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2016年12月に作成された記事

子ども同士のトラブルをすぐに保護者が「いじめだ」と教育委員会に訴えるときどうすればよいか

 根本的な理由は二つ考えられる。一つは学校不信。もう一つは「いじめ」に対する過剰な反応である。
 なにかの「権威」の力を借りて、わが子を守ろうとする姿勢であり、冷静に対応しないと、ふりまわされる恐れがある。教師側の姿勢が揺らがないよう十分注意したい。
 いきなり教育委員会から学校に連絡が入ると、教師側も慌てた対応に走りがちになるが、まずは事実の正確な把握が先である。
 当該の保護者にすぐに連絡をとり、丁重にお詫びと感謝の言葉を述べ、調査をすることの了承を得る。教育委員会も校長も事実を知りたいのであり、保護者の話を鵜のみにはしていないはずである。
 素早い対応は必要だが、そのために事実をねじまげてしまったら、さらに大きな学校不信をまねく。
 「うちの子は悪くないのに攻撃される。なんとかしてほしい」という、保護者の気持ちを受けとめる姿勢を示すことが第一の突破口だろう。誤解や、なにもしていなかったわけでもないという思いがわいてきても、反論しない。
 すべての気持ちをはき出してもらった後、担任としての考えや今まで行ってきたことを丁寧に伝えたい。担任一人でなく学校全体が動こうとしている姿勢を示す。
 学校不信が根にある場合「いじめ」は、たんなるきっかけに過ぎず「学校に、もっとこうしてほしい」という願いが背後に隠れている場合がある。保護者と話し合い、本当の願いはなにかを理解する。
 そのうえで具体的な対策を考えていく。事実をとおして、保護者の誤解や偏見を解き、双方が納得のいく合意点を探っていく。調査してわかった事実関係を整理し、トラブルをおこした双方の保護者と子どもで話し合いをする。「言った者勝ち」にならないよう、教師は中立の立場をとるようにする。
 問題の根をとらえ、誠意をつくした対応と毅然とした態度で対応する学校体制がとれれば、権力主義や事大主義的な保護者の教育観を変えることになるだろう。
 最後に、この事件のレポートをつくり、校長や教育委員会に報告するとよい。
(
小川 悟:1963年神奈川県生まれ、神奈川県公立中学校教師。「日本群読教育の会」常任委員)

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保護者は教師に対してどのような関心を持っているか、応えるにはどうすればよいか

 親にとって自分の子どもがどんな先生に教わっているか、どんな先生であるかという、その一点に関心が集中していると言っても過言ではありません。親は教師の人格と実力にいちばん興味と関心を持っています。
 小学校入学当初は、担任教師の人柄への関心が中心をしめます。まずは、何よりも子どもに、優しいか、親切か、明るいか、おおらかか、など、子どもを優しく伸びやかで、公平に扱ってくれるような教師を求めています。
 
「誰にも優しくて、子どもたちに好かれている先生」とか「とても子どものことを大切にしてくれる先生」だといった風評があれば、まずは親も胸をなでおろすことでしょう。
 低学年の子どもならば、教師は時には、母親代わりのようなことまで、やらなければいけない場合もあります。したがって、親側から見れば、教師の教科授業への実力もさることながら、子どもの扱い方、つまり自分の子どもを大事に扱ってくれるかどうか、という点も重大な関心事となります。
 つまり、小学校の教師には、子どもの生活指導については、その人間性を問われるようなところがあり、教科指導の能力と人柄とが求められるのです。
 したがって、教師にはこの親の心理を理解することから、始めなければいけません。教師として「やるべきことをやる」「教えるべきことを教える」のは教師として当然です。しかし、それをどのようにやるかという方法に教師としての個性と実力が表れ、プロとしての力量を問われるのです。
 たとえば、授業が始まってもなかなか席につかない子、授業中におしゃべりをやめない子に対しては、当然、指導することでしょう。その時、どのように指導するか。怒鳴るか、注意するか、静かに諭すか、ルールを作るか。いろいろな選択肢があることでしょう。
 自分のやり方が確立していない状態であれば、同僚や先輩教師の技を盗むことも必要です。盗めなければ教わるより仕方がないです。教師自身が他人を頼るような精神では心もとないから、なるべく独学で身につけてほしいと思うのです。
 学校現場の経験から、つまるところ生徒指導とは「やり方」の問題なのです。「厳しさに欠ける」「子どもを叱れない」「子どもたちは伸び伸びと」「一切、規律は必要ない」といったことは、個別の教師の具体的な子どもへの指導には、あまり役には立ちません。
 子どもと保護者を大切にするという気持ちを根底におき、それを具体的なやり方にどのように反映するかです。おかれた状況により違うので、画一的にこのようにするというノウハウは必要ありません。
 ただ、どのような場合でも保護者にしっかり説明する必要と義務があります。学校は子どもを保護者から預かっているのですから、学校での教育指導のすべてについて説明するのは当然の義務です。
 これらを怠ると問題が生じます。当たり前です。責任者である担任が明確な説明をしてくれなければ、保護者が不安になり、場合によっては文句を言うのも当然です。
 小学校も中学年から高学年になるにつれ、人柄だけではダメです。教師としての「指導力」と「学力」が問題となってきます。荒れやいじめが生じても、教師が指導力を発揮して、子どもたちが教室で安全で安心して過ごすことができるかどうかを、親は気にしています。さらに重要なことは、教師の教え方が上手かどうかです。
 小学校の高学年ぐらいから思春期が始まります。そうした子どもたちを放っておいては教室の秩序を保つことは難しい。学級崩壊にならないよう、教室の雰囲気作りと規律形成は、指導者の教師が責任を持ってもらわないと、親としては困ります。
 子どもを学校に通わせている親の気持ちは、できることなら「先生を信頼してお任せしたい」。このように切実かつ真剣なものです。したがって、教師はこの親の切実な気持ちに、応えるようにしなければ信頼を勝ち取ることはできません。
(
戸田忠雄 1937年生まれ 政策研究大学院大学政策研究科客員教授。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた。長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任)

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民間校長の「子どもたちの未来を変える」ために伝えたい言葉とはなにか

 好きなことを、好きなようにやらせてもらってきた、この道30年の放送作家が、52歳で大阪府立高校の校長になりました。いわゆる公募の民間人校長です。
 ネットの時代に、テレビというメディアの限界を感じ、東日本大震災をきっかけに、生き方を考え直そうとしていたのかもしれません。「未来の日本のために、きっと何かお役に立てること、プラスワンできることがあるかもしれない」と、僕の中の使命感が突然目覚めてしまったんです。
 家族から「意外と向いているかもね」と言われました。そうなると、もう自分でも止めることはできません。来る日も来る日も、教育関係の資料を読みあさり、手元に集まった書籍は300冊。母校を訪ね、学校運営に関する数々の助言をいただきました。
 気になる本の著者を訪ね、貴重な話を直接うかがったり、ビジネススクールの教授からマネジメントの特訓を受けたりと、準備をしました。
 根がテレビ屋なので、取り組むテーマが決まると、ガーッと集中的に研究し、取材し、パワーアップして、あたかもそのジャンルの専門家であるように、たちまち変身してしまいます。もうそれは30年染みついた習い性です。
 ということで、めでたく採用され、3カ月の実地研修を受けた後に、校長となったわけです。慣れない仕事ですから、当初は戸惑いもありましたし、少なからず失敗やトラブルもありました。
 放送作家から3年の任期付きの校長になって、子どもたちに伝えたいのは
「人生にたった一つの正解なんてない。すべて正解! 生きているだけで、みっけもん。だから、今、ここをしっかり生きる」
ただそれだけです。
 僕の妹や弟は未熟児で短い命でした。生きたかっただろうな。生きてほしかった。たまたま僕は、生きています。生かされています。生きることが叶わなかった妹や弟に恥ずかしくない生き方をしているだろうか。
 生きていること、生かされていることに感謝をして、1日1日を大切に、しっかり前を向いて歩いているだろうか。せっかくの「命」です。自分の心の声に従って、前を向いて楽しく生きていたい。
「できることは全部やる。失敗や挫折もすべてを力に変えて、自分を変えて、変わり続けて、変化の中で自分自身を進化させて、そして未来を変える」
 僕の日常の支えにもなっていて、子どもたちにも伝えたいのは、未来を変える勇気の呪文「ゼロ・プラス・ワン」です。
 どんな逆境だろうと「ゼロ・プラス・ワン」精神で立ち向かっていさえすれば、自分自信が自分自身の人生の主役となって、前を向いて歩いて行くことができるはず。
 自分の心を満足させる喜びにあふれた毎日を暮らすか、あるいはそうした喜びとは真逆のストレスだらけの苦しみを味わい続けるのか。どちらを選ぶかは自分次第。
 校長着任以来、ありとあらゆる機会を見つけては、子どもたちに、クリエイティブに自分の人生を生き抜いていくためのパスワード「ゼロ・プラス・ワン」を繰り返し訴えています。
 堀江貴文(ホリエモン)やLINE元CEOの森川亮さんをはじめ「ゼロ・プラス・ワン」をまさに身をもって実践している時代の挑戦者たちが、応援に駆けつけてくれてもいます。
 自分を変えて、進化させて、共に未来を変えましょう! 自分が自分らしく、自分の人生を生き抜いていくために。
 子どもたちが、自分の人生の主役は自分なのだと信じて、ワクワクしながら、笑顔で生きていける未来を創るために!
(
和栗隆史:1961年東京生まれ、放送作家から大阪府立高校校長)

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子どもに侮辱されたときの対処法

 子どもは教師の怒り、動揺、いらつき、焦りの表情を見逃しません。すぐに弱点を嗅ぎとり、弱いところから攻めてきます。怒りや動揺などの反応を楽しみ、教師を試すためにいろいろな挑発をするようにもなります。
 教師としての大切な資質に「平静さ」と「演技力」があります。平静を装う演技力のない教師は、子どものレベルに落ちて、あっという間に子どもたちの術中にはまってしまいます。学級の秩序は雪崩を打って崩れます。
 カッとなりそうになったときや、なってしまったときの対処法を決めておくと、少しは演技力がつきます。同僚の教師が持っている処方箋を教えてもらいましょう。教師同士でロールプレイをすれば、トレーニングをかねて身につけることができます。「あ、トイレ!」とか適当な理由をつけて、その場を離れるのも一つです。
 とにかく気持ちを鎮め、頭を整理しましょう。大人の余裕を見せてください。たとえば、
(1)
平静にして沈着
(2)
恬淡(欲が無く、物事に執着しないこと)にして淡白
(3)
茫洋(広々として限りのないさま)にして模糊(はっきりしないさま)
が、教師の“すごさ”のペースです。
「人は軽蔑されたと感じたとき、最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない」(三木清『人生論ノート』)
(
白須富夫:1950年生まれ、元東京都公立小学校教師、 児童言語研究会会員)


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授業崩壊をたて直す裏ワザとは

 新任教師だけでなく、同世代や年上にも授業で苦労している教師がいる。新任なら「まだまだ経験が浅いですから、先生の授業を見せてください」とか「こんど、授業を見にきてください」と言いやすいが、同年代ともなると、なかなかそうはいかない。
 成績主義が導入されつつある昨今ではなおさらである。そこで、教科で「公開授業研究週間」をつくってお互いに「見る、見られる」の関係をつくりだそう。これは、ぜひ取り組みたい大ワザである。
 教師という職業は、新任教師であろうとベテランであろうと、基本的には最初から授業をひとりで受け持たなければならない。そのうえ、生徒は自分のことはタナにあげて、教師に言いたい放題だ。
 20年も教師をやっていると、そんな生徒の放言にも受け流したり、ときには、聴き捨てならない言動を徹底に追及するなど、いろんな対処の仕方も身につくものだ。
 だが、大学を卒業したての新任教師にとっては、まともに受け止め、傷つくことがままある。
 そんなときの、とっておきのワザは「見る、見られる」の関係をつくること。
「先生のクラスで、前の時間こんなことがあって・・・・・」という話を聞くよりも、実際やっている授業を見学にいこう。担任に後ろから見られているという緊張感もさることながら、一番は実際の授業を見学することで的確なアドバイスができること。
 教科が同じだとベターだが、異なる教科でもそんなに的を外れたことにはならない。また、見に行くだけでなく、自分のふだんの授業も見てもらおう。20年やっていても、これぐらいのものか、と思ってもらえるほうが逆に勇気も出る。
 新任教師なら、積極的に「見る、見られる」関係をつくりにいってほしい。授業のちからがアップすること間違いなし。
 「生徒は私の授業にどんな要求を持ち、どう感じているのだろう」と、教師なら誰もが気になるところ。「教師への通知表」をあらためて生徒に書かせるのもいいが手間と労力がかかる。
 そこで、簡単にでき、記録としても残せるすぐれものは、定期テストの解答用紙の末尾に「授業について」欄を設け、採点前に切り離せるようにしておく。テスト中なので手間取る設問、内容は避ける。選択式とひと言感想を主にする。たとえば
(1)
わかりやすさ ABC (2)公平さ ABC (3)たのしさ ABC (4)黒板の見やすさ ABC (5)声の大きさ ABC (6)先生へのお願い・要望(ある人だけ)
 ただ、テスト時に書いてもらうと、生徒は誤解をしてしまいがちになるので、この「通知表」は一切テスト等への評価には入れない旨、ひとこと確認することを忘れずに。
(
中村貴彦:大阪府立高校教師。おまかせHR研究会代表)

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「うちの子ばかり目の敵にしている」と、保護者に言われたとき、どうすればよいか

 授業態度の悪い子どもがいる。その様子を家庭に知らせたところ、「うちの子ばかり目の敵にしている」と言って、とり合ってくれない。このようなとき、どうすればよいか。
 悪い面ばかりを強調して知らせようとする気持ちが、先に立ってはいないだろうか。一方的に悪い面だけを伝えられては、だれだってカチンときたり、他の子だって、と思う気持ちがわいてきたりするものです。
 授業態度の悪さを伝える前に、ささいなことでも、よい面をたくさん探す努力をしてみる。授業前に筆記用具を出していることなど、あたりまえでも、その子にとってはキラリと光る行為である。どんなささいなことでも、よい面だと思ってあげられそうな事実をたくさんメモしておくとよい。
 わが子のことをほめられて嬉しくない親はいない。ましてや、メモをもとに熱弁する教師に、心を開かないはずがない。ささいな内容でも、たくさんのわが子の事実を見てくれている教師の姿勢が伝わる。だから、取り急ぎ電話で伝えるよりも、できだけ直接、話すとよい。
 たくさんよい面があるので、さらに、授業中の態度がよくなれば、もっと伸びる子だと保護者に告げる。そして、授業態度を改善するように本人にも話す。教師と保護者が一緒に、この子をよくしていきましょうと話し合う。保護者には、とくに、子どもに自信をもたせるよう「ほめる」姿勢をお願し、教師自身も努力することを約束する。
 教師の子ども観が、保護者の教師観にも反映します。教師の子ども観を修正し、その子の美点を見ようとすれば、保護者の教師観も変わることが期待できるだろう。
(
長塚松美:元神奈川県公立小学校教師。日本群読教育の会常任委員)

