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2017年1月に作成された記事

授業中の私語を叱るとはどんなことか、どうしたらいいのか

 新任の教師が口をそろえて言うことは、授業中の私語についてである。「いったいどうしたら私語がなくなるか」「うるさい教室をどうしたらいいか」と深刻に悩んでいる。私はそんなとき「自分の授業を録音して聴いてみなさい」と言う。
 多くの教師は授業中「おしゃべりするな」と、どなった経験者は少なくないはずだ。私語する子どもたちは何も授業のじゃまをしようと意図しているわけではない。ただ、その授業に熱中できていないことは確かです。
 集中できない授業そのものが問題ということになる。そこで、まず教師が自分の授業を見たり聞いたりすることをおすすめする。録画や録音してみると、どうして子どもたちが騒がしくなるのか、わかる気がする。それだけでも、教師である自分が何をしたらいいか、手がかりがつかめる。
 そういう教師自身の授業の仕方、話の仕方などを見ようとしないで、子どもたちだけに教室の騒がしさの罪を押しつけるのは、教師の自分勝手というものである。
 実際、教室のかたい椅子に座って「自分の授業」を見たり、聞いたりしてみる。想像してみる。どういう感じがするだろうか。あるいは校内研修で教師が教室の椅子にすわり授業を受け、子どもの立場を体験してみるのもよい。
 授業を受ける体験をすれば、授業をすることとは、こんなに大きな差があるものかと実感する。
 教師の「授業がやりにくい」というのは、実は「授業に魅力がなく、授業に熱中しにくい」という子どもたちの気持ちでもなければならないのに、教師だけが一方的に「授業がやりにくい」と感じ、叱って静かにさせようとするのは、いかがなものか。
 授業は静かに教師の話を聞くばかりではなく、子どもたちにとっても自己表現の場でなくてはならない。授業というのは、一つのテーマを全員で追究する場であり、共通の問題意識を深める場である。
 子どもたちが授業に熱中しているときは、私語があってもそれがいい意味で授業の雰囲気になっていることもある。いわゆる授業の活気になるのである。
 人が話しているときは、傾聴するといった一定のルールとマナーを学校でしつけながら、テーマについて自由に発言できなければならない。
 どうも教師が授業中の「おしゃべり」をうるさいと感じるのは、教師の一方的な考えからのようにも思える。その教室の子どもたちの感覚をも考慮に入れなくてはならない。
 このように考えてみると、私語を叱るとはどんなことか。どうしたらいいのかの手がかりになると思う。
(
関根正明:1931年生まれ、小・中学校教師、指導主事、東京都公立中学校校長、大学助教授を経て、元山形大学講師)

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学級崩壊が起きる教師はどのような点に問題があるのか

 学級崩壊の一般的な傾向としては、年配の教師と若い教師のクラスが崩壊しやすいようです。
 若い教師は、子どもになめられやすい。教室で問題行動にどう対処していいかわからずおろおろしていると、子どもたちがそのすきを攻めてくる。クラスは騒然となる。
 若い教師は、経験が少ないから、自信をもって対処することが難しい。ときに立ち往生してしまう。そこを荒れる子どもたちに突かれ、クラスが崩壊してしまうのです。
 年配教師は学級運営に自信を持っている。自分のやり方以外の手法を受けつけません。しかし、いまの子どもたちには、従来からの指導方法が通じない場合が多い。子どもから見れば、なんか先生が一人で勝手なことをやっていると思って「ついていけない」ということになってしまいます。
 従来の指導方法は、子どもたちがじっと席に座っていることが大前提となっているものがほとんどでした。しかし最近の子どもは我慢する力が低く、刺激がないと興味を示しません。
 そうなると、子どもたちの「動き」を大事にする必要がある。席を替わらせたり、話し合いをさせたり、視覚的なものを活用したり、そういった指導方法が求められる。
 しかし、ベテラン教師はこのような方法はあまり得意ではありません。どうしても昔ながらの方法になってしまう。
 とりわけADHDの子どもは、視覚的なツールを用いるか否かで全然反応が異なります。彼らは注意を持続するのが苦手です。大きなスクリーンを使ったり、イラストや写真を用いて説明すると聞く耳を持ちます。
 崩壊する学級の担任には、自分のやり方にごだわる、かたくなな教師が少なくありません。子どもたちが反感をもっても、しつこく続行する。すると、子どもたちはシラけ、教師の言うことを聞かなくなります。柔軟性のない教師の学級は荒れやすいといえるでしょう。
 とはいえ、学級崩壊は担任の指導力のなさが原因というふうに一概に決めつけることもできないと思います。どんなに力がある担任の学級でも、キレやすく、すぐに暴れ出す子どもが三人も揃えば、もう学級は一気に崩れてしまいます。
 これはもう、どうしようもない。言ってみれば「台風が来た」みたいな感じです。運が悪いと学級崩壊するおそれがあると言えるでしょう。
 教師にとって一番怖いのは問題を起こす特定の子どもではありません。特定の子どもにかかわりすぎているうちに、授業が中断し、そのためクラスの大多数の子どもに反感を抱かれ、敵にまわしてしまうことが最も怖いのです。
 ですから、問題行動をとる特定の子どもはある程度放っておく。授業中は、問題行動に関心を向け過ぎないほうが得策です。
 かまい過ぎると、学級全体が壊れてしまう。それが怖いのであって、特定の子どもが問題を起こしている間は、まだ大丈夫なのです。
 いまの子どもたちは、欲求不満の耐性が低いのです。特定の子どもにかかわり指導している時、待ってくれず騒ぎ出します。
 
「まじめに頑張っている子どもが教師にかまってもらえる学級づくり」が大原則です。
 授業中の教師の仕事は、あくまで学級全体を動かすことです。問題の子どもだけかまうと、結果的に「注目されたい」「かまってほしい」という、ご褒美を問題を起こしている子どもに与えるようなもの。
 問題行動をする子どもに対しての指導は、感情的に反応しない。頭ごなしに叱りつけない。責任のある仕事を任せるようにする。「やってくれないかな」「そうしてくれるとありがたいんだが」とお願いの姿勢をとる。協力してくれたら感謝を示す。その子のよい面に注目し肯定的に認めるようにする。といったことがよいと思われます。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)

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保護者から「いい先生」と言われるには、どうすればよいか

 保護者を味方につけなければ、学級は成り立たないほど、今は保護者の力が圧倒的に強い。教師が一番心を痛めているのが、保護者対応だ。
 保護者はどうしたら教師が嫌がるか知っていて、いきなり校長や教育委員会に文句を言う。だから、私は保護者と戦わない。たとえば、保護者に電話をして「授業態度が悪いんですけど」とは言わない。
 新しいクラスを持って「このクラスは、この子どもとこの子を味方につけておけば大丈夫だな」と感じることが多い。敵に回してしまってはまずい。味方にするために、あの手この手と手厚く対応する。同様に、どのクラスにも影響力のある保護者がいるものだ。その保護者の支持を得ていれば、学級懇談会は安心である。
 影響力のある保護者を見つけるには、前の学年の担任から積極的に情報を得ておくことが重要だ。その保護者への対応は手厚いものになる。また、クレーマーの保護者の情報は自然と耳に入ってくる。そういった保護者への対応も当然手厚いものになる。
 保護者対応も、策略を持たなければ学級は成り立たないのだ。何事も最初が肝心である。人間、最初にその人のことを好きになれば、後は好意的にとらえてくれる。逆に嫌いになってしまえば、悪くとらえられてしまう。だから、教師は絶対に保護者のことを嫌いになってはいけない。
 どうすれば多くの保護者の信頼を勝ち得て、味方につけることができるのでしょうか。
 一番有効なのは、テストの点を上げることである。どんなに素晴らしい授業をしようが、保護者にはわからない。わかるのはテストの点だけである。「○○先生になってから、子どものテストの点が良くなった」という印象を保護者が持てば最高だ。教師への信頼が上がり、支持率が上昇する。
 授業の最初に毎時間、ミニテストをする。その時にテストの問題を少し入れておくと、テストで書けることは確実である。こういうお稽古をしておけば、間違いなくテストの点は上がる。良い点のテストをもって帰らせれば教師への信頼が上がる。
 保護者からの苦情はチャンスだ。うまく対応できれば信頼が上がる。たとえば、連絡帳で苦情をもらったら、保護者に電話する。少しでも怒りを感じたらすぐに家庭訪問する。その方が、誠意が伝わるからだ。相手が思っているよりも一段上の丁寧な対応をすることが大切なのだ。そうすれば、怒りも少しは収まる。
 保護者対応はスピードが命である。たとえば、子どもがケガをした場合、保護者から先に電話がかかってくるようではアウトである。私なら、子どもを残しておいて電話する。子どもと一緒に帰って、家庭訪問する。子どもが親に言うより先に、問題がこじれないよう教師から伝えることができる。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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教師を辞めたいと思うようにならないために、気をつけたいこととはなにか

 教師の状況は一層厳しく、深刻さを増しています。ストレスを抱かえながら懸命に頑張っている教師のメンタルヘルスが深刻な状態にあると言わざるを得ません。
 教師が辞めたいと思うのは、どのようなときでしょうか。
 一つは、子どもと保護者との人間関係によるものです。気になる子どものことが頭から離れないとか、突然、保護者から苦情の電話がかかってくる。このように教師は他者によりふりまわされ、切迫感からストレスが蓄積され、消耗感を抱きやすい。
 次に教師の仕事の曖昧性があげられます。教育のように、どこまでやればよいかということが曖昧な仕事は、教師を疲れさせます。努力が報われずに徒労感に襲われたとき、辞めたいという気持ちがおきやすい。
 子どもや保護者から教師にとって予期せぬ反応が返ってきたり、いくら実践しても周りからの評価が得られないときは、失望感にとらわれます。
 実践するときに、最悪の事態を想定し、しなやかに対応していく力を身につけることが、これからの教師には必要であると思われます。
 また、目標を決めて、それにとらわれて実践するのではなく、柔軟に受けとめ、対応することもかかせない。
 教育の価値観を明確にし、組織としてお互いに共有することで、教師は意欲と活力をもって仕事に取り組むことができるのではないでしょうか。
 教師を辞めようと思うに至る背景として、バーンアウト(燃え尽き症候群)に陥っていることがあります。
 人間関係に、あまり大きな期待を持たないほうがストレスを小さくすることにつながります。
 そのためには、人生はすべてのことをコントロールできるわけがない。変えられるのは自分だけで、他人を変えることはできない。すべての人の期待にこたえることはできない。常に愛され、認められたりする必要はない。時には、間違いも犯すが、それに対処することができる、といったように考えるようにするとよい。
 教師以外の職業の人たちとも交流し、趣味や遊びを通じてゆとりをもって人生を楽しむことも必要である。
 バーンアウトの予防のためには、日常的な対話を活性化して、教師を孤立させずに職場全体で支えることが大切です。
 さりげなく声をかけ、話を聴き、状況によっては一緒に対応する。そんな関係になれば、気持ちが楽になり困難なことにも向かっていくことができるようになるのではないか。
 多くの教師は、厳しい状況のなかでも、仕事にかける時間を適度にコントロールしながら、多忙な毎日を乗り切っています。
 それにもかかわらず「辞めたい」と思ってしまうのは、熱心さのあまり、行き過ぎた疲労に陥っていると考えることができます。自分の手に負えない状況であれば、一度、離れた視点から見ることも必要なのではないでしょうか。
 自分が縛られている固定的なものの見方を点検し、視点をずらすことによって周りが見えるようになったり、気持ちが楽になったりすることも少なくありません。
 熱心さは大事なことですが、にっちもさっちも行かなくなる前に、自分が置かれている状況と自分の力の限界を知って、無理をしないことが大切です。
 また、援助してもらうことに抵抗感が低い教師ほどバーンアウトしにくいといわれます。同僚教師の援助を進んで求め、自己開示や相談する姿勢が大切です。
 落ち込んだり、自信を失いがちな教師を、管理職や周囲の教師が「ねぎらう」とよい。ねぎらいは人間関係を強め、相手を元気づける効果をもっています。
 安心感があってこそ、自信回復への意欲が生まれてきます。そのような温かい雰囲気を職場にもたらすことができるかどうかが、教師が辞めるかどうかの分岐点であるように思われます。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)

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学級崩壊に陥ったり、保護者から訴えると言われた教師は、どうすれば元気になるか

