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2017年3月に作成された記事

いねむりをする生徒には、教師はどのように指導すればよいか

 いねむりの原因は十人十色です。教師はそれに合わせたいろいろな指導をする必要があります。いねむりの原因に合わせた対策と指導をつぎのように行います。
(1)
体調不良、寝不足、疲労が蓄積しているとき
 身体的原因です。教師は養護教諭の代わりに「少し休ませる」ゆとりを持ちます。五分ほど見守り「もしもし、授業中です。気分が悪いのですか」という簡単な注意と確認を行います。
(2)
どの教科でも、すぐにいねむりする習慣がついているとき
 他の教科の教師と連携するだけでなく、学級担任を通して保護者の協力を要請します。脳疾患を調べるように勧めたり、特別支援学級へ移すことも考えます。
(3)
授業や教師がつまらない、おもしろくない、わからないとき
 教師が反省し、授業を改善します。本当におもしろい授業なら、すべての生徒が集中します。
 最後に、すべてに有効な方法を紹介すると、教師が魅力ある授業を毎時間行うことです。教材研究に励みましょう。
 私の授業でいねむりをする生徒はまれです。机に伏せる生徒は決まっているので、その生徒を寝かせないピンポイント指導をするからです。個人的な悪行は、友だちに気づかれないように叱ります。
(
福地孝宏:1962年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。教育に関するHP開設し、実践で得た技術を紹介している。教師の悩み相談にも応じている)

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保護者との信頼関係を築くために、教師は保護者の期待にどうすれば叶えられるか

 保護者は、わが子のことを教師が目にかけてくれていると思うと、安心し満足します。子どもが話したい時に、教師がしっかりと傾聴すれば、子どもは満足します。
 
「先生は話しをよく聞いてくれるんだよ」という子どもの話を親が聞けたら「先生はわが子に真剣に目を向けてくれている」と満足します。
 保護者はわが子の心をわかって、うまく指導してくれることを望んでいます。子どもの心を理解するには、冷静に子どもの心を推測し、それを言葉にするようにします。
 いじめは何よりも予防が大事です。小さなトラブルを見逃さず、話を聞き、出来事を把握し、当事者が傷つかずに解決するようにします。先手、先手で保護者に上手に状況を知らせていくようにしましょう。
 教師はどの子に対しても平等に接していると思っていても、子どものほうはそう受け止めていません。保護者はクラスの中で「ひいき」があると子どもよりも敏感に反応します。
 解決策は、全ての子どもを特別扱いし「ひいき」にすることです。得意なことを認め、望んでいることを全員にしてあげます。
 そのためには、まず子どもの名前を何回も呼びましょう。「○○くん」と名前を呼んで話しかけます。何回も呼べば「ひいき」されているという思いが積み重なります。
 子どもの名前を呼んで、共に喜び、悲しみ、がんばりを励ます、そんなつながりを大切にします。「ひいき」をしたら名簿にチェックし内容をメモします。
 保護者は学校で子どもにルールやマナーを教えてほしいと思っています。いつまでもできないと「先生がしっかりしていないからだ」と思われます。教師はそのワザが必要になります。
 とくに挨拶をきちんとできるように指導することが大切です。動作をしっかり分けさせましょう。「挨拶の言葉」「しっかり頭を下げる」「頭を上げる」を、発声と動作の一つひとつを分けることできちんとした挨拶に見えるようになります。
 子どもは自分の言動を自分で見ることはできません。映像や写真に取り、子どもに見せます。こうして、見えることで自分の様子がわかります。
 ふだんは優しい教師が叱ると子どもは「ビクッ」として襟を正します。優しさと厳しさのギャップがあるからこそ、子どもの心に響くのです。
 叱る際には「きみはわかってくれるよね」と教師が期待していることを伝えます。自分のために叱ってくれる教師の言葉を受け入れようとします。
 
「ほめる」「叱る」「ほめる」で指導すると、期待されているから次はもうやらないという気になれます。
 子どもたちは学校でどのような学習をしているのか家庭で話題にしてくれません。しかし、保護者は関心を持っています。
 そこで、私は「学級通信」を毎日書いて、保護者に届けています。その日の授業中の様子、トピックを書いているので、私がどんな授業をしているか、保護者はよくわかってくれています。
(
城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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ゴミを平気で捨てたり、掃除をサボる生徒をどう指導すればよいか

 私は仕事上、荒れている学級をずいぶんと見聞してきた。荒れていると、教室内はもちろん廊下もトイレも例外なく汚い。だから、私は自分のクラスはきれいにすることを心がけている。
 ゴミを散らかすのは特定の生徒で叱っても「オレのゴミじゃない」と言いはり、らちがあかない。そこで私は次の年から、新しいクラスが始まったら「ゴミは必ず拾おう」などと言いながら二週間、黙々と拾い続けた。
 今度は、近くの生徒に「手伝って」と言って、一週間いっしょにやる。このこのろから「先生って掃除すきなのね」と言われる。そして、最後の仕上げとして「ハイ、○○くん、そこのゴミ拾って」などと生徒にさせる。
 やがて、机上から落としたゴミを拾ってゴミ箱にきちんと捨てに行く生徒も出てくる。 そこで、オーバーにほめる。「えらい! 落としてそのままにしないとは」
 約一ヶ月もすると、少なくとも自分が出したゴミは、自分で始末するという当たりまえのことが定着してくる。ゴミらしいゴミは落ちなくなったら、掃除は五分ですむ。
 ただし、掃除の目的を「生徒の活動」として位置づけるならば、このやり方は適切ではない。私の学級では「学級の約束7ヶ条」に掃除が入っている。掃除サボリは見逃さない。4月いっぱいはうるさいくらいに言う。
 
「掃除は地味な仕事です。この地味な15分程度の仕事ができない人が、もっと地味な勉強なんてやれますか。先生は、30年間で数千人の生徒を教えて、掃除をサボってばかりいるが、勉強はよくできたという生徒は、たったの3人しかいなかった」
 