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小学生の不登校を100%なくすには、どのようにすればよいか

 不登校の子どもたちの本心は「学校に行きたい、友だちとも遊びたい。でも行けない」です。だから不登校の子どもは学校に行けるようにしてあげられるのです。
 不登校が起きる原因は100%家庭内にあります。私たちは「親が変われば子が変わる」の言い伝えどおりに「子育てで親を変えることができる」ことで、不登校を克服することが100%可能だということです。
 私たちが「親の変わり方」を教え、親が正しい子育てができてこそ、完全に克服できるのです。継続登校ができるのです。
 私はお母さんに、登校指導をするときに、次の理念を守っていただいています。
(1)
親が「感謝、気配り、心配り、思いやり」を持ち、子どもに背中で教える。
(2)
人のせいにしない。 
(3)
わが子は、いい子だと考える。
(4)
過去のことは言わない。
(5)
誰も責めない。
(6)
不平不満を言わない、思わない。
これだけを親も子も守りますと、学校生活や社会生活が円満にすごせるのです。
 親はわが子が不登校になるとは夢にも思わなかったと言います。子どもは性格的に、何か自信のないもの、不安なものがあったら、一時、学校に行きたくなくなったり、お腹が痛くなったりします。子どもはほんの些細なことで、行きづらくなり、行きたくなくなります。
 親はあわてて、原因を聞きだそうとしたり、何とかしようと、学校の先生にすぐ相談したり、相談所に行きます。「頭が痛い」など、身体症状を訴えるので、医者に診てもらっても異常なしです。
 指導機関などで「やさしくしてあげなさい」「甘えさせてあげてください」「待ちましょう」などの指導を受けた母親が、そのとおりにしますと、すぐにわがままが出てきます。
 そのうち、階段を転げ落ちるように、昼夜が逆転したり、暴力や暴言を吐いたり手がつけられないような振る舞いをするようになったりします。いつまでも出口がありません。
 こんなとき、専門のカウンセラーをつけて「行くきっかけ」をつくり、解決をはかってあげないかぎり、小学生のような小さな子が目の前の問題を整理して、自分から行くということは、とうてい無理なことです。
 私は590人の不登校の子どもを学校に戻しました。子どもは一人ひとり異なります。その子をあらゆる角度から見て対策を立てなければならないのです。
 不登校を起こす子どもは、性格と関連があります。性格の改善に取り組んでいくことが大事です。ほとんどの親は性格に原因があることに気づいていないのです。
 休みだすと、子どもは「友だちがどうの、先生がどうの」と言いわけに終始します。これではいつまでたっても解決しないのはあたりまえです。
 不登校を起こす子の典型的な性格は「神経質で気にしすぎる」というものです。そんな子に育てたのも親です。このような性格の子が、交友関係、学校生活、家庭で何かに悩み、解決できずにいるため、頭が痛い、熱が出る、だるい、朝、起きられない、家を出られなくなったりして不登校になることが多いのです。
 私たちが、不登校の子どもを100%登校に導く方法を述べます。
 私たち(カウンセラー)と大学生、お母さんの努力、担任の先生、友だちが関わります。
 まず、大学生が大きな役割を担います。大学生は子どもたちと年齢が近い。子どもにとってお兄さん、お姉さん役になります。心を開いて遊んでくれると信頼がめばえます。子どもと接する大学生から、子どもの性格、今何を考えているのか、学校に対する気持ちはどうかが報告されます。
 報告を聞いて、母親はわが子の心の中がよく見えてくるのです。私は、次々と登校に向けての指示を出していきます。わがままな子どもがおおいので、言動に問題がある場合は「こんなときは、こうするんだよ」と、大学生やカウンセラーが教えます。
 性格に問題がある場合は、私が親に子育て方法を変えるよう、的確に教えます。不登校になる子の親は、子どもが自分でするのを待ち切れず、先さきに「早くご飯を食べなさい」などの言葉をかけることが多い。これでは「自立心と協調性」が育たない。
 不登校をなおすための親が守るべきことは、
 命令・指示はしない。先さきに言わない。子どもの機嫌を取らない。聞こうとせよ。「子どもが、どうする」ではなしに「親がどうする」を基本とする。「失敗は成功のもと」と良いほうに考えていく。不平不満を言わない、などたくさんあります。
 子どもの性格を親が変えておかないと、継続して登校ができないからです。みんなと交わって学校生活が送れるよう、子どもに「自立心と協調性」をつける対応を学んでもらいます。
 大学生が、いろんなことを子どもに聞き出しても、子どもが心を開いているので何でも言ってくれます。子どもが登校の意思を見せてくると、登校に向けて大学生やカウンセラーと話し合います。
 子どもが学校で一日過ごす予定を、子どもの知っている範囲で組みます。
 例えば、教室の席、下駄箱、ロッカー、給食当番、日直の仕事・順番、学級の係、体育の並ぶ順番、掃除の班・場所、必要なもちものなど。
 しかし、ここから先は担任でないとわかりません。母親と大学生やカウンセラーと学校を訪問して、担任に準備や持ちもの、教室の様子を教えていただきます。
 担任との「心の打ち解け」が重要です。そこで担任に家庭訪問してもらいます。子どもは大学生やカウンセラーもいるので安心して会えます。
 登校日は木曜日か金曜日にします。疲れないためです。学校は一人で過ごせる場所ではありません。友だちが必要です。登校前に家に友だちに来てもらい、詳しく学校の様子を聞いたりします。
 長く学校に行ってなかった小学生には、登校前に学校を見学しておくことが大切です。夕方誰もいない時間に、大学生と一緒に行って担任に説明してもらいます。
 登校日は、大学生や友だちと一緒に学校に行きます。一度登校すると小学校は楽しいので意外と継続登校がうまくいきます。
 数日間、大学生は朝、起こすのを続けます。母親では起きない子が多く、行きづらい表情をみせることがあるからです。登校を確認し、夕方、宿題や明日の準備ができるのを確認します。
 私は二か月くらい継続登校を見守り、問題のないようになるまで指導しています。
(
吉岡康雄:1940年大阪府生まれ、体育指導員、青少年指導員、親子問題研究所主宰を経て、登校拒否サポート協会設立、親の学校開校)

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学級崩壊がNHKで放映されたことがある、どのような状況であったか

 当時(1998)、NHKスペシャル「 広がる学級崩壊」によって、大阪府堺市立宮園小学校は一躍、全国的に有名になった。
 NHKは、この放送の目的と、その結果について、つぎのように述べています。
 学校現場の中で「子どもがどんなふうに荒れているのか」っていうことが、ほんとに知らされていないのに、マスコミは「先生が悪い。先生の力量がない」「11歳や12歳の子どもに、いうことをきかせられないのは、どういうことだ」という社会風潮があるが、それでよいのか。
 そうではなく「地域も考えないといけない。親も子育てを考えなといけない」と、いうふうに、この放送をしたことがきっかけに、社会の見方が変わってきたと評価した。
 それと「教師が一つの問題について議論に議論を重ねる。こんな学校は全国どこ探してもない」とNHKのディレクターが言った。
 NHKの放送で、子どもの生の姿を映し出したので、文部科学省も、その後、学級崩壊について本腰を入れて調査するというふうになったと思います。
 学校現場では、担任が「自分のクラスが大変でね、もう子どもがこんなふうに荒れているんだけど」と言いにくかったのを、NHKの放送で、それを言いやすくしたということもある。みんなの問題にしたという点では、無駄ではなかった。
 放送のあと、学校に全国から電話がかかってきましたし、PTAが教師と宮園小学校の教育を考える会をもちました。一番最初に、ある母親が「うちの子が宮園小学校の子やっていうのを恥ずかしいと言っている。どうしてくれるんや」と言った。
 すると横にいたお父さんが「あんた何言うてるんや。あんな大変な子どもたちがいっぱい学校にいてるのに、一生懸命あきらめんと、がんばってくれる先生がたくさんいる学校って他にはないやろ。その学校を誇りに思え」「わが子にかかわるのは親の仕事やろ」と、言った。その言葉が、ほんとに嬉しくて、話を聞いて泣いた教師がいました。
 NHKの映像の中で、大きな声と体で子どもたちと接し、同僚の教師たちを励ましていたのが生徒指導主任の葛目己恵子である。
 映像の中で、息づいている子どもたちの苦悩と、必死になって子どもたちの気持ちに寄り添い、打開の道を探り続けている教師たちの奮闘している姿が印象的であった。
 その約一年後に、葛目教師の講演があった。大柄な身体を揺さぶり、ユーモアと暖かさがあふれる話ぶりに、人柄、子どもたちへの愛情、的確な状況分析と教育理念の確かさに大阪大学教授の小野田正利は感動を覚えた。以下に講演の内容を記します。
 学校現場で「普通の子がキレる」「クラスの中で授業が成り立たない」ということが、起きていると言われていました。しかし、学校関係者以外見た人がいない。現場の教師も公開しようとしなかった。
 NHKと和歌山大学が協力して調べたら、小学校の12学級に1学級、学級崩壊が起こっているという実態があったんです。学校現場の姿を知るなら「大阪の教師は一番本当のことを言ってくれるから」と、NHKから学校に連絡がきました。
 NHKのスタッフと教師が話をし合ったあと、全員の教師の授業を見ました。そしたら「大変荒れたり、いろいろと難しい子どもがいるにもかかわらず、がんばっている先生が宮園小学校には多いと聞いていた。がんばっている先生をとりたい」と言ったんです。
 私らは、複雑な事情をかかえている子ども相手に、毎日がんばっているので、笑いながら「ええんちゃうか」と思ったんです。
 校長が「教育委員会に聞きに行ってくれ」と言うんで、NHKが行った。で、教育委員会はO-157の食中毒の事件(1996年、3人の子どもが亡くなった)があったので「名誉挽回で『がんばっている先生』を撮ってもらったら」と、了解したという話だったんです。
 それで、NHKは、学校に8:3016:00ぐらいまで、約1ヶ月毎日来ました。私はその当時は生徒指導担当で、担任をもたないフリーでした。「この先生はこんなにすばらしいところがあるのよ。あの先生もこの先生も映して」とスタッフに言っていました。
 私が朝、校門指導で「そのケガどうしたん?」って言う場面や、子どもがケンカしてキレて学校から地域に飛び出して、探して捕まえてきたこと、親との教育相談とかいろんな場面を撮っていた。
 私が一番残念だったのは、地域の姿が番組で映っていなかったことでした。地域には連合自治会があって、会長が「地域をあげて子育てをしていきましょう」と言った言葉を放映してほしかったなと思います。
 やっぱり子どもは自分が大事にされたいんです。あんたは、かけがえのない子どもやというメッセージが子どもに届いているかが、大きな課題になると思います。教師が子どもを真正面にすえて、その子の気持ちを自分のものにすることで、突破口を見いだせるのではないか。
 この世で最大の不幸は病でも貧困でもない。自分は誰からも愛されていないと思うことが最大の不幸ですというマザー・テレサの言葉もあります。
 NHKの放映で、1年生の子が机の上を走り回っていた。その子は母子家庭の子で父親に飢えていました。さびしいが、上手に言うことができないから、他の子どもの気をひいているのだと思います。
 そういう子どもの気持ちをわかってください。ただ単に、この子は乱暴でどうしようもない子や、というふうにはとってほしくない。そのしんどさをわかってあげることでしか、出口を見いだせないと思っています。
 子どもの様子がおかしいと思ったら「いま離婚話が進行中です」とかいった話がいっぱいあります。それで荒れてきている子どももいます。しかし、やったことには怒る。
 だけど「先生は決してあんたがきらいで怒っているのと違うんやで」ということを、ほんとに繰り返し、メッセージを届けないとダメじゃないかと。
 今の子は怒られると、全人格を否定されたように勘違いしてしまう、しんどさをかかえている。それほど危ういところで生きているんだということをわかってあげてほしいなと思います。
 親に対しても、教師が「私も子育てで悩んできた親の一人ですよ」「大変な時もありました。でもお母さんがんばりましょうね」と、メッセージを届けながら。
 荒れている子ども、そこだけに目を奪われるのではなくて、一生懸命がんばっている子がいるのだから、その子に「たいへんやけど、がんばってるね」とほめ「みんなも一緒に勉強できる状態につくっていくようがんばろうね」と励ます必要があります。
 私はね、教師が防御にまわるのではなくて、大変であればこそ、子どもたちにきちんと仕掛けて、準備をして、そして子ども目線のちょっと上を目指させるとよいと思います。
 新学期の始めであれば、どんなクラスにしたいのか願いを書かせます。どの子の願いもすばらしい。私も同感です、みんなで力をあわせてがんばろうと呼びかけます。みんなで決めた約束は守ろうやと、子どもたちのいいところをうんとほめていきます。
 教師は真っ白になって、子どもと向き合うことが大切です。一人ひとりちがう。教師の職業はね、20年教師をやっていますと言っても、今の時代はそういう経験がものをいわないんです。前にやった経験を子どもに押しつけると、必ず何か問題をおこす。
 学校というところは、何よりも「人間は信頼できるんや」ということを、子どもに実感させることが、できるところだと私は思っています。
 教師が前向きに夢を持って生きている姿を子どもに見せることによって、また私自身が仲間の教師たちを信頼して一緒にやっているのだ、という姿を見せることで、子どもたちに何かわかってもらえることがある、と思っています。
 学校の先生に講演するときは、必ず言っていることは「子どもの見方を統一する」ことです。教師集団が子ども観を統一することはすごく大事です。子どもをどういうふうに見るか。子どもの見方を統一する。
 悪いことするけど、悪い子はいないとか。子どものしんどさ、荒れの原因はここにあるっていうことを議論して、そのことを統一することが重要です。けれども、指導のやり方を統一することはありません。それは教師の個性でね、大事にしたらいいです。
 私は、廊下で子どもとすれちがったら「お母ちゃん元気にしている?」と、話をしながら声をかける。事件をおこした子も話すきっかけになったりします。この子と思う子には必ず声をかけることにしています。
(
葛目己恵子:1948年和歌山県生まれ、元堺市立小学校教師。1998年、NHKスペシャル「学校~荒れる心にどう向き合うか 第一回 広がる学級崩壊」で生徒指導主事として教師を励ましている姿が映された)