 関西のある町で、先生向けの講演会に呼ばれたときのこと。駅に迎えにきてくれた主催者側の男性教師を見て、私はぎょとしました。ド派手なショッキングピンクの服を着ているではありませんか。
「先生、ずいぶん派手なかっこうされていますね」
「いやあ、小野田先生に負けないようにと思いまして・・・・・」
 じつは私は、講演会ではとても大学教授とは思えないようなピンクやグリーンのカラフルなジャケットを着ています。しんどい思いをしている保護者や先生を前に、しんどい話をするのです。
 その私がくすんだ色の服を着ていては、聴くみなさんの心がますます沈んでしまう。少しでも明るくしなくては。そう思い、ふだんとはまったく違う派手な服を着て、冗談を言って笑いをとったりもしています。
 出迎えにきてくれた先生は、私を見るなり、せきを切ったようにこう続けました。
「小野田先生には、できればもっと早く来てほしかった。じつは私が受け持っている六年生のクラスが学級崩壊に陥りました。教師生活20数年で、はじめてのことです。授業がまったく成立せず、状況はどんどんひどくなる一方で、保護者のみなさんからも非難罵倒されてしまい・・・・・」
 ことの発端は、いじめ問題でした。しかも、いじめた側は、その県の最優秀教師に認定されていた教師の子ども。その子にしてみれば、学校でも、家でも、いつも品行方正でなくてはならないというプレッシャーがあり、そのはけ口が弱い者いじめにつながっていたというのです。
 当然、その最優秀教師である親から学級崩壊を批判されました。「あなたは教育者としての資質が低い」とまで言われたそうです。
 また、いじめられた側の親からは、いじめっ子の親も教師だったことから「どうせ同じ教員どうしでかばいあっているんだろう」と突きあげられました。
 こんな状態でも、なお教師の仕事を続けられたのは、同僚や上司の支え、そして何より家族の支えがあったからだと言います。
 この先生がなぜド派手な服を着ることになったのか。
 あるとき、いじめられている子どもたちに対して「おい、元気だそうや」と語りかけたところ「先生だって、いつも同じようなくすんだ色の服ばっかり着て、暗い顔をして歩いているやないか!」と、反論されたそうです。
 ここで彼は、ハッとしたそうです。学級崩壊という最悪の状況の中で、わが身をまったく省みてこなかった。前向きな気持ちも、明るい未来への希望も持とうとしなかった。
 この子たちは、そんな自分をちゃんと見ていたんだ。そして「先生こそ、がんばれよ」と、そう伝えようとしたのだ。
 涙があふれ、彼はすぐに明るい服を買いに走ったそうです。
 子どもたちは、目の前の大人がどんな表情をして、どんな未来を想い描いているか、強い関心を持って見ています。それは親でも教師でも同じことです。
 本当につらいとき、服装を変えたくらいで問題が解決するなどということはありえません。
 でも、服を変えたり、お化粧を変えたり、なんとか踏ん張って笑顔をつくる。そうした小さなことが、いま以上の悪循環に陥らず、どこかで好循環へのきっかけを探り当てることもあるのではないか。私はそんなふうに思うのです。
 数年前のある日、教師となった教え子が泣きながら私に電話をかけてきました。「私、訴えられる。教師を辞めさせられるかもしれない」
 彼女は小学校一年の担任をしていました。始業のチャイムが鳴っても数人の子がなかなか戻ってきません。何度もくり返すので、反省をさせるつもりで、いつも出入りする中庭側のドアにカギをかけました。もちろん通常出入りする廊下側は開けてあります。
「炎天下に子どもを外に放り出すとは何事だ! 弁護士をたてて訴えるぞ!」と、教育委員会にクレームを入れてきたのです。自分の名は学校に明かさないようにと。
 その日以来、彼女の眠れない夜がはじまりました。私は彼女を叱りつけました。
「ちゃんと寝なくてはダメだ。心療内科に行って睡眠薬をもらえ。まず寝ることが何より大切だ。どの保護者が訴えようとしているなんて、わかるはずがない」
「向き合うべきは子どもなんだ。楽しい、はつらつとした授業をする。それが子どもの満足につながって、ひいては保護者の不安の解消にもなる。しっかり寝て、思いっきりいい授業をしろ。もし、裁判になったらいつでも助けてやる!」  
 それからしばらくして、彼女と話す機会があり、幸いにもなんともなかったようです。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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教師が子どもと関わるとき、どのように子どもと接すればよいか

 教師が子どもと関わるとき、もっとも重要なことは「子どものことを十分理解していること」だと思います。子どもが思っていること、考えていることを知らないと、子どもとうまく関わることはできません。
 教師がよかれと思ってしたことでも、子どもにとっては、おせっかいなことであったりします。
 それでは、どのようにしたら子どものことが理解できるのでしょうか。
 なによりもまず「子どもの話をゆっくり、しっかりと聞く」ことが重要であると私は思います。
 自分は教師であるから、子どもにたずねるのはあたりまえである。このような態度では、子どもの本当の気持ちを聞くことはできません。
 教師は多忙であることはよくわかっていますが、十分な時間をとり「ゆっくり、しっかり」と子どもの話に耳を傾けてください。朝早く出勤して授業前や、放課後の時間に話をきくのがベストであると私は思います。
 
「ゆっくり話を聞く」というのは、子どもの気持ちを少しずつ着実に理解しようとすることです。子どもの本音を引き出そうとするとき、あせりは禁物です。子どもが自分から話し始めるのを待つ覚悟が必要です。
 
「しっかり話を聞く」というのは、なまはんかな気持ちで子どもの話を聞いているのではないということです。
 子どものことを本当に理解したいという態度で話を聞くということが重要なのです。本音は言葉には現われませんが、何げないしぐさに如実に現われます。
 子どもの話を聞くときに、さらに重要なことがあります。それは、子どもの立場になって話を聞くということです。共感的に聞くのです。
 大人である教師が、子どもの話を聞き理解することは結構ほねのおれることかもしれません。子どもの話が他愛のないことでも、子どもにとってみれば、切実なことであったりします。
 それを確実に理解するには、子どもの立場になって聞くことが何よりも大切なのです。これなしには、子ども理解はありえないのです。
 とくに、子どもの「心の奥底にひめられた『わだかまり』を理解できるような、子どもの精神分析の知識(河合集雄著作本参照)が必要であると私は考えています。
 子どもを理解する方法に「子どもを観察する」ことがあげられます。子どもの言動をよく見たり、聞いたりして、子どもの気持ちや考え方を理解する方法です。
 教師は忙しいので、時間の許すかぎり観察すればよいと思います。朝の会、授業、休み時間、帰りの会など適宜観察すればよいのです。気がついたことはメモしておきましょう。これがあとでたいへん役に立ちます。放課後、まとめると観察記録となります。
 教師の目の届く範囲は限られています。また、教師を信頼していない子どもは、自分を表現してくれませんので、同僚教師、保護者、クラスの友だちなどから集めることも必要です。
 子どもや保護者との面接を適宜行って情報収集に心がけてください。ただし、詮索していると思われないように注意することが大切です。
 子どもと、ゆっくり、しっかり話すことができないときには、質問紙(心理検査等)を用いて子どもを理解します。これを使えば子どもたちの性格や態度を即座に評価することができます。例えば、POEM(児童・生徒理解カード:図書文化社)があります。子どもの適応・不適応を予測・発見する心理検査です。
 子どものことがある程度、理解できたと思えたら、次は子どもを受容することが重要な課題になります。子どもが教師から受容されていると思えるようになるには、
(1)
できるだけスキンシップする
 課題ができた子どもに「よくできたね」と、握手したり頭をなぜたりすることは、教師がその子のことを大事に思っていることを伝えることになります。ただ、青年期になると触れられることに抵抗を感じる生徒もいますから、控えめにすることが肝要です。
(2)
失敗してもみんなの前では叱らない
 みんなの前で叱られたら、子どもは叱られたというより、見せしめにされたと思います。気の小さな子どもにとっては、みじめな体験です。子どもは「教師に受容されている」とは思えないのです。
 叱るときは、できるだけ個人的に叱ることが鉄則だと思います。そういった心遣いが「先生に受容されている」という思いを抱かせるのです。
(3)
他の子どものあら探しをさせない
 帰りの会で、その日の悪かったことを反省することがあります。悪いことを正していくという趣旨はよいが、素直に反省するよりもクラス全体が暗く敵意に満ちた雰囲気になります。
 むしろ、クラスの友だちのよいところを見いだすようにするとよい。よいところを言われた子は自分を肯定的に見る目が育ちます。善行も増えます。そう言ってくれた子どもや教師にも肯定的な感情をもつようになります。これが重要です。
 じつは、周りの人のことを肯定的に見ることができるようになると、周りの人が自分を受容してくれているという気持ちに結びついていくのです。
(4)
ほかの子どもと比べない
 子どもは、成績など競争させられる環境に育っています。子どもの気持ちをもっと察することはできないものなのでしょうか。
 他の子どもと比較するのではなく、その子の独自性を認めて個別に評価することも大切であると思います。そのようなことができれば、子どもの心には「先生は自分のことを受容してくれている」という思いが生まれるはずです。
(
桜井茂男:1956年長野県生まれ、筑波大学教授)

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崩壊した学級の荒れた子どもと、どう接すればよいか

 学級崩壊した学級の子どもたちは、学校中の教師に反抗し、いつでもしかられるようになっています。子どもたちは「どうせ私たちは!」と、やけになり、いっそう反抗を強めます。
 崩壊した学級を分割して、子どもの面倒をみるときの対応は、ほめることが主体です。分割してスタートするとき、子どもたちは再契約(今までの生活をリセットして、最低限必要なルールを決め、やり直す)をしています。そのときよりも、ちょっとよくなったらほめてあげます。
 昨日と比べてなんの変化がないときも「きみたち、こういうふうにやって、二日間もできたんだなあ」とほめます。分割して相手にする子どもが少ないと、いろいろ見えるのでほめるところがたくさんあります。
 そうはいっても、悪い行いを野放しにするわけにはいきません。しかっても反発しか生まれないので、説得するしかありません。教師が共通理解をはかり歩調をそろえて、一人ひとりを放課後に残して、説得するのです。その積み重ねしかない。
 崩壊した学級では、子どももどうしていいかわからなくなっています。ただ「つまらない授業を聞くよりは、ちゃかしたほうがいい」ぐらいに思っています。
 ですから「○○くん、損得考えたか?」と問います。例えば「三組はこんな状態だけど、二組はみんな勉強やっている。みんな一緒に中学校へいくんだぞ。するとやっていない部分もでてくる。それはやっぱり損だな」という具合です。
 なかには塾で補っている子もいます。そういう子は「関係ねえよ」と言うでしょう。
「そうか、きみは関係ないかもしれない。でも塾へ行ってない仲間はどうなるんだ」
「知らねえ」
(周りにいた子に)Bくんさあ、『知らねえ』って言われてどんな気持ちがした?」
「やばいって気がした」
「そうだよなあ。きみたちはいつもくっついているけど、先生からすると意外と寂しいような気がするなあ」
 荒れた学級では、本当の友情というのはすごく少ないものです。これで少し気づき始めるのです。
 この状態の子どもたちは何でも人のせいにします。「あいつもやってるじゃん」という言葉の連発です。これは徹底的につぶしていきます。
「今はきみの話です」「人はどうでもいいの。あなたはどうなの?」
「あいつってだれのことかな?」「しゃあ、その人のことは○○先生、話を聞いてあげてください。きみの話は僕が聞こうか」
 このように言って、人ごとにせずに話を進めます。悪いシステムにからめ取られている部分は徹底的につくのです。
 再スタートして、ほめられてうれしいことがある。細かく勉強を教えてくれて、なおかつほめてくれる。「担任も実はそういうふうにしてくれていたんだ」と徐々にわかってくるのです。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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指導者は説得力がなければいけない、どうすればよいか

 指導者として何かをなしていくにあたっては、人を動かすというこということが当然起こってくる。その場合、自分の考えに共鳴し納得してもらうことがどうしても必要であろう。
 指導者は、みずから信じ、思うことを人びとにたえず訴えなくてはいけない。同時に、そのことを率先実践することが大事であろう。身をもって模範を示すという気概のない指導者には、人びとは決して心からは従わないと思う。
 同じことを訴えるにしても、説き方、訴え方が大切で、説得力というものが必要になってくる。
 だから、根底に何が正しいかということに基づく信念を持ちつつも、時、場所、相手を考え、情理を尽くした十分な配慮というものがあって、はじめてその主張、訴えが説得力を持ってくるのだと思う。
 そのような説得力を持ち得ない人は、指導者として人の上に立ち、人を動かしていくことはできにくいといえるだろう。
 そのためには、根本に正しい理念、方針をもたなくてはならない。そういうものなくして、真に人を動かすことはむずかしいと思う。けれども、正しい主張であれば、人は何でも受け入れ、共感してくれるかというと、必ずしもそうではない。
 それを強引に相手に押しつけようとすれば、反発を招くこともある。自分の意図どおりに行ってもらうには、受ける側にそれを行おうという強い気持ちを起こさせることによってはじめて、生きてくるものである。
 そのためには、命令するよりも、相談するような感じで、相手の納得を得つつ自分の意図することを遂行してもらうほうがうまくいく場合が多い。命令に従うというより、自主性をもって行うようになるからである。
 しかし、相手が自分を軽んじているような場合は、なまじ相談的にやったのでは、ますます軽んじられてしまう。だから、何かみんなが認めるような権威を背景に、自らを権威づけしつつ、相手に行うことを自覚させていくとよい。
 説得力を生む一つの大きな要素は、その相手、相手にふさわしい説き方をする。いわゆる人を見て法を説くということであろう。だれかれかまわず同じことを言っていたのでは、決してうまくいくものではない。
 人により相手によって、大義を説き、あるいは利を説き、時に情に訴え、時に理に訴えるというように、適切に説いていくことが大切である。
 ただ、相手により説き方を変えるには、やはりそれだけの知識なり体験を持っていなくてはならない。だから、指導者はつねづね、いろいろと経験を積み、知識を養い高めていくことがきわめて大切だと思う。
 また、過去の考え方、やり方にとらわれることなく、日々に新たな観点に立ってものを考え、ことをなしていくよう心がけなくてはならないだろう。
 他の人のやり方の通りにやったらうまくいくかというとそうではない。むしろ失敗する場合が多いと思う。いろいろな意味で持ち味のちがう別の人がやってもうまくいかないものである。
 だから、他の人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせて生かすことが大事なのである。
 人にはみんなそれぞれちがった持ち味がある。一人として全く同じということはない。だから、それぞれがその持ち味を生かした指導者としてのあり方を生み出していかなくてはいけない。
 指導者にとって、きわめて望ましいことは、人をひきつける魅力を持つことだと思う。「この人のためには・・・・・」と感じさせるような魅力があれば、その下で懸命に働くということにもなろう。
 そうした魅力的な人柄というものはある程度、先天的な面もあって、だれもが身につけることはむつかしいかもしれない。しかし、人を大事にするとかいったことも、努力次第で一つの魅力ともなろう。
 いずれにしても指導者は「ひきつける魅力」の大切さを知り、そういうものを養い高めていくことが望ましいと思う。
(松下幸之助:18941989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