「こつこつと掃除をやれる生徒は、やはり勉強もこつこつと取り組める人間になれるようだ」なかば、脅し文句のようだが事実だ。
 掃除のサボリの理由は「早く帰って、遊びたかった」「部活に早く行きたかった」がほとんどだ。単なるわがままに過ぎない。
 実際に掃除をやっているか確かめなければならない。ぶらぶらしたり、おしゃべりしてやっていない者、途中でいなくなり終わるころにやって来る者など、サボっているのと同じ子がいる。それぞれに応じて叱って見逃さない。
 したがって、サボリの翌日には、念のために理由を聞いて緊急事態以外は、罰の掃除を一週間させる。
 この指示に従わなかった生徒は、家庭訪問で親にも協力を仰ぎ、指示には従ってもらうことになる。もちろん、親には懇談会などでもその旨を伝え、合意を得ておく。
 教室はゴミだらけだが、掃除はサボっても叱られることもない。こんな学級ではまじめに取り組むのが、ばかばかしくなってしまうだろう。うるさい担任だなと思われても、見逃してはいけない。
 まずは、サボったりする生徒に好かれ支持されようと思ってはいけない。まず最初は、かなりいるはずのまじめな生徒たちに支持されるのが、一番大切なことだ。
 生徒指導も学級指導も、まずまじめな生徒に支持され、次にその周辺の集団に広げる。そのためには、サボる生徒を見逃さないようにしなければ、まじめな生徒たちは誰も教師を支持しないだろう。
 以上を揺るがさずに基本にしていれば、学級全体が荒れることはない。
(吉田 順:1950年北海道生まれ、元横浜市公立小中学校教師(37年間)。生徒指導部長、学年主任を歴任。「生徒指導ネットワーク」を主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の「荒れる学校」を訪問し指導方針づくりに参画。講演、著述、相談などの活動をしている)

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4月の新学期の一番最初に子どもに語るとよいこととはなにか

 4月の新学期のはじめに学級の子どもたち全員と「よいクラスにしよう」と誓い合います。しかし、1年間でさまざまなトラブルが生じるでしょう。その時にこの誓いを思いださせるのです。自分たちの行為について振り返るきっかけになります。
 例えば、担任が
「今日から、このクラスがスタートします。さて、はじめにみなさんに確認しておきたいことがあります」
「それは、あなたたちは、どんなクラスにしたいか、ということです」
「誰か考えはありませんか?」
子どもたちから、例えば「いじめがない」「男女の仲がいい」「明るい」、いったことが出されると、担任が板書していく。
担任が
「全員起立」
「では、今、黒板に出そろったような『いいクラス』にしよう!」
「そのために力を貸してくれるという人は座ってください」(子どもたち全員が座るはずです)
「さあ、みなさん、教室を見渡してください。全員が『いいクラス』にするために力を貸してくれるとのことです」
「先生は、そんなすばらしい皆さんと出会ってとっても嬉しいです」
「1年間、頑張っていきましょう」
 この指導は年度はじめに、やっておくことをおすすめします。実はこの「いいクラスにしよう!」と誓い合ったことが、この先、子どもたち自身を「追いつめていく」ことになるのです。
 例えば、しばらくして誰かが悪口を言った場合に
「きみは、年度はじめに何と誓ったのですか?」
「今回のきみの行為は、いいクラスをつくるために役立つと思いますか?」 
「思わないのなら、どう責任を取るのですか?」
「口先のきれいごとなど聞きたくはありません」
と厳しい指導を入れることができます。
 子どもたちにとって「自分たちで価値観を確認」しておきながら、それを破ることは「うそつき」になります。
 子どもが自分のよくない行為を振り返って反省できるようになります。
(
土作 彰:1965年大阪府生まれ、奈良県公立小学校教師。授業のネタを収集、何かが足りないと気づき、深澤久氏の学級を参観し衝撃を受け教師に必要な哲学を研究。学級経営を成功させるには「知的権威の確立」「リレーション」「社会的手抜きの駆逐」の3要素が必要という「学級づくりの3D理論」を提唱し実践している。日本教育ミニネタ研究会代表、学級づくり改革セミナー主催)

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わが子の言い分だけをうのみにする保護者には、どう対応すればよいでしょうか

 子どもの言い分だけを一方的に聞き、教師の話は聞かず「学校を信用していません」と言って学校を批判する。
 これまでに、学校や担任の問題処理の対応について気にさわることがあったのだろう。また、過去に苦い体験に根ざしていることが多い。不信感は容易には消し去れない。
 学校での情報は、子どもを通してのみ伝え聞くことになるので、学校に対する不信感を抱かれることはよくある。学校の事は子どもを通じて知るわけだから、子どもが「学校は楽しいよ」「先生が好きだよ」などと家で話してくれればしめたもの。
 まずは、担任がこの子と仲よくなることからはじめる。よく観察すれば、きっとよさを持ち合わせている。当番の仕事ぶり、係活動でのアイデアや特技など。ほめることがなければ仕事を与え、成功させて「よくできたね」とほめる手もある。
 連絡帳に「今日はこんないいことがありました。話を聞いてあげてください」と書いて持たせる。わが子をほめられて文句を言う親はいないはず。
 回数を重ねると、きっとよい反応が返ってくるから、そのとき、ゆっくりと親と子育てについて話し合うようにする。
 批判を受けとめるのは苦しいが、反論するのは控えて、保護者の不満を聞く。相手の要求がなんなのかをしっかり見極める。
 
「わが子かわいさのあまり周囲が見えなくなっているだけ」と考え、その愛情を肯定的に受けとめた言動を心がけたい。保護者も認められることで、かたくなな態度も少しは柔らかくなっていくはずである。
 保護者の不信感が薄れてきたら、今度はよい広い視野で子どものことが考えられるよう、学級の保護者会に参加をうながす。
 テーマを決めて話し合い、子育ての情報交換ができれば、保護者同士の視野も広がり、教師にとっても勉強の場になるので、一挙両得であろう。
(
小川 悟:1963年神奈川県生まれ、神奈川県公立中学校教師。「日本群読教育の会」常任委員)
(
福島宣秋:岐阜県公立小学校教師)

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笑いが出る楽しい授業をするには、どうすればよいでしょうか

 有田正和は講演会の冒頭でよく「1時間の授業で、一度も笑いのない授業をした教師は、授業終了後、ただちに逮捕する」と、よく言っていた。
 有田は、ユーモアというのは「対応の技術」だと考えている。「子どもが何かいったとき、かんはつを入れず面白い対応ができること、これが本当のユーモアではないだろうか」と述べている。
 有田自体、ユーモア小話だけで本を何冊も書けるほど面白いネタをいくつも持っている楽しい人なのだが、決して自分が主役になろうとはしない。授業における「笑い」の主役は、あくまでも子どもである。
 有田の有名な実践であるバスの運転手の授業記録の一部を紹介する。
教師「バスにはタイヤが何個ついていますか」という発問の後の授業の様子である。(「社会科発問の定石化」明治図書・8182ページ)
子どもA:「前に1個に、うしろに2個」
教師(有田):「Bくん、起立。これはどちらが正しいですか?」
子どもB:「8個」
子どもC:「それじゃスピードが遅くなるんだよ」
子どもB:「6個だ、6個。えーっ、待って。だって、後ろに4つに、前に2個だもん」
教師(有田):「うそばっかり」
 授業の核となるBくんに話をふり、さらに「うそばっかり」と挑発する。この一言でBくんはヒートアップ、他の子どもたちからは笑い声、参観者は大爆笑となったであろう。
 この場面、シンプルにまとめると「ある子にネタをふって、その発言につっこむ」ということになる。
 まず、話を誰にふるかがポイントになる。有田氏は、ここで、話を盛り上げてくれそうな発言をするBくんを指名している。
 しかも、このBくんは、けっこう打たれ強い。だからこそ「うそばっかり」というようなツッコミができる。
 これは、クラスの子どもたち一人ひとりのことをしっかり把握しているからこそ、できることである。
 