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教師の本当の喜びは、教師の「いのち」と子どもの「いのち」と触れ合うところにのみ得られる

 教師であることの、本当の喜びは、教師のいのちと子どものいのちが触れ合うところにのみ味わわれる。
 子どものいのちにふれ得ないような教師は、子どものいのちに影響を与えていけたりする道理がない。子どもに、何もしてやることはできない。子どもに、何もしてやることのできないような教師は、もはや、教師ではない。
 子どものいのちにふれるには、わたしは「ほんものになるより道はない」と考える。子どもが母親を慕うのは、それがほんものだからだ。
 ほんものの母親は、自分の子どもが、利口であろうがばかであろうが、いうことをよくきく子であろうが、いうことをきかない子であろうが、ひたすら子どもを思いわずらう。その「ほんものさ」を子どもは本能的に感じとって、母親を慕うのだ。
 
「この子さえいてくれなければ……」と考えたこともある子どもを「この子がいてくれるおかげで……」と位置づけたときから教育は始まる。子どもの中に、ボス退治などと言って退治しなければならないような子どもはいません。
 ほんものの教師だけが、子どものいのちにふれていき、子どものいのちに影響を与えることができるのだ。
 わたしは、教師は、ほんものになるより道はないと考える。子どもたちが母親を慕うのは、それがほんものだからだ。
 
「ほんもの」だけが子どものいのちにふれていく。子どものいのちにふれ得ないような教師には、何もできない、ということがほんとうのようだ。
 わたしは、始め、教育ということは、子どもたちに「ああしろ、こうしろ、そんなことをしてはいけない。それはこうするんだ」と、子どもを指図し、叱り、教えることだと、と思っていた。
 
「先生」と呼ばれるようになって25年、それはほんとうの教育ではなかったんだと、気づかせられはじめた。
 それなら「教える教育」の限界をつき破るものは何か。それは「ほんもの」になることだけだ。人を「ほんもの」にしようとして「教える」のではない。こちらが「ほんもの」になるのだ。ほんものでないものが、人に「ほんものになれ」と指図したところで、ききめのあるはずがない。
 ほんものでない者が、ほんものでない自分に対して、言わなければならないことを、わたしたち教師は、教師顔して、他人に言いつづけてきた。そこに、私たちの長い間の誤謬があったのではないか。
 ものを言わない、困った子どもがクラスにいた。わたしは、ものを言わせるように、話しかけ、ともに遊ぶようにしたり、クラスの子どもたちにも話しやすい雰囲気づくりに協力してもらったり、いろいろとはたらきかけたがだめであった。
 しかし、よく見ると、その子は掃除でほうきの使い方や片付けがクラスの中で一番うまいのに気がついた。ものは言わないが、掃除の動作は、ひとつひとつ美しいことばではないか。こんな美しいことばを毎日自分の行動で語っている。
 わたしは、うれしい思いでその子を見るようになった。そのうち、その子の目が心なしか微笑んで見えるようになり、ほんのかすかであったが声を聞くことができた。
 あれだけ、ものを言わせようとしても、わたしがそうすればするほど、口をつぐんだ子が、だれに強いられたのでなく、自分から口を開いたということはどういうことだろうか。
 指図し、教えることよりも、それを、そのまま抱きとることができるような教師になることこそ、子どものいのちを開いていく唯一の道だ、ということが考えられないであろうか。
 子どもも人間、したがって、教師も人間でなければならない。 変えることができると信じるからこそ、教育が成り立つ。
 子どもは、甘えることのできる者の前には惜しげもなく裸になる。すぐれた実践を築いている人は、適度の甘さをたたえている。
 せめて子どもに負けないくらいの生気のある朝のあいさつを、帰りには生気のある明日の出会いを期待したあいさつを。
 教師の目指すものと、全く逆の考えを持つ子どもも、教師は粗末にしてはならない。口で教えることの安易さ、待つことの大切さを知ろう。
 憎しみを育てるようなきびしさはない。きびしさを先生方は大切にしていただきたい。しかし、憎しみや、のろいや、冷酷さを育てるようなきびしさだけはどんな場合にも避けていただきたい。
 子どもから学ぼう。子どもの感動に学ぼう。子どもの胸の中の「ドキドキ」をキャッチする心を持とう。子どものことばに耳を傾けよう。そこには、私たちの心の帰着点である心のふるさとがある。
 動作で子どもはものを言っている。私たちは「ことば」に頼り過ぎていないか。「体でものを言う」「生き方でものを言う」というのが、ほんとうの「ことば」であろう。
 暴力も、あれは子どものことばだ。大人の目から見ると、困ったことばかりしている子どもでも、なぜそういうことをせずにおれないかというそのわけを、伝えたがっているのだ。「非行少年」というのは、ほんとうにわかってくれる人にめぐりあえないで迷っている「不幸少年」といえる。
 私は、教師になってからも、なかなか子どもは「かわいい」と思えませんでした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そういう私でした。一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな奴だ」ということになるような気がしたものです。
 子どもが「やっかいだ」というのは、子どもが生きているからである。生きているからこちらの思うようにはなってくれないのであって、それはたいへん結構なことであるとわからせてもらったのはずっと後のことでした。
 生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結びたがっているとわからせてもらったのは、またその後のことでした。
 そして、生きているのではなくてどうやら生かされているようだぞ、と分からせてもらったのはさらに後のことでした。どす黒いいやな荷物を子どものくせにすでにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、安らぎを求めずにはおれないように生かされているようだぞと分からせてもらったのです。
 生きているものは、光っている。どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。子どもといういのちの袋の中には、いろんな宝物が入っている。その宝物は、子ども自身さえ知らずにいる。
 意味というものは、こちらが読み取るものだ。値打ちというものは、こちらが発見するものだ。すばらしいものの中にいても、意味が読みとれず、値打ちが発見できないなら、瓦礫の中にいるようなものだ。
 人間にくずはない。人生にむだはない。 子どもは抵抗をほしがっている。反抗してみて、子どもは大きさに目覚める。子どもは抵抗をほしがっている。
 子どもの中でも、早く引き抜いてしまわなければいけない「雑草」の方が、私たちが育てようとしている「作物」よりも、相当力が旺盛だ。
 子どもを大切にするということは、子どものわがままや衝動をのさばらせることではありません。本来の生き生きしたものを客観性のあるものにしてやること。
 個の尊厳を守るということと、「エゴイズム」を許容することとは違う。志が確立して体力も能力も光を放ちはじめる。
 志を立てるということは、生活現実に密着した決断である。それは、生き方、何を目ざしてどのように生きるかという「現実との取り組み方」が問題となる。
 志を立てるのに大きな教育力になるのは、親や教師の現実への取り組み方生き方である。「ぼくの十年先を見ていてください。」ということにならないと、人間はほんとうの人間になれない。
 志が確立して、体力も能力もその本来の光を放ちはじめる。志があいまいなものである間は、その人間に転換を与えるものにはならない。
 甘い夢は、毎日の生活現実まで変えていく力にならない。そればかりか、ちやほやされるスターになるとか、みんなからさわがれる歌手になりたいとかの夢は、具体的な生活現実をよけいつまらないものとして見るようにさえなる。
 教育という仕事は、子どもを自分の脚で歩けるようにしてやることだ。よく感じ、よく思い、よく考え、自分の考えで行動していける、たくましい行動的な、子どもたちのいのちを育てたいと思った。
(
東井義雄:19121991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)


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教頭に求められる心構えと実践とはなにか

 教頭は学校に出勤してから退出するまで気が抜ける立場ではない。教職員はもちろん、子どもをはじめ、多くの保護者や様々な来訪者から、教頭の姿、行動や言葉の端々まで注目されている。
 教頭はみんなから頼りにされているのである。人間として、教師として、さらに教頭としての自覚をもって、誠心誠意勤務することである。服装や身だしなみは、常に清潔で、品位を保ってほしいものである。
 外部から電話を受けた時の第一声は非常に大切である。まず「○○学校・教頭の△△です」と、明るくはっきりと名乗ること。電話は学校の声の窓口である。応答は明るく、元気よく、明瞭かつ、丁寧をモットーとしてほしい。事務職員にも指導の必要がある。
 朝は、子どもの欠席や遅刻の届け、教職員からの休暇願いなどの電話が頻繁にかかってくる。担任や校長に確実に伝達する。
 その他、苦情電話や、情報提供の電話がある。その対応によって話がこじれて問題が大きくなってしまうこともある。だからこそ、親切、丁寧に対応しなければならない。すぐに対応する姿勢と誠意が必要であり、必ず校長に報告する。
 学校には様々な人びとが出入りする。気をつけることは、服装や態度で相手を判断したり、扱い方に差別をしてはならない。校長室に案内すべきかの判断も必要となる。湯茶の接待の気配りも必要である。
 事前に予定されている公的な来訪者の場合は、玄関入口には、案内図などを示しておく。役職、名前を調べ、下駄箱に名札を表示する。
 教頭にとって大事な心構えの一つは、教頭が勝手に判断して、教職員に指示してはならないことである。どんな些細なことでも校長の考えと違っては、職場は混乱する。一つひとつ、校長の指導、指示を仰ぐという基本的なことを常に心してほしい。
 ただし、校長不在で連絡がつかない場合は、事態を把握し、決定しなければならないこともある。判断しきれない時は、教育委員会の指導を受ける。
 教頭の中には「教職員が、私に相談しないで、校長に直接行ってしまう」と嘆く例がある。これでは、教頭としては失格である。日頃、この教頭では頼りにならないと思われていたり、最終決定者は校長だから、校長に相談してくれ、と責任逃れをしていて、信頼感が薄いからだと思う。
 教頭が、教職員の日常生活に「心の眼」を向け、気配りをして、時に声をかけ、相談者として意欲的に接していれば、好ましい人間関係が醸し出され、自然と公私にわたり相談に来るようになる。
 また、教頭は校長決裁を求める場合、教頭として、自分自身の見解や意見を必ず持って臨まなければならない。校長から「きみなら、どう考える」と問われて、返事に窮するようでは、校長の補佐役として問題である。
 教頭は教職員と校長との単なるパイプ役であってはならない。教頭としての哲学、見識をもつことである。
 教頭になるために、様々な研修を重ねてきているが、さらに、教頭実務を含め、一層研修を深め、人間として高める努力をしなければならない。私はつぎのような努力をした。
1 日々の記録をつける
 教頭になった日から、私的な日記(記録)をつける習慣を薦める。教頭は多忙な日々だが、その日の出来事、処理方法、改善への感想など、箇条書きでも良い。これが後日、役立つ。
 行事など一年前の事柄の細部までは、なかなか思いだせるものではない。学校評価にも、職務遂行の向上のためにも、大変貴重な資料となる。記録は大切なものである。
2 法規に強くなる
 管理職は、教職員の管理はもちろん、教育活動の円滑な推進のために、法的根拠を理解し、身につけておく。法規、例規集を座右の書とし、疑問に対して「だろう」ではなく「根拠はこうだ」と、明確に答えられるよう、疑問に思ったことは、すぐに調べて確認する習慣をつける。
3 視野を広げ、教養を高める
 教頭の研修は自校の教育課題に対して、どのように改善することが必要か、ということを意識することから始まる。子どもの生活の様子、保護者とのかかわり、PTA活動などからも、世の中の確かな変化と、望まれる教育課題が発見できる。
 さらに、国内外の教育事情はいうに及ばず、様々な社会事象をはじめ、世界の政治、経済、社会、宗教、文化など多方面に視野を広く持ち、学習を深める必要がある。多忙でも、自らの見識を高める努力が大切である。
4 教頭職として自ら高める
 とかく忙しさにまぎれて、校内にとどまりがちではあるが、教頭職に精通するために、地域や全国の教頭会を大いに活用しなければならない。資質を高める積極的な意欲があれば、校長も研修に参加することを応援してくれるはずである。教頭として自ら高めるには
(1)
健康管理と体力の維持、強靭な精神力
(2)
社会的常識と人間的魅力
(3)
教職員やPTAなどに指導助言できる識見
(4)
情報収集能力と組織力、企画力
(5)
実務知識と事務処理能力
(6)
若い教師に研修意欲の喚起と幹部職員を育成する能力
(7)
自らの教育観、学校観、教師観、子ども観などの確立と先見性
おおよそを、あげてみたが、何といっても「健康」が第一である。健康を害して、志なかばで涙をのむ人も少なくない。自分なりに健康維持と増進には心してほしい。特にストレス解消法を持つことである。
 私は、ストレスや疲労感があるような時は、腹式呼吸によって心身の安定を得るようにしている。腹式呼吸を510回繰り返し「気持ちが落ち着いている、大変心地よい、心地よい」と自分に言いきかせると、本当にゆったりとした落ち着いた気持ちになる。
 頭に血がのぼるような時、疲労したと思った時、だまされたと思って、一度ためしてほしい。
(
藤ヶ谷敏明:1929年東京都生まれ、元東京都公立中学校教頭(10年間)・校長(6年間)、教育相談員等)

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カウンセリング・マインドを持ち、子どもを包み込むと子どもは激変する