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授業中に立ち歩きやおしゃべりなどをする、困った子どもにどう対応すればよいか

 授業中に立ち歩いたり、クラスの子や教師に突っかかってきたりする子がいます。授業を妨害するような態度には、思わず厳しく注意したくなりますが、多くの場合、注意しても妨害行為は直りません。
 こうした子どもは「自分に注目してほしい」という欲求があり、授業妨害すること、注意されることで、そうした欲求を満たしているのです。
 授業妨害になる行為には、無視して取り合わないことが基本です。
 授業中の困った行いに対する指導に時間をかけると、他の子どもたちの学習を保障するうえで悪影響を及ぼすうえに、困った子どもの欲求を満たしてしまうことになります。困った行いにスポットを当てると逆効果です。
 立ち歩きやおしゃべりなどの迷惑行為に対しては「やめてね!」と、ひと言、注意するだけにとどめ、真面目に授業に参加している子どもたちに意識を集中するようにしましょう。困った行いは無視して取り合わず、クラスを落ち着かせます。
 困った行いをしても「注目してもらえない」「相手をしてもらえない」と、分からせることが重要です。
 
「困った行い」を無視しても、「困った子」を無視してはいけません。困った行いに対しては相手にしない姿勢をとりつつ、意識はしっかり「困った子」に向けておかなければなりません。
 そして「困った子」が立ち歩きやおしゃべりなどの迷惑行為をやめたら、すぐに「すばらしい!」「できるじゃないか!」などと、大いにほめてあげるのです。できた時に脚光を浴びるように仕掛けることで「困った子」の行いが改善されます。
 
「困った子」に対して、マイナスの印象をもつことのないようにして、特に、その子の「よさ」を見つけるように努めることが重要です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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保護者と上手くいく秘訣とはなにか

 保護者と上手くいく秘訣として第一にあげられるのは保護者に対して「常に感謝の気持ちをもとう」ということである。
 まずは「忙しいときに足を運んでいただき、ありがとうございます」から始める対応は、保護者の気持ちを和らげることになるはずである。
 常に保護者に感謝の気持ちをもつことで、単なる苦情から改善のための相談となり、問題解決の道のりを的確に示すことが十分可能になるのである。
 
「保護者は最大の応援団である」という言葉を日常から使える自分づくりをできるようにしておこう。それは、教師の意識が、保護者は自分に対する協力者という立場と考えれば、常に自分のことを助けてくれるのが保護者ということになる。これは、必ずよい結果と結びつくはずである。
 保護者が気づいたことを連絡帳や電話などで伝えてくれる場合がある。保護者の声をしっかり受けとめておくことは、事が大きくなる前に解決に導くことにつながる。不安な心配なことはすぐに対応する。指導は柔軟な姿勢で厳しく積み重ねていく。
 保護者との連絡を密にするとよい。生活指導上の課題は、その日のうちに必ず連絡する。「スピード感」と「対処の仕方」を両軸として保護者との連携を図ることで、一気に解決に向かうことになる。
 保護者は、わが子の姿を見て、学校での適応状況を見ている。担任からわが子へ積極的な働きかけがあれば、保護者の意識も担任と同一方向となり理解を深めてくれるはずである。
 子どもは担任から声をかけてもらいたいと思っている。一日一回は、言葉がけをして居場所づくりをする。学習面での励ましをする。それは、保護者の担任への信頼をより確かなものにしていくことになる。
 授業が充実していれば、子どもにとって、わかったこと、達成できたことが増え満足し、保護者も安心して担任にまかせることができる。
 そのためには、授業を改善することである。分かる授業で子どもが変わる。達成感の連続は、学校での楽しさを増幅する。授業の改善は、小さなことから取り組もう。やってみることで必ず道は開けるはずである。
 生活指導で一番苦労することが、子どもたちの人間関係を保つということである。保護者はわが子が「楽しく学校に行ってくれればよい」と考えているものだ。子どもたちの人間関係を保つというのは絶対条件なのだ。
 安定した人間関係づくりをするためには、学習や生活規律を保つことである。それには、担任として、子どもの課題に向き合って生活指導することが重要である。
「自分がされて嫌なことはしない」「自分を大事にすることから始めよう」を基本として進めたい。このことを出発点として、他人を思いやり、大事することを認識させる必要がある。
 保護者が訴えてくるのは「直接訴えたい」という意識からの行為である。そして、自分の子どものことをわかってほしいと思うものである。したがって、誠心誠意、教師がかかわれば、必ず分かってもらえるという意識で臨みたい。
 対話とは「受け取る力」「届ける力」である。保護者がどんな思いで伝えようとしているか、教師が全部を受けとめることができるか、つぎの方向性をしっかりと届ける思いで伝えているか、ということが大事なのである。
 学校は保護者とじょうずにいくことを目的としていない。子どもをよりよい方向にもっていくことが目的であり、それが結果的に保護者との連携を強化にし、信頼ともなっていくものである。
(
釼持 勉:東京都公立高校・小学校教師、教育庁、小学校長を経て、帝京大学教育学部教授、東京学芸大学特任教授)

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遊び指導の達人になるにはどうすればよいか

 遊びには「あっためる」という導入がある。「おもしろそうだな」「遊ぶぞ」と、乗り気にさせてしまう。この導入に使う遊びは、その場で、そのままの姿勢で一人でできる遊びがよい。
 一人遊びは、手だけを使う遊びがよい。たとえば、自分の肩をたたく「リズム肩たたき」がある。
「みんな勉強で疲れているね。少し肩をたたいてみよう。血のめぐりがよくなって頭がさえる。はい、いっしょにね」と言って「1,2,3,4,5,6」と、かけ声をかけながら、右手で左の肩を六回たたく。ついで、左手で右の肩を掛け声をかけながら六回たたく。次は「1,2,3,4,5」と、五回たたく。
 こうやって、動作を早くしながら、一つずつ減らしていく。太字の数は、はねるように強調して、たたく手が変わることを知らせる。
 さらにもう一つ「権兵衛さんの赤ちゃん」をとりあげるとよいだろう。「権兵衛さんの赤ちゃん」の歌にあわせてジェスチャーをする。
 
「権兵衛さんの」(ほっかぶりする)、「赤ちゃんが」(赤ちゃんをだく)、「風邪ひいた」(右手を口にあて、咳をする)以上を三回くりかえす。「そこであわてて」(走るまね)、「シップした」(両手を交差して胸にあてる)
 だんだん早くして繰り返すと、赤ちゃんの抱き方がぞんざいになる。「逆さに抱いていますよ」というと、笑いがおこる。そんな雰囲気になれば、遊びの場はあったまったことになる。
 遊びの教え方は四つ。遊びによって使いわける。分かりやすく、すっと遊びに入っていけるように教えなければならない。ここでつまずくと、子どもたちはわからず、おしゃべりしてしまう。
 くどくど説明し「わかりましたか」と念を押すのは、遊びの教え方としては最低だ。子どもに聞くこともなく、わからせてしまうように教える。
(1)
教師が模範を示す(一人遊び、すぐにできる遊び)
 教師が模範を示し、次に全員を対象に教える。例:「権兵衛さんの赤ちゃん」など。
(2)
何人かの子どもを前に出して教える
 ペアの遊びを教えるとき。二名を前に出して、ゆっくりと遊び方を教える。例:「左右」
(3)
一つのグループを前に出して教える
 グループ対抗の遊びに効果的。
(4)
全員に教える 
 遊びの達人には二つのタイプがある。一つは、たくさんの遊びを知っている人だ。「こういうときには、こんな遊びをするとおもしろい」などと、じつにレパートリーが広い。
 もう一つのタイプは、リパートリーは少ないが、指導がじつにじょうず。「遊ばせ、じょうず」というタイプである。楽しく遊ばせるコツは、ユーモアや教え方のうまさもあるが、上達へのリードにある。
 子どもの遊びの特徴は、気にいった遊びを繰り返して遊ぶ。くりかえすのは、どうしたらじょうずになるか、工夫し、その技を身につけていくためである。
 したがって、遊びのリーダーは、一つの遊びを繰り返し取り上げながら、子どもの遊びのわざを高めるように「じょうずな子どものわざをほめたり、紹介したり」ときに「じょうたつのコツを教えたり、助言したりする」と、子どもたちにとって、その遊びがいっそう楽しいものになる。
 そういうリードの仕方が「遊ばせじょうず」のポイントなのである。
 遊びの達人は「おはこ」を持っている。この遊びのことなら、だれにも負けないぞ、という得意なものを持っている。
 ジャンケンの得意な教師がいた。ほかの遊びは知らないという。全校の子どもたちをジャンケンだけで、一時間も遊ばせるのである。
 全校集会で「では、遊びの時間です」と、この教師が登場すると拍手がわく。
「では、ジャンケンしましょう。今日は先生に何回勝てるかな。10回、勝った人はディズニーランドに招待しようかな」と、冗談をいいながらジャンケン遊びをするのだが、その特徴は二点ある。
(1)
ジャンケンに詳しい
 外国のジャンケンなどたくさんの種類を知っている。
(2)
パフォーマンスがおもしろい
 得意は「顔ジャンケン」で、全員の子どもたちが腹をかかえて笑って遊ぶ。また「なにをだそうかな」と手の平を前に出し、手の甲のしわの数を読んで「よし。ジャンケンポン」と、もったいをつけたり、間をとり、それが絶妙のタイミングなのである。
 達人になるためには、ジャンケン教師のように「おはこ」をもつことだ。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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いじめ問題に学校や担任として、どう取り組めばよいか

 いじめ問題は一つの学級だけで解決できないような例が多くなっています。社会の矛盾が子どもたちの深層におよび、慢性的ないじめとしてひろがっているからです。
 したがって教師は自分の努力は当然としても、自分だけで何とかしようとせず、学年・全校で取り組む課題としてとらえていく必要があります。
 学級でまず重要なのは、早く気づくこと。学級全体の子どもの意識を「いじめは絶対にいけないのだ」という方向へ導いていくことです。
 子どもと遊んだり、班会議に入って対話したり、班長会議で話し合ったりしていれば、たいがい「いじめ」に気づくことができるのです。一言でいえば、子どもたちに「安心」を与え、信頼できる関係をつくっていれば、事前に気づくことができるということです。
 班長会議で「いじめがあるらしい。どうしたらよいか、みんなで考えたい」と教師が問題提起をするとよい。このとき「誰がやったのか」と加害者を探すような言い方はつつしまなければなりません。
 あくまで「どうしたらよいか、いっしょに考えたい」と、みんなで解決策を話し合うようにするのです。そうしないと、班長たちは尻ごみし、固く口を閉ざしてしまいます。
 また、教師はすぐ班長の意見を求めるのではなくて、自分の思いを話す。いじめ事件の深刻さ、いじめられる者の苦悩、そして「いじめる子どもには、必ず人に言えない淋しさ、心の不満があると思う。そのこともふくめて解決したい」と話すことです。
 班長会で、いじめた子、いじめられた子がわかれば対応策を話し合う。事実がつかめなかったら「学級の、みんなで話し合ってみよう」と、班長会の合意をつくりだす。これが、いじめ問題に取り組む土台づくりなのです。
 学級会で話し合うときは、班長会のようすを話す必要があります。そして「絶対に、いじめのない学級にしよう。今までに、いじめた子・いじめられた子もふくめて、今日からみんなでいじめのない学級にしよう」と話しかける。
 そのうえで、子どもたちの意見を聞く。また、いじめ調査用紙を用意し、子どもの意識が真剣になったら、「これは、いじめのない学級をつくる手がかりにするものです」と言って、この紙を一人ひとりに渡して書いてもらうようにします。
 この用紙でいじめがわかったら、個別に指導します。いじめた子には自主的にあやまるよううながす。いじめられた子には「黙ってないで、みんなに話します」と決意を話すよううながす。他の子たちには「よせよ」「やめろよ」と声をかけるよう訴える。
 また事実がはっきりしなかったら、みんなの意識を高めることに努めます。
 いじめた事実がはっきりしても、事実を否定してあやまろうとしない子がいます。そうした子は、心に深い傷を負っている場合があります。認めさせ、あやまらせることに固執すると、よけいかたくなになってしまう。
 時間をかけて癒してやることが大切なのです。家族、教師、子ども同士の支えがおよべば、必ず信頼が生まれます。そのとき、事実を認め、あやまるようになると思います。そのような見通しで、その子を見守ってやることが大事です。
 もし、いじめられた子どもに弱さ、動作のにぶさ、表情の暗さなどがあったとしたら、これからの支援や激励で克服するようにします。それが教師の課題になるということです。
いじめへの緊急の対応のしかたは
(1)
いじめのあることがわかったら、保護者とも協力して被害者の子どもを守る手だてをとる。これが先決。
(2)
校内対策委員や学年会で話し合って取り組み方を考える。
(3)
事実を確かめるために学級・学年・全校でアンケート調査をする。すぐに犯人さがしをすることはいけない。被害の子どもや申告者が「チクった」と攻撃される場合が多いためです。
(4)
調査で、いじめがわかったら
 1
調査事実にもとづいて個別指導をする。そして反省・謝罪させる。
 2
各学級で「いじめの残酷さ、人権侵害であることを」話し合いをする。
(5)
各学級の話し合いの結果を学年集会などで発表し、いじめ克服の決議をする。
(6)
被害の子どもを励ましつつ、自立の課題に取り組ませる。
(7)
加害の子どもも悪者扱いをせず、再生の努力をさせる。
(8)
状況をそのつど被害の子どもの保護者に報告し、共同でできることをすすめる。加害の子どもについても、同じように取り組む。
(9)
学級懇談会や、必要に応じPTA全体会も行う。事実と取り組みを報告し、全ての保護者にいじめ克服のための協力をお願いする。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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価値観が多様化した社会状況において法律を理解することが、保護者からのクレーム対応の処方箋となる