「対応力」を磨くことは、一朝一夕で身につくものではないが「あの子は発想が面白い」とか「打たれ強い」など、クラスの子どもたちのことを理解することは、やる気さえあれば、ある程度はクリアできる。
 そして、その上で 「教師は笑顔で授業を行う」
 気の利いたツッコミはできなくても、笑顔で子どもたちの言動に対応することは、意識さえすれば誰にでもできるはずである。
 教師の笑顔は、子どもたちも笑顔にする。「授業は楽しいものだよ」ということを教師は表情でしめさなくてはならない。スマイルは教師の義務だと有田は考えている。
 これは技というより、人間性といった方がよいだろう。ネクラからネアカな人間になる。これも教師の義務であると考えている。せめて子どもの前だけでも教師はスマイルを絶やさないようにしたいものである。
 有田が見た名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。スマイルのある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
 授業は子どもがわからない状態から、わかるようにすることです。私は授業をするとき「今日、子どもと何で勝負しようか」と考える。おもしろい授業をするには、「何で勝負するか」ということを、第一に考えよう。
 有田の場合は、一人か二人の子どもをターゲットにして、その子をこの一時間で
「学習意欲を引き出す。学び方を教える。見えない(わからない)ものを見える(わかる)ようにする」
ことを、どうやって引き出していくかを考える。
 ですから、授業を考える時に、まず、子どものイメージをつかんで、見えないものを見えるようにする。そのプロセスで学び方をつけ、学習意欲を引き出していくわけです。やっぱり子どもたちをベースにして、教材はあくまでも手段です。目的ではありません。
 楽しい授業の一番大事なのは、厳選された教材で学び方を育てる。しかも、子どもたちがとことん追求するような、意欲を引き出す。
 そうするには、やっぱり子どもたちが追及する材料を、子どもたちを予想して、これなら追究するだろうというような面白い材料を準備するということが必要ではないかと思います。
 「笑いを持ち込むと教室の空気がゆるんでしまう」「笑わせたら子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。ユーモラスな話をすれば、子どもは身を乗り出して聞くはずです。子どもたちに集中力や注意力、学ぼうというエネルギーがうまれるのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメでで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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若い教師が保護者に信頼されるには、どのようにすればよいでしょうか

 子どもをよりよく伸ばすために、家庭訪問は重要な仕事です。私の学校では五月に行います。各家庭には十分間くらいしかいられないのですが、計り知れないほどの収穫があります。
 その家庭の雰囲気と、保護者の考え方や性格などが感じられます。こういう人だからこういう子なんだと妙に納得するところがあります。子どもの家庭環境を知ることで、生活指導がとてもやりやすく感じられます。
 親の顔を覚えることはとても大切なことです。何かのおりに「○○さん」と名前を言って話をすると、もう覚えてくれたのかと、うれしそうな顔になります。教師に対する好感度が増すようです。
 親と仲良くなり、教師に親しみや信頼関係を持っていると、何かにつけて意思の疎通がよくなります。問題行動が起きたときでも、そんなにこじれないで解決することができます。
 参観授業はふだんの授業よりも力を入れます。安心して私に任せられるというような信頼感を持ってもらえないと困るからです。
 親たちに、自分の指導状況を認めてもらわなければ、信頼関係がくずれてきます。「あの先生は教え方がうまい」「やさしく教えている」「きちんとしつけている」「授業がしっかりしている」「あのくらい厳しくてちょうどよい」などという、プラスの評価を得なくてはいけません。
 参観授業は、全員の子が発表でき、どこかしら、その子のいいところがアピールできるような授業にします。毎回違う教科を見せるように計画していきます。その方が教科によっても得意、不得意のある子どもたちの姿を、違う面から見せることができるからです。
 授業参観後の懇談会では、生活、学習内容について話します。私は話すことが好きなので、いろいろな話題を提供します。
 おもしろくなくては、話を聞いてもらえないと思っているので、笑いの中に事実を入れて話していきます。私の子育ての失敗談などを交えておもしろおかしく話をします。
 子育ては楽しいという話にもっていきます。毎日親がきちんとやることが、子どもによい影響をもたらす。早く寝させて早く起こし、朝食をきちんと食べさせ、学校に送り出すことが大事な役目だと話します。
 成績だけで右往左往するのではなく、きちんとした家庭生活から、落ち着いた子どもが育ってくる。親が疲れた態度を見せたり、気分屋であったりしては、よい子にならないと話します。
 懇談会で話をすることに自信がなく心配なら、話す内容を話ことばで台本を書くといいですよ。
 私なら参観のお礼を言って「今日の学習のねらいは○○でした。それを達成するためにこういう手だてをしました。行き届かなくて申し訳ないのですが、これからも精一杯、指導していきますので、よろしくお願いします」と。
 次に、教室での子どもの様子を楽しそうに話しましょう。いいことをたくさん話し、直してくれたらもっとよくなると思うことを少なめに話すとよいと思います。
 懇談会に参加した親には、その子のいいところを必ず見つけて話します。懇談会に参加してもらった親への私なりの感謝の気持ちです。
 そのとき、教師へのクレームがでることもあります。そんなとき、あわてずに謙虚に意見を聞きましょう。けんか腰にならず、卑屈にならず、誠実に対応しましょう。その話している様子を見ながら、保護者は品定めをしているのです。
 口には出しませんが、たいていの親は新任教師を危ぶんで見ているのが普通です。だからこそ誠実に受け答えするのです。
 内容が手に余るものでしたら「今ここでは詳しくお答えできませんので、校長と相談して返事申し上げます」と言って、懇談会後に事後処理をした方がかえって信頼感を増します。
 親は、毎日子どもから、教師の言動を聞いています。子どもが教師とうまくいっているなら何も言いません。そんなものです。子どもとの日々の学習や生活を充実させているならば、ちっとも保護者は怖くありません。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)

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学級が荒れたり崩壊しないように、注意や叱責するにはどうすればよいか

