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残念な教師とは、どのようなところが問題なのか

 残念な教師とは子どもを成長させない教師のことである。学級崩壊やいじめの原因に教師説がある。確かに私の実感としても教師が実力者である場合はほとんど生じない。中学校や高校で、同じ学級でも教科の教師によって、生徒が話をよく聞く授業と、集中できない授業になるという話はよく聞く。
 私はジャーナリストとして全国の犯罪事件を取材していた頃、不思議なことに私にだけヤンキー少年が取り囲み、いろんな情報を知らせてくれた。もし自分が教師になったら彼らのような若者の役に立てるかもしれないと思い、私は教師になった。
 このような経験が教師として出発点となったものだから、私の教師生活はどこか傲慢さをはらんでいた。この傲慢さがほころびを生む。国語の授業中、小学2年生の女の子に「何しゃべってのるか、わかんないよ!」と言われた。
 私は焦った。逃げ出したかった。今思い出しても冷や汗が出る。この女の子の指摘は、私という教師を作りあげる契機となった。これ以降、私は徹底した授業準備、授業技術の習得に邁進し始めた。
 私がジャーナリズムの世界から教師に転身したとき、最初は公立小学校だったが、現在は中学高校一貫校の教師であるため、子どもを成長させない残念な教師とは主に中学校や高校の教師のことを指していると理解していただきたい。
 私が直接見聞きしたことや、研究会等で報告されたことに私の分析を加えて紹介していきたい。
(1)
鈍感な教師
 残念な教師の半数以上は生徒よりも「鈍感」である。私もかつては気づけない教師だった。教師が持つ鈍感さは、学校の教室という閉鎖された所で、誰にも非社会性を指摘されずにきた点にあるのではないだろうか。
 授業中、そのクラスの雰囲気を感じ取れず、毎授業、冒頭から最後まで同じペースで語り続ける、といった残念な教師の振る舞いはどこの学校でも見られるが、それが改善したという事例はあまり聞こえてこない。
(2)
学ばない教師
 あるアンケート調査によれば、教育関係の本を年間20冊以上読む教師は23%となっていた。教師として読むべき実践事例や研究といったものが、ごまんとあるのにそれを知らないまま実践をしている教師が多い。
 ある中学校長は「教員養成系大学を卒業した若手教師でも指導案すら満足に書けないよね。斎藤喜博や東井義雄も知らないからね。若い教師がよくいう『子どもが好きで』は当然でさ、そこから何ができるかが大切なんだから」と嘆いていた。
 
「学びの共同体」で知られる佐藤学教授は「古来、教えるという不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教えることが許されたのだ」と述べている。
 私は時間があれば、出かけ様々な人と交流するようにしている。私は生徒によっても形作られている。人は人の間で育つ。私自身多くの人に磨いていただいて今があると思っている。
(3)
学べない教師
 
「生徒は教師の話を聞くのが当たり前」というスタンスでは教育が成立しなくなったことに気づいてない教師がいる。こういう教師は、話法の向上や話す内容の精選、生徒が話しを聞くときの心理に目を向けない。
 先輩教師の素晴らしい実践を見せてもらっても、その良さがわからず、何も学べない教師がいる。私自身、何人も出会っている。
(4)
練習をしない教師
 説明することを抜きに授業はできない。生徒は下手な説明しかできない教師をすぐに見限る。だから教師は説明の技術を向上させる必要がある。しかし、教師の多くは説明の練習をしない。私は練習をせずに授業をしたことはない。そもそも練習なしに生徒を満足させることは考えられない。
 教師は多忙で練習する時間が限られるので、大切な部分(授業の冒頭やまとめ、重要な所、生徒がつまずく所)を対象として練習する。説明には、語彙の選択、発声、声量、速度、抑揚、くり返しなどの強調表現、話すときの表情などチェックすべきポイントがあり、練習し反省しなければ技術は伸びない。
 だから、自分の授業を動画で撮影して確認すべきなのである。そうすることで、自分の動きと声が合っているか、全員に届く声量・速度で話せているか、一文が長くわかり難い説明になっていないかなど、冷静に分析できる。
 私は、自分の授業を全て撮影し、それを何度も見て弱点部分を意識して練習を繰り返すことで改善してきた。さらに研究授業など緊張する授業実践を多くし、教師同士が学び合ったりすることが重要である。
(5)
先人の意図を理解せず追試する
 
