指導者は説得力がなければいけない、どうすればよいか
指導者として何かをなしていくにあたっては、人を動かすというこということが当然起こってくる。その場合、自分の考えに共鳴し納得してもらうことがどうしても必要であろう。
指導者は、みずから信じ、思うことを人びとにたえず訴えなくてはいけない。同時に、そのことを率先実践することが大事であろう。身をもって模範を示すという気概のない指導者には、人びとは決して心からは従わないと思う。
同じことを訴えるにしても、説き方、訴え方が大切で、説得力というものが必要になってくる。
だから、根底に何が正しいかということに基づく信念を持ちつつも、時、場所、相手を考え、情理を尽くした十分な配慮というものがあって、はじめてその主張、訴えが説得力を持ってくるのだと思う。
そのような説得力を持ち得ない人は、指導者として人の上に立ち、人を動かしていくことはできにくいといえるだろう。
そのためには、根本に正しい理念、方針をもたなくてはならない。そういうものなくして、真に人を動かすことはむずかしいと思う。けれども、正しい主張であれば、人は何でも受け入れ、共感してくれるかというと、必ずしもそうではない。
それを強引に相手に押しつけようとすれば、反発を招くこともある。自分の意図どおりに行ってもらうには、受ける側にそれを行おうという強い気持ちを起こさせることによってはじめて、生きてくるものである。
そのためには、命令するよりも、相談するような感じで、相手の納得を得つつ自分の意図することを遂行してもらうほうがうまくいく場合が多い。命令に従うというより、自主性をもって行うようになるからである。
しかし、相手が自分を軽んじているような場合は、なまじ相談的にやったのでは、ますます軽んじられてしまう。だから、何かみんなが認めるような権威を背景に、自らを権威づけしつつ、相手に行うことを自覚させていくとよい。
説得力を生む一つの大きな要素は、その相手、相手にふさわしい説き方をする。いわゆる人を見て法を説くということであろう。だれかれかまわず同じことを言っていたのでは、決してうまくいくものではない。
人により相手によって、大義を説き、あるいは利を説き、時に情に訴え、時に理に訴えるというように、適切に説いていくことが大切である。
ただ、相手により説き方を変えるには、やはりそれだけの知識なり体験を持っていなくてはならない。だから、指導者はつねづね、いろいろと経験を積み、知識を養い高めていくことがきわめて大切だと思う。
また、過去の考え方、やり方にとらわれることなく、日々に新たな観点に立ってものを考え、ことをなしていくよう心がけなくてはならないだろう。
他の人のやり方の通りにやったらうまくいくかというとそうではない。むしろ失敗する場合が多いと思う。いろいろな意味で持ち味のちがう別の人がやってもうまくいかないものである。
だから、他の人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせて生かすことが大事なのである。
人にはみんなそれぞれちがった持ち味がある。一人として全く同じということはない。だから、それぞれがその持ち味を生かした指導者としてのあり方を生み出していかなくてはいけない。
指導者にとって、きわめて望ましいことは、人をひきつける魅力を持つことだと思う。「この人のためには・・・・・」と感じさせるような魅力があれば、その下で懸命に働くということにもなろう。
そうした魅力的な人柄というものはある程度、先天的な面もあって、だれもが身につけることはむつかしいかもしれない。しかし、人を大事にするとかいったことも、努力次第で一つの魅力ともなろう。
いずれにしても指導者は「ひきつける魅力」の大切さを知り、そういうものを養い高めていくことが望ましいと思う。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)
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