 教師は子どもの行動が著しく集団の規範を逸脱したとき、他の子どもを傷つけているときは、毅然と注意や叱責をすることが必要不可欠です。
 注意や叱責をした結果、子どもが自分の考え方や行動の問題に気づき、自らそれを改めようとしたかということが大事なのです。
 したがって、注意や叱るときの前提は、
(1)
子どもや学級集団のプライドを傷つけない
(2)
注意する場面や時期、時間を工夫する
(3)
問題となる点を十分に説明し理解させる
(4)
結果ではなく、その問題がおこった過程に注目させる
(5)
自ら変えることができる行動や態度を具体的に確認する
(6)
この失敗を次にどう生かすのかという問題解決型にする
 そして、教師の注意や叱責が大きな効果をあげるためには、教師と子どもとの信頼関係が必要です。信頼関係があれば、自分たちのために先生は注意してくれているんだと感じ、教師の注意から新たな行動や考え方を学んでいくのです。
1 学級集団全体に対して注意する・叱る
 子どもたち一人ひとりが自分の問題ととらえられるようにすることが大事です。 
(1)
注意や叱責で子どもを動かそうとしない
 注意や叱責で子どもを動かそうとしている教師は意外と多くいます。
 最初は教師の注意が怖くて、注意されたことに従うことが多いでしょう。しかし、それは新たな行動や考え方を獲得したのではなくて、教師の怒りを収める対応にすぎないので、子どもは同じような行動を繰り返します。
 そして、子どもは教師の注意や叱責にだんだんとなれてきます。したがって、注意で子どもを動かしている教師は、だんだんと自分の指示が通らなくなってくるのです。これは学級崩壊で苦しむ8割近くの教師が陥る盲点です。
(2)
子どもの不安の強さに応じた注意をする
 注意はすべての子どもに同じように受け取られるわけではありません。平気に子どももいれば、委縮する子どももいるわけです。したがって、不安な子どもがその内容を理解できるレベルがいいのです。
(3)
あらたまった態度や場合を設定して注意する
 子どもは教師の注意や叱責には徐々になれてきます。子どもたちは教師の注意を聞かなくなります。あらたまった場面設定や注意の仕方が必要です。
(4)
注意や叱責は短く簡潔にする
 注意されるのは嫌なものです。したがって、教師は注意する目的をしっかり定め、その方法を吟味し、簡潔に伝えることが効果的です。
(5)
気の緩みのミスは注意し、自主的な試行錯誤の失敗はその原因を分析させる
 怠慢やさぼりから起こったミスは、なあなあで済ませると、学級のルールが崩れてきますから、小さなことでもキチンと指摘し、注意することが大切です。
(6)
子どもたちが気づかない問題は、質問や例え話をして考えさせる
 学級内で、子どもたちが意識せずに行っていることがあります。例えば、特定の子を見下したような対応をほとんどの子がとっている雰囲気が学級のなかにできてしまっていることがあります。
 これをみんなの前で注意すると、その子が惨めになります。したがって、例え話や一般論としてみんなに考えさせるようにすることが大切です。
(7)
叱責の内容に教師の感情をつけ加える
 教師が冷静に叱責したあと「先生はとてもかなしかったな」と、自分の感情をサッとつけ加えることで、その内容が子どもたちの心に強く刻みつけられるのです。
(8)
いじめは、厳しく、長々と説教し、最後にポイントをまとめ復唱させる 
 弱い子をいじめているような現場を見たときは、教師はその場で強く注意し、一人の人間としての怒りを前面にだすことも時として必要です。厳しく長々と説教します。
 子どもたちは、最初は教師の剣幕に驚きますが、そのうちあきてしまう子もでてきます。このような場合は、教師が言いたかったこと、次の指導につながることを三つくらいにまとめ、子どもたちに復唱させて終わります。
 例えば「A組をいじめのないクラスにする」「いじめの場面をみたら必ず注意する」という具合です。これをしないと「先生がキレた」だけで終わってしまいます。
(9)
注意したあとは、単純作業をはさみ、作業後は気持ちを切り替えて対応する
 注意や叱責をしたあとは、教師も子どもも気まずいものです。このような場合は、お互いの気持ちを変に伺おうとすると、余計ぎくしゃくします。
 そこで、子どもが一人で作業ができるドリルなどを30分くらいやらせるのです。作業しながら、子どもは先ほどの教師の注意について考え、心に定着させていくのです。教師も落ち着きを取り戻すことができます。
 その後は、その問題に言及しないで、授業に取り組むようにするわけです。
2 個人の子どもに注意する
 教師の感情を逆なでするような発言をしたり、教師をバカにしたような態度とるような子どもが学級に何人かいます。このようなときは、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、感情的になることを防ぎ、子どもに教師がまきこまれるのを防ぐことができます。
 こういった子どもには、少しずつ時間をかけ、関係の修復につとめることが必要です。その子が落ち着いているときに、日頃の不満を聞いてあげるなどの対応が求められるのです。
(1)
注意するタイミングと場所、時間を考える
 自分の行為を棚に上げ、教師に反発してしまうかもしれません。注意するときは、タイミングと場所、長さをその子どもに合わせることが必要なのです。
(2)
注意するときの子どもの抵抗を軽減する
 子どもが教師の言葉を素直に聞くよう、最初に子どもの反発を少なくする関わりが大切です。例えば「きみも気づいていると思うが・・・・」という具合に前置きし、いきなり叱責しない配慮が必要なのです。
(3)
注意する内容のは現在の行動や態度だけにする
 掃除をサボっているのを見つけて注意したとき、以前の問題をひっぱだして、追い打ちをかけるように叱ってしまう。これでは子どもは逃げ場のない状態に追い込み、人間性を否定された感情を子どもに持たせてしまう。
(4)
フォローの仕方も計画に入れて注意する
 注意のあとのフォローは、子どもたちの感情の高まりを静め、どう行動すべきか考え行動に移す意欲を喚起します。その子のプライドを高めるような言葉も効果があります。
(5)
注意するのは、あやまらせるためではなく、今後どうすればよいかを確認する
 注意して、あやまらせても、子どもは同じことを繰り返してしまいます。どのように取り組めばよいのかを考えさせ、確認することが必要なのです。
(6)
教師に反発する子どもへの対応方法を持つ
 教師に反発し感情をぶつけてくる子どもに対して、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、教師が感情的になることを防ぎ、子どもに教師がまきこまれるのを防ぐことができます。
 まきこまれそうになったら、それを一旦切る言葉がけや対策を事前に決めておくことです。例えば「これ以上話していたら、先生も本気でキレちゃうから、あとは昼休みに相談室でじっくり話しましょう」という具合に、その場を一旦収めてしまうのです。
 間をおくことによって、お互いの感情の高まりを静めるわけです。時間をおいて、じっくり話すのです。こうすれば、教師も子どもも感情的になるのをおさえられます。
 相談室では、子どもに最初にどんどんしゃべらせます。その後、具体的な事実を提示し、そのことについて認めさせます。そして、対応策を教師がいくつか示して、そのなかから選ぶようにさせます。最後にその内容を復唱させて、終わりにします。
(7)
聞く耳を持たない子
 聞く耳を持たない子は、教師がそばに寄り、感情面を中心にトーンを落として淡々と語ってあげます。最後に「きみはどう思う」と質問します。返事がなかったら「先生の言ったことを考えてね」と伝えます。
 反応がないからといって、注意を怠ってしまうと「Aくんは、何も言われないじゃないか」と、問題を起こした子どもに注意しずらくなります。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者からのイチャモンには、どのようにすれば打開できるか

