新任で一番大変な学級の担任になり、崩壊の日々からどのようにして生還したか
私自身、体がとても大きい。子どもが大好きで、大学四年の二月に産休補助講師として入ったクラスでも、子どもたちと仲良く楽しくやれた。
大学を卒業してすぐに学校で一番大変なクラスと言われている小学校三年の担任になった。子どもたちが探りを入れた結果、「この先生ならいける」と、子どもたちは思ったのであろう。
一番やんちゃなAくんは、私の話の途中で口をはさむようになる。私が注意をしても、聞こうとしない。逆に「うるさいな。いちいち注意するなよ」と、いうようなふてくされた態度をとる。
見かねた子が「静かにしいや」と、注意したが「うるさいんじゃ」と罵声を浴びせた。でも、私は何もできなかった。「あ~、情けない」という雰囲気が子どもたちの間に流れた。
学級の状態は、授業中のおしゃべり、私に対する暴言、批判。子どもたちのいじわる、いたずら、暴力がおき、教室から飛び出していく子もいる。
女子たちは勝気な子が大勢いた。「この先生あかんわ」という雰囲気が子どものなかに蔓延していった。小さな町の小学校のことである。担任の様子は保護者の間にさっと広まる。
五月の授業参観は悲惨であった。親が見ているにもかかわらず、私に向かって「デカ」「あほ」などと叫ぶ。親の前で叱るのもどうかと思い、そのままにしておく。授業のほうもうまくいくはずがなかった。
参観後の懇談会では「先生のことをバカにしている」「まったくなめきっている」「もっとしっかりしてもらわないと」と、つるしあげの状態だった。管理職に抗議している親もいた。
つらかった。本当につらかった。休み時間は職員室に逃げ込んだ。「死んだら、楽になれるな」と思ったこともあった。
新任研修に出かける日は、ホッとできた。よき先輩のアドバイスを受けながら、少しずつ自分を変えていった。
「教師は統率者である」と言われる。当時の私は「統率者」という言葉さえも知らなかった。
ある日、Aくんに厳しく注意すると、教室から飛び出していった。「途中で事故にでもあったらどうしよう」と、私はもう全身の力が抜けてしまった。
そんな私に、ある先輩が「きみは、子どもに振り回されている。子どもを振り回すぐらいでないとダメだ」と言われた。そう言われたことで「私自身がクラス一のガキ大将になってやろう」と決意した。
私はガキ大将ならだれにも負けない。小さい頃から、やんちゃ坊主の頭だった。
「先生の言っていることが正しいんだ。このクラスのルールなんだ」という気構えで、子どもたちと勝負していった。
少々反抗されても「何を言っているんだ。オマエたちの言っていることは筋が通らない。俺の言っていることのほうが絶対に正しいんだ」と思えるようになってきた。
今から考えると「何て無茶なことを」と思ってしまう。でも、こういう構えを持つことによって「このクラスを創っていくのは俺なんだ」という自覚を持てるようになった。
もちろん、これだけではない。「ガキ大将」として、子どもとしっかり遊ぶようにした。Aくんも私と遊ぶようになった。
子どもたちにも、私の指示、考えが、受け入れられるようになった。統率者としての自覚。そして、自分の得意なチャンネルでの勝負がとても大切なことであったと思う。
当時の私には、子どもたちや保護者と強いパイプを作ることは無理だった。そこで、家庭訪問を頻繁に繰り返した。特に「クラスを引っかき回す中心人物、この子ならクラスを立て直す手助けをしてくれるだろう、俺の気持ちをわかってくれるだろう」と思える子どもの家には、しょっちゅう行かせてもらった。
言いにくいことでも、しっかり伝えておかなければならないこともある。そのためには、話を受け入れてもらうのに、教師と保護者はいい関係でなければならない。
そこで、問題を起こす子の家には、その子のがんばったこと、伸びたこと、友だちへの優しさなど、ほんの些細なことでも、ほめるみやげとして、子どもたちの家に足を運んだ。
勉強が得意でない子には、夜遅くまで一緒に勉強した。家庭訪問のはしごをしたときもよくあった。
子どもにとって、家に来てもらって、ほめられたり、一緒に勉強することは、とてもうれしいことらしく、次の日、学校で自慢する子がたくさんいた。私は「教師は刑事と一緒で、足で稼ぐんだ」と真剣に思っていた。
「クラスがこんなふうに良くなっているのですよ」と、いうことをクラス全体の保護者に知ってもらいたい。そんな思いで学級通信をたくさん出すことにした。楽しいこと、ほめたいこと、成長したことを掲載した。
そして何よりも楽しい授業を作ろうと心がけた。跳び箱の本を読んで試してみた。クラスの泣き虫の女の子が初めて跳び箱を跳べた。本人も、周りの子も見る目が変わった。そして何よりも、子どもたちの私を見る目が変わった。
このような実践で、自分で荒らしたクラスを、自分で立て直すことができた。三学期になると、毎日が楽しかった。持ち上がりできなく、悲しくて涙がこみ上げてきた。
(辻 弘一:京都府公立小学校教師、優秀教職員表彰、教頭を経て宇治市教育委員会総括指導主事)
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