崩壊した学級を担任して自信を失ったが、外部研修で考え方が変わり改善していった
教師になって十年目、私は三度目の六年生担任となった。荒れている問題のクラスだった。自分の力でよいクラスにしてみせるという自負があった。
「悪い子」という先入観さえ持たなければ、子どもたちと心が通じ合えるはずだと、わりと軽い気持ちで教室に入っていった。
しかし、私の安易な予想はみごとにくつがえされた。これほど教師を無視する子どもたちに出会ったことはなかった。私が教室に入っていって前に立っても、子どもたちは自分の席につかない。授業を始めても、子どもたちはしゃべりまくっている。10分でも20分でもしゃべり続けるのだ。
私はあせった。しかし子どもたちは変わらない。これまでの経験から「詩」の授業なら集中すると思って、黒板に私の好きな詩を書き、発問してみたが、今度は全員黙りこんでしまう。こうしたシラけた授業が何日も続いていく。私は次第に、自分の指導力に自信を失っていった。
子どもは自然の中で遊ぶのが好きだ。私が散歩に行こうと誘うと「めんどくさい」と言うのだ。それでも強引に連れ出すと、ノロノロついてくる。そのうち男子の数人はずっと遅れて、ほかの所へ行ってしまった。
私は事態を冷静に受けとめることができなかった。私をばかにする行為と映り、腹を立てて叱った。
もう一つ、びっくりしたことがある。A男がみんなから徹底的に嫌われていることだった。休み時間は一人きりで、廊下をうろうろしている。まわりの子はくさいとA男の机から自分の机を遠ざけていた。
このような子どもたちを受け入れられずに、私は職員室で元気をなくし、教室ではイライラしていた。「担任が替わっても、全然子どもは変わらないね」という声が聞こえてきた。
私は、あせって子どもを変えようとし、変わらない子どもたちを見て、またあせり、悪循環にはまりこんでしまった。
四月、五月ころは、掃除をサボっていれば怒鳴り、大きい声で歌えと怒鳴っていた。授業で私と目が合うと聞いていないふりをする子、友だちになにか言われるのを気にして私をさける子もいる。
そこで私は子どもたちに話した。
「みんな、自分をごまかしていたら、つまらないよ。自分が生きたことにならないよ。お墓に入るとき、さびしいよね。みんな、目立ちたがりになろうよ。先生は大学生のとき教授に怒られた。君はだれの人生を生きてるんだ!ってね」
といった経験談を話した。この話のあと、ボスのB男が運動会の応援団に立候補した。
A男に対するいじめだけは許せない。どんなことがあってもやめさせたいと私は思った。私はまず、できるだけA男と話をする機会を多くし、よく話をした。掲示物をはがす手伝いをしてもらったりした。その様子を子どもたちは見ていたのである。
私がクラスの子どもたちを徹底的に叱ったのは、五月の運動会の組み体操の練習していた時である。A男と二人組を組むことになったC男が練習中、A男のおなかを思いきりひじで突いたのである。
私はかけつけて、思わずC男の胸ぐらをつかんだ。この出来事のあと、私は教室でみんなに話した。
「今日から、A男をバカにし、いじめる子がいたら絶対許さない。A男、イジメられたら、すぐ先生に言いなさい。私は言いつけは嫌いだけど、だれも味方がいないんだから」
この日からあからさまな暴力はなくなった。
ある日、くじで席替えをした。私はみんなに話かけた。
「さっきC男がA男の席の近くになりそうだったので『あぶねぇ』と言った。私はそのC男の言葉はどうしても許せない。C男は自分がA男より強いと思っているかもしれない。でも本当にそうだろうか」
「A男は、これだけ毎日みんなにいじめられても泣かない。一日も休まない。がまんしている。これは、ものすごい強さじゃないか。このA男の強さが、みんなにわかっているだろうか」
子どもたちは、みんなシーンとして話を聞いてくれた。
私は放課後、ボール使って子どもたちと遊ぶことにした。A男もみんなと遊ぶようになった。
二学期が始まった。クラスの雰囲気も明るくなってきた。しかし、何度叱っても、どんな話をしても、子どもたちのイタズラやシラケがなおらないのだ。楽しいゲームを考えても、子どもたちはダラダラつきあうだけなのだ。
私は疲れてきた。教室に行くのがおっくうになった。教師になって初めてやめたいと思った。そんな悩みをかかえたまま、ある日、セルフ・カウンセリング学会で渡辺先生の話を聞いて、やっと、次のことがわかった。
私は四月から、私の「言葉、行動、態度」すべてが、子どもたちを変えなければという動機から生まれていたのだった。私のこだわりが、子どもたちの心を閉ざしていたのである。これがいけなかったのだ。
このことがわかったとき、こだわりがなくなり、あせりがだんだんとれていった。落ち着いて、自分のなすべきことを見つけていこうと思った。子どもたちがどう対応しようが、私は明るく声をかけようと思った。
私がそういう気持ちで「おはようございます」と声をかけると、子どもたちから、とても元気な返事が返ってきたのである。私に「さよなら」と声をかけて帰る子も増えてきた。もちろん私の返事の声もはずんでいる。私は毎日のあいさつが楽しくなってきた。
A男をいじめていたC男を、私は好きになれなかった。ところが、私がよいクラスにしようとあせらなくなると、C男のあどけなさが目に入ってきた。私は自然と声をかけることも多くなった。
子どもたちと気持ちが通い合ってくると、今度は授業も楽しくなってきた。気になることも待てるようになった。注意するときも、ユーモアが出るようになった。
教材研究も、どう組み立てにしようかと、子どもたちと授業を楽しむための手段になった。失敗すれば、また次のプランを考えればいい。
二学期も明日で終わる日、みんなで学校の近くの森林公園に遊びに行った。私の気持ちはゆったりしていた。「先生、何かしようよ」と男の子がさそいにくる。大縄跳びを始めた。私もいっしょになわとびをしながら、二学期を終えられる幸せを、しみじみ味わったのだった。
(樫村 悌:1945年茨城県生まれ、元東京都公立小学校教師)
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