「教育技術の法則化運動」を起こした向山洋一が求めた技術は「指示」だった。指示をしっかり理解して実践すれば、全員跳び箱を跳ばすことができるようになったからである。この活動は教師にとっては福音となった。
 指示は短い方がいい。確かに熟達者の指示は短くて明快なので若手教師でも盗みやすい。私もそれを使ってうまくいった経験がある。
 だが、未熟な教師は適当にざっくりと盗んでくるのだ。追試するとき、言葉の隅々までケアしていた先人の意図は伝わらず、生徒から質問がでると、詳細な理解をしておらず返答に苦慮する。すると学級の空気は冷えたものになり、それが続くと「あの先生は何を言っているのかわからない」となる。
(6)
見づらい板書
 中学・高校教師の書く板書の約半数は見づらい。小学校の教師は字も綺麗で良い。赤チョークやホワイトボードの緑ペンは見えないことがある。教科書に書かれている内容の劣化版イミテーションを黒板に再現することを板書だと考えている教師が多数いる。
(7)
ダメなプリント(ワークシート)
 プリントも生徒にとって非常に見づらい、わかりづらいものが多い。例えば、情報の配置に無自覚で視線の移動を考えていないもの。余白がすくなすぎて書き込めないもの。引用がずらずら書かれているもの、がある。
 塾などで、そのような汚いプリントが配られることは少ない。プロの教師として対人意識が希薄だと生徒に判断されてしまう。
(8)
課題の出来具合を確認することしかしない机間指導
 机間指導は課題の出来不出来を確認する程度しかなされていないことが多い。私が求めるレベルはこのようなものではない。生徒の様子や質と、その変化を見るのだ。
 例えば、筆箱の種類、机の落書き、髪型、色の好み、芸能人等の好みといった基本情報から、服の汚れ、フケや白髪の量、爪の状態、アイプチしているかまで多岐にわたる。これらの情報をカルテ化してキープしておく。すると会話のきっかけになったり、SOSを捉えられたりするのだ。
 生徒の変化を見ることのできる機会はそう多くない。授業中がチャンスだといえる。
 机間指導で注意すべき点は、教師の清潔感と匂いと距離である。相手は多感な10歳代である。汚らしい大人には近寄られたくない。私も爪を切る、髪型を整える、シャツやズボンの折り目やしわをとる、食後に歯磨き、口臭予防のガムを常備することを励行している。
(9)
子どもをよく見ない
 授業中に黒板と教科書のみに視線を集中し、一部の生徒しか見ない教師がいる。生徒は教師をよく観察している。「あの先生は、いつも○くんばかり見ているよな」と、不平が出る。その教師の授業を見にいくと、たいてい独りよがりの動作や授業展開であることが多い。結果として教師と生徒の距離が遠くなり、教室が冷えているように感じる。
(10)
子どもを怒鳴れない
 私が怒鳴る理由は2つある。まず、教室の緊張した空気が生徒の心理や理解に効果的に働く場合である。だから怒鳴ることは全て計算づくであり、論理的に筋道の通っていないことを言ったことはない。感情で怒鳴るのは教育行為ではない。
 現実的に、怒鳴るレベルでないと、生徒が大人をなめる状況が生まれることもある。往々にしてヤンチャな生徒は甘い教師をなめる。この力関係ができあがると、指導が非常に困難になる。
 全ての教師がそうである必要はないが、父性を担当する教師は怒鳴ることができないと、生徒と対決する場面で指導力が弱まってしまう。適切な怒鳴りができれば、生徒に内容を深く理解させられることも多い。
 もう一つ、誰からも怒鳴られたことのない者が社会の荒波を乗り越えていけるのかという点である。今の生徒は社会の荒波をも乗り越えいかねばならない。そのためには心理的な屈強さが不可欠であり、それを身に付けてもらうために壁になろうというのが、私の考え方である。
 しかし、何度もシミュレーションし、怒鳴るしかないと決めて怒鳴った日でも、ひどく落ち込む。教育には完璧がないと実感する瞬間である。
(
林 純次:1975年埼玉県生まれ、大手新聞社記者、ジヤーナリストを経て関西の中高一貫校教師。読売教育賞優秀賞(国語)

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