 「よく問題のある教師のところでイチャモンは起きやすい」という人がいます。しかし、それは完全なまちがいです。
 じつは、数多くの事例を集めてきて言えることですが、ある日、突然のように降りかかります。しかも、経験豊かで教師としての力量も高い人にも起きることもあります。
 したがって重要なことは、だれにでも起きうる問題であるとの自覚を、すべての教職員が持つということです。そして学校全体でコトに当たるという姿勢を貫くということです。
 なぜ、あの保護者はそうまでしてこの教師を追いつめるのか、という本質を見抜くためにも共同性は不可欠です。
 イチャモンを教師一人で背負い込む状況は、私が調べたなかでも相当数あります。ほとんどの場合は自信喪失と孤立無援のなかで消耗して、やがてはツブれていくことになります。
 私はやはり「一人で背負い込まないで、徹底的な情報の共有と、事実の確認、そして共同でコトにあたるという姿勢しかない」と残念ながら言わざるを得ません。
 保護者対応の難しさに追い込まれると、そのことにかまけて子どもの教育が二の次になっている場合が少なくありません。
 極端なことを言えば、子どもたちから確実な信頼を勝ち得ていれば、保護者対応の勝負は勝ちなのです。
 教師の値打ちは、何をおいても子ども対応(教えること、学ぶこと)で発揮されるのです。教育の顧客は親ではなく子どもであるという、ごく当たり前の基本につねに立ち返れるかどうかです。それを見失った場合に起きるとも言えます。
 当たり前のことですが、保護者はわが子がどのようにあつかわれているかに最大の関心を持っています。担任がわが子のことをじっくり見てくれているという安心感があれば、多少のトラブルは、すぐに解決に結びつくことが多いと思います。
 子どもと教師が接する時間が減れば減るほど行きちがいが発生する可能性が高くなります。また同じように忙しい保護者と子どもの間にもズレが生じるでしょう。それは教師と保護者のズレにもなります。
 教師が子どもと触れ合う時間が減少すればするほど、イチャモンは反比例してふえる。これは、私が2000ぐらいの事例を集めた結果いえる大原則です。
 もし、子どもと教師が接したり話したりする時間があれば、かりにトラブルが生じたとしても、それが大きくごじれることはないと思います。
 多くの事例を集めるなかで、ほぼ見えてきた一つの重要な原則があります。それは「ホンネや願いは、多くの場合にはイチャモンという形態で現われることが多い」ということです。 
 一見すれば、学校側にとってはイチャモンと感じられる苦情であっても、じつは親としての「思い」や「願い」が背後に透けて見えることも多くあります。そのツボをおさえて対応すると、かなり異なった反応となっていくことが多いように思います。
 校内研修会で、よくある質問が「保護者からの罵声や、一方的な主張に対して、どのような姿勢で聞いたらいいのですか?」という質問です。
 私は「そうですね」という肯定に近い相づちではなく「そうですか」と返答することが大切ですと答えています。
 
「そうですか」「そうなんですか」は、相手の主張を否定せずに聞く言葉です。その親の子どもを思う気持ちを受け止める共感の言葉ですが、すべてを認めたものではありません。
 いったん引き取って、何が事実で、何が感情的な思いなのかを区別して整理するためにも、必要な応答の仕方だと思います。
 私はいろんな事例を全国各地から集めていますが、だいたい事例の95%は当事者の努力んとかなるケースと思います。
 しかし、当事者だけではどうにもならないケースがあるのもたしかです。初めから対決姿勢で言ってくるものもあります。バックに指南役がいるのではないか、と思うケースもあります。
 背後にプロの存在が感じられたときには、絶対に手を出さないで下さい。そこは徹底的にプロの市町村の顧問弁護士に任せるしかありません。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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子どもが問題行動を起こしたとき、保護者にどう連絡すれば協力が得られるか

 授業中、立ち歩いて他の子どもの勉強のじゃまをする。友だちに暴力をふるってケガをさせる。暴れて窓ガラスを割ったりするなど、問題行動を起こす子が増えています。
 何か起これば、すぐに「家に連絡する」などと脅すような指導は避けましょう。子どもとの信頼関係が崩れ、状況が悪化する危険があります。
 子どもとの信頼関係が悪化すれば、当然、保護者との信頼関係も崩れていきます。
 問題行動を起こした子どもに対して、教師は「どうしょうもない子」「困った子」とレッテルをはりがちです。そんな教師の気持ちは保護者に自然に伝わるものです。
 問題行動を起こす子どもを非難したり迷惑に思ったりするのではなく、なぜそんなことをしたのか、どうすれば改善されるのかという思いで対応することが大切です。
 学校で指導するのはもちろんですが、周囲に迷惑をかける行動には、保護者に連絡して協力して対応する必要があります。
 保護者に伝えるとき「こんなことをしました」とだけ伝えるのでなく、子どもにちゃんと理由を聞き、その理由を保護者にも伝え、学校側の対応が必要なら、それも考えていくようにしましょう。そのひと言によって、保護者は教師に協力しようと思うものです。 
 子どものことを真剣に考えているという気持ちが伝われば、保護者も教師を信頼し、教師の指導を受け入れて協力してくれるはずです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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一流の教師と二流、三流の教師とは、なにが違うのか

 最近の教師は、保護者からもやられるので、横着な人は少ないと聞いている。でも、校長にたずねると「いますよ」と必ずいう。
 若い教師の勉強会に招かれ、授業をし講演をした。子どもたちも楽しく授業にのってくれた。すべてが終わり、主催者のA先生の挨拶を聞いて驚いた。私は発言を求めてつぎのように言った。
 
「今、A先生は『学ぶべきものは何もありませんでした』と言いました。私の勉強不足は認めます。だから学ぶべきものはなかったのかもしれません」
 
「しかし、授業は『見る人の実力ほどにしか見えない』のです。実力があれば、新採の先生の授業からでも学べます。見る人、聞く人の実力によって、見え方・聞こえ方が違うものです。このことを考えてほしいのです」
 
