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荒れる子どもをどう理解し指導すればよいか

 「学校に行きたくない。もう辞めたい」と私は思った。暴力や破壊が繰り返され、昼食も食べずに走りまわって生徒に対応しても、荒れが繰り返される中で、砂をかむような気分になって憔悴しきったのです。
 そうした中で、いくら働きかけても「悪いこと」を繰り返し、何の反省もしていないように見える生徒を前にすると「あいつはどうしようもない」と指導を放棄したくなります。
 子どもたちをどんな視点で見ていけばよいか。子どもたちが寄せる教師への信頼とはなにか。
 荒れる生徒の問題の根は多くの他の生徒と深くつながっており、その問題を見える形で突き出しているのだ。私たち教師は
「子どもたちが抱かえる課題や心の揺れを見なくてはいけない」
「どの子も伸びようとしている。賢くなろうと思っている。でも、荒れている子は、なかなかそれがうまくいかないし、うまく表現できないのだ」
 このことは、子どもたち人間を丸ごと理解するうえでの原点だと思う。そのことなしには、子どもたちと教師の共感はあり得ないだろうと思う。
 家庭訪問の量は生徒指導の質を変える。それは学校の中だけで生徒を見るのではなく、生活の場で生徒を見るということです。生徒の気分や感情が生まれるところをつかもうとすることです。鬱屈とした気分や冷たく醒めた生活感情に浸ってくようになるのが理解できるようになります。
 それを知ったうえで、その生徒の判断のあり方やまわりへの関わり方を注目して、働きかけねばなりません。
 事例研究して、一人ひとりの生徒の具体的な様子や言動を教師集団が検討して、その生徒の理解を深め、生徒への働きかけの質を変えていくようにしました。
 例えば、暴力事件が起きたとき、事実を具体的につかむ。そこにとどまらずに、なぜ暴力を振るうのかを生活の中から考えてみる。どのように働きかけたか、それに対する反応はどうだったかと。
 このように教師としての経験の共有が意識的にはかられることで、教師の生徒への対応に変化が生まれます。
 その生徒の内面の葛藤に目が向き、その模索に付きあい、その生徒のペースで伴走し、対話する指導力の形成をはかっていきます。
 荒れる生徒に感じられるのは人間不信です。生活史の中で何回も裏切られてきたのでしょう。安心して甘えた経験が少ないのではないか。そうであれば、あらゆる働きかけを通して、人間信頼を回復させねばなりません。
 荒れた生徒を「甘えさせる」といった、ふくらみを持った生徒対応を教師が見せると、生徒たちは敏感に察知して、攻撃性に変化が生まれ、いっしょにはしゃいだり、ふざけたりできるようになりました。人間的な感情の交流が指導を成り立たせることになるのではないでしょうか。
 荒れる生徒の言動に「現在の自分を取りまく状態に満足できない」というメッセージがあります。荒れるのは「いかに生きるか」という問いの未熟な表現だと思うのです。
 
「自分はどうしたらいいのか」「どう生きるのか」の問いがうまくいかないと、暴発するエネルギーが攻撃的な形で噴出してくるように見えます。 
 一人ひとりの生徒が暮らしの中でさまざまに葛藤し、多様な感じ方をしていることを把握できることは、特定の子どもの全体像に接近することになります。
 
子どもの実感から出発して、その子の問題に迫る学習を創りだすことは、生活指導の課題だけでなく、教科指導をもつらぬいて現代の学校の中心的な課題だと思います。
(
福井雅英:1948年滋賀県生まれ、滋賀県公立小学校・中学校教師31年、「教育困難校」に長く勤務し荒れと向きあい学校再建に取り組む。北海道教育大学教授、北海道文教大学教授を経て滋賀県立大学特任教授)

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