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教師のように、本当に感動して泣ける仕事なんて、そうあるもんじゃない

 私たち教師の仕事は、利潤の追求とまったく関係のないところにある。儲けは考えず、生徒の利益が最優先。究極のサービス業である。
 生徒に「わかった!」「できた!」と言ってもらうためならば、寝る間も惜しんであれこれ工夫する。手を替え品をかえ、ヨイショしてみたりもする。一方、ときには人間としての成長も厳しく要求する。
 その中で「どうして通じないの?」と、絶望的な気持ちになったり、自分自身の無力感に押しつぶされそうになったり、あるいは空回りをしているような惨めな気持ちになることだって、往々にしてある。
 しかし、そこでサービスをやめてはいけない。なぜか、それは私たちがいろいろな場面で喜びや感動を少しずつ分けてもらうことで、十分成り立つ商売だからである。
 非行の嵐を乗り越えてきた先輩教師が言っていた。「手のかかった子どもたちの卒業式ほど、泣けちゃうのよね。で、その感動があるから、また次も頑張れるわけ」と。
 ましてや「教える、教わる」「叱る、叱られる」という関係を超越し、人間としてお互いに共感し合えるものを見出すことができれば、それは「教師になってよかった」とか「先生に出あえてよかった」なんていう次元のものではなく、まさに、お互いにとって、本来の意味での「生きる力」に繋がってゆくのではないだろうか。
 私は新採の東京都の中学英語教師となり、大きな挫折感を味わった。私を待ちうけていたのは「大変な学校」で、授業サボタージュ、授業妨害、罵倒、暴力、いやがらせなど、一通りの洗礼は受けた。
 よく同期の教師と連れだってトイレで泣いたものだ。転職情報誌も頻繁に買って読んだ。しかし、それはすべて「こんなはずではなかった」「学校って、こんなところではないはずだ」という、自分の価値観の防衛に由来するものだった。と、今になって思う。
 そっぽを向いてやりたい放題の生徒に「好かれよう」としていた私が、彼らを「好きになることの方がずっと大切だ」と気づいたとたん、気持ちが楽になった。
 
「この仕事はおもしろい」と、自分の仕事への魅力と愛着を感じることがないままに、慌てて辞めてしまわなくって、本当によかったと思っている。
 私を支えてくれた教師集団と、私を育ててくれた生徒とその保護者たちには、いくら感謝しても足りない。現時点で言えることは「いま、この仕事はおもしろい」ということだけである。
 卒業する生徒が最後の授業で書いてくれるメッセージや、封書で渡してくれるような手紙は、私にとってはとても大切な宝物である。たとえば
「先生と別れるのはとてもつらいです。この二年間で私は先生からすごくたくさんのことを教わりました。英語のことだけじゃなくて、これから生きていく上で大切な、本当にいろいろなこと。先生の言った言葉は、いつも共感するっていうか、自分を変えなきゃって思わせるような心に残る言葉でした。困ったときはいつも助けてくれて、いつでも明るくって、すごいなあって思います。私は先生が大好きだし、尊敬しています。なんか人生をムダなくフルに生きこなしてる()って感じで・・・・・」
(
友松利英子:元東京都公立中学校教師・法政大学中学校副校長、新英語教育研究会で活躍した)

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