 私は、教師や親がカウンセリング・マインドを持って子どもに接してほしいと思っています。カウンセリングの究極は、「子どもの心に寄り添う」ことと「傾聴」だと思います。子どもの話を、全身を耳にして聴き入ることが、信頼回復にはとても重要であると思います。
 子どもが「この人は、本当に自分のことを知りたがっている」と思うと、子どもの感性というものはピクッと動くのです。その子どもの感性をピクッと動かすことができれば、子どもの問題の大半は解決できるのではないてしょうか。
 そして、その子どもの感性をピクッと動かすことこそが、カウンセリング・マインドの基本であると思います。しかし、今の日本のカウンセリング・マインドは、誤ったものになっているのです。子どもに無限に迎合することなく、きちんとけじめをつける必要があります。
 私は、子どもを無限に甘やかすことだけはしません。無限の愛と慈しみと受容は注ぎますが、そのかわり、どんなに厳しくても、子どもに言わなければならないことは、必ず言います。ただし、時間をかけて、子どもに無理のないように表現していきます。
 なぜ、子どもを受容し、傾聴するのか。それは、子どもの内面にあるものを吐き出させるためです。子どもの心の中に眠っている感性を動かすためなのです。たった一度でも心がピクッと動いたならば、もうそれでいいのです。
 私は、日本中のすべてのお父さん、お母さん、教師に、目の前にいる子どもたちに対して、カウンセリング・マインドを持ってほしいと願ってやみません。
 子ども包み込むと子どもは激変します。
 私はカウンセリングを学生時代から始め、二十年ほどの教師生活と、約十年間のニッポン放送での人生相談などを経て、何万人という子どもたちとその親たちに関わり、貴重な経験をさせてもらってきた。
 覚醒剤をやめられない子、自宅に引きこもって暴れる子、売春に走る女子中学生、みんなそれぞれに悩み、心を病み、あきらめから、ひらきなおって荒れてしまっているように見えた。
 暴力団に引き込まれた子どもを、私は帰してもらいに行った。家庭内暴力でナイフを振りかざす子どもに、私が「わかった、私を刺してくれ」と体をあずけたりして、「これで私の命もおしまいか」と腹をくくったことも百回ではおさまらない。
 これまでの数々の経験から得たものは、はかり知れないが、中でも世の大人たちにぜひとも知っておいてほしいことがある。それは、「子どもを愛をこめて包み込むこと」が、荒れる子どもたちの心を揺さぶり、胸の奥にしみ入る魔法の薬、つまり起死回生の特効薬になり得るということである。
 生きる喜びを知らない子どもたちには、一人ひとりと真剣に向き合わないと、効果は絶対に表れない。ある子どもは、延々十時間、手を握って話し込んだ。「いつでもきみの味方になってあげたい。応援しているから、何かあったら相談に来てほしい」と。
 私は、人間というものはさまざまな不本意な思いを心に抱かえながら生きていかねばならぬこと。その中でよりよい生き方を、最後の死の瞬間まで求め抜いていくことの価値を訴えた。
 するとようやく、「先生はとっても優しいんだね。わかった、もう明日からやめるよ」と約束してくれた。やはり子どもはいつも「ぬくもり」を求めているのだということが身にしみた。
 触れ合いたがっている子どもを拒絶すると、とんでもない方向へ曲がってしまうこともわかった。子どもにとって、自分が必要とされているという気持ちは、善悪を問わず、何ものにも代えられないものである。
 どれほどすさんだ心も、温かい「包み込み」さえあれば、必ず癒されて立ち直れると断言する。「子どもを認める温かい言葉」を投げかけることです。たとえば、相手の存在を認める「ほめ言葉」は、かたくなに閉じられた心をほぐす万能薬でもあるのだ。
 子どもの心に響くためには、子どもの視線に合わせて、一対一でほめ言葉で接するようにする。上から目線に構えて説教しないこと。
 手をしっかり握って、子どもの目を見つめて、「きみのことが心配だから言わせてほしい」と真剣に語りかけることも「包み込み」である。
 ふだんから、「いつでも何かあったら協力する。あなたを守ってあげたい。一人で悩まないで頼ってほしい」と言い続けることも「包み込み」である。
 このように、子どもは自分が愛情を受けている、必要とされているという認識を持っていれば、けっして道を踏みはずすことはない。一時期、道からはずれたとしても、それまでに受けた「包み込み」の蓄積があれば、必ず自分の力で立ち直ることができる。
(濤(なみ)川栄太:19432009年、小学校教師(20年間)、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者(10年間)、教育相談(40年間)。悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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子どもに自己抑制力をつけるには怖い人をつくる

 子どもの心の中に自分を抑制したり、自分を律する力をつけるためには「怖い人」を子どもの心の中につくることである。
 学校の中で「怖い人」をつくるには、叱ることができる教師がいて、叱ることで「怖い人」となることだ。その叱ることのできる教師は子どもからも尊敬され信頼されていることが条件である。
 つぎに、そういう教師が学年に一人もいないのなら、学年で生徒指導体制をつくれば良い。暴言や器物破壊などの問題行動の段階では、親と相談する、教師がパトロールする、別室で謝罪するまで説諭するなどと「怖い人」を設定すれば良い。かなりの子どもは、自己抑制力が働いて限度を理解するだろう。
 しかし、暴力行為をくり返す生徒にはもともと「怖い人」は存在しない。対教師暴力などはその典型だろう。「怖い人」の代わりに、法的対応として警察などの外部機関を持ってくるべきだろう。放置されると被害者はもちろん加害者を守ることはできない。
(吉田 順:1950年北海道生まれ、37年間横浜市立小・中学校教師。生徒指導部長16年、学年主任13年。生徒指導コンサルタントとして全国の荒れる学校と関わる。「生徒指導」ネットワーク主宰)

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学級が荒れ「もう、学校に行きたくない」と思った教師が、経営塾で学び、すばらしい学級づくりができるようになった

 恥ずかしい話だが「もう、学校に行きたくない」と考えたことが、かつて若いときにあった。教室のルールは崩壊し、無法状態に近かった。全校集会での態度も目茶苦茶。叱って効果があるのは、ほんの一瞬だけ。
 まわりの教師に相談しても「担任ががんばるしかないのだよ」としか言われず、具体的に何をどうしたらよいのか、さっぱり分からなかった。私の学級をまとめる力が弱いために、招いた状態だと思っていた。
 法則化運動を通して得た技術も一時的には効果はあった。しかし、持続しなかった。もっと息の長い学級づくりに関わる力が必要なのだと思った。
 痛みの癒えない心を引きずって、春休みに、わらにもすがる思いで「経営塾」に参加した。なかば、どうせ得るものは無いのだろうと諦めの気持ちだったが、そこで学んだことが私の実践を大きく変えた。
 4月に小学校3年生を担任した。学んだことを基に様々な実践をした。そして半年後、教頭、保護者から「子どもたちの雰囲気がすばらしい」と言ってもらった。1年前は真剣に教師を辞めることを考えていた私だったのに。
 私が学んだことは、つぎの2点に集約される。
(1)
「しかる」「ほめる」を一貫せよ。そして、これだけは許さないという一線を、明確に意識せよ。
(2)
これで子どもの心を引きつけるという、教師のセールスポイントを意識せよ。
このことを、順次、説明します。
1 「しかる」「ほめる」を一貫せよ。そして、これだけは許さないという一線を、明確に意識せよ。
(1)
しかる
 子どもが荒れている教室は、一貫性に欠けるということが大きな原因としてあります。これは決定的に大事なことなのだ。私は「そんなこと知っている」くらいに考えていたが、「ここまでは許しても、ここまでは譲らない、っていう一線を画し、その一線とは何か」を問い、確かめることが第一に大切です。
 荒れる原因の一つは「これだけは、許せない」っていうことが、揺れるんですね。だから、この「譲らない」っていうのは、相当頑固でないといけない。
 その時その時に指示はするが、私には、そこに一貫性がなかった。けじめをつけるような強い一線を持っていなかった。いってみれば、子どもに優しいだけの怖くない教師だったのだ。
 
「これを守らないと先生は怒るぞ!」というのが、私と子どもたちとの約束事として、あることが重要だ。この存在が大きい。これがあると、どこかクラスにしっとりとした落ち着きがでるのだ。いろいろな子がいる。その一線を破る子も出てくる。その時、私は一線を守るために必死で戦った。
 ふり返って見ると、荒れたクラスになった時も、最初からひどいわけではなかった。最初、ボスの子が一つまた一つと決まりを破っていった。そこで私が、その一線にこだわればよかったのだ。一線をどんどん後退させられ、クラスの秩序は雪崩のように崩れていったのである。
(2)
ほめる
 しかるだけでは足りない。日々の実践で子どもたちとどう接するかがぬけている。「ほめる」ことにも一貫することだ。
2 宣言したことは徹底する構えを、言葉と態度で示せ
 私は新学期の出会いの日に子どもたちに語った。まず、優しく担任の意気込みと願いを。そして表情、語調を厳しくしてつぎのことを宣言しました。
「先生は次の三つのことをした時は、かんかんに怒ります」
(1)
大けがをするような、危ないことをしたとき。
(2)
いじめや悪口など、人が嫌がると分かっているのに、なおやったとき。
(3)
二回、三回と注意されたことを、さらに繰り返したとき。
以上のことを徹底することに努めた。新鮮な出会いの日の宣言は、強く子どもの心に残るようだ。このようにして「これだけは許さないという一線」を明確にした。
 教師も人間。すべての教育活動に一貫しようとしても無理だ。「これとこれに一貫する。後は大目に見る」という絞り込みが必要だ。何を重視するかで、人それぞれだろう。私の場合は、
(1)
授業開始時間を一貫する
 
「授業は、休み時間終了のチャイムが鳴り終わって、二分後に始める」と約束した。遅刻した子にまず理由を聞く。これを欠かしてはいけない。「何となく」遅れた子には「1回目だよ。2回繰り返したら先生はおこるからね。注意しなさい」
 中には、教師をためそうと意図的にきまりを破ろうと試みる場合がある。そのときは、かなり厳しく(しかし、短く)叱った。
(2)
宿題忘れの子は学校でさせることに一貫する
 家庭での生活習慣がだらしない子ほど、宿題をやってこない。理由を聞くが詰問はしない。休み時間にさせる。放課後までやらないときは、教室に一緒に残り、宿題をおわらせるのを見守った。そうすると、宿題を忘れないクラスに育っていく。
(3)
教師の話は物を置いて聞くことに一貫する
 いいかげんな態度、姿勢で教師の話を聞かないように、物を置いて聞くようにした。
(4)
けんかは先に手を出した方の責任であることに一貫する
 けんかの状況によるが、私は「原則として先に手を出した方が罪が重い」という態度を通した。事実をつかみ、罪の重さを考える。悪い方に謝まらせる。ただし、納得していることが重要だ。
3 これで子どもの心を引きつけるという、教師のセールスポイントを意識せよ
 子どもに「この先生が担任になってよかった」と思わせる。そのため、自分を売り込むための「自分らしさ」は何かを考える。
 教師ならば、子どもと教師の人間関係がうまくいっていることが、どれほど重要か知っているはずだ。特に私のように苦しい経験をしたことがある教師は身にしみて分かるだろう。その人間関係を良好に作っていくために「自分の持ち味」を売り込もうということなのだ。
 持ち味で勝負する部分っていうのが学級経営にはあるのです。教師には何かあるはずなのだ。手品、ものまね、ギターが弾ける、部活動で鍛えた特技など、とにかく、自分の持ち味を活かすことにこだわろう。
 私のセールスポイントは、
(1)
高校時代の器械体操の得意なわざを子どもたちに見せた。
(2)
子どもたちと一緒に遊ぶ、クラス全員を遊ばせる
 芸のない私には、これが一番手っ取り早く効果的だった。学級開きからしばらくの間、20分の休みだけは「クラス全員で遊ぶ時間」にしたのだ。手つなぎ鬼、助け鬼、かげ踏み鬼、サッカーなどをやった。子どもたちはすごく喜んだ。
 しかし、問題も生じる。男女で手をつなごうとしない。最初が肝心だ。私はすかさず叱る。三日もすれば慣れて当たり前になってしまうのだ。
(2)
朝の話で、面白い話をする
 一人旅の話、ツーリングした時のエピソード、旅先でお金がなくなった話などは喜ぶ。長い話は、続き話にするとよい。当て字の読み当てゲームもいい。例えば土竜(モグラ)、海豚(イルカ)など、簡単にできて大変うける。知的な刺激もある。
 以上は、学級経営の基ともいえる、教師と子どもの人間関係を良好に滑り出すための手段である。
4 「経営塾」の学びを土台として
 これまでは、あくまで、子どもたちとの「出会い初期」に通用するものである。ここを出発点として「授業で力がついた」と、子どもたちに実感を与えることである。
 私は、様々な実践を積み重ねた。例えば、百ます九九の取り組み。クラス全員が二重跳びの合計の新記録をめざす取り組み。酒井式描画指導法の変形追試で、クラス全員入賞させることができた。
 こうした実践を通して学級が高まっていったのである。ただし、これらの実践も、経営塾で学んだ「しかる、ほめる、を一貫せよ。そして、これだけは許さないという一線を、明確に意識せよ」「これで子どもの心を引きつけるというセールスポイントを、意識せよ」という2点が土台にあったからこそ、成し得たものであったことに間違いはない。
(
亀山 浩:新潟県公立小学校校長、糸魚川市教育委員会)

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学校崩壊に尻込みせず真っ向勝負、教育は熱気、そこにドラマが生まれる

 学級崩壊、学校崩壊に教育界が尻込みしている現状に私は我慢がならなかった。現状と真っ向勝負するのが教育ではないか。私たち教師の使命ではないか、と思うのである。
 私は子どもたちの現実と真っ正面から向き合い、変革の着手点を明示し、子どもたちとの感動体験を共有したいと念じている。深い慈愛をもって、全力を懸けて、子どもたちに飛び込んでいくと、子どもたちは必ず全力で応えてくれるという確信を持っている。
 私の今までの体験がその事実を如実に明示している。振り返って、私はこの20年間、教師時代から管理職としても、いずれも教育困難校といわれる中学校に勤務してきた。 
 それぞれの学校で、態勢を整え、腹をくくり覚悟を決め、実践する中で、学校の様相が活性化し、子どもたちに大きな変容を見ることができた。学校が一本にまとまり、子どもたちと真っ向勝負し、教師の熱い思いと子どもたちの心がつながる時、見事に学校が蘇生するという体験をたくさんさせて頂いた。まだまだ学校は、力を持っている証であると考えている。
 今、私たち教師は子どもたちが身に着けていなかったものを、一生懸命に取り戻させています。子どもたちの躾の一番は「おはようございます」という「挨拶」です。これは絶対に必要です。私は学校に来たら
私:「おはようございます」と子どもたちに挨拶します。
生徒:「はあ」
私:「今度、新しく来た校長先生。よろしくね。せっかくだから、挨拶しようよ」
生徒:「なんで、挨拶せなあかんの」
 その子には毎朝、私は挨拶をしました。半年、言い続けました。そうしたら、ちゃんと返してきます。指導には長時間かかることもあり、めちゃくちゃ苦労するのですよ。
 次は「履き物をそろえる」こと。今の学校に来て、下駄箱を見てびっくりした。靴を下駄箱に入れずに、辺りに脱ぎ散らしてある。これを見たら、ふつうは校長が学年の教師に「指導しなさい」と言いませんか。校長に言われて指導できるのだったら、すでに出来ているはず。
 それでは何をするのか。私が、ひたすら靴を揃えていくのです。しかも黙って、毎時間。なんとこの改善にどれだけ掛ったか。11カ月です。つまり、卒業式の前の二月に、初めて生徒に言ったのです。
私:「おい、もう卒業も近くなったねえ。もうそろそろ、靴、入れていいんではないかい。毎回、揃えてあったの、きみ知っているだろ」
生徒:「うん。先生、お世話になりました」
とペコンと頭を下げました。面白いでしょう。子どもというのはそんなものです。
 私は、いつも下駄箱に行って、溜まっている土を掃除もしていました。そのころです。やんちゃな生徒が私の前を通りがかって
生徒:「お、校長先生が掃除している」
私:「おい、おまえも手伝え」
生徒:「あのな、おれ、この中学校にきて、何も良いことしてない」
私:「いいから手伝え」
生徒:「おう」
 私と、やんちゃな生徒とで掃除しました。通りかかる子が、みんなポカーンとしていました。こんなケースがよくあるのです。これも、結局、11カ月ひたすらしているから通じるのです。
 中学生ぐらいになって、口でやいやい言ってもダメなんです。それくらいの忍耐力がいるということを知ってください。私は朝に学校へ行くと、生徒に「おはようございます」と言って、下駄箱の靴をきれいに揃えるのです。最近、生徒が「校長先生、ご苦労さまです」と、言ってくれます。
 私は、20年間、荒れたと言われている学校を五つ勤務しているのですよ。それ以外は行ったことがないんです。最初の「てこ入れ」は全部これです。挨拶と掃除と履き物を揃えることです。ものすごく大切なことなのです。
 子どもを指導するうえで、柔軟性と頑固さは相いれないものではない。教師が子どもに迎合したり、子どもが大人をのんでしまっていては、子どもが育つはずがない。
 大人が壁となり「乗り越えてみよ」と指導しなければ、子どもたちが育っていく道筋を獲得するチャンスを失ってしまうということを肝に銘ずるべきである。物事の本質を見極めたうえでの計らいとして、柔軟性を併せ持つのである。
 東井義雄の「子どもは星」という詩があります。「どの子どもも、それぞれ光りを放って輝いている。子どもは自分の光を見てもらいたがっている。光を見てもらえないと、子どもはまばたきをやめる」といった詩です。
 