「私の授業のよくなかったことのいいわけではありません。本当のことをいっているのです。今日は、大変申し訳ありませんでした」
 A先生の年齢は3639歳の間であった。この年齢の教師は、どうしてこんなに不遜になるのだろうか。3639歳以外にも、不遜な教師はいくらでもいる。ただ割合からいって多いので、すぐに年齢がわかるのである。
 思いだすのは大村はま先生が書いていた「おしゃか様の指」(『教えるということ』共文社)という話である。おしゃか様が天から人間の世界を見ていると、一人の男が荷車を引いて歩いていて、ぬかるみにはまってしまったのが見えた。困った男は一生懸命、引いたり、押したりするが荷車はびくともしない。
 誰か人が通りかかるのを待つことにしたが、いくら待っても誰一人通らない。おしゃか様は、男が人にたよらず、自分の力で何とかぬかるみから荷車を引き出そうと決心したのを知ると、見えない指で、荷車をちょっと押してあげた。
 もし、おしゃか様が「わたしが押してあげたのですよ」といえば、男は、次にこういう困ったことが起きたとき「おしゃか様が助けてくれるのではないか」と、他人にたよる心が起きるだろう。だからこそ、おしゃか様はだまって、見えない指で押してあげたのである。
 私たちは「見えない指」で押されて生きているのである。それに気づくかどうかである。
 一流の教師は、子どもに「自分一人の力で育ったのだ」と思わせることのできる教師である。二流、三流の教師は「先生が教えてあげたから合格できたのだ、成長できたのだ」と恩をきせる教師である。「学ぶべきものはなにもない」という教師も、一流とは言えないだろう。
 子どもが困っているとき、ぐっとがまんして、手を出さないことが本当に子どものためになるのである。野球の選手でも「さよならホームラン」を打ったのに「チームのみんなが打たせてくれたのです」とか、○○賞をもらったとき「ぼく一人がもらったのではなく、チームがもらったのです」などという人がいる。
 これを聞いて「これが一流選手なのだなあ」と思う。二流、三流選手は「ぼくが打ったから勝ちました」「ぼくが投げたから勝ちました」などという。
 一流のお母さんは、子どもに「自分一人で育ったのだ」と自信を持たせることのできる人である。「私がいう通りにしたから成長したのだ」などとはいわない。
 教師でも、お母さんでも、一流になると、すべてわかっているのに「どうしたらよいだろうね」と、子どもに考えさせたり、気づかれないように目に見えない手で支援しているのである。
 
「そんなこともわからないの」と、教えてしまうのは、二流か三流である。
 私たちは、子どもが困っていると、すぐ手を出して助けたくなる。そこをぐっとがまんして、子どもに困難を乗り越えさせることが大切なのだ。
 あるお母さんから「うちの子は、先生に出会ったから今があるのです。ありがたいことです」といわれたことがある。
 
「それは、私の方がいいたいことです。子どもは、このようにして困難を乗り越えるのだ、ということを教えてくれたのはお宅のお子さんですよ」
 
「お宅のお子さんと出会って本当に幸せだったと感謝しています」と申し上げたことがある。今も全く同じ気持ちである。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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授業を楽しく安心できる場にするには、どうすればよいでしょうか

 推測し想像しながら、みんなで発見していくような授業は、子どもたちも大好きです。いっけん、学習意欲に欠けているかのように感じられる子どもたちが、目を輝かせて学習する事実に、私たちは着目していかねばなりません。人間はそもそも深く考えることを好む動物なんだ、とあらためて思います。
 子どもたちは、学習を拒否しているのではないのです。知的好奇心が高まり、未知の世界との出会いがあるような学習には、むしろ飢えているのです。
 学ぶ意味や価値がわからないような、機械的な練習や、苦役だけが要求されるような学習を拒否しているのにすぎません。
 学級の友だちと対話・討論し共同で学ぶことで、一時間前には想像もできなかった世界と出会うことができる。自分も賢く人間として豊かになってきている。この実感の積み重ねこそが「何のために学校に通って学ぶのか」という問いにこたえる、道ではないかと思っています。
 共同の学びを豊かにしていくには、教室になんでも言える自由な雰囲気が不可欠です。そのためには「失敗」や「間違い」に対する教師や子どもたちの態度が問われることになります。教師だけでなく、子どもたちが豊かな「間違い観」を育てていくことは、学習にとって不可欠です。
 
「間違い」が、物事の本質をとらえていく上で、どんなに重要かを体験する必要があります。なぜなら、多くの子どもたちは「間違い」は恥ずかしいことであり、無意味なものだと考えているからです。
 
「間違い」が事実の断片であるならば、それをつなぎ合わせ関連づけていけば、物事の全体像が浮かび上がってくる。例えば、縄文土器のかけらをつなぎ合わせていくと、ほぼどんな土器だったかは推定できるようになるのと似ています。
 そういう意味では「間違い」は、物事の本質にたどりつくための「入口」であり、認識を深めていくうえでなくてはならないものです。共同の学習の中での「間違い」は、物事の本質をとらえていくうえで重要な役割を担うものです。こう考えてくると、子どものどんな発言も貴重なものになります。無駄なものはひとつもないのです。
 教師が一人ひとりの子どもの発言に心底耳を傾け「間違い」を大事にすることで、学習はプロセスのあるものに転換していきます。
 何でも自由に発言できるようになれば、自分の思いや考えを率直に語ることができるようになります。すると、当然のことながら、対立・討論も起こります。学習はいっそう深まっていきます。
 
「正答主義」の学習では、正しいかどうかを判断するのは教師です。共同の学びでは、そうはいきません。子どもたちが集団で思考し、共感や批判、納得を通して本質や真実に迫っていきます。
 教室に自由な雰囲気をつくるためには「間違い観」とともに、子どもたちがリラックスすることが重要です。過度の緊張を強いることなく、子どもたちが安心して学習できるようにするということです。授業中、教師が思っている以上に、子どもたちは不安をもって学習しているのです。
 
「急に当てられたらどうしよう」ということも授業中の心配の一つです。私自身も高校の頃、化学や数学の教師がよく急に当てるので嫌でした。当てられそうなときは、当てられないように、先生と目をあわせないようにしていたものでした。
 そんな体験もあり、私は子どもが自分で手をあげない限り、当てないようにしています。子どもたちは、突如当てられるというような不安もなくなり、安心して学習に励むことができます。
 教師が子どもの思いを無視してどんどん当てていた場合と比べて、個性的な発言が確実に増えてきます。子どもたちはじっくり考え、自分が発言したくなったときに発言できるからです。
 発言を強要しない、発言するかしないかは本人が決めることにしただけでも、学習における子どもたちの安心は広がっていきます。
 そういう自由が保障されたときに、子どもたちは自分の力を発揮して学習するようになるものです。「待つ」ということが、子どもたちに真の自由を保障することになるのだと思います。
 授業において「安心」と「人間的な自由」をどう拡大していくかが、重要な課題だと思っています。
(
今泉 博:1949年生まれ、元東京都公立小学校教師、前北海道教育大学副学長、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行った)