 保護者からのクレームの解決の過程で「教師が謝って当たり前」という空気が充満してきてしまっているように思えてならないのです。もっと教師が状況と対等に立ち向かえないか。そんな思いに私はかられていました。
 そんなとき、あるセミナーで弁護士に出会いました。学校のトラブルについて相談をすると、意外な答えが返ってきたのです。
 
「一定の対応を終えた後の保護者からの長時間の電話は、教師側から切ってもいいんですよ。それ以上の長電話が業務上、問題となると判断されれば、電話を切ってもまったく問題ありません」
 
「学校には『裁量権』といって、自分たちで決めることのできる権利があるのですから」と。まさに目からうろこが落ちました。
 
「法的には、教師と周りとの関係は対等である。しかし、法律について、あまりにも教師が無知であるがために、その空気感の中で間違った認識をしてしまっているのだ」と私は気づいたのです。
 保護者の学校に対する期待があまりにも過度であった場合や、保護者の行動が不当な範囲に至る場合は、教育的効果を阻害することになりかねません。
 以前は、常識の範囲で対応できたいたことでも、価値観が多様化した社会状況においては、人によって常識も異なり、解決の決め手とならないこともしばしばです。
 このような状況の中では、社会の客観的な基準となっている法律を利用するのが適切といえるでしょう。
 法律では、誰にどのような権限があたえられ、どのような対応が本来予定されているか、といった法律の枠組みを理解することが、クレーム問題の対応の処方箋となるのではないかと考えています。
 法律の世界では、同じような事案でも、実際の問題解決にあたっては、認定される事実関係、当事者等の状況により、すべて異なります。個々の事案に応じた対応が重要なものとなります。
 法的な枠組みを理解したうえで、個別事案に応じた血の通った対応がなされることが大切です。
 保護者からのクレームの基本的な流れは、
(1)
クレームの内容と要求の把握
 教師は、保護者のクレーム内容(要求事項とその根拠となる事実)を正確に把握するまでは、反論を一切おこなわず、しっかりとメモします。安易な同調や回答をしないよう注意します。調査・検討のため、十分な回答の期限を設定しておくことが重要です。 
(2)
回答に必要な事実関係の調査をし、法的・教育的観点から検討する
 まずは、要求の根拠となる事実関係の調査を行う。事実関係がつかめない場合は、回答の期限を延期してもらいます。
 判明した事実関係をもとに、法律的な観点から要求に応える義務があるか、教育的な観点から応えるべきかを検討します。
(3)
クレームに回答する
 クレームの内容が正当と判断した場合は、その責任の範囲と対応を決定し保護者に回答します。必要な範囲で謝罪し、対応の根拠を説明して、学校の今後の対応について理解してもらうよう協議を重ねなます。保護者の要求にすべて応じるかどうかは別の問題です。
 クレームの事実関係が認められない、事実があっても法的な義務が認められない、教育的な措置をとることが妥当でない場合は、要求を拒絶する回答を行うことになります。根拠を示して、明確な回答を行います。
(4)
クレーム回答後の対応
 保護者の要求が受け入れられないと回答した後、保護者から限度を超えて執拗に要求が繰り返される場合は、不当要求として対応を検討します。
 要求をのませるための暴言などに対しては、毅然と対応し、限度を超える電話については「回答した通りである」と、それ以上は応じないようにします。
 法的な観点での見解の相違であれば、弁護士に委任し、裁判等の法的に決着が望ましいでしょう。
 納得できない保護者が、掲示板やSNSで中傷することなどがあります。このような場合は、保護者全体への説明会を設け、調査結果の公表など、保護者全体に事態と正確な認識を共有してもらうようにすべきでしょう。 
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)

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中学校の教師として楽しいと思えるようになった、そのわけはなにか

 私が中学校の教師となったのは「第三の非行のピーク」といわれた頃でした。校内暴力の嵐が吹き「今日は入院か」という思いで、文字通り体を張って子どもたちに立ちむかう毎日でした。
 
「一生懸命に関われば、いつか子どもたちに思いは通じる」と信じて「厳しく」あたってきました。私自身、「熱心=よい教師」の姿を夢中で追究してきた。他の価値観が生まれにくいほど学校現場は忙しかったからです。
 最近、思うことがあります。本当にそうなんだろうかと。子どもはもちろん、教師や親までもが追いつめられる状況になってしまっているからです。
 私は、子どもが好きで、子どもたちの未来をいっしょに開く教育という心弾む仕事に携わりたくて教師になりました。それなのに、一生懸命になればなるほど教師であることが苦しくなり、子どもを追いつめるような現実があるからです。
 かつて私には、なめられてはいけないと、生徒の前では緊張していた時期がありました。しかし今は、以前のように肩に力の入った自分と違う、自然な笑顔で子どもたちと接している自分を感じます。けっこう楽しんでいるのです。
 自分の中で何が変化したのか。振り返ってみます。
 私が新任教師の頃、学年が進むにつれて手に負えない子が増え、教師がほんろうされるという状況がありました。一年生のときに厳しくしつけ、「だめなものはダメ」と教師集団として一致して示しながら「この先生たちにはかなわない」という大きな壁を強く印象づける取り組みを重視してすすめました。
 脅しによって指導した形をつくることができる状態、それは教師から見れば、子どもに対して優位性をもって指導にあたることができているという「正常」な状態に見えるかもしれません。
 しかし、子ども側から見れば、自分の思いを表現できず、問題を蓄積させている状態であるともいえます。そして、その段階をこえて脅しが通じなくなったとき、子どもたちの前には全く無力であることを大人たちは知ることになるのです。
 でも、子どもを教師の言うとおりに従わせようとするとき、力や脅しを用いないやり方はむずかしい。あるとき、上履きのままグランドに出ている子どもたちを私は見かけました。反発していた三年生たちです。「いけないよ」と注意をしましたが、中にはいろうとしません。無視された状態です。
 そのままその場を離れるわけにもいかないし、かといって直そうという雰囲気も見られません。そのうち始業のチャイムが鳴りました。誰かが「入ろうぜ」と一言いうと、みんなスッと中に入っていきました。「私の必死の説得よりも、あの子の一言の方がよっぽど指導力があるよ。子どもを動かす力っていったいなんだろうか」と、思わず笑っていました。
 でも「子どもを指示通りに従わせるのが教師の力量」という、ずっとこびりついていた思いから解放され、楽に構えていられる自分も感じていました。以前は「ここで引いたら示しがつかない」と一歩も引かず、ぶつかったものです。
 
「いけないと知っていながら、やるには何かワケがあるんだろう。今度話せるときに聞いてみよう」という、ゆったりとした気持ちで受けとめられるようになったのは、よかったと思います。
 私たちがめざす指導のすすめ方、それは子どもがその気になるようにうながし、変化を待つ関わりなのではないかと思うのです。
 厳しい教師になろうとしていた私は「今は○○するとき。△△してはいけない」と子どもの思いを規制しようとします。そして、自分の思いの範囲で素直に動いてくれる子をいい子、そうでない子を問題のある子と感じるようになっていることに気がつきました。
 こうした問題のある子を思いどおりに動かそうとするとき、ついつい注意する場面が増えてしまいます。私はこうして「だめ、だめ」と子どもから「取り上げる」ことを日常しているけど、その代わりに何を与えているのかと、ふと思うようになりました。
 
「だめ」をいうのが教師の仕事じゃない。もっとその子の意思を尊重してもいいんじゃないかと。問題行動を繰り返す子であっても「○○させない」と、子ども生活を矯正する役割でなく、その子が中学生時代という人生のひとこまを歩くときの伴走者として、とんでもない失敗をしないよう見守りながら、ゆったりとかかわりたいと思うのです。
 問題のある子が問題を起こさないようにと考えるのはムリで、あえてやろうとすればひずみができてしまいます。「これだけ言っても分からない」「素直じゃない」と、子ども側だけを責めてきたような気がします。
 子どものためによかれと思ってやっていることが、まったく違った受けとめ方をされていることがよくあります。「子どもにどう受けとめられているか」を点検し「分かるように伝え方を工夫する」ことで一歩近づけると思うのです。
 学校では「教える」活動が強調されますが「どう受けとめたか」を尊重することで、子ども自身が「学ぶ」チャンスを多くつくることができます。
 子どもがホンネを語り、教師もホンネで返すという対話ができる関係、これは子どもを思いどおりに動かすことにはならず、まどろっこしいやり方に見えますが、実はそれは教師にとっても子どもにとっても心地よく、結果的にはもっとも近道となるやり方だと思うのです。
 子どもが「自分で決め、自分の体験から学ぶ」ということは、大人の立場からすれば、それを「待つ」ということを意味します。子どもが体験し、そこから学ぶように支援する。しかし、いのちや人権にかかわるものなら、きっぱりノーと言う。そういった活動が求められているのだと思います。
 その子の中で今どんな変化が起きているかに心を配り、その子が人生体験を重ねられるようにサポーターとして関わっていけばいいんだと考えるとき、子どもと関わることがとっても楽しくなるのです。
(
宮下 聡:元東京都公立中学校教師。都留文科大学教職相談システム相談員)

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子どもたちが求める教師のタイプとはなにか、そうなるには教師はどうすればよいか  

 教師には大きく分けてつぎの4つのタイプがあります。
(1)
父性と母性が共存している教師(2割)
 厳しく接したり、グイグイ引っ張ったりすることもできるし、逆に優しく包み込むこともできる教師です。
 ふだんは「このクラスは、こんな学級をめざすぞ!」と子どもたちを引っ張る。一方で、子どもたちが悩んだり、ぐずったりしたら、彼らの声に対して耳を傾ける。
 子どもたちをグイグイ引っ張る「リーダーシップ」と、いたわったり悩みを聞いたりする「カウンセリングマインド」。この両方ができる先生が一番良いわけです。
 この担任のクラスは、落ち着きがあって、しかも、一人ひとりの子どもがいきいきとしています。なぜならば、担任がつねに、一人ひとりの子どもに関心を向けているし、同時に、規範をもって子どもたちを導くので、集団の団結力もでてきます。
 子どもたちは頼りがい(リーダーシップ)とあたたかさ(カウンセリングマインド)を兼ね備えた教師を求めています。
(2)
リーダシップのみの教師
 厳しさはあるけど、優しさのない教師。子どもに対しては常に厳しく接する。些細なことでも「何やってんだ、お前は!」と大声で叱責し、クラスがシーンとなる。けれども、子どもの気持ちはわかっていないし、楽しさもない。だから子どもたちはストレスが溜まりやすいのです。
 その教師がいるときクラスは静かです。けれど、子どもたちはストレスが溜まっているから、他の教師の授業では荒れてしまう。
 クラス替えなどで、その教師から離れると、子どもたちの一部が急に荒れ始める。でも、この教師は「オレが受け持っていたときは静かだった」と、自分に原因があるのにもかかわらず、平然と言う。
(3)
カウンセリングマインドのみの教師
 子どもに優しく接することができ、遊び心もあるが、ビシッとすることができない。若い教師に多く見られるタイプです。
 彼らは子どものご機嫌取りに走ってしまう。ルールをしっかり守らせない。目標を明確にしない。友だちのような教師になってしまう。教師と遊びたい子は、このタイプの教師が好きですが、楽しいけれど、まとまりがない。ザワザワといつもうるさい。
(4)
リーダーシップもカウンセリングマインドもない教師(1割)
 やる気があるのか、ないのかわからない。子どもたちにビシッと接することもできないし、優しい言葉をかけることもない。子どもたちから端的に嫌われるタイプです。このタイプの教師が担任をすると学級崩壊しやすい。
(5)
中学校の生徒
 子どもたちは、頼りがい(リーダーシップ)と、あたたかさ(カウンセリングマインド)を兼ね備えた教師を求めています。
 中学生は教師に「正しい大人」を求めています。正義感がある教師、信頼できる教師の人気が高い。チャラチャラしている教師は嫌われます。
(6)
高校の生徒
 高校生になると、「正しさ」は以前ほどこだわらず、勉強をきちんと教えてくれる教師を好むようになります。悩みなどをちゃんと聞いてくれるうえに、勉強の教え方が上手な教師に生徒はついていきます。
(7)
一番嫌われる教師
 気分次第で叱る教師です。感情をあらわにし、すぐカーッとなって叱り飛ばす。感情で動く教師は毛嫌いされる。ほめた場合も同様です。
 冷静にきちんと説得してもらえたら、子どもたちも納得できるのですが「先生、今日は機嫌が悪いな」としか伝わらない。
 子どもの立場から言うと、叱るなら叱るで、どういう理由で叱っているのか、きちんと教えて欲しいということです。
 以上のように教師にはいろんなタイプの教師がいます。どうすればよいのでしょうか。
 人間として、自己成長するうえで重要なのは、その人の個性、自分らしさを発揮していくことです。
 コツコツ教材研究をする教師は、それがその教師の取り柄なのです。それを「まじめすぎるからダメなんだ。もっと遊びを覚えなさい」と管理職が言ってはいけません。それはその教師の本質(個性)を否定することになるからです。自分の本質を見失っては、けっしてよい教師にはなれません。
 自分の取り柄がコツコツまじめにやることしかないのだとすれば、それを最大限に生かして、「コツコツまじめに」お笑いの研究やネタの分析をすればいいのです。それで子どもたちの笑いを取れば大成功です。
 自分の魂の本質を否定しない形で、個性を生かしながら、それをどう生かしていくかと考えて自己成長していってほしいのです。
 自分の魂の本質とは何か。それを探るもう一つのポイントは、子どものころに熱中していたことを思い出すことです。そこにあなたの魂の本質が現れます。
 小さいころから友だちに何かを教えることが好きだったかもしれません。この人は授業が好きなのです。
 教師としての持ち味には、生まれつきの個性が大きく影響しています。変えようとしても変わるものではありません。それを否定せずに、うまく生かす形で教師として成長していってほしいものです。
 もう一つ大切なのは、教師人生の中で起きるさまざまな出来事から、日々学んでいくことです。人生のすべての出来事は、気づきと学び、自己成長のチャンスである。・・・・こんなふうに考えてください。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)

