生活指導上の問題が少ない中学校だったこともあり、対応に追われることなく、17個のエクササイズを中心とした年間プログラムを作り、その3クラスが同時に進めた。
 生徒同士のつながりだけでなく、教師と生徒、教師と教師のつながりが深まった。「これでいじめなどの問題が予防できる」そう自信を持ち始めた矢先、次の中学に異動となった。
 始業式当日、受け持つクラスの教室に入ると、生徒があちこちで好き勝手におしゃべりし、歩き回っていた。いわゆる学級崩壊状態です。たまらず注意すると罵声が返ってきた。「ウザイ」「ババア」「帰れ」と言われ、何かしゃべると、「聞いてねえよ」と返ってきた。
 授業中に机の上を走りまわる生徒、以前の生徒よりも手強く、教師を半ば“無視”をした。前年の担任6人のうち5人が他校へ異動となり、「見捨てられた」と感じた生徒たちは教師を信頼できなくなっていた。
 鹿嶋先生が何度熱く語りかけても、生徒達はなかなか変わってくれない。それまで築き上げてきた教師としての自信を完全に失った。朝、出勤前に布団で泣き、休み時間にトイレに駆け込んで泣いた。このまま教師を続ければ、自分が壊れると。
 鹿嶋先生は、胃潰瘍になり、学校の校門をくぐるのが怖くて、帰ってしまったこともあった。「人間やめますか?それとも、教師やめますか?」というような状況だった。20年近く教師をやってきて、はじめて「教師を辞めたい」と思った。
 そして、友だちに「教師を辞めたい」と相談した。友だちから帰ってきた言葉は、「鹿嶋さんらしくないね」と。そこで、鹿嶋先生は、ハッとします。自分が20代の頃、ガムシャラに教師をやっていた時のことを思い出した。
 
「今の私は、昔のように本氣で生徒に向き合っていない。自分の苦しみから逃れることだけだ」「自分は独りよがりだった。私ばっかり、なんで私ばっかりこんな辛い目にあうの」と考えていた。
 
「本当に一番苦しいのは、子どもたちじゃないだろうか?」「子どもたちに、何かしてあげられないだろうか?」と見方を変えた瞬間に、「周りの人を支えたい」と思った。「視点を変えれば、光は必ず見えるんだ」と鹿嶋先生は考えた。
 エンカウンターをやろうにも取り付くしまもない。同じ学年の担任は皆、夜遅くまで学校に残り対策を話し合った。6月初旬の2泊3日の移動教室で「小さいころに、親から、してもらったこと、してあげたこと、迷惑をかけたこと」を思い出す「内観」をやろうということになった。
 教師がまず自分の思い出を話した後、内証で親から預かっていた手紙を生徒たちに渡した。生徒たちは壁に向かって読んだ。感動している様子が背中から伝わってきた。すすり泣く生徒もいた。そして、その手紙を、生徒同士で見せ合い、コミュニケーションを取り始めた。
 一人の生徒が鹿嶋先生のところにやって来て、「先生読んで」と手紙を差し出した。それまで「ババア」と罵っていた生徒だった。鹿嶋先生だけでなく参加した教師みんなが変化の兆しを感じた。
 ここで鹿嶋先生は気づきます。「そうか、先生と生徒ではなく、生徒同士がコミュニケーションを取れる方法を考えればいいんだ」と。そこから、「エンカウンター」を使って、生徒同士がコミュニケーションをとれる方法を作っていった。
 移動教室から帰った後、鹿嶋先生はクラスでエンカウンターを始めた。他の教師には耳慣れない言葉なので、あえて「エンカウンター」という名前は使わなかった。ところが、1学期も終わりに近づいたころ、学年主任から「できることは何でもやりたい。鹿嶋先生のやっていること、学年でやりましょう」と言われた。
 そんな言葉に後押しされて、2学期からは道徳の時間などを使って学年単位で取り組んだ。クラスごとの経験を教師同士がシェアし、反省点を反映することもできるようになった。
 何度かのエクササイズをへた10月の運動会の予行演習で鹿嶋先生を真ん中に3839脚をやった。転んでゴールをした時、隣で肩を組んでいた生徒が顔を覗き込んで「先生、うれしい?」聞いてきた。何度も聞き返す姿に、確かな信頼関係を感じると同時に、「この子たちは人の喜びを自分の喜びにできるまでに成長した」と実感した。
 学校・学級生活における意欲や充実感を測定する尺度調査票(Q-U)を使って、「友人との関係」や「教師との関係」などについてチェックをした。調査票から「学級との関係」や「友人との関係」について課題が浮かび上がった。
 
「思っていることは言う、書く」を継続することで関係性を深めていくことが大切だと考え、何かをしてくれた友だちにお礼のメッセージをあげるエクササイズ「あなたに感謝」を席替えの度に行った。次第にクラスの雰囲気がまとまっていくのを感じた。
 担任による日ごろの観察と合わせて「気になる子」をピックアップし、学年会やスクールカウンセラーなども交えた検討会で対応を話し合う。また、年2回の「ハートフルウィーク」では、自分の話したい先生を選んで相談ができるようにもなった。
 
「エンカウンターの授業が生きるのは、仲間の教師の存在と学校全体での取り組みがあってこそ」と鹿嶋先生は強調する。
 12月、受験への対応でしばらくエンカウンターの授業をできずにいると、給食の最中に一部の生徒たちが「勝手にエンカウンター」と称して、友人への感謝の気持ちを伝え合い、拍手をしていた。
 
「自分のした行動が人から感謝される」→「自分の行動は人を喜ばせると自覚する」→「他の人にも同じ行動をしてみたい」→「他の人からも感謝される」と言う思考や行動が強化された成果だと、鹿嶋先生は感じた。
 
「エンカウンターですぐに生徒が変容し、自己成長していくわけではありません。日々揺れ動く思春期の心に寄り添い、そうした揺れに対して臨機応変に展開していくことこそ、いまの中学で求められているのだと思います」
 
「教師は情熱がまず第一条件。情熱だけではダメだなっていうことを体験したので、そこにワザがなくちゃいけない。立ち止まることなく、いつもいつも研究をし続けながら現在進行形で実践する人です」と鹿嶋先生は語る。
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鹿嶋真弓:広島県生まれ、東京都公立中学校で30年間勤務、神奈川県逗子市教育研究所長を経て高知大学准教授。TILA教育研究所代表。文部科学大臣優秀教員表彰。日本カウンセリング学会賞受賞。専門は学級経営、人間関係づくり、カウンセリング科学。構成的グループエンカウンターなど教育現場に活かせるワークショップを展開。 『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)出演)


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