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子どもに「よりそう」教師が崩壊し始めている、どうすればよいか

 今日の荒れは、荒れる現象そのものが「白い闇」につつまれたままであることも少なくありません。
 なぜ、あの子が突然荒れはじめたのか、なかなか見当がつかない。荒れる背景にある「くらやみ」が見えにくい。
 
「よくがんばったね」「よくわかったね」「やればできるじゃないか」などの指導的評価が、荒れた子や、まわりの子どもたちの心にかからない。しらじらとした雰囲気のなかで、子どもたちのもとにとどかない。
 子どもが些細な出来事を契機にパニックになることがあります。教師は、その子どもの思いを受けとめ、一生懸命に理解しようとします。
 すると、それを見ていた他の子どもが「あの子ばかり大事にされてずるい。自分もあんなふうにしてほしい」とばかりにパニックになります。
 こうしたパニックの連鎖が、学級の秩序を崩壊させ、ついには、授業をも崩壊させてしまうこともあります。
 荒れる子ども一人ひとりの思いによりそい、荒れる行動の裏側に隠された人間的な願いに共感することが必要です。理由もなく荒れ、バニックになる子どもは一人もいないからです。
 しかし、いま「授業崩壊」に苦悩している教師の多くは、この「よりそい」を柱に実践している心優しい教師たちである場合も多いのです。
 これは、つらい現実です。子どもに「よりそう」感覚を持った教師の実践が崩壊しはじめている。この矛盾に満ちた現実をどう理解したらよいのでしょうか。
 前進を励ます評価が空転し、一人ひとりによりそえば、教室にパニックの連鎖がはじまってしまう。こうした「白い闇」のなかで授業が崩壊していく。
 子どもの成長を励ましたいと願ったから教師になったのだ。子どもの抱かえる悲しみや苦しみによりそい、共感できる人間になりたいと願って教師になったのだ。
 それなのに、子どものためにと願えば願うほど、子どもとすれ違い、子どもが突然パニックを起こしてしまう。
 ここに、今日の荒れと向かいあう教師の深い「悲しみ」があるように思えてなりません。
 いま「白い闇」のなかで授業崩壊の危機にひんしている子どもたちのためにできることは何なのでしょうか。
 それは、何よりもまず、わからない自分、できない自分、まちがえる自分は見捨てられるかもしれない、という強迫観念から、子どもたちを解放してやることではないでしょうか。
 いま、授業の「日常」が問われているのだと思います。わからないことがほめられ、できないことがほめられ、まちがえることがほめられるような授業。
 そこで、おずおずとも、ごもごもと自分を語る身体と仲間の身体とが響きあうことができるような授業。
 そのような授業への挑戦こそが、子どものすなおな感情のうねりを解放し、子どもの表情にうるおいと彩りをとりもどしてくれる。
 授業崩壊への挑戦はそこからはじまるのではないでしょうか。
(
庄井良信:1960年北海道生まれ、北海道教育大学大学院教授。専門は臨床教育学)

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教師が 保護者とトラブルをおこしたとき、どうすれば解決できるか

 保護者の要求や非難や暴言には「きちんと向き合い、反論せずに話を聞く」ことが大切である。結果的にも好ましい。それは「話を聞いてもらえた」ことで、保護者の気分が安定するからだ。安定すれば、解決の道も開けてくる。
 あいまいにしてごまかしたり、逃げたり、だれかのせいにしたりせず、真摯に応対することだ。保護者もそういう誠実な教師を望んでいる。
 とはいえ、保護者のなかに、じつに不見識な言動をする人がいる。そういうときは、冷静に対応する。ときに、おだやかにたしなめてもいいだろう。たとえば、電話口へ担任を呼び出した保護者がいきなり
「なにもたもたしてんだ。こっちは忙しいんだ。いいか、よくきけ。子どもによ・・・・・」と怒鳴る。
「そちらもお忙しいのでしょうが、今、授業中で、私も急いてかけつけてきました。そのような言い方は失礼ですね」とたしなめる。あるいは、にこやかに「すいません。もう一度、おっしゃってください」と、相手に言い直しの機会を与える。
 相手が保護者なら、教師はがまんしなくてはならないということはない。非は非として伝えなくてはならない。そのほうが好ましい結果をもたらすこともある。
 というのは、市民としてのモラルや礼儀、人間としての誇りを厳として保とうとする教師は、最初は誤解されるが、やがて尊敬されるようになるからだ。逆に、威厳を失った教師は、保護者から、さらに疎んじられ、軽んじられることになる。
 もし、教師が自分で言えないようなら、管理職に「こういう無礼を受けました。校長先生から保護者に抗議してください」と申し出れば、それくらいのことはしてくれるだろう。
 教師がもっとも傷つくのは「私より年下のくせして、生意気なこと言うな」「先生は子どももいないのに、子どもの気持ちがわかるわけがない」と言われることだ。こういう例は、若い教師へ、やりこめるためにわざと言って、やりこめて溜飲を下げているのであろう。
 では、どうするか
(1)
寅さん流に「それを言っちゃ、おしまいですよ」と軽くいなす。
(2)
偉そうな口をきく教師がいて「何様のつもりだ」と思うことがある。保護者の感情的な反発を買うことになる。その意味では、保護者への話し方には、謙虚さが求められる。
(3)
保護者がいやがりそうなことを伝える場合、話の前に「子どもを育てたことのない私が言うのも、言い辛いのですが・・・・」と、前置きをすると、素直に教師の話が入っていく。
(4)
学年主任や管理職などが、保護者にたいして「こんなことを言うのはやめてほしい」と伝える。また、PTAの役員から「先生に向かって、そう言うことは失礼だと思う」と、会員に話をしてもらったこともある。バックアップの体制をつくるということである。
 保護者と教師がトラブルをおこしても、その保護者の子どもに悪感情をもって接してはならない。教師を批判し攻撃する保護者に対して、好感情は抱きにくいが、子どもは子どもととらえ、保護者とその子どもを同一視してはならない。むしろ、その子どもの対教師感情を好転させ、信頼されるようにすることだ。
 保護者が教師に悪感情をもつようになるのは、子どもの対教師感情を反映しているのである。子どもが教師に不信を抱くようになると、保護者も教師不信に染まっていく。
 だから、子どもが教師を好きになり、信頼するようになると、保護者の対教師観もしだいに和らぎ、好転するようになる。
 保護者とトラブルをおこしたら、まず子どもとの関係を見直し、子どもとの関係を改善することだ。子どもが変われば、保護者も変わるのである。
(
家本芳郎編:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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叱るときの大切なポイントとはなにか