「この子はこんな良いところがある」という目で、子どもたちを見るということです。そうすると子どもたちの輝きが増していくのです。私はこの詩が大好きです。
 子どもが非行から脱出するためには、援護する大人が時には泥をかぶってでも愛情を注ぎ続けることが必要です。非行少年たちに決定的に良い思いを体験させなければ、素質も芽生えてこないのです。
 非行は育つ力でもあります。その力を正しく育てるには、人格を愛しながら、リハビリ訓練が大切です。問題行動と人格とをはっきりと区別して考えないと、生かすことができません。
 子どもたちへの深い敬愛の念、成長に「ときめき」を感ずる私たち教師の念に、教育の原点がある。
 私たち教育に携わる者の使命は「子どもたちの心の発火」の手伝いを全力ですることである。
 我々学校現場の教師は思う。「情熱を失った者が、エネルギーあふれる子どもたちに、相対することができるはずがない」と。指導する私たち教師の熱気、本気が試されているのである。
 自信と活力を失いがちな学校に、子どもたちは「魂を懸けた格闘」をしてくれる人の出現を待っていると、私は信じている。私のこうした体験が、出口が見えないといわれる現代教育界への一つの手がかりになればこれほど嬉しいことはない。
(
中村 諭:19482003年、兵庫県生まれ、大阪府高槻市立小学校・中学校教師、兵庫県公立中学校教師、兵庫県教育委員会指導主事、兵庫県宝塚市立中学校校長歴任した読売教育賞優秀賞受賞)

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子どものやる気を高めるには、どうすればよいか

 やる気づくりには、外発的動機づけと内発的動機づけがあります。
 外発的動機づけは、子どもの外側から「やる気」を刺激するものです。まず、ご褒美。よく頑張ったから賞品をあげるなどです。次に罰を与えること。サボッたから練習のやり直しを命じるなどです。三番目が恐怖。怒り恐れさせるというやり方です。
 この賞・罰・恐怖という外発的動機づけは、たまにやるにはいいけど、いつもそればかりだと悪い面がでてきます。やり過ぎないように注意することで必要です。
 一方、内発的動機づけは、子どもの心の内側から「やる気」を刺激するものです。教師塾では、有能感を高める、統制感を高める、受容感を高めるという三つの呼び方と方法を採用しています。
(1)
有能感を高める
 これは、できたら「ほめる」ということです。それも、みんなの前でほめる。これによって「自分には能力がある」と認知できます。「よっしゃ、できるやん、ハイ拍手」と遠慮なくほめましょう。
 みんなの前でほめると、本人の有能感はますます上がります。みんなの手本として行ってほめると、なお効果的です。
(2)
統制感を高める
 できそうなときに「もうちょっとや」と理解させることです。目標に対して、今の自分の位置がどのあたりまできていて、これからどこを改善すれば良いのか分からせてあげるわけです。
 この比較・改善ができると「もう少しで、できそうだ」と、やる気アップにつながります。
 例えば、跳び箱がうまくとべない子どもがいたとします。
「先生、跳び箱とべません」
「よっしゃ、こっち来て、とべる子と比べてみよう。どうや」
「わかりました。ぼくは跳び箱の手前に手をついていました。とべる子はみんな奥に手をついています」
「そうや。そしたら、手のつく位置、奥の方に印つけたる」
「それと、もう一つあります。板の位置も、とべる子は遠いです。ぼくのは近かった」
「おお、よう気がついた。そしたら、板の踏み切り位置にも印つけよう」
「先生、なんかできそうな気がしてきました。頑張ります」
これが統制感を高めるということです。過去の実績やデータを提示して「できそうだ感」を持たせます。人間は「できそうだ」と思ったときに、頑張るものです。
(3)
受容感を高める
 その子どもの居場所があるということです。この世にいる存在価値があると認められれば、やる気が出てくるということです。あなたがいてくれるだけでうれしい。居場所を与える。それが受容感を高めることです。
 さらに、あなたに任せると言われれば、人は本当にうれしく思い頑張ってくれます。本当に頑張っているときには、任せるのもいい。
 この有能感、統制感、受容感を高めることが内発的動機づけになります。この三種類のうち、低いものがあれば、それを高めることで「やる気」をアップさせましょう。
(
原田隆史:1960年大阪府生まれ、大阪市立中学校教師(20年間)、教師塾主宰を経て原田教育研究所社長、埼玉県教育委員。大阪市立松虫中学校を態度教育・価値観教育・自立型人間育成教育により建て直し、陸上競技では7年間で13回の日本一を達成した)

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子どもが寄りつく教師に「聞き上手」という共通性がある、どうすれば聞き上手になれるか 

 子どもが寄りついていく教師には共通性がある。その一つが聞きじょうずということである。
 聞きじょうずな教師は、子どもたちの話をじつによく聞いている。教師として言いたいことをぐっと押さえ、胸にしまいこまないと、子どもの話を聞くことはできないのである。
 子どもは自分の話をよく聞いてくれる教師が好きになる。その聞き方は、
1 肯定的に聞き、否定的には聞かない
 子どもたちが気持ちよく話せるように「そうか」「へーえ」と聞く。教師が知ったかぶって「それはちがうだろう」などと、否定せず、子どもの話は肯定的に聞く。そうすると、教師に聞いてもらおうとして、話しかけてくるようになる。
2 まちがっていても許容する
 子どもの話はつじつまのあわないことが多い。だが、ささいな矛盾にとらわれず、揚げ足をとったり、まちがいを責めたりしないことだ。子どものいわんとすることをまっすぐに聞いてあげる。
3 話の腰をおらない
 教師はすぐに、子どもの話にたいする評価を入れて、流れを断ち切る。あるとき、子どもが自分の父親を「あのくそじじいが」と言うから「自分の親をくそじじいなんて言ってはだめだ」と言うと「話しづれえなあ」と口をつぐんでしまったことがあった。ともかく、話の流れを断ち切らずに、一気に聞くことである。
4 子どもの話にすばやく反応する
 くりかえしの技法や、「なるほどね」とあいづちをうつ。「大成功だったね」と感心する。「それでどうしたの。怒られたんじゃないの」と少し質問してみる。いずれも、話をはずませる聞き方で、「きみの話をよく聞いている」ことを示している。
5 子どもの話を「心を無にして聞く」
 子どもの話の聞き方には、技術以前にだいじなことがある。それは、「心を無にして聞く」ことである。ところが、これがなかなかむずかしい。
 教師は、子どもを見るとき「子どもはかくあるべきだ」という自分の基準に照らして見ている。その基準が高い教師は、子どもに対して厳しく評価し、基準が高くない別の教師は、同じ子どもを「いい子」だと評価する。子どもの話を聞くときも、たえず、自分にすりこまれた基準に照らして聞いている。
 たとえば、ある子どもの話を聞いて「くだらない」と思うと、その気持ちは、かならずその子どもの心に伝わる。
子どもは教師に話しながら「あっ、先生はわたしの話をくだらないと思っているな」と感ずる。
 そこで、教師は子どもの話を「心を無にして聞く」必要がおこるのである。なかなかむずかしい。どうしたらいいのだろうか。そのためには、
(1)
肯定的に子どもを見るようにする
 
「生意気だ」と否定的に見ないで、肯定的に子どもを見るようにして、子どもの話を聞く。
(2)
教師の基準を強く表面に出して、聞かないこと
 たとえば「勉強のできる子どもはりっぱだ」という態度を全面的に出して子どもに接しないこと。
(3)
心を真っ白にして聞く
 教師の基準や、先入観、思いこみを捨て、心を真っ白にして子どもの話を聞く。砂漠の砂に水がしみこむように、ひたすら子どもの話を「なるほど、なるほど」と丸ごと受けとるということである。そうすれば、子どもの側からいえば、話しやすい状況をつくることになる。
6 パフォーマンスをそえて聞く
 子どもの話はいろいろある。うれしい話を子どもが興奮して話せば、聞くほうも身を乗りだして聞く。そして最高に盛り上がったところでは、ガッツポーズでもいい、机を叩いてもいい、身体表現をそえて聞く。
 いっしょうけんめい話をしてくれた子どもに、言葉では表現できない気持ちをジェスチャーによって伝えるのである。それは「先生は感動した」「おもしろい話をきかせてくれて、ありがとう」という感謝の気持ちを子どもに伝えるという意味をもっている。
 子どもの話は、言葉と身体表現によって聞く。つまり、全身で聞いてほしいものだ。そういう教師に子どもたちは寄り集まってきて「聞いて、聞いて」とせがむようになる。子どもがどれだけ教師にちかよってくるか。その多少は、教師の力量のひとつのバロメーターである。
7 子どもの話は最後までゆっくり聞くこと
 人は最後まで話をきいてくれた人に、感謝の気持ちを抱くようになる。しかも、聞いてもらったことで自信がつく。最後まで話を聞くには、途中で、言葉をはさまないことだ。相手の話の腰を折ることになる。
 相手が話しやすいように、うなずいたり、感嘆したり、それでと促したり、自己開示しながら聞いていく。辛抱強く最後まで聞く。
 最後まで聞くと、子どもがなにを言いたかったのかが、ようやく見えてくる。「ああ、こういうことを言いたかったんだな」と。最後まで聞く辛抱がないと、なにを言いたかったのかが分からずじまいになる。これは指導にとっての損失である。
8 ただただ聞いてあげる
 聞き上手な人は、話し相手の話したいことを、ただただ聞いてあげることではないだろうか。しかし、教師はなかなかそうはなれない。
 子どもが、先生に話しかけてくる。聞いてもらいたいものをもっているから話しかけてくるのである。さらに、聞いてもらうだけでなく、なにか、ほめたり、感嘆したりしてもらいたいのである。
 そういう子どもの気持ちは、顔色や言葉つきでわかるから、よく聞いてあげて「よかったね」「すごいね」「うれしかったでしょう」と、感嘆し、ほめてあげる。これが子どもの心にかなう聞き方である。
9 子どもの話を聞くときの教師の声のトーン
 聞き方の上手な教師をみていると、子どもの話に応じて、声のトーンを使い分けていることである。その使い分けには二つのポイントがある。
(1)
子どもの話の中身による使い分け
 子どものうれしい話を聞くときは、明るい快活な高いトーンで応じる。たとえば、子どもが「先生、赤ちゃん、生まれたよ」とうれしそうに話しかけてきたら「よかったね、おめでとう」と、高いトーンの声で朗らかに返事をする。逆に、暗い、悲しい話を聞くときは、声を潜め、低い重々しい声で応える。子どもの心情に共感した聞き方となる。
(2)
相手のトーンにあわせる
 子どもはうれしい話だと、声のトーンが高くなる。その場合は、子どもの声のトーンよりやや高い調子で応ずる。悲しい話のときは、子どもの声のトーンよりやや低い声で応ずる。
10
 子どもの話を聞くときの対応のテンポ
 うれしい話の場合、子どものテンポよりやや速くする。悲しい話の場合、子どものテンポよりやや遅くする。
 こう受けると、子どもの感情にそった聞き方となり、子どもも話しやすくなり、話がかわせるようになる。こうした、返しの声やトーンやテンポに着目できるようになると、聞く力は飛躍的にレベルアップするだろう。
11
 子どもが同じ話をしても初耳のように聞く
 教師が知っている話でも、子どもにとっては初めての情報だから得意になって話す。「その話は知っているよ」と言いたいところだが、はじめて聞く話のように受ける。子どもが同じ話をしても「その話は聞いたよ」とは言わないことだ。初耳であるようにして聞く。これがコツである。場合によってはその話を「得意話」仕立ててやることも。
12  
話をくりかえして聞く
これは、カウンセリングの「くりかえしの技法」である。たとえば、子どもが「痛い」と言ったら、「痛い」をくりかえして言って「の」を付けて「痛いの」と応える。「先生、オレ、あたまにきた!」と子どもが言ってきたら、教師は「あたまにきたの」と、こんなふうに応えれば「きみの怒りの感情を先生はちゃんと聞いているぞ」と、強く伝える聞き方になり、「暖かい指導」になり、子どもの心を癒やす聞き方にもなる。
 とかく教師は子どもの話をまず理屈で聞くことが多い。たとえば、子どもが「寒いね」と話しかけてくると、「薄着しているんじゃないの」と応じる。これは「冷たい指導」である。
 そうではなく、まず子どもの話を“感情”で聞くのである。子どもが「寒いね」と話しかけてくると、「寒いの」と応じ、それから「薄着しているんじゃないの」と言えばいいのである。最初の「寒いの」の一言があるかないかで「暖かい指導」「冷たい指導」に大きくわかれてしまうのである。
13  
あいづちをうつ
子どもの話は、あいづちをうつと、話のながれがよくなる。具体的には
(1)
うなずく
理解していることを伝えるためである。
・小さく、ときに大きくうなずく。・・・・・小・大は感動の大きさをあらわす。
・早くうなずく。・・・・・もっと話してほしい。
・ゆっくりとうなずく。・・・・・よくわかりました。言っていることを理解しました。
・眼を細め、笑顔をつくる・・・・・子どもがさらに話やすくなる。
・あごをしゃくる。・・・・・よくないうなずきである。わかった、もういいよという中断の意味になる。
(2)
あいづち
・即座のあいづち・・・・・テンポのよいあいづちは、話をもりあげていく。
・間のあるあいづち・・・・・暗い話には間のあるあいづち
(3)
感嘆句
・「ほんと!」「うそ」・・・・・子どもと雑談するとき。個人面接や進路相談の場では使わないほうがいい。
14
 短い受けの言葉をたくわえておく
 あいづちは身体表現だが、短い言葉をそえると、さらに効果があがる。その短い言葉は、子どもの話に対する短い感想で、むろん、肯定的な評価である。
 その基本は、たとえば、子どもがおもしろい話をしてくれたら「おもしろい話だあ」と受ける。こう受けると、子どもは二つのことで感動する。「先生がわたしの話をちゃんと聞いてくれた」「わたしの話を喜んで聞いてくれた」と、うれしくなって、ますます話に熱中する。
 しかし、子どもの話の途中なので、短い言葉で受ける。「なるほどね」と感心したり、「それでどうしたの」「いやあ、驚いたなあ」という短い感嘆の言葉をはさんだりするといいだろう。
 こういう「受け」ができるのは、共感して聞くからである。そういう受けの言葉を教師はいくつも蓄えておくといい。よく使われる言葉には、
「ほう」「ふーん」「あら」「はいはい」「おやまあ」「へえー」「そうなの」「なるほどね」「なるほど」「よく考えたなあ」「すごいなあ」「心にしみる話だなあ」「がんばったじゃないの」「みんなびっくりしたろう」「いちやく、有名人になったな」「不思議だなあ」「いつ、そんなことしたの」「お母さんも喜んだろう」など。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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学級の一部の子が学級を荒れさせ指導困難に陥ったとき、対処法は簡単で「温かく包んであげればよい」