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学級崩壊を起こさない、プロ教師になるにはどのようにすればよいか

 親が子どもの将来のためによかれと思ってやったは良いが、裏目に出ることなどいくらでもあります。自分の期待を押しつける親の愛情が、子どもの自立を妨げ、邪魔になる場合があります。
 だから、他人である職業教師を雇って、子どもの教育に当たらせるのである。プロ教師は他人であることがカギなのです。他人であればこそ、ある種の冷淡さが子どもたちから甘えを取り去り、自立心を育む作用をするのです。
 教師には適度な冷たさが必要だということです。教師には親ではできないこと、教師にしかできないことをやる使命と役割が与えられているのです。
 教育には情熱が大事で教師は情熱を持つべきとよく言われます。ダメな教師にとっては、これほどありがたいことはないのです。「一生懸命やったのだけど」と言い訳けすれば、それでなんとなく責任がのがれるようなことになるからです。
 学校で一番大事な「授業」は情熱だけではできません。必要なのは知性と教養です。クラスの問題児にどのように対処するかも、情熱よりも問題解決の方法を考え出す経験や専門的知見に支えられた知性のほうが、役に立つことは言うまでもないことです。
 学校教育は言うことと、行うことを一致させることが望ましい。言行不一致は保護者からも同僚教師からも一番嫌われます。
 教師は、良し悪しは別としても自分流でいける職業です。日常、独りで授業し、生活指導するのが基本です。授業が成立しない、クラス経営がうまくいかない、そういう場合は、同僚に相談するにしろ、最後は自分で解決するほか方法はないから、何がなんでも解決の道筋を見つけなければなりません。
 子どもたちから率直な意見を聴取するのも、ひとつの方法ですし、同僚の授業を見せてもらい参考にするなど、あらゆる方法で、日々授業の改善工夫を凝らす以外に道はないのです。これが教師の仕事の根底になるポイントです。
 教師にとっては授業こそわが命です。いちばんのカギは授業です。授業やクラブ活動などで良い成果を上げれば、その教師の指導力を子どもたちは評価し教師は信頼されます。
 「小・中学校の学級崩壊を防ぐには何が大切か」という秦政春(大阪大学)のアンケート調査があります。小学校5,6年と中学生の合計722名が回答しています。
 
 それによると「授業が楽しかったら学級崩壊は起こらない」について「とてもそう思う」「ややそう思う」の合計が約73%も占めている。
 子どもたちが面白くて引きつけられるような授業をすることが学級崩壊ほ防ぐ決め手であることが、授業の受け手である子どもたちのアンケートからもよくかる。
 他方、教師サイドの回答の第一位は「教師と子どもたちとの関係がよければ崩壊は起こらない」であり、これが合計して約88%をしめているという。
 子どもの側は授業の内容が問題であると言い、教師側は子どもに問題があると言わんとしている。授業を聞かないのは、聞かない子ども側が悪いというのは、たいてい教師の言い分です。
 ダメな教師の授業は、子どもたちが相手にしないから、授業が成り立たず「学級崩壊」する。このことは、昔も今も変わりないことがよくわかります。
 良い授業をしている教師には「学級崩壊」などということはあり得ません。学級崩壊を子どもや家庭、地域に要因を求めるようでは、子どもたちの信頼を得ることはできません。子どもたちに良い授業だと評価され、安心して勉強できるクラスづくりが肝要です。
 良い授業とは何でしょうか。教師が自分で良い授業と思っていてもダメです。子どもたちに「良い授業、素晴らしい授業」と評価される授業が「良い授業」なのです。子どもたちの「興味を引く」「面白い」という要素が大事です。ただ、それだけではテレビのお笑い番組と変わりはありません。子どもにとって「役に立つ」「ためになる」という要素も大事です。
 肝心なことは、教える内容をいかにわかりやすく、興味深く教えるかです。そのためには、教師自身にかなりの学識がないとできません。日々、教師が自分自身に投資して、せめて最低、年間100冊を超える本を読まなければ、学習者を満足させる授業を行うことは難しいのではないかと思います。
 教師も塾がこれだけ子どもたちに評価されているのだから、その技を盗むような努力をしてもらいたい。塾ではお客を絶えず意識して授業を組み立てます。ニーズに即して授業内容をどんどん改変します。飽きさせないように、さまざまな工夫を凝らします。
 授業する人のキャラクターも商品なので、キャラづくりをします。面白系キャラは「あの先生面白い」といわれる芸人教師で、アニメなど子どもが好きそうなものをマークして、そこから授業のネタを仕込みます。教え方の面白さで引きつけます。
 ハッタリ系キャラは「このやり方をすれば絶対解ける」などを連発するタイプです。教材の開発をし、独自の教える内容を持ちます。
 このキャラに共通するのは、学習者の方に顔を向け、必死に自分の授業をアピールする点です。根本に成果主義があるから、結果を出すためのパフォーマンスが必要なのです。そこが学校教師との違いなのです。
 いつまでも、教師という権威に安住していると、必ず知らぬ間に自分の能力も劣化してしまいます。だからこそ、塾のこの切実感を学校教師も学んでほしいのです。
(
戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

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保護者とより良い関係を築き上げるにはどうすればよいか

 子どもに問題が起きたときなど、子どもの指導をめぐって、保護者と協力していくには、どのようにすればよいのでしょうか。
 
「相手に原因がある」「相手の問題点を指摘する」という姿勢があると関係は改善しません。原因の追究を止めます。そして「どうなりたいのか」を考えるのです。この二つの姿勢が、問題を共有し、共有の問題解決の目標をもつことにつながります。
 これができさえすれば、人間関係は良い方向に向かい始めます。問題も自然に解決に向かうのです。
(1)
保護者に肯定的な関心をはらう
 保護者に会ったとき、「このお母さんは困ったものだ」と問題を感じることがあります。保護者が不機嫌な場合もあります。どのような場合でも、一番に心がけたいことは「お母さんなりに、一生懸命なんだなぁ」「どこか、かわいげがあるなぁ」と、その人に好感を抱くことなのです。
 このような姿勢でいると、不思議なことに、始めは「困ったなぁ」と思った保護者でも、だんだんとお互いに打ち解けて話をすることができるようになっていきます。
(2)
保護者の苦労をねぎらう
 保護者と話をしていると、保護者の子どもとの関わり方に問題があるように思われることがあります。最初から「お母さん、○○を直してください」という助言は効果的ではありません。
 まず、保護者の苦労を認め、ねぎらうことです。そのことが、子どもの問題に取り組む勇気を保護者に与えることになるのです。問題を抱かえる保護者と協力関係を築く際に大切なことは、保護者の良き理解者、支えになるということです。保護者が安心します。信頼を得るには効果的です。
(3)
保護者の話をじょうずに聴く
 対面して座ると話をする側も聴く側も緊張します。机をはさんで90度の角度に座るとよい。面と向かい合わないので非常に話しやすい位置になります。
 じょうずに話を聴くには「受容する」「共感する」と良いでしょう。話した相手の言葉を繰り返すことで、しっかりと受けとめてもらったと感じます。
 繰り返すことで、自分が語った言葉を聞かされると、客観視することにつながり、語っている人に、新たな気づきが生まれることがあります。
(4)
保護者の態度や好みに合わせる
 気持ちが通い合っている者同士では、同じような姿勢、振る舞いを自然に取ることがあります。実際にしてみると相手の感じている気持ちを感じることができるのです。同じ姿勢、振る舞いをすると、相手の気持ちが自分に伝わりやすくなります。
 保護者が大切にしている価値や好みを尊重し、そこに合わせるようにします。
(5)
おみやげを与える
 保護者の方に来てよかったなという気持ちを持って帰ってもらうことです。おみやげを与えるためには、保護者がこれまで行ってきた中で、良かったことを聞きとめておくとよいでしょう。
 一番のおみやげは「それ、とっても良いことなので、ぜひ続けてみてください」なのです。これだけは自信をもって行ってくださいと伝えることです。やれているところをうまく強調しておみやげとして与えることです。
(6)
保護者と会うときの心得
 母親は、子育てを一手に引き受けている気分でいることが多い。わが子に問題があると子育てを失敗したと感じてしまっていることがあります。温かく接することで、母親の傷つき、苦しみが癒されます。その結果、子どもの問題に取り組む気持ちの余裕が出てくるのです。
 父親は総じて、ほめ言葉に弱いところがあります。子どもへのかかわりに関しても、問題を指摘するよりも、良いところを探しほめることで、子どもにかかわる意欲がより強められます。
 職業の話題を早い段階でもち出し、職業人として、しっかりやっていることを評価し「わが子のために、ひと肌ぬいで、力をかしてほしい」という気持ちで接すると、話はうまく展開していきやすいようです。
(
青山洋子:東京都港区立教育センター教育相談員、筑波大学学校教育部技官を経て、駿河台大学講師。専門は臨床心理学・学校心理学)

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教師が燃え尽きず、心の健康を保つためにはどうすればよいか

 学校現場では、子どもや保護者への対応に悩みを抱かえて苦しみ、疲労こんぱいしている教師は少なくありません。今や学校はストレスのるつぼと化しつつあります。
 教師のバーンアウトの根本にあるのが教師という仕事固有の特徴です。それには、境界のなさ(どこまでやれば完成という境界がない。仕事が日常にまで入り込みやすい)、ひと相手であること(そのため自分個人のペースで仕事ができない)、成果の不透明性など、があげられます。
 教師はもともと「教える」ことが仕事であるため、人に教えられたり、助けられたりすることが苦手であるといわれています。
 教師は自分のクラス経営の失敗を知られたくないので、問題の「抱え込み」により教師が窮地に陥ることも少なくない。                                                                                                                                                               
 まじめで誠実に仕事をこなそうとする教師がバーンアウトに陥りやすい。しかし、この性格は教師として望ましい特徴だということもできます。
 女性教師の場合、家庭と仕事の両立が相当に大きな悩みとなり、それが心身の疲れの原因になっているケースが多いようです。
 子どもが変化し、教師が予測しない反応を返す子どもたちに戸惑い、教師としての自信をなくす人も後をたちません。
 そして、保護者の価値観も変わりつつあります。「学校で集団生活をしていくには、ときには、個人の自由な言動を我慢しなくてはならないこともある」という認識をもたない保護者が増えたために、保護者との対応は教師の疲れを倍増させます。理不尽な要求を出してくる保護者の対応に頭を抱える教師の疲れは相当なものです。
 一方、教師同士の協力体制が弱体化しています。社会全体に人間関係が希薄化し、表面的なつきあいが主流になっている。それに加え、教師の評価制度が導入されたこともあり、同僚や管理職に自分のクラスの問題や弱音を吐くこともできず、一人で悶々と悩む教師が増えています。
 さらに、学校外からのプレッシャーも大きいのです。学校で何かが起きると、すぐに学校や教師がマスコミの批判をあびます。本来、家庭の責任とされてきた、しつけの問題までもが、学校の教育不足のように攻撃されることもあります。
 保護者の学歴も上がり、教師への注文も高度なものになり、教師が尊敬される時代は、もはや過去のものとなってしまいました。
 以上のような要因が背景となり、教師のバーンアウトの素地がつくられているのです。一見、ささいなできごとや言葉で燃え尽きるのは、そこに至るプロセスは根深いものであるといえるでしょう。
 学校が荒れ学校内に余裕がないと、教師間のあつれきが生じ、その冷たい空気が、子どもたちの中にも浸透し、それが学校の荒れに拍車をかけるという悪循環をもたらします。管理職が上手に介入することで教師間の和が回復されることもあるでしょう。
 また、スクールカウンセラーが客観的で中立的な立場から、子どものケアと教師のケア双方に対応できれば、もつれた糸もずいぶんと、ほどけやすくなるかもしれません。
 学校の荒れと教師の疲れとの悪循環の鎖をどこかで断ち切るには、第三者の立場からの思い切った介入が必要となることも少なくないのです。
 教師の中には「助けを求めるのが苦手な人」「一人でがんばる人」が多いようです。「教師は強く正しい人間でないといけない」だから弱音を吐いてはいけないといった誤った信念が、教師自身を苦しめているのです。
 そんな思いで、問題を抱かえ込む姿勢が、解決をますます遅らせることにもなりかねません。学校も教師も、困ったときには素直に助けを求める勇気を持つべきだと思います。
(
伊藤 美奈子:1960年大阪府生まれ、東大谷高校教師、お茶の水女子大学助教授、慶應義塾大学教授を経て奈良女子大学教授。スクールカウンセラーの経験あり、2013年から東京大志学園大阪校でスペシャルアドバイザーカウンセラー。心理学者)