 小学校段階では、大人が「いい・悪い」をはっきりと教えなければなりません。何がよくて何が悪いのか、端的に指摘して教えてあげるのです。そのためにも、短い言葉でズバッと叱ってあげることです。遠慮することはありません。
 時代のせいでしょうか、ひどく気持ちの悪いくらい、子どもに迎合し、遠慮してやさしい言葉をかける教師がいますが、どうかと思います。
 誤解を恐れずに言えば、やさしすぎるだけの教師は子どもをだめにする危険性があります。叱ることを恐れずに、だめなものはだめだと叱りましょう。
 絶対やってはいけないのは、信頼関係もできていないのに高圧的な感じで叱ることです。しかも正論たっぷりと。教師と子どもの心理的な距離が遠くなるだけです。
 学級開きの時に、子どもに「この先生の言うことなら聞こう」と思わせ、子どもとの信頼関係を築くべきです。信頼関係の構築を日頃から心がけておく必要があります。
 強い口調で叱ると、雰囲気は重くなります。だから、叱った後、すぐにケロッとして、何事もなかったかのように進めることが大切です。
 そのためには、叱った時に、次の一手を瞬時に考えます。すぐに切り換えて笑顔になることもいいでしょう。時には、ユーモアを使って切り返すことも。
 たった一言を入れるだけでも違います。極端な例だと、ドスの効いた声で叱ると、子どもは直立不動になります。そこへ「なんちゃって!」とテンションを変えると、全く空気が変わります。
 もちろん、その後に「って冗談だけど、掃除はしっかりやろうな」と、最後にしめなければなりません。大切なのは、叱った時の重苦しい雰囲気を振り払うことです。
 
「お前はどうしてできないんだ!」「なにやってるんだ!」など、子どもを主語にして叱ると、子どもは自分そのものを否定された気持ちになってしまいます。
 相手を主語にするのではなく、叱る時に主語を自分にする「Iメッセージ」を使用します。教師である自分がどう思っているか、どう感じているかを子どもに伝えるのです。
 
「先生は残念だと思うな」「先生は、どうしても○○くんが、そういうことをする子には思えない」など、自分を主語にして話をすると、相手もそのメッセージを受け止めやすくなります。
「Iメッセージ」は、コミュニケーションの重要な技能のひとつです。大切なのは、技能と感じさせないくらいまで、訓練を重ねることです。
 教師は、どうしても正論を言いがちです。特に、相手の年齢が低ければ低いほど。しかし、これには十分気をつけねばなりません。なぜか、嘘っぽく相手に伝わってしまうことがあります。
 
「ああ、また始まったよ。先生のお話が・・・・・・」と、心の声をつぶやいている子どもも少なくないのではないでしょうか。
 時に、正論を言わなければならないこともあるでしょう。だからこそ、正論くささをなくす工夫が必要になってくるのです。
 
「まあ、そうは言ってもね・・・・」「先生もさあ、小学生の頃・・・・・」など、正論で終わらない話を続けてあげるだけで、全く聞こえ方が違ってきます。
 そして、何より、自分はその正論を子どもに言う資格があるのか、それを常に問うような教師でなければなりません。
(
渡邉尚久:1969年千葉県生まれ。千葉県公立小学校教師を経て千葉市教育委員会に勤務。成功哲学を授業化、実践するだけでなく、子どもたちが誇りと自信の持てる授業づくりを進めている)

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変わったのは子どもではなく指導者のほうだ、子どもを変え成長させるにはどうすればよいか

 よく「いまの子どもは……」って言われるだろう。でも、ぼくは違うと思うね。子どもは変わっていないと思う。むしろ変わったのは大人、指導者のほうだ。
 
「子どもが変わった」とか、「最近の子どもはしんどいことをいやがる」というのは、みんな指導者の言い訳。ぼくはそう思う。
 
「ここで、こういうことに耐えておけば、こんな素晴らしい自分が待っているんだ」というような、子どもがドキドキするようなイメージを与えてやれば、絶対に反応は返ってくるんだよ。
 子どもの反応が返ってこないというのは、教師の伝える力が弱いからだ。それを知るのは簡単なんだ。「子どもたちに何をしてやったんだろう」と、自分に矢印を向ければもう、いっぺんでわかる。
 子どもの結果から学ぶことは、われわれ指導者にとっては非常に大きいんだよ。結果から学ぶというスタンスを、指導者やリーダーはしっかり持たないといけないと思うんだ。
 われわれ教師は前年と同じことをやっているわけにはいかないのだよ。つねに結果をフィードバックさせて、反省し、次に活かす。子どもを見て「ああ、いまの子たちにはこんなことが必要だ」ということを経験的にわからないといけないんだ。
 そういう気持ちでいれば、どんな子が入ってきても、つねに子どもの状況に対応できるはずなんだよ。「こうすべき」とか「こうあるべし」っていうことを押しつけてはいけない。それがわからないから、ついつい子どものせいにしてしまうんだ。
 だから、高校ラグビーの試合で伏見が花園に大敗したときにぼくが気づいたように「言ってわからん子はあかん」と言って、それで切ってしまうのではなくて、「どうしたらわかるようになるのだろうか」とか「どうやったら勉強するようになるのだろう」と矢印を自分に向けて、「じゃあ言い方を変えてみよう」というふうに考えてみる。
 いいか悪いか、できるかできないかで選別してしまうんじゃなくて「どうしたらできるようになるんだろう」ということにウェイトを置かなければいけないんだ。
 ちょっとしたきっかけを与えるだけで、子どもは本当に変わるんだよ。そんな指導者や教師を子どもたちは求めているんだ。そのためには、矢印を子どもに向けてしまってはダメ。
 
「おれは子どもたちに何をしてやったんだろう」といつも自分に問いかけて「どうしたらいいんだろう」と考える。そういう気持ちがいちばん大切だし、そうしないかぎりは、子どもを変えてやることはできないと思うね。
 何もわからない子どもには、強制を必要とする時期は絶対にある。なんでもかんでも好き勝手にするというのが自由ではないだろう。
 自由や個性というものには、自己責任が伴わなければいけないんだ。いま、それが実に少ない。そういうことに気づかせるためには、教育において強制される時期があって当然だし、それなくして自由にさせて、本当に社会に必要な人間になれるのかなっていう気はするね。
 何をしていいかわからない子にはきちんと目的を与えてやらせる。目的がはっきりしていれば「これさえやれば、こうなるんだ」とう意識につながっていくんだ。
 逆に、自分の目的に向かって自主的に取り組んでいけるような子は、そのまま見守ってやればいい。そういう子は、何かのときにちょっと手をさしのべてやるだけでグーンと伸びるからね、後からポンと押してやるだけで。
 その意味でも、イメージを与えてやることが大切なんだ。「おまえ、こうなったらいいな」とか「がんばったら絶対日本代表