 ある学校で、一部の子どもたちが荒れた状態を引き起こし、指導困難に陥っていました。そのころ、マスコミは「学級崩壊」と大きく報道していました。
 二人の6年生を中心に、学級全体の子どもが落ち着きをなくし、事あるごとに担任にくってかかり、授業が成立しにくくなる状況が引き起こされていました。
 そこで、職員研修でスーパーヴァイザー(臨床心理学の指導者)をお招きし、その対処方法をお尋ねしたことがありました。
 すると意外にも「そんなの簡単です、温かく包んであげたらいいのよ」との答えが返ってきました。これには、職員一同、びっくりしました。
 一部の子どもたちに引き回され、学級に正義が通らなくなり「職員一同、へとへとになっている」のに、「簡単とは何ということだ!」と、教師たち誰の思いも同じでした。
 もちろん「温かく包んで」と言っても、実際の行為だけを指すのではなく、むしろ心理的な意味での「温かく包んで」であることは分かるのですが。
 毎日、周りの教師に悪態をつき、蹴る、殴るなど大人への暴力も伴う子どもを「なぜ温かく包んでやらなければならないのか!」とは、当然の反応でした。
 でも、それに代わる名案がありません。おぼろげながら分かるのは「その子の身になってやれということかな?」というくらいの理解の仕方でした。
 結局、スーパーヴァイザーが言われるのですからと、分からないながらも「温かく包んで」みることにしたようです。
 子どもの生育歴をていねいに調べたら、荒れの状態が理解できてきました。この子らが常に持っているフラストレーションも理解できました。時に発する奇声も、それなりに意味が分かるようになりました。
 図書の時間に、担任は幼子(おさなご)にしてあげるように、本の読み聞かせをしてあげました。特に二人は、最前列に陣取って、うっとりと聞いていました。
 そうするうちに、荒れた二人の子どもが「そんなに僕らのことを好きやと言うのだったら、中学校についてきて担任したらいいのに」と言いました。
 今までの努力が報われたと思える瞬間でした。誰もが愛されたい、大事にしてほしいと願っています。そう気づいたとき、職場の教師全員が自らの成長を実感したようです。
 なるほど、スーパーヴァイザーがおっしゃるように簡単なことだったのです。決して難しくはありません。教師たちは手に取るように理解できるようになりました。
 私は、荒れていると言われる学級に一人の子どもであってもいいのですが「正常な学級運営を望んでいる子」がいる限り「学級崩壊だ」と、いとも簡単に言い放つべきでないと思っています。
 なぜなら、言い放つところには、教育が存在しないことを意味するからです。教師は子どもの発達を支える崇高な使命を持ち仕事に就いています。
 私たちは、子どもに向き合った仕事についています。子どもから目をそらし、逃げてはいけません。なぜなら、それは他ならぬ教師自身を潰すことにつながるからです。
(
西林幸三郎:大阪市公立小学校校長、全国連合小学校長会副会長、大津市いじめ第三者委員を経て、大阪芸術大学教授。臨床心理士)

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教師の仕事に「メモ」を活かすことで、仕事が速くなり教育活動も充実できる

 教師の現実は超多忙の日々であり、毎日、アクセク働いているのに能率が上がらない。この現実の中にあって、少しでも多忙から脱出できる解決法は、教師の仕事にメモを効果的に活かすことである。ゆとりも生まれ、教育活動も充実できるはずである。例えば、
 教育ノートをつねに持って会議にのぞむ。他人の話を聞きながら要点を箇条書きにし、自分流の記号をつけて構造化し、自分の意見やアイデアを脇にメモする。それらを基にして、自分の意見を述べる。だから説得力もある。
 毎日の授業計画も、そのノートにメモし、見通しを立てたり、実践の構想やアイデアを書きつける。授業後の子どもの感想メモなどは縮小コピーをとってはりつけておく。時には、子どものノートもコピーして貼る。そのノートを見ると新聞の切り抜きなども貼られている。
 手帳も常備し、日々の予定が色分けしてメモされている。処理したことは順次消していく。従って提出物も期日通りに処理され、仕事もスピーディーに処理されている。だらだらとした仕事ぶりは見られない。他から見ていても、じつに気持ちがよいくらいだ。
 人と話をしていると、いい話題がとび出すことがある。新聞やテレビからも「あれ!」「そうか、なるほど」といったことがとび込んでくる。通勤電車でヒラメキが出ることがある。そうした身のまわりに生起する情報をメモする教師と、そうでない教師では、雲泥の差がでてくる。
 また、授業のとき「あの子がそんなことを考えていたのか」と意外に思うことがある。授業外でも子どもたちは様々な行動と姿を見せてくれる。日々子どもの発見だ。これらもまた、メモをしないとすぐ消えていく。
 教育の仕事とは、情報キャッチと情報発信の営みともいえる。この情報の受信と発信を有効に処理するのが、メモ術なのである。
 日々の授業づくり、教材準備、子ども理解もすべて、情報の収集、分析、加工によって成立する作業である。
 学級・学年経営、さらには学校経営を企画、デザインするにも過去のデータに新しい情報を付加してこそ、創造的な設計図がつくれる。
 情報収集とは、メモによる頭脳労働のことだ。必要な情報を正確にキャッチするためには、メモの手段を常に身の回りに用意しておく必要がある。洋服やカバンに、手帳とメモカードを。教室にはメモカードと教育ノートを。こうして情報収集のシステム化をはかる。
 仕事の速い教師は、時間管理が上手なのである。仕事の優先順位が常に明確なのだ。時の流れに身にまかせて生きていない。限られた時間をきちにと自己管理して、仕事をスピーディにこなす。だから時間のゆとりも生まれ、プライベートな時間もつくれる。
 授業づくり、学級づくりは、企画であり設計である。何の情報やデータのないところからは、創造的な企画は生まれない。
 企画、設計を支えるのが情報である。その情報は、メモとしてストックされていないと使うことができない。
 例えば、教科指導の年間プランを構想するとき、必要なメモや情報は
・過去の教科実践のメモ、・実践記録()、・教材プリントのファイル、・研究会で得た実践事例メモ、・他者の実践レポート、・公開授業研究会でのメモ、・教育雑誌からの実践例、・同僚から学んだ実践メモ
のようなメモや情報を参考にして、子どもの実態、自分なりの発想がプラスされて企画するのである。 
(
佐々木 勝男:1944年岩手県生まれ、元神奈川県公立小学校教師。元岩手大学教育学部非常勤講師。歴史教育者協議会所属)

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非常識なクレームには、どのように対応すればよいか

 クレーマーに対して、普通の人と考えて対応されていることが多いと思います。しかし、解決が困難なクレームをつける人の中には常識では考えられないような人がいます。病気の人もいます。
 例えば、相手の気持ちがわからず、話が一方的。気分がコロコロ変わり、気に入らないとキレる。極端な考えや行動をとる。幻覚が見えたり、妄想にとらわれることがある。などといった人も考えられます。このような背景があると、特異なクレームになる可能性があります。
 クレーマー対応には「誠心誠意、話せばわかっていただける」と言われています。しかし、クレーム対応をする場合、常識では考えられないような人がいるということを理解しておかないと、悩み苦しみ、心に傷をおい、うつ病などになってしまう可能性があります。
 クレーム対応の最初は、クレームをつける人がどのような人がわかりません。まずは常識的な対応をしてください。
(1)
即時対応で迅速に反応することを心がける。
(2)
クレーマーとアイコンタクトをし、誠実にお詫びをする。ただ「申し訳ございません」という謝りの言葉だけでなく、クレームを言っていただいたことに対して「ご指摘をいただき、ありがとうございます」と、お礼を言う。
 このことにより「あなたを大切にしています」という気持ちを相手に伝えることが重要です。特異なクレームをつける人たちの多くは、自分が認められることを望んでいます。
(3)
気の済むまでお話していただきます。まず、最低3分間は相手の話を聞く。だいたい3分を過ぎれば「怒鳴る」「怒り」は治まってくる。
 最初の3分間を冷静に対応することが重要。こちらの言い分があっても、相手の話をさえぎったり、否定的な言葉を使ったりせず、あいづちを入れながら、一通り話が終わるまで、自尊心を傷つけないように丁寧に聴くことが必要です。礼儀作法も重要になる。
(4)
話を聞きながら、クレームの原因、言い分、相手の態度などから、一般的なクレームをつける人なのか、話してもわからない特異なクレームをつける人なのか、金銭的な要求のある悪質なクレームをつける人なのかをおおよそ判別します。
 特異なクレームをつける人が来た段階で、いきなり記録しようとしてもできるわけではありません。法的対応が必要になる場合もあり、日頃から記録を残すようにしましょう。
 日常生活での会話や電話を録音することに何ら法的問題はありません。録画も学校など管理権が及ぶ場所で面談を録画することも問題はありません。
(5)
苦情内容の確認
 クレーマーが言いたいことを言い終わったら、細かい事情を確認します。感情的になって言いたいことだけを言うことが多いものです。5W1Hについて確認します。それに加えて、クレーマーがどのようなことを要求しているのかも確認します。
(6)
事実確認
 クレーマーが思い込みを理由に苦情を言う可能性もあります。問題の原因の一部がクレーマー側にあっても黙っているということもあります。大事なことは、事実確認をしない限り、次のステップに進めないということです。
 面と向かって言えませんので「上役と対応を協議する」と、ひとまずその場の対話を終わらせてください。
(7)
解決案の提案
 解決案に対してクレーマーが納得しないと困ったことになります。クレーマーの意向にそう形で多少譲歩を示し、それでもまとまらないようであれば、もはやそれは不当要求であると考えざるをえないでしょう。
 話がまとまらず、平行線をたどっているような場合、話し合いを続けるのは精神衛生上、大きな負担になります。対応者が精神疾患を患らう可能性があります。
(8)
弁護士に相談する
 一度、弁護士に相談してください。学校が責任を負わなければならないか、その範囲はどこまでか、クレーマーの要求は不当なものといえるか、ということに関して助言を得られます。
 弁護士と相談した結果、クレーマーの要求が不当であれば、それに応じる必要はないと自信が持てます。クレーマーの要求の一部は相当で、責任をとってもよいのではないか、との意見であれば、今一度、解決策について譲歩できないか検討する必要があります。交渉や譲歩案の助言も得られるでしょう。
 弁護士に相談し、助言を受けるだけであれば、費用も大きな負担とはならないでしょう。少なくとも、クレーム対応に悩み、対応者の健康被害を生じさせるより、相談料を払って助言を得るほうが得策だと思います。
(
柴田豊幸:1951年生まれ、みずほ銀行を経て、チャイルド社(保育関係)社長)

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クラスの荒れのきっかけとなる教師の言動とは、どのようにすれば荒れが防げるか

 荒れているクラスの教師は子どもの問題行動を正そうとします。落ち着いているクラスの教師は、問題行動を子どもの困り感と察し、「何かあったのだろうな」と、声をかけます。そうすることで、クラスの荒れにつながる教師への反発を防ぐことができます。
 荒れているクラスの教師は、子どもの不安定さを「学級崩壊の元凶」ととらえます。落ち着いているクラスの教師は、子どもの不安定さを「心のバランス」を取っていると見守ります。
 時折みられる不適切な行動でなく、安定した状態の方に注目し、「安定している子ども」に注目します。例えば「まだ全員がそろっていませんが、授業を始めましょう。時間を守ってくれてありがとう」と、「安定している子ども」たちに感謝して授業を始めます。
 不安定な子どもも、安定しているときがあります。その時を見逃さずにほめます。「いいですね。全員が時間を守れることは素晴らしいです」と、全員を強調し、クラスが安定していることを伝えます。
 厳しく指導する教師のクラスは、子どもが抑圧され荒れにつながります。教師は「とにかく、先生の言う通りやりなさい。そうすれば上手くいくのだから」と、子どもたちを従わせようとします。
 教師はうまくいくことを経験的に知っているので、結論だけを子どもたちに伝えようとします。「先生はいつも怒ってばかり」と反発心が募り、教師との距離を取り始めます。
 厳しさの中に、趣意説明を加えている教師のクラスは、命令のような指示ではなく、子どもをその気にさせるような説明を先に行うことで、子どもたちは指導を受け入れやすくなります。
 荒れているクラスの教師は、子どものストレスを抑えようとします。抑えれば抑えるほどストレスが高まります。落ち着いたクラスの教師は、子どものストレスを上手に発散させてくれます。
 子どものストレスを上手にガス抜きさせることが肝心です。それには、子どものダメな行為の中にも、良い場面だけに注目します。そうすると、子どもは徐々にストレスの処し方がわかり、自分の行動をコントロールするようになります。
 荒れているクラスの教師は、問題が起こるたびに「子どもが悪い」と、子どものせいにします。子どもを愚痴り、保護者の無理解さを嘆きます。教師は「自分の考えは正しい、それに反する子ども行為は間違い」と、子どもを否定します。そうなると、気になることばかりが目についてしまいます。
 当然、否定された子どもは「先生は自分を理解してくれない」と心を開かず、不信感を持ちます。それは態度や顔つきに出ます。「何ですか。その態度は!」と問題行動以外のことで叱ることになります。叱りが怒りを呼ぶのです。
 落ち着いているクラスの教師は、問題が起こると、まずは自分の考え方や指導を振り返ります。子どもに話かける言葉を変えてみます。子どもがやったことよりも、子どもの気持ちに共感すると、子どもは何をすべきか心から考えるようになります。教師が子どもの良さに注目すると、子どもはそれを自覚し、成長しようとします。
(
城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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ユーモアで子どもたちの笑顔が増え、クラスが変わるには、どう指導すればよいか

