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子どもに教師が批判されたときの対応と、子どもに嫌われないようにするにはどうすればよいか

 生徒に批判された場合、教師はどう対応すればよいだろうか。例えば「先生だって、自分勝手だ」と生徒に言われたとき、どう対応すればよいか。こう言われて、教師が感情的になって後で遺恨を残した例を私は二、三、見たことがある。いくつかに分けて考えてみたい。
1 日常会話の中で「からかい」として言われた場合
 日常会話で、教師と生徒が冗談を言う。例えば、明石家さんまがゲストを招いて、欠点を指摘し合って、お互いに笑い合う場面を想定すればよい。人によってはこうした行為を問題視する場合もあろうが、私はきわめて正常なコミュニケーションであると考えている。
 教師と生徒との間にこうした応酬があるということは、暗黙のうちに次のような前提が成立していることを意味するからである。
(1)
教師と生徒とが、互いに一人の人間として認め合っている。
(2)
教師と生徒との双方が「ともに楽しむ」時間を共有化しようとする意識をもっている。
(3)
生徒が教師をどこまで茶化してよいか、どこからは目上の人に対して本当に失礼になってしまうか、という線は心得ている。
 中学3年生くらいになると、日常生活でのこうした応酬は、かえって潤滑剤として機能する。生徒とこうした関係を築けている教師の学級は、まず荒れることはない。
 こうした在り方を失礼だと問題視し、堅い雰囲気の中で学級経営をしている教師の方が、生徒との関係を築いていない場合が多い。
 私は、生徒からこうした適度な「からかい」を受けた場合、かえって生徒の成長を、そして生徒と自分との人間関係が円滑に行っていることを感じ取る。
2 生徒が興奮した場合
 興奮状態の生徒が教師に対して暴言を吐くことは、十分にあり得ることである。まだ軽い方であるかもしれない。まずは、必ず複数の教師であたり、興奮をおさめることが先決である。
 こういう興奮状態の生徒に対して、説諭しようとしたり、きつい指導を加えようとすると危険である。まずは、落ち着かせることである。
 具体的には、人のいない、ソファのある部屋(相談室など)に連れて行き、お互いに黙っている時間を共有することである。沈黙状態が続くことで、興奮状態の生徒も次第に落ち着いてくる。
3 生徒が、ものを考えずに行っている場合
 その生徒が幼いがゆえに、あまりものを考えずに言っている場合である。
 この場合には、細かに対話するよりも、大声をあげて圧してしまった方がよい。このタイプの生徒は、教師と生徒との上下関係に対する認識がない場合が多い。つまり、自分が日常会話の中で友だちを批判するのと同じ感覚で教師を批判しているのである。
 まずは、教師が一人の大人として、失礼なことを言ったら、叱られる、ときには怒鳴られることさえある、ということを生徒に体験させてやることが必要である。
4 生徒が冷静に反論してきた場合
 精神的にもある程度成長している生徒が、教師の日常的な対応を冷静に分析した上で、この言葉を言っている場合である。
 この場合の対応の心構えとして必要なことは、相手が子どもだからといって、なめないことである。つまり、言い分けしたり、言葉でごまかそうとしたりしないことだ。
 まずは、教師と生徒の一対一でじっくりと対話できる場所に移動する。(ただし、男性教師と女子生徒の場合は、複数教師でありることもあり得る)
 そのうえで、その生徒が教師のどのような対応を指して「自分勝手だ」と言っているのかを、例をあげて指摘させる。生徒が例を説明している間、一切、口をはさんではいけない。まずは、すべてを吐き出させる。メモをとってもいけない。
 生徒が例をすべてあげたら、次に必要なのは、それらの例の一つ一つの出来事を、本当に起こった客観的な「事実」と、この生徒の「思い込み・解釈」とに分けていくことである。一つ一つ時間をかけて、それぞれに対して生徒が納得しているか否かを確認しながら、分けていく。
 その結果、「事実」として教師に自分勝手な行動があった場合には、非を認め謝罪する。必要があれば、学級全体に謝罪することもあり得る。
 教師が謝罪することは、思いのほか、生徒たちに肯定的に受け取られるものである。多くの場合、わだかまりがほぐれる。
 しかし、他の生徒の個人的な事情によって、教師としてはそのような対応をとらざるを得なかった場合、ということがあり得る。この場合は、プライバシーの侵害にならない程度に、その対応の意図を説明して、理解を求める他はない。
 これができないほどに深刻な事例の場合には、その生徒との関係を修復できないままに学級経営を進めていくしか道はない。他の教師にフォローをお願いしながら、学年体制でこの生徒にあたることになるだろう。
 気をつけなければいけないことは 「この言葉が生徒から発せられたら、こう対応すべき」とマニュアル的に考えるのは危険である。言葉は具体的な場面・状況の中で発せられるものである。発せられた言葉と場面・状況とは、決して切り離して考えることができないからである。
 教師が生徒に面と向かって批判されるようでは、ほとんど教師失格に近い。教師は生徒に嫌われてはいけない。現在は「教える-学ぶ」関係が崩れてきている。生徒に嫌われないということは、すべての教育活動を行ううえで大変重要な前提となっている。
 生徒に嫌われることは、保護者にも嫌われることを意味し、様々な日常指導へのクレームも多くなってしまう。
 生徒に嫌われないためには、教師自身が生徒にどのようなキャラクターとして映っているのか、まずはそれを確認することから教師修業が始まるのである。
 教師のキャラクターを決めるのは、生育歴に基づいた人生観、容貌、体型、声の質といった決定的なことから、表情の豊かさ、明るさ、言葉づかい、バイタリティー、行動力など、の総合力としての「ある種の威厳」の有無。こうしたことを徹底して自己分析することである。
 教師の自己認識と他人への見え方とは、かならずしも一致しないものなのである。そこで必要なのが、自分のキャラクターが生徒や保護者にどのように認識されているのかを分析することである。
 私が生徒の問題行動に対して怒鳴ったとき、どの程度の効果があるのか。それは隣の教師と比べてどうか。など自己キャラを分析し、それに基づいた具体的な指導とその効果を分析し続けることで高まっていくのである。
 例えば教育技術の習得について考えると、名人と呼ばれる実践者の教育技術を追試する前に「己を知ること」が必要である。己を知ってこそ、追及すべき技術か追及すべきでない技術が、自覚的に分けられてくるのである。
 生徒はただ優しく、おもしろい教師を好むものではない。やがてばかにされ、軽視されるようになっていく。また、厳しいだけでもいけない。指導が効かなくなっていく強面教師をよく見る。要は「優しさ」と「厳しさ」とを場面に応じて使い分けられ、しかも、その判断基準に一貫性のある教師、つまり「教師の資質」が問われているのである。
 生徒に嫌われない手だてというものは、いくつもある。それこそ教師のキャラクターによって異なる。キャラクターに合わせた行為を、計算されてなされる技が求められる。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」を設立、道内の民間教育団体でつくる「教師力ブラッシュアップセミナー」顧問)

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