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授業で子どもの発表力がつく3つの方法とは

 「なかなか子ども達が発表しない」という声を職員室でも耳にします。私の教室でよくしている3つの取り組み・方法です。どの教科でも使えるのでぜひ教室でも試してください。
1 書いたら話す
 この目標を必ず学期の最初に決めます。ノートに書いたことは、発表するように指導するのです。書いたことを読ませるのです。
 しかし、書いたことをただ「読むだけ」なのに、子どもの中にはすぐにできない子もいます。書かせ方がよくないのです。
 その多くは、だらだらと考えらしきことを書かせているだけだからです。おそらく子どもは自分でも何を書いているのか分からないのでしょう。
 ポイントがしぼれていないので、「発表をしなさい」といわれても自信がもてないのでしょう。
 書いたことが次の発表につながるようにするために、箇条書きで書かせます。「ノートに①②③と番号を書いて、その理由を箇条書きで書きなさい」と指示するのです。
1文1義がポイントです。
 「夢を持って、小さいときから努力したから」ではなく、「夢を持っていたから」「小さいときから努力したから」と書かせるのです。
 たくさん書けた子どもをほめて、「自分が書いた中で、1番自信があるという番号に赤丸をつけなさい」「赤丸をつけたものを発表しなさい」と言うのです。
 ポイントがしぼられているので子どもたちは安心して発表できるようになるのです。
2 発表した人から席にもどりましょう
 挙手した子どもを指名するだけでは、緊張感もなく授業がダレてしまいます。そこで、時々「○班の人は前に出ましょう」と指示します。
 教室の前に出させ、腰掛けさせます。そして「発表した人から席にもどりましょう」と話すのです。
 子どもたちは、最後になりたくないので考えを早くまとめたり、書いたノートを早く読もうとしたりします。先をあらそって立ち上がり、発表しようとします。授業の中に緊張感が生まれてきます。
 最後になった子どもには、「さすがですね。最後になっても落ち着いていいことを話しました」「前の友達と違う考えがよかったですね。○○君らしい発表でした」などと言ってほめてあげます。
 この方法が定着すると「今日1日でがんばったことを○班の人前に出て話しなさい」「各グループの班長は前に出て、今話し合ったことを話しなさい」というように、いろんな場面で使えるようになります。授業や活動にリズムとテンポが出てきます。
3 となりの友達が話したことを発表しなさい
 授業中、となりと相談させることがあります。多くは「話し合ったことを発表しなさい」と言います。
 しかし、その反応は多くの場合よくありません。真剣に話し合いに参加しない子どもが出てしまうからです。このような状態だと、発表が得意な子は手を挙げますが、苦手な子はそのままなのです。
 2人組で話し合いをさせる時は「2分後に、となりの友達が話したことを発表してもらいます」と、話し合いの前に言っておきます。
 そうすると、どの子も「となりの相手が困ってしまう」と思うのか真剣に話し合いに参加します。時間がきたら「となりの友達が話したことを発表しなさい」と指示するのです。
 このようにすると、多くの子どもが手を挙げるようになります。相手から話す情報を得ている、自分の意見ではないので安心して言える、ということがその原因でしょう。
 発展として「となりの人が話したことを3つ言いなさい」「となりの人が話したことと、それについての自分の感想を発表しなさい」ということ等が考えられます。全員参加と授業の深まりが期待できます。
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

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授業で子どもたちを集中させる説明や話し方のポイントとは

子どもたちに話しや説明するときには、つぎのような点に配慮します。
1
最初に要点(結論)を短く話す
 最初に要点(結論)を話すと子どもたちは集中して聞くようになります。そのあとに理由を話すようにします。
2
わかりやすく説明する
 具体例を入れたり、子どもたちの身近なものにたとえたり、作業させたりして、説明をわかりやすくする工夫します。
3
やってみようと思わせる
 具体的にヒントになる説明をして、おもしろそうだな、やってみようと思わせます。
4
重要なことを単純化し、短く明瞭に説明します
5
実物を見せる
 子どもたちが集中しないときなどに、実物や知らない興味のあるものを見せます。
6
話し方に変化をつける
 一本調子で話すと、あきて集中しなくなります。ときには、ゆっくり話したり速く話したりして、話しにめりはりをつけると、子どもたちは集中して話しを聞くようになります。
 いつもより小さな声で話せば、どうしたのかなと、子どもたちは注目します。
 間をとって、子どもたちの顔を見つめながらゆっくりと話すと、話しがわかりやすくなります。
 重要なことばを高く、強く言うと子どもたちは大切なのだと思います。
7
納得させるには実演や経験や感動を伝える
 実演したり、子どもたちが経験したことと関連づけたり、教師が感動したことを伝え、子どもの共感を得るようにします。
8
ゆさぶりをかける
 一つの見方から結論を得るだけでなく、別の視点から教師が問いかけ、子どもたちが学び合うと、子どもたちの思考が深まります。
9
選択させる
 二つの方法を説明して、どちらかを子どもたちに選択させます。説明を聞くだけの立場から、能動的な立場に子どもを立たせるようにします。
10
問いかけながら説明すると緊張・集中がうまれる
 一人ひとりに問いかけながら説明すると緊張感が生まれます。
11
考えさせたいときは発問する
 子どもたちに問いかけることによって、考えさせます。
12
説明したことが理解されたか発問して確かめる
 説明したことが、どのくらい子どもたちに理解されたかを、発問によって確かめます。
13
板書する
 話すばかりでなく、説明する内容を黒板に書くと、こどもたちの注意を引きつけることができます。大切なところやまとめを板書したり、伝えたいことを文字・表・図にして視覚に訴えます。
(
加藤辰雄:1951年愛知県に生まれ、元名古屋市立小学校教師。愛知教育大学等非常勤講師。「読み」の授業研究会運営委員)

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教師のように、本当に感動して泣ける仕事なんて、そうあるもんじゃない

 私たち教師の仕事は、利潤の追求とまったく関係のないところにある。儲けは考えず、生徒の利益が最優先。究極のサービス業である。
 生徒に「わかった!」「できた!」と言ってもらうためならば、寝る間も惜しんであれこれ工夫する。手を替え品をかえ、ヨイショしてみたりもする。一方、ときには人間としての成長も厳しく要求する。
 その中で「どうして通じないの?」と、絶望的な気持ちになったり、自分自身の無力感に押しつぶされそうになったり、あるいは空回りをしているような惨めな気持ちになることだって、往々にしてある。
 しかし、そこでサービスをやめてはいけない。なぜか、それは私たちがいろいろな場面で喜びや感動を少しずつ分けてもらうことで、十分成り立つ商売だからである。
 非行の嵐を乗り越えてきた先輩教師が言っていた。「手のかかった子どもたちの卒業式ほど、泣けちゃうのよね。で、その感動があるから、また次も頑張れるわけ」と。
 ましてや「教える、教わる」「叱る、叱られる」という関係を超越し、人間としてお互いに共感し合えるものを見出すことができれば、それは「教師になってよかった」とか「先生に出あえてよかった」なんていう次元のものではなく、まさに、お互いにとって、本来の意味での「生きる力」に繋がってゆくのではないだろうか。
 私は新採の東京都の中学英語教師となり、大きな挫折感を味わった。私を待ちうけていたのは「大変な学校」で、授業サボタージュ、授業妨害、罵倒、暴力、いやがらせなど、一通りの洗礼は受けた。
 よく同期の教師と連れだってトイレで泣いたものだ。転職情報誌も頻繁に買って読んだ。しかし、それはすべて「こんなはずではなかった」「学校って、こんなところではないはずだ」という、自分の価値観の防衛に由来するものだった。と、今になって思う。
 そっぽを向いてやりたい放題の生徒に「好かれよう」としていた私が、彼らを「好きになることの方がずっと大切だ」と気づいたとたん、気持ちが楽になった。
 
「この仕事はおもしろい」と、自分の仕事への魅力と愛着を感じることがないままに、慌てて辞めてしまわなくって、本当によかったと思っている。
 私を支えてくれた教師集団と、私を育ててくれた生徒とその保護者たちには、いくら感謝しても足りない。現時点で言えることは「いま、この仕事はおもしろい」ということだけである。
 卒業する生徒が最後の授業で書いてくれるメッセージや、封書で渡してくれるような手紙は、私にとってはとても大切な宝物である。たとえば
「先生と別れるのはとてもつらいです。この二年間で私は先生からすごくたくさんのことを教わりました。英語のことだけじゃなくて、これから生きていく上で大切な、本当にいろいろなこと。先生の言った言葉は、いつも共感するっていうか、自分を変えなきゃって思わせるような心に残る言葉でした。困ったときはいつも助けてくれて、いつでも明るくって、すごいなあって思います。私は先生が大好きだし、尊敬しています。なんか人生をムダなくフルに生きこなしてる()って感じで・・・・・」
(
友松利英子:元東京都公立中学校教師・法政大学中学校副校長、新英語教育研究会で活躍した)

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学級が荒れたとき、子どもたちに授業中、どう対応すればよいか

 私たちのサークルにはクラスを荒らしてしまった教師が何人かいます。そのときのサークルメールを紹介しますと、
「反抗的な子に腹も立つでしょうが、がまんがまん。ぐっとこらえてください。授業できるのなら、よしとしましょう」
「先生は、あわてず、おごらず、他の真面目な子を相手に授業しましょう。嫌味なことを言われるでしょう。やる気をなくすようなことも言うでしょう。でも、ぐっとがまんです」「大事なのは、明るく授業しようと努力することです。毅然としなくたっていいのです。大多数の子は先生の味方です。反抗的な子のために先生が元気を無くしてはいけません」
「どんなに反抗したって、憎まれ口を言ったって、あんたたちのために授業するんだから、という気持ちはついか伝わるのです」
「先生に反抗するというのは、子どもにとって決してプラスに働きません。心の中は、後悔といらだたしさでいっぱいだと思います。したくないのに、している子もいるでしょう」
「反抗的な子どもたちにも、あきらめずに先生はやさしく接してあげてください。嫌われていると思い込んでいるのですから」
「意見がたくさん出る、討論する授業をしたい、なんて考えは捨てることです。活気のある授業なんて甘い夢は捨ててしまえばいいのです。授業できるのですから、まだましです」
「今日も一日、何とか持ちこたえた。土曜日まであと何日、なんとか持ちこたえようと私は自分をはげましたね。大丈夫、サークルに来てね、待っているよ」
 学級が荒れないための予防線は、なんでしょうか。その原則とは
1 たまには発想を変えてみませんか?
 教師がみんなに話をしているときに、しゃべっている子がいました。どうしたらよいでしょうか。例えば「○くん、先生がしゃべりたいんですけど、替わりにこっちへきて、しゃべってくれます?」と、とぼけて聞く。ユーモアで対処するのもよいでしょう。
2 明るい笑顔で教室に入りましょう
 たとえ何か注意することがあったとしても、明るくいかなくてはなりません。はじめから注意せず、三つほめて、一つ注意するくらいの気持ちでいきましょう。
3 いちいち口うるさく言うのをやめませんか
 ボスもやんちゃの子も、悪いことをしたら、少しは反省しているものです。その行為を叱ったら、さっさと授業を始めて忘れることです。悪ぶった態度まで叱ってはいけません。さっと切り上げることが大事です。
4「うまくいかなくて当たり前」と思ったら気持ちも楽になります
 私をからかい、怒らせて面白がる子がいました。そんなときは、むっとしますが、平然とした顔をして無視するのが一番です。こちらが知らん顔だとそれ以上は言えなくなります。
 いやがらせを無視して、授業を進めていると「先生って、ちゃんと勉強教えてくれているよな」という空気が教室に流れます。みんなの視線が、いやがらせしている子に「おまえ、なにばかやってんの?」と向けられます。
 集団を味方につけるためには、カッとならないこと。平然と授業を進め「そんなこと言ったって、あんたのことはわかっているよ。ちょっとかまってもらいたいだけでしょう」そんな態度で接することです。
5「いつのまにか、先生の言うとおりになっている」という状況をつくりましょう
 授業を笑顔で強引に押し進めます。「嫌でもやるんですよ」「大丈夫だから、やるんですよ」「人生長いんだから、嫌なこともやれるようになりましょう」なんて、ひたすら笑顔でかわして、うまく指示します。
 子どもたちの文句はひたすら笑顔でかわし、決めるときはびしっと決め、何事もなかったように授業にもっていくたくましさ。子どもたちは「何でこんなことやっているんだろう」と思いながら知らないうちにやってしまう、といったように。あとは、心に余裕と温かさをもって子どもたちに対します。 
6 叱ったら、きっぱりさっぱり終わりましょう
 