 朝から放課後まで、ユーモアで子どもたちの笑顔を増やす方法を考えてみます。
1 朝一番は笑い
 明るい教室をつくるために、やはり「笑い」のもつ力は大きいものです。特に、朝一番の「笑い」は効きます。
 一日を笑ってスタートすると、子どもたちも教師もリラックスして授業に突入できます。思考もポジティブになるので、ちょっとしたトラブルが起こったとしてもイライラせずに事に対処することができます。
 朝、教室に入るときは必ず「笑顔」。そして黒板の前に立ったらすぐに「子どもたちと一緒に笑う」こと。この展開ができれば理想です。「笑い」で教室にポジティブな流れをつくり出しましょう。
2 笑いあふれる教室をつくる小ネタ
 私が実践して手応えがあった、笑いあふれる教室をつくる小ネタを紹介します。
(1)
教師が教室に指から入場
 教室のドアに入ると見せかけて、入らない。開いたドアからは、小指、薬指・・・・・ジワリジワリと先生の指が。指でなく顔だけ出してもいいでしょう。もしくは、教室に入るとき、見えない壁にドンとぶつかってみる。壁にぶつかり驚いた顔で「誰か開けて」と叫べば、子どもたちが駆け寄ってきて、笑いの渦に巻き込みます。
(2)
スルー&黙礼
 授業中、クラスのやんちゃな子どもが発言をしています。調子にのってしゃべっているうちに、わけがわからなくなり、歯止めがきかなくなっている。教師は、じっとその子を見つめて話を聞いています。
 そして、その子がしゃべり終えたら、しばし沈黙。「はい、じゃあ教科書、開けて!」と、あえてスルーします。事の成り行きを見守っていた子どもたちは爆笑。
 小言や注意など言葉で表すだけでなく、ときには「気づいているよ」という姿勢だけ示して子どもに気づかせることも必要です。
(3)
絶句
 悪ふざけをしている子どもなどに、とっさに注意したい。でも、言葉で伝えないほうがいいときもあるのです。そんなときこそ「表情」で伝えます。
 教師が、あんぐりと口を開けて硬直。視線はその子一点に注ぐ。微動だにしない時間、五秒。
 
「絶句」もまた、物言わぬ伝え方の一つです。ちなみに、注意したい子どもが歩いて移動したりしている場合には「絶句」して身体は硬直させたまま、顔だけを動かしてその子を追尾しましょう。これが効くのです。
(4)
方言で注意する
 
「鉛筆を削ってない」「ノートの字が雑」など、ちょっとしたことで子どもに注意したい。教室にトゲトゲした空気にはしたくないときは、大真面目に「ユーモア」を放り込みます。  
 例えば、教師がいきなり方言(津軽弁)で「なんべん言ったらわがるんだ」と話し出します。これは強烈なインパクトです。博多弁や関西弁でもよい。
 コツは教室に笑い声が起きたら、教師はその場でパッと切り上げること。
 小さなことだけれど、一言きちんと押さえておきたいという場面でこそ、ユーモアを交えてさっぱりと、がいいのです。
(5)
ふくれる
 教師もふくれてみましょう。気に入らないことがあったとき、教師だってふくれることがあったっていいのです。
 おすすめなのは「おしゃべりしている子が気づかないとき」「子どもから忘れ物をしたという報告を受けているとき」「雑に書かれたノート」を凝視しながら、教師がふくれます。 
 上手なふくれ方は「腕組みをする。子どもに視線を注ぎ」ほっぺたをふくらまします。 いいんです、教師だってときにはふくれてみましょう。見ている子どもは「先生、子どもやなあ」って言ってくれますから。
3 教室ライブ中継
 明るい教室をつくるアイテムが「教室ライブ中継」です。必要なのはホワイトボードだけ。私が見つけた子どものいいところ、成長したポイントをライブ中継のように書き出していきます。
 休み時間に、そうじ時間に、給食中に・・・・・情報はその都度更新されていきます。ほんの些細なことでもいいところを見つけて書きまくります。もちろん、子どもが友だちのいいことを書いてもいいことにしています。
 マイナス要因を減らす努力以上に、プラス要因を増やしていくことをしっかりと意識したい。子どもの成長をしっかりと見て取って、目に見える形で子どもたちの前に出していく。そのための工夫が「教室ライブ中継」です。
4 子どもの楽しみを増やしていく
 子どもにとって楽しみを増やしていくようにします。子どもが「楽しくないなあ」「嫌だなあ」と感じる「そうじの時間」「給食当番」などの係の仕事を、子どもが面白いと思えるように「エンターテイメント」にしていくのです。例えば、
(1)
そうじの後に各場所の係が報告するとき、あえて関西弁で話させてみる。
(2)
給食当番が配膳するとき、レストランのウエイターのように振る舞わせてみる。
5 連絡帳
 連絡帳には、その名の通り、次の日に持ってくるものや保護者への伝言など、連絡事項を書かせていることが多いでしょう。
 私もふだんは、「し」:宿題、「も」:持ってくる物、「れ」:連絡事項を基本として書かせていますが、ときどき次のようなやりとりもしてみたりします。
 私が「が」と板書。子ども:「え?」という空気。私:「がんばったことを書こう」。
 「お」:おもしろかったことや、驚いたこと。「ち」:挑戦。明日への挑戦。などなど、突然お題を設定し、その場で書かせていくのです。
 何事も、大切なのは予定調和にならないこと。ほんの少しのアドリブで、子どもたちの帰り支度は笑いに包まれます。
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

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保護者のクレームを防ぐには、どのように保護者とコミュニケーションすればよいか

 保護者から学校や教師への苦情が増えています。苦情の中でも無理難題と感じてしまうものを大阪大学教授の小野田正利さんは「イチャモン」と呼んでいます。小野田さんは、教師と保護者の関係が深刻化した事例を見れば見るほど「イチャモンは宝の山」だと述べています。
 この「イチャモンの宝の山」で見つけたことは
(1)
初期の段階での関わりが、関係の悪化を招いてしまう場合が多い。
(2)
それ以上に、問題の起きる前に先手を打つこと(未然防止)が重要だ。
ということです。
 保護者のクレーム問題は、教師と子どもと保護者の三角関係の中で起きます。この三角関係を良好に保つこと、これが未然防止に必要なことです。
 人間は好きと思ってくれている人を好きになりやすい。常識的にわかる話です。保護者が教師に対して不信感を持つのは、わが子を大切にしていないと思ったときや、子どもが教師を嫌っていると思ったときである。
 ここに、保護者クレームの未然防止の手筋が見えます。クレームの未然防止には、
(1)
教師が子どもと良好な関係であること。
(2)
日々子どもが確実に成長していること。
(3)
そのために教師が何をしているのか保護者に伝えられること。
が大原則であるということになります。
 子どもができるようになったことや、活躍したことなど、うれしいことは連絡帳を活用し、ご家庭でも子どもをほめてもらうなど、話題にしていただくとよいでしょう。
 保護者からの電話は、教育をよりよくするための情報であると捉えて、感謝の気持ちを持って対応することが何より大切なのです。そうすることが、問題をより早く解決することにつながるのです。
 とにかく、聴く、聴く、聴くことに徹するのです。そして、「私はこのように受けとめましたが、それでいいですか」と要旨を繰り返し確かめる。そうすることにより、保護者は受けとめてもらったと実感するでしょう。内容をよく聴き、確かめたうえで、担任として伝えたい内容を端的に伝えます。話が複雑な場合や、学校として対応しなければならないことは、管理職と相談してから誠実に答えることが大切です。
 保護者からの訴えは、保護者の不安の表れです。「それは、ご不安ですよね。私も心配です」と、保護者の心配や不安な気持ちを受けとめたうえで「一緒に考えていきましょう」と寄り添うようにしましょう。
 教師の側から「今日は、学校で元気に過ごしていました。おうちでは、いかがですか?」「今日は、○○で活躍しましたよ」と保護者に連絡を入れ、保護者が安心できる関わりを継続することが大切です。
 トラブルが多い子どもを担任したとき、保護者と相談することが多くなることが予想されます。まず保護者との信頼関係を築く必要があります。その子ができるようになったことや良さを惜しみなく伝えるようにしましょう。保護者が担任からの電話を楽しみにするくらい信頼関係ができると、いざというときに抵抗を持たず受け入れてくれます。
 保護者の学校に対する要望は、教師と保護者がお互いの立場を理解し、教育をよりよい質にしていくうえで貴重です。
 教師は保護者が「わが子がどのようになってほしいと願っているのか。どのように学校に尽力してほしいと願っているのか」をわかる必要があります。
 学校の教育目標と学校が実際に行っていることを確認し、保護者の理解を得るようにしなければなりません。
 保護者の願いと、学校側のめざす目標とすり合わせ、保護者に担えることをお願いして、保護者を子育ての大切な仲間にするのです。
 
教師に落ち度が考えられないのに保護者からクレームがあった場合、教師は親のことを「わがままな親」「被害者意識が強すぎる親」と思ったりします。教師がつい「あの親は・・・・・」という言葉が出るようになったとき、教師と保護者の関係を悪いものにしていく恐れがあります。
 教師が扱いにくい保護者と受け取ったとき、関わりを避けたくなります。そうすると保護者に「自分を嫌っている」というメッセージを伝えることになります。
 それにしても日本の社会は、大人同士が上手に会話して、人間関係を回復していくための対話が苦手になってきてしまっているように思います。自分の要求を上手に他者に伝えることや、上手に断ることや、相手の要求と、自分の要求との接点を見い出して妥協することや、新たなアイデアを創出することなどが苦手になってきました。
 人間関係を調整するには、対話するとき、まずは、相手の話を「うん」「うん」とうなずきながら聞けばよいというものではありません。話を徹底して聴いて、相手の言葉を繰り返して答えるようにします。
 これは意識して行わないと身につきません。相手の感情を読み取って「○○とお考えなのだとしたら、お腹立ちでしょうね」と、不快な感情面をわかっていると適宜伝えねばなりません。
 そして、事情を本当にわかるためには、起きたことと、そのことへの解釈、評価、考えを分けて理解し、受け答えする必要があります。そのつながりがわからなくなったときには、恐縮しながら質問することも必要になるでしょう。
 このようにして、相手との関係を上手につくった後で、自分の要求と相手の要求との調整に入るのです。
(
早川惠子:都留文科大学講師)

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一部保護者による無理難題や学級崩壊を防ぐ対応に教師は疲れている

 校長室を訪れた、ある父親の開口一番の言葉は「あの担任は、若いからだめだ」でした。あちこちで耳にするクレーマーの話。どれ一つとして良い方向に解決したものはないと言えるような有様です。今、日本中いたるところで、よく似た現象が起こっています。
 学校現場で、一部保護者の学校への無理難題により、大半の先生が疲弊している感があります。先生方にとっては、それこそ「戦線恐々の毎日」と言っても過言ではないでしょう。
 新任教員に「あなたの困っていることは?」と問うと、圧倒的に多いのが「保護者対応」です。クレーマーの話がある限り、日本の教育の前進はないと断言できるのではないか。保護者対応のつまずきで教職を去った教師の存在をクレーマーの親たちは知っているのでしょうか。
 疲れ切った先生たちは犠牲者です。その先生に育てられる子どもたちもまた、犠牲者です。私はこうした疲弊した教育現場の状況が日本の教育を悪くしていると思っています。一刻も早くこの状況を打破しない限り、子どもにとって良い教育環境は生まれてきません。
 私は、校長職を辞してからも、若い先生を育てるための教育サークル活動をしています。土曜日に若い先生方と実践事例を持ちより、その時に発したことばの一つひとつについても私たち教師がどう感じ、どう対応すべきかを一緒に考えることにしています。
 私は学級崩壊ということばがマスコミでいわれているとき、使うべきでないと主張しました。私は「学級の中にたった一人でもいい、正常な学級運営を望んでいる子どもがいる限り、学級崩壊というべきでない。それは教育の不在を意味するからだ」と主張した。
 この学級崩壊がいわれている時期に、多くの経験豊かな先生方が教職を去られました。このほとんどの方が
 
「私は一生懸命に教育に携わってきました。しかし、今の子どもたちを見ていると、このまま教師を続けていける自信がありません。昔、共に遊んだり学んだりしたような子どもはもういません」
 
「ちょっとしたことでも『教育委員会に訴える』などと保護者からも攻撃され、教師と子どもの信頼関係や、保護者との連携も失われてしまいました」
と、おっしゃいました。特にベテランと言われる先生方の間で、この傾向が見られました。
 また、一部でありましょうが、子どもへの指導が通らなくなったことが先生一人の指導の問題にされてしまい、先生を助ける職場の雰囲気がなかったり、あってはならないことですが、管理職の対応がまずくて先生が「孤立無援の立場」に追い込まれたりしていた現実があります。
 たいへんでも、今までの経験が活かされていれば、さらには、管理職が全面的に支えていれば、退職につながるようなことはなかったはずです。退職したみなさんは一様に、寂しさを抱えておられたのが印象的でした。
 一部保護者の無理難題と学級崩壊は同時進行しているように思います。
 そのとき、当該の子どもたちや保護者はどうだったでしょうか。先生を退職に追いやったのは自分たちだ、という自覚などありません。このような状況のもとで、一部保護者の学校への理不尽な攻撃がモンスターペアレントなどと問題視されるようになりました。
 一部保護者の担任攻撃は、それまで一生懸命に教育に携わって教師を疲弊させ、教育現場に重苦しい雰囲気と重苦しい進行を残す結果となりました。モンスターペアレントと言っている間にどんどん教育破壊は進んでいるのです。
 今、日本の学校の先生たちは、完全に疲れきっています。かつてそうであったように、先生が「健康で明るく子どもたちと向き合える状況」をつくっていきたいと願っています。
 日本の先生たちが元気を取り戻すことこそが、日本の子どもを元気にすることにつながると思っています。
(
西林幸三郎:大阪市公立小学校教師、大阪市教育委員会教育相談室長、校長を経て、大阪芸術大学初等芸術教育学科教授。児童虐待防止協会執行理事、大津市いじめ事件に関する第三者調査委員会委員、「NPO法人こころの子育てインターねっと関西」運営委員、臨床心理士)

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よい授業をしても学級崩壊を防ぐことがむつかしい時代になった、どうすれば学級崩壊を防げるか

 学級が機能不全になって学級崩壊するのは若い教師の学級だけとは限りません。ベテランの学級、地域の指導的立場にある教師の学級、主任の学級、そうしたキャリアとは関係なく、学級が機能不全に陥り学級崩壊する可能性があるのが現状です。
 かつては「よい授業をすれば、よい学級ができる」と言われてきました。そのころは、学級のほとんどの子どもたちが授業に協力的であり、授業を妨害するような子はいませんでした。反抗的なやんちゃ坊主も授業中はとりあえず学習していました。
 こうした、ある程度授業が成立している状況であれば、子どもたちの「知的好奇心を刺激して」、子どもたちが「活動する」授業をすれば、学級の機能が高まった状態になりました。それは、子どもたちが授業という土俵に乗ってくれていたから、できたのです。
 私は崩壊した学級を担任したことがありますが、積極的に授業妨害する数名の子どもたちと、半数近くの非協力的な子どもたちがいました。学習をしたいと願う子どもたちもいましたが、授業に協力したりすれば、後で何をされるかわからない雰囲気の中では、息を潜めてじっとしていました。
 どんなによい授業をしようとも、機能しない学級では効果はありません。それが学級崩壊なのです。
 そうした事態をなんとか打開しよう、多くの学校で実践がなされてきました。そこから見えてきたのは「学級づくりは、教師と子どもの信頼関係づくりが基盤である」ということです。
 学級の機能というのは何なんでしょうか。学級は学習集団としての機能と、生活共同体としての二つの機能があります。学級は人格形成のために、学習指導や生活指導があり、そのねらいをうまく達成するためにあるといえます。
 ねらいを達成するために、わが国の教師は、教師主導の学級よりも、子どもたちが自分たちで学級をつくり、運営していく学級を望んできました。究極のねらいである人格の形成は、多くの場合、子どもたちの適切な人間関係の中でつくられてきました。
 学級に起こる問題は、ほとんどが人間関係の問題です。個人では解決できないものが多く、仲間との協働による問題解決が必要となります。
 仲間と協働するには、互いがかかわるためのルールが必要です。当然、互いを傷つけないためのルールも必要となります。
 また、協力して問題を解決することによって、そこに一人ひとりの居場所ができて、そこで互いに尊敬し合うような関係を築くことができます。学習場面でも、学習課題を協働で問題を解決するよう仕組むべきだと思います。機能する学級とは、協働的な問題解決能力をもった集団だと言えます。
 協働的な問題解決には、子ども同士の信頼関係が必要です。関係性の悪い子どもと協働して学習することはできませんから、協力ができる程度の信頼関係は最低限必要です。
 その子ども同士の信頼関係を支える基盤は「教師と子どもの信頼関係」なのです。今の時代、教室で、子ども同士がかかわるには、私的グループ以外は相当な勇気が必要になります。教師から見ればみんな仲間でも、子どもたちから見れば、お互いは他人です。
 機能する学級をつくる出発点は、教師と子どもたちとの信頼関係です。そこにあるのは、教師と子どもたち一人ひとりの個人的信頼関係です。信頼される教師は、子どもと個人的信頼関係を結ぶことに成功した教師のことをいいます。
 私が師匠である橋本定男氏から学んだ学級づくりの極意は、教師が「子どもたち一人残らずひいきすること」です。必要なことを端的に言い当てています。私は、この言葉を心がけるようにしてから、私の学級づくりは変わったと思っています。
 一部の子どもをひいきしたら学級崩壊を招きます。しかし、全員をひいきすることができたら、究極の指導力を手に入れることができます。つまり「一人残らず、私は先生に愛されている」と実感させるのです。 
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。現場の教師を勇気づけたいと願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚している)

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学級で生徒同士がけんかしケガをしたとき、保護者を伴う和解まで具体的にどう対応すればよいか

 生徒同士のトラブルがあったときの指導の原則は
1
早急にトラブル現場に急行
2
被害者の救済、援助
3
上司への報告
4
加害者の指導
5
被害者の指導
6
被害・加害者の保護者への連絡と状況説明、指導
7
当事者の和解
8
周辺者の指導
が考えられます。具体的な事例で考えます。
 
「休憩時間中に教室でA男とB男が些細なことで殴り合いになり、AのパンチがBの顔面に当たり前歯が欠けて出血し、大騒ぎになった。この時、担任は職員室にいた」
どうすればよいか。対応を具体的につぎに示すと
(1)
連絡を受けたら、即座に教室に駆けつける。同僚教師に「クラスで生徒同士がケンカしケガをしたようだ。教室に行く」と連絡しておく。
(2)
Bの傷を確かめ、励まし、保護者の居場所を確かめる。
(3)
同僚教師に教頭への連絡を依頼する。
(4)
Bの保護者に電話し、簡単に状況を説明し、行きつけの歯科医院を聞く。ない場合は、学校歯科医の診断を受ける了承を得る。併せて病院に来てもらうことを依頼する。
(5 )
病院への手配とタクシーの手配を指示する。養護教諭(不在の時は副担任)が同行する。養護教諭にはつぎのように対応の仕方を指示する。生徒の心をやわらげる。医者の誤解をなくす。保護者に礼をつくした対応。学校への連絡。
(6)
クラスの生徒の協力を得て、床の血の汚れを清掃させる。周りの生徒にケンカの状況を聞く。クラスの生徒には、落ち着くよう指導する。
(7)
Aを別室に呼び、ケンカの事情を聞く。この際、Aにも言い分があることを理解しながら、きっかけを中心にした状況を聞く。「暴力はいけないこと」を諭し、自ら反省するよう時間をかけて指導する。
(8)
担任は教頭に現状を報告する。指示を受ける。
(9)
養護教諭は、病院から状況を教頭に報告する。指示を受ける。
(10)
教頭は、担任に状況を説明し、指導の指示をする。併せて校長に報告し指示を受ける。
(11)
校長は必要に応じて教育委員会に状況を速報する。
(12)
担任はクラスの生徒に事故後につぎのように指導する。
 ケガしたBの状況を簡単にふれ、動揺しないように指示する。暴力はいけないことの指導。友だち関係の在り方について、考え方や行動の仕方を指導する。
(13)
担任はクラスの生徒を下校させた後、Bを家庭訪問し、Bと家族にお見舞いと、学校でケガをさせてしまったことを詫びる。
(14)
翌日、Bが登校したら、別室で詳しく状況を尋ねるとともに、傷の様子を観察する。
(15)
担任はケンカの事実に基づき、Aに反省指導をする。AとBが心から応じる気持ちが生じる状況にして、AとBを仲直りさせる。
(16)
担任は二人の和解までの状況を教頭に報告する。指示を受ける。
(17)
和解の準備をする
 会場(校長室)、立会者、司会進行の手順(Aの謝罪→Bが応じる→校長の指導)を決定する。
(18)
担任は和解のため、AとBの保護者に来校を依頼する。
(19)
校長、教頭、学年主任、生徒指導主事、担任の立ち会いのもと、A、Bと両保護者を和解させる。
(20)
翌日、担任は早めに出勤し、A、Bの登校を待ち、励ましの声をかける。
(
木村幸治:1941年岩手県生まれ、元岩手県教育委員会指導主事、中学校長)

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いじめの「予防や治療指導」の極意とは

1 いじめの予防
 いじめの最大の予防は、すべての生徒が明るく楽しく元気よくのびのびと過ごせる学級づくりをすることだと私は思っています。日常の学級づくりが即いじめ予防の方策だということです。
 生徒が尊重されており、学校生活が充実していれば、誰かを傷つけ、いじわるしてやろうとは思わないからです。いじめ予防の指導をするには
1)教師の人権意識を高める
 いじめは人権侵害である。予防には生徒の人権意識を高めることが大切です。そのためには、まず教師が人権意識を高めることです。そのために
(1)
言葉づかいをていねいにする
 生徒を一人の人間として尊重します。生徒を「さん」「くん」付で名前を呼ぶ、丁寧語で話します。生徒に呼ばれたら「はい」と返事をする。
(2)
大声で叱責したり、皮肉を言ったりせず、穏やかに丁寧に話す
 大声の叱責や皮肉はいじめにつながる心性を助長します。
(3)
毎日一度は生徒の名前を呼ぶ
 朝の健康観察などで、私は生徒と目を合わせて笑顔で名前を呼び、笑顔で反応します。短いコメントすることもあります。「あなたはこの教室の大切な一員だ。私はあなたが大好き」という思いを一人ひとりに伝えます。生徒の心を安定させることにつながるのです。
2)秩序ある教室をつくる
 秩序のない教室では、何が起こるかわからず生徒の心は安定しません。教師が教室で守るべきこと、やるべきことの基準をはっきり示します。
(1)
教室の環境を整える
 教室にゴミが落ちていたり、掲示物が破れたりしている、乱れているクラスほど、生徒の言動が荒く、いじめが起きやすかったりします。
 やることは簡単です。終学活後、日直の生徒と一緒に机を整頓し、教室の隅を箒で掃き、黒板を綺麗にし、黒板下にチョークの粉が残っていれば雑巾がけをし、掲示物の四隅がきちんと貼られているか点検するのです。朝、生徒の登校前にもう一度点検します。
(2)
学級を規律正しい集団にしつける
 規律正しい集団にすることで、教室に落ち着いた雰囲気が生まれます。生徒は安心感が得られ、学級に温かい雰囲気をもたらします。いじめ防止につながると考えています。
 私は規律ある授業になるように「発表者が話をしている時は、黙って聞きます」「発表はみんなに聞こえる声でします」「余計なものはしまいます」「ルールを守ることで、安心して暮らせる、温かい学級になるんだよ」などと指導しています。
 叱責や禁止ではなく、ほめることで規律をつくり上げます。生徒の望ましい言動に教師がすかさず評価することで、望ましい言動をするようになっていきます。「・・・・してくれてありがとう」と感謝の言葉を添えます。納得して規律正しさを身につけていきます。
(3)
小さな差別的な言動を見逃さない
 授業中に、ある生徒が発言すると悪意のある笑いが起こることがあります。こういうとき、「差別は絶対見逃さないぞ」という思いから説諭すると迫力が出ます。このような教師の態度が、学級の中に「いじめはダメだ」という正義が通る空気を醸成していくのです。
3)
教師の目が届かないことがあると心得る
 教師がいくら注意しても教師の目が届かないところにいじめがあるものです。そこで
(1)
毎朝、出勤したらすぐに、生徒の靴箱をチェックする
 靴箱は生徒の心の健康が出るものです。状態をチェックし、靴をきちんと収められない生徒に「何か気になることある?」と声をかけます。
 日常から生徒のちょっとした心の変化を敏感に感じ取る、きめ細やかな見取りが、いじめを芽のうちに発見されるために大切です。
(2)
定期的に「いじめ・悩み調査」を行う
 月に一回ほど「いやな思いをしていないか、周りでつらい思いをしている生徒がいないか」を調査します。「なぜ、うちのクラスだけ」とならないために、学年単位でもかまいません。
4)
授業の中で生徒同士のかかわりを増やす
 授業でできることは「生徒一人ひとりの自尊感情を高め、横のつながりを強くする」ことです。
(1)
全員が参加できる授業を行う
 私はまずは、全員を起立させて必ず音読します。教師が読んだ箇所を追い読みするのです。どの生徒でもできます。
(2)
授業の中で生徒同士が関わり合う場面を意図的につくる
 生徒同士がお互いのよさをわかり合えば、いじめは起きにくくなります。まずはグループ(4人)になって教科書を一文交代で読みます。教師の簡単な問いに対して、全員に意見をもたせた後、グループでお互いに説明しあったりしてもいいでしょう。
 このような簡単な活動であれば、授業中に5回も6回も組み込むことができます。生徒同士の心のつながりをつくる基礎になっていくのです。そのうえで、学活などで「いいところ探し、プチお悩み相談」のような活動をグループで行います。
2 いじめ治療
 いじめの治療は迅速かつ慎重に行わなければなりません。さらに継続的に行います。大切なのは「学級全員に当事者意識をもたせる」ことです。全員でいじめをなくしていこうという雰囲気をつくっていきます。
(1)
起きた事実を確認して指導に入る
 いじめや生徒指導では、事実を確認し、事実に基づいて指導していくことが大切です。
 「いじめ・悩み調査」を行った後、確認する順序は、被害生徒→周りで見ていた生徒→加害生徒、と聞いていきます。ここで大切なのは、加害生徒に先入観なしに「○○していたことを見た人が何人もいるが覚えがありますか?」と必ず事実を確認し、そのうえで指導に入るようにします。
(2)
いじめの事実を明るみに出し、学級全体の問題であると意識させる
 いじめは、たいていの場合、教師には隠し、生徒たちの多くは知っています。「卑怯な隠しごとを許さず、正義を貫く」という教師の姿勢を示すという意味で「クラス全員が知る」ことが大切だと思います。全員が当事者であることをはっきりさせます。
 そのうえで、まず道徳授業をして生徒が感想を書きます。後日、その感想文をグループで回し読みをして、ワークシートを配り授業を行う。
教師「人から、されたら嫌だなと思う人は立ちます。『悪口を言われる』、『死ねと言われる』・・・・・・・」(1項目ずつ区切って起立をさせる)
教師「今読み上げたクラスは明るいクラスですか。明るいと思う人は○、明るくないと思う人は×を書きなさい」「では、○の人起立。×の人起立」
教師「明るいクラスにしていくために、どんなことをしていけばいいと思いますか。頑張りたいこと、こうしてほしいことを書いてください」
 3分ほど書かせた後、グループに分けて書いたプリントを回し読みし、仲間のプリントに励まし文を書かせる。
教師「先生はいつも教室にいることはできません。明るく笑顔あふれる教室をつくるのは、先生でなく、あなたなのです。みんなの力で明るい教室をつくっていきましょう」 
この授業に、私のいじめ治療法が凝縮されています。
(
海見 純:富山県公立中学校教師)


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