「これにて一件落着」「お説教タイムおしまい」「怒ると疲れるねえ。勉強してパワーアップしよう」なんていかがですか。
 
たとえば「おまえ、豚そっくり」と言って泣かしてしまった、やんちゃくん。自分が悪いと分かっていても、あやまれない。そんなときには
 
「今はみんなの前だからあやまれないだけ。勉強が終わるころにはきっとあやまれるから待ってあげてね」と言って、楽しい、よくわかる授業をする。
 ほめられた、やんちゃくんは気分も直り、あやまるものです。ですから、心して、やんちゃくんをたくさんほめる授業をするのがポイントです。
7 荒れてしまうのもよいではありませんか
 授業がうまくいかなかったら、自分を鍛え直すチャンスです。子どもたちは教師に遠慮しません。楽しい授業は楽しいし、つまらなかったらそれまでです。つまらなかったら、すぐ騒ぎだしてくれます。
 本物の話であれば子どもたちは聞きます。自分たちのためになる話なら、ちゃんと聞きます。反対にちょっとでもごまかしたり、教師の見栄が入ったり、かっこつけた話だと見破られてしまいます。
 毎日が鍛錬です。生活指導なんて役に立ちません。助けてくれるのはよい授業だけです。そう思ったら、荒れてしまうのも悪くないでしょう。
 朝、学校に向かうときに「私のクラスの荒れは必ず治ります。クラスが荒れたのは私に必要だったのだ。必然の結果なのです」と自分に何度もなんども言い聞かせました。
 帰りは「私は負けないよ。くそっ」と。ストレスでつぶれないように、一人になったら言いたいことを叫びましょう。
(
岡 惠子:神奈川県公立小学校教師。TOSS相模原)

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子ども同士のけんかでケガをさせても相手に謝らない保護者に、どのように対応すればよいか

 子ども同士のけんかで、一方の子どもがケガを負わせた。事情を話し、相手の保護者に謝りの電話をするよううながしても、電話も、謝りもしない。どうすればよいか。
 きっとその親にはなにか納得できない理由があるのだ。担任の指導・対処の仕方、ケガをさせた子との過去の関わり。それとも、これまでわが子が不当に扱われてきた不満。子ども同士のけんかはすべて学校の責任で、保護者のあずかりしらぬことと誤解しているのだろうか。納得できないことがあって謝れないのかもしれない。
 学校であった事件なので、なにはともあれ、その日のうちに担任と管理職が一緒にケガをさせられた子どもの家にお見舞いに行くことが必要だ。
 学校として被害者と保護者に監督・指導が行き届かなかったことを即座に校長が丁寧に詫びれば、学校の誠意は親に伝わるはずだ。この初期対応が遅れると「なぜ親が謝りにこないのだ!」などと、問題が広がっていく。
 よくあることだが、学校での話と家に帰ってから親に話したことが食い違っていることがある。加害者の保護者に、まずは、それを確かめる。食い違いがあれば、それを正すだけで、ある程度問題は解決する。事実認識に食い違いがあれば、その親の視点も取り入れて事実の再調査をしてもよい。
 学校での事件でも、傷害事件は加害者の保護者にも責任があり、通常、治療費など負担することが原則であることを説明する。被害者側が警察に届けたり、民事裁判になって費用と時間がかかった事例を紹介する。
 また、事件に発展させると、子どもを傷つけることにもなる。(電話・文書・訪問による)謝罪や弁償が大切であることを説明する。担任が謝罪に同行してもよいと提案する。
 なぜ謝りたくないのか、素直に理由を聞いてみる。親が理由を話し出せば、半ば解決したと言ってよい。
 ケガを負わせたけんかの背景を探ると、本当の被害者は暴力を働いた側であることも多い。暴力を誘発するような周りの子どもたちの言動など、学級集団の在り方を分析し直すチャンスでもある。
 問題があれば、それに対する指導の方針を加害者の保護者にも知らせながら取り組んでいく。担任の姿勢に納得すれば、ケガをさせたことに対して謝るだろう。
 事件をおこしても保護者が反応をしめさないと、子どもは事件の重大さに気づかず、再び同じような事件をおこすかもしれない。しかし、親が謝罪する姿を見れば、子どもなりに「すまない。もう二度としない」と、心に誓うものである。家族のきずなが事件に対する最大の抑止力になる。こうした家族のきずなについても保護者と話し合いたい。
(
佐藤建男:1947年新潟県生まれ、元東京都公立小学校教師、埼玉県で学習塾を経営。科学的「読み」の授業研究会等所属。松長 繁:全国教育文化研究所員)

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子どもに教師が批判されたときの対応と、子どもに嫌われないようにするにはどうすればよいか

 生徒に批判された場合、教師はどう対応すればよいだろうか。例えば「先生だって、自分勝手だ」と生徒に言われたとき、どう対応すればよいか。こう言われて、教師が感情的になって後で遺恨を残した例を私は二、三、見たことがある。いくつかに分けて考えてみたい。
1 日常会話の中で「からかい」として言われた場合
 日常会話で、教師と生徒が冗談を言う。例えば、明石家さんまがゲストを招いて、欠点を指摘し合って、お互いに笑い合う場面を想定すればよい。人によってはこうした行為を問題視する場合もあろうが、私はきわめて正常なコミュニケーションであると考えている。
 教師と生徒との間にこうした応酬があるということは、暗黙のうちに次のような前提が成立していることを意味するからである。
(1)
教師と生徒とが、互いに一人の人間として認め合っている。
(2)
教師と生徒との双方が「ともに楽しむ」時間を共有化しようとする意識をもっている。
(3)
生徒が教師をどこまで茶化してよいか、どこからは目上の人に対して本当に失礼になってしまうか、という線は心得ている。
 中学3年生くらいになると、日常生活でのこうした応酬は、かえって潤滑剤として機能する。生徒とこうした関係を築けている教師の学級は、まず荒れることはない。
 こうした在り方を失礼だと問題視し、堅い雰囲気の中で学級経営をしている教師の方が、生徒との関係を築いていない場合が多い。
 私は、生徒からこうした適度な「からかい」を受けた場合、かえって生徒の成長を、そして生徒と自分との人間関係が円滑に行っていることを感じ取る。
2 生徒が興奮した場合
 興奮状態の生徒が教師に対して暴言を吐くことは、十分にあり得ることである。まだ軽い方であるかもしれない。まずは、必ず複数の教師であたり、興奮をおさめることが先決である。
 こういう興奮状態の生徒に対して、説諭しようとしたり、きつい指導を加えようとすると危険である。まずは、落ち着かせることである。
 具体的には、人のいない、ソファのある部屋(相談室など)に連れて行き、お互いに黙っている時間を共有することである。沈黙状態が続くことで、興奮状態の生徒も次第に落ち着いてくる。
3 生徒が、ものを考えずに行っている場合
 その生徒が幼いがゆえに、あまりものを考えずに言っている場合である。
 この場合には、細かに対話するよりも、大声をあげて圧してしまった方がよい。このタイプの生徒は、教師と生徒との上下関係に対する認識がない場合が多い。つまり、自分が日常会話の中で友だちを批判するのと同じ感覚で教師を批判しているのである。
 まずは、教師が一人の大人として、失礼なことを言ったら、叱られる、ときには怒鳴られることさえある、ということを生徒に体験させてやることが必要である。
4 生徒が冷静に反論してきた場合
 精神的にもある程度成長している生徒が、教師の日常的な対応を冷静に分析した上で、この言葉を言っている場合である。
 この場合の対応の心構えとして必要なことは、相手が子どもだからといって、なめないことである。つまり、言い分けしたり、言葉でごまかそうとしたりしないことだ。
 まずは、教師と生徒の一対一でじっくりと対話できる場所に移動する。(ただし、男性教師と女子生徒の場合は、複数教師でありることもあり得る)
 そのうえで、その生徒が教師のどのような対応を指して「自分勝手だ」と言っているのかを、例をあげて指摘させる。生徒が例を説明している間、一切、口をはさんではいけない。まずは、すべてを吐き出させる。メモをとってもいけない。
 生徒が例をすべてあげたら、次に必要なのは、それらの例の一つ一つの出来事を、本当に起こった客観的な「事実」と、この生徒の「思い込み・解釈」とに分けていくことである。一つ一つ時間をかけて、それぞれに対して生徒が納得しているか否かを確認しながら、分けていく。
 その結果、「事実」として教師に自分勝手な行動があった場合には、非を認め謝罪する。必要があれば、学級全体に謝罪することもあり得る。
 教師が謝罪することは、思いのほか、生徒たちに肯定的に受け取られるものである。多くの場合、わだかまりがほぐれる。
 しかし、他の生徒の個人的な事情によって、教師としてはそのような対応をとらざるを得なかった場合、ということがあり得る。この場合は、プライバシーの侵害にならない程度に、その対応の意図を説明して、理解を求める他はない。
 これができないほどに深刻な事例の場合には、その生徒との関係を修復できないままに学級経営を進めていくしか道はない。他の教師にフォローをお願いしながら、学年体制でこの生徒にあたることになるだろう。
 気をつけなければいけないことは 「この言葉が生徒から発せられたら、こう対応すべき」とマニュアル的に考えるのは危険である。言葉は具体的な場面・状況の中で発せられるものである。発せられた言葉と場面・状況とは、決して切り離して考えることができないからである。
 教師が生徒に面と向かって批判されるようでは、ほとんど教師失格に近い。教師は生徒に嫌われてはいけない。現在は「教える-学ぶ」関係が崩れてきている。生徒に嫌われないということは、すべての教育活動を行ううえで大変重要な前提となっている。
 生徒に嫌われることは、保護者にも嫌われることを意味し、様々な日常指導へのクレームも多くなってしまう。
 生徒に嫌われないためには、教師自身が生徒にどのようなキャラクターとして映っているのか、まずはそれを確認することから教師修業が始まるのである。
 教師のキャラクターを決めるのは、生育歴に基づいた人生観、容貌、体型、声の質といった決定的なことから、表情の豊かさ、明るさ、言葉づかい、バイタリティー、行動力など、の総合力としての「ある種の威厳」の有無。こうしたことを徹底して自己分析することである。
 教師の自己認識と他人への見え方とは、かならずしも一致しないものなのである。そこで必要なのが、自分のキャラクターが生徒や保護者にどのように認識されているのかを分析することである。
 私が生徒の問題行動に対して怒鳴ったとき、どの程度の効果があるのか。それは隣の教師と比べてどうか。など自己キャラを分析し、それに基づいた具体的な指導とその効果を分析し続けることで高まっていくのである。
 例えば教育技術の習得について考えると、名人と呼ばれる実践者の教育技術を追試する前に「己を知ること」が必要である。己を知ってこそ、追及すべき技術か追及すべきでない技術が、自覚的に分けられてくるのである。
 生徒はただ優しく、おもしろい教師を好むものではない。やがてばかにされ、軽視されるようになっていく。また、厳しいだけでもいけない。指導が効かなくなっていく強面教師をよく見る。要は「優しさ」と「厳しさ」とを場面に応じて使い分けられ、しかも、その判断基準に一貫性のある教師、つまり「教師の資質」が問われているのである。
 生徒に嫌われない手だてというものは、いくつもある。それこそ教師のキャラクターによって異なる。キャラクターに合わせた行為を、計算されてなされる技が求められる。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」顧問)

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三学期をどう出発すれば、学級づくりは、有終の美を飾ることができるか

 三学期は学年の終わりである。「終わりよければすべてよし」と言われるように、三学期の結果がよければ「有終の美を飾る」ことができ、この年度は成功したといえる。
 三学期は授業日数も短く、多くのことは望めない。つぎの三つの重点課題をおさえたい。
(1)
四月にたてた目標をにらんで、一年間の学級づくりをまとめる活動をすすめていく
 たとえば「楽しい学級をつくる」という目標をたてたとしたら「楽しかった」という満足感に充ちた活動によって締めくくる。「自主的な学級をつくる」という目標だったら「やったぞ」といえる成功感、成就感を共有できる活動によってまとめ、有終の美を飾るというようにである。三学期に実現できれば、目標達成ということになる。
(2)
学年に求められる学力を定着する
 この学年で教えるべき教科内容を教え、かつ、一人ひとりの子どもに当該学年に求められる学力を定着する授業を進める。進度を消化する授業ではなく、当該学年の基礎学力を身につけるようにする。
 その身につけるべき学習事項については、子どもたちに、たとえば「これだけのことを身につけて進級しよう」と具体的に示し、子どももまた意欲的にとりくむよう励ます。
(3)
四月に新しい学年に進級しても困らない生活能力、自立的な能力を育てる
 たとえば、小学校五年生の教師は「自分のことは自分でできるようにする」として、つぎのような具体例を示していた。
 起こされないでも、自分の力で起きる。勉強しろと言われなくてもやる。学校のしたくは自分でやる。使ったものはかならず元の場所に戻す。自分の部屋の掃除は自分でする。毎日、家の手伝いをする。
 このなかで、まだできてないことはなにかをあげ、年度末までのあいだに、できるようにするという、取り組みである。ただし、子どもの自立は家庭のしつけにかかわることなので、保護者の協力が必要である。「家庭でしっかりしつけてください」と家庭の責任に委ねては、保護者の支持をえることはできない。
 学級PTAで、たとえば「どうしたら、わが子が起こさなくても、自分の力で起きるようになるか」を話し合い、経験を交流するといいだろう。
 なお、三学期にびっくりするような事件が起きることがある。一、二月にその危険性がある。それは突然やってくる。実際はおこらないかも知れない。しかし、心の準備だけはしておくといいだろう。
 たとえば、いじめや万引きが起きるというようにである。けっして落胆して、それまでの意欲がぷつんと切れて「もう知らん」と投げ出して「あと何日」と日数を数えて年度末を待つということのないようにしたい。事件を学級づくりの最後のやま場とみて、いつもと同じように力をつくして取り組むのである。
 学級は一月くらいまでは、だらだらと低成長が続くが、この最後のやま場を越え、二月後半から三月にかけて、ようやく子どもたちが高度成長期に入るのである。
 子どもたちが高度成長期を迎えられるかどうかは、ひとえに、この一月のやま場の処理にかかっている。この覚悟をきめて、三学期を出発するのである。
(家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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教師の遊び指導がうまくなると、教師の力量が上達し授業も学級の指導もうまくなり学級崩壊を防ぐ力になる

 私は「遊ぶことは学ぶこと」だと考えている。遊びそのものが子どもにとって勉強だと。遊びは子どもを発達させ、働く力を育てるからだ。子どもが遊ぶようになるには、教師が子どもたちの先頭に立っていっしよに遊ぶことだ。休み時間はもとより、学級活動の時間や朝や帰りの会を使って遊ぶのだ。
 そのためには、教師も少しばかり遊びの指導に長けなければならない。遊び指導がじょうずになると、教師の力量が育つのである。授業も学級の指導もじょうずになるのである。すなわち、遊びの達人は、授業の達人、学級指導の達人に通ずるということである。
 教師は遊び指導の達人になってほしいと私は願っています。そうなれば、学級崩壊、授業不成立に抗する、有力な実践力を獲得することになる。
 楽しい遊びにするためには、遊びのリーダーは明るく生きいきした表情と明瞭な発声が求められる。そのポイントは
(1)
心に楽しいイメージを描く
(2)
自分のいちばんいい顔をする
(3)
目を大きく見開き、微笑を浮かべながら話す
(4)
息を大きく吸い、大きな声で話す
 いちばん後ろの子どもの額に、教師の声をぶつけるつもりで話す。
(5)
はっきりした発声で、よどみなく話す
(6)
手ぶり、身ぶりを交えて話す
(7)
自信をもって話す
 つまらなさそうな、シラけた、暗い表情で聞いている子の顔を見ながら話すと、だんだんと自信を失ってしまうから、うなずきながらよく聞いてくれる子を見ながら話すとよい。そうすると、自信をもらい、その自信によって生み出されたエネルギーを、今度はシラけている子に降り注いでいくのである。
(8)
ユーモアを交えて場をもりあげる
 ユーモアをこめて話すと、子どもたちはニコッと笑い、遊びの雰囲気が盛り上がる。とっさには、なかなか笑いのネタは出てこない。だから、最初は用意しておくとよい。
(9)
子どもを遊びの世界にのせるには、子どもたちが「へーっ」というような関心と興味を刺激する解説が求められる。
 遊び指導の達人になるには、遊びのわざを学ぶとともに「遊び心をもった教師」にならないと、そのわざを自在に駆使することはできない。遊び心のない教師がいくら巧みに指導しても、子どもたちは心から楽しむことはできないからだ。多少遊びの指導のわざが未熟でも、遊び心さえあれば、子どもたちはおもしろがってついてくる。
 遊び心のある教師とは、どのような教師だろうか。ここでいう「遊び心」の意味とは、「車のハンドルの遊び」のような「ゆとり」のある心である。そういう、遊び心をもった教師になるには、とりあえず、次の5つの視点が求められよう。
(1)
子どもが大好き
 子どもと遊び、子どもとおしゃべりし、いっしょに仕事をするのが大好き。いつまでも、胸に「子ども心」をいだき続けている教師である。「子ども心」とは好奇心やいたずら精神である。子ども好きも「泥だらけになって一緒に遊ぶ」ぐらいでないと。
(2)
いつもなにか楽しいことをしたいと考え、いろいろ工夫して、おもしろくしてしまう教師である。
 子どもたちにとって、学校はますます辛いところになっている。そんななかで、学校生活のほんとうの楽しさをとりもどしたい。そう考えて、遊びをとりあげるなど、さまざまな工夫を凝らし「生きる楽しさ」を教えてくれる教師である。
(3)
あくせくしない。いつもにこにこしていて、一呼吸おいて動きだす。だから暇そうにみえるのか、子どもたちが「先生!」と声をかけ、寄っていきたくなる教師である。
 教師は多忙である。だが、せかせかと目をつりあげ、子どもたちから見て、とりつくしまもないようでは困る。「あっ。先生だ!」と寄っていきたくなるような教師。寄っていってもちゃんと受けとめてくれるような、そういう姿勢の教師でありたい。
(4)
指導を楽しんでいる
 叱らない、怒鳴らない、脅かさないで、なんとか、子どもたちを指導したい。それには、たくさんの選択肢を思い浮かべ、子どもたちの顔を思い浮かべ「今度は、これでやってみるか」という楽しみ方ができる教師になる。
(5)
楽天的な人生観・世界観をもっている
 楽天的とは、私の人生の希望は達せられるという考え方をいう。その逆の悲観的とは、私の人生の希望は達せられないという考え方である。教師は、すべからく楽天的でありたい。
 子どもの未来を信じることだ。もし、その未来に障害があるようなら、教師はその障害を除去することに努めなくてはならない。
(6)
子どもは失敗しながら育つと考えている
(7)
くよくよしない
(8)
長い目で子どもを見る
 教育を大きな視野のなかでとらえる。そういう態度が、教師の「遊び心」をつくっている。遊び心のある教師は、授業や学級の指導にも、ゆとりをもって臨むことができる、指導も成立するようになる。それは「遊び心」が教師の人格的力量へ昇華するからだ。
 なぜなら、子どもたちは、その教師から「生きる楽しさ」という恩恵を受けとることで、その教師を好きになり、信頼するようになるからだ。
 遊び指導の達人となって、子どもたちの楽しい学校生活の創造にとりくんでほしい。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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保護者からクレームの電話があったとき、どう対応し、校長(教頭)にどのように報告すればよいか

 保護者から担任にクレームの電話が入ることがあります。電話は、顔を合わすことなく話が進んでいくことが特徴です。したがって、言葉が粗くなったり、話が感情的になったりすることもあります。
 もともとクレームの電話は、腹にすえかねることがあってのことです。もし、クレームの電話が入ったら、穏やかな態度で保護者の言い分を、まず聞きとりましょう。保護者が何を言いたいのか、どんな主張をしているか、きちんと聞きとります。
 相手のペースに巻き込まれ、こちらも感情的になってしまえば、まとまる話もまとまりません。相手が誤解しているなら、それを解かねばなりません。また、相手の言い分がもっともであるなら、それを受け入れなければならないでしょう。
 そうした、さわやかさが、教師には必要です。また、電話で話し合うか、面談した方が問題を解決するかは、慎重に判断したいところです。
 
「おっしゃることはわかりました。当方の考えもあるので・・・・・」と、ひとまず静かに電話を切ったらいかがでしょう。電話の論争で混線状態を起こすと、話はまことに面倒になるでしょう。
 保護者からのクレームにどう対応するかについては、教師は自分一人で判断しないことです。まず、クレームの電話のあったことについて、校長(教頭)に報告します。これは直ちに行うのです。
 嫌な話ほど、早く報告しなければなりません。早く対応すれば解決することも、時間の経過とともに解決困難となります。話がこじれてしまうからです。
 さて、報告は要点をおさえ要領よく、次のような内容で行います。
(1)
クレームを申し立てられる、発端はどんなことであったか。
(2)
クレームの内容は、主としてどのようなことであったか。
(3)
担任(学校)に対して、どのようなことを要望(要求)しているか。
(4)
保護者に対して、電話でどう対応して、いかなる回答しているか。
(5)
特に気にかかる点は何か。
 クレームを言われる発端については、事実を率直に報告しましょう。事実を隠した報告をすれば、校長(教頭)が誤った判断を下してしまうこともあるでしょう。そうなると、問題解決がなお面倒なことになるかもしれません。
 校長(教頭)の指示を受けて、どう対応するかが決まったら、話し方に気をつけ、言葉を選んで保護者と話し合うことになります。
 電話のやりとりより、会って話せば気持ちが通じ合うこともあるでしょう。担任が出向くか、保護者の来校を求めるかについては、クレームの内容によるでしょう。これも、校長(教頭)と相談したいことです。
 用件によっては、校長、教頭、学年主任のいずれかに立ち会ってもらう方がよさそうです。
(
飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県浦安市立小学校校長を経て、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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保護者からのクレームに対応するときに若い教師が心がけてほしいこと

 保護者からのクレームがあれば「相手の意図することは何か」について、何度も話し合うことが必要である。その上で学校として「出来ること」「出来ないこと」を保護者が理解するように努力する心がけが大切である。
 なぜなら、その話し合いの中から解決の糸口が見つかるケースが多いからだ。また、学校内での体制として、ふだんからケースごとの危機管理対策を話し合い、教師相互の共通理解をはかることも大切だ。
 特に若い教師に心がけて欲しいのは「教師は、保護者、子ども、地域から常に教えられ、共に成長していくのだ」ということ。これは優秀なベテラン教師がよく口に言葉だ。つまり、周囲の人々が自分を共に支えてくれることに感謝する気持ちを持ってほしい。
 こういう意識を持っていることが後の教師人生を左右する。優秀なベテラン教師は常に謙虚だ。このような教師の授業を見学すると、子どもがいきいきしているのがわかる。
 また、自分が未熟で授業がうまくいかなかったり、生徒指導が思うようにいかない事など悩むのは当然だ。悩みながら成長していく過程のトレーニングだと思えばよい。引っ込んでいてはダメだ。
 同僚や子どもたちと、よく話をすることが大切であり「習うより、慣れろ」の心がけが必要である。そのうえで切磋琢磨でき、お互いを高め合うライバルを見つけてほしい。
 保護者や地域との関わり合いは、第一印象が大切であり、そのためには礼を尽くすことが重要である。「礼に始まり、礼に終わる」と日本武道やスポーツ一般は、相手を思いやる気持ちを心がけているが、クレーム対応でも礼節をわきまえ、最後に握手ができるような関係性を構築してほしい。
 保護者からのクレームは保護者に鍛えられていると考えればよい。若い教師は揉まれながら大きくなっていくものなので、時間を惜しまずチャレンジして欲しい。
 そして、人を思いやる基本は人権意識を持つことである。「子どもを物のように見ていないか」「人を無視していないか」など、常に自分に問いかけながら教師人生を歩んでほしい。人を大事にして欲しい。
(
澤海富保:東京都公立高等学校退職校長会 事務局長)

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学級崩壊を回復させる教師の、心がまえ、考え方、技術とは

 今の子どもたちは、友だちを広げたり、仲間で一緒に活動しようとする意欲や技術が乏しい。今、学級は、子どもたちに集団体験をさせることが必要です。集団を体験するとつぎのことが学べます。
(1)
友だちとのつきあい方
(2)
集団生活のルール
(3)
現実判断能力
(4)
がまんすること
(5)
仲間と心のふれあう喜びを体験し、人生に前向きになる
(6)
自分を確立する
(7)
正義感や良心などの道徳心
集団体験が子どもたち一人ひとりの心を育てます。 
 子どもたちは、教師に言われるままに、考えたり行動したりしません。その必要性に気づいて、初めてやってみるのです。
 ですから学級経営も、教師が上から統率するのではなく、子どもといい関係を保ちつつ、子ども同士の人間関係づくりを援助することから始めます。
 これからは、教師子どもたちの中に入り、中からまとめることが必要です。中に入るとは、教師という役割以前に、一人の人間として子どもの前に立ついうことです。
 教師が自分のもつ土俵で自分らしく子どもとかかわっていくことは、豊かな教育につながるのだと思います。一人ひとりの教師が自分に合った理論や方法を、例えば「子どもたちが一つでも多くのことを学び、楽しく充実した体験をより多くできるように」「子どもたちが、今よりベターな方向に向かうように」といったようにです。
 比べるのは他の学級ではなく、昨日までの学級です。神でない人間は、ベストをめざすのではなく、マイ・ベストをめざせばいいのです。
 今の子どもたちは、教師が自分の想いや教育方針をわかりやすく伝え、納得させることができなければ、ついてきません。子どもたちへの愛は伝わらなくては意味がない。伝えるには努力と伝える「すべ」が必要なのです。
 学級崩壊は、まず学級の中の「人間関係」(教師と子ども、子ども同士など、ふれあいのある人間関係)、「学級のルール」(共同で生活するうえでのトラブルを防ぐマナー)のどちらかが壊れ、最後には両方が崩れて起こります。
 学級のルールは、子どもたちがそのルールの必要性を感じること、守るのに抵抗が少ないことが大切です。ちょっとしたマニュアルのように、ほかの人とかかわるとき、このくらいのルールがあれば楽だと思える程度のものです。
 学級回復は、この両者を学級の状態に合わせて計画的に修復していくことです。
 学級は教師の指導と子どもたちが影響しあって変化します。学級の様子がおかしいなと感じたら、まず学級経営の方針や対応の仕方を検討し、修正してみます。教師が変わると、子どもたちも変わってくるからです。
 対応を修正するには、教師がまず、自分は指導的なタイプ(目標に全員が定着することを重視する)か、援助的なタイプ(あたたかな人間関係づくりを重視する)かを知り、その比率を検討します。そして、話し方、指示の出し方、注意の仕方などを修正します。
 子どもは多数に流れます。少数派になるのが怖いのです。悪いことでも過半数になるとその集団に同調します。たいていの学級は、まじめな子が三割、集団をかき乱す子が一割、残りが様子見です。
 学級生活をのびのびと送り、満足している子どもを過半数にできれば、様子見の子どもはついてきます。あとは、わずかな援助で学級が回復します。
 学級崩壊に立ち向かう教師の心がまえと考え方、技術とは
(1)
子どもたちと教師がいい関係
(2)
教師が自分の土俵で自分らしくかかわる
(3)
教師自身がマイ・ベストで
(4)
学級に人間関係とルールを確立させる
(5)
教師が学級経営方針を点検する
(6)
教師の指導的側面と援助的側面を統合する
(7)
子どもたちは多い方につく集団心理を熟知する
(8)
集団体験が一人ひとりの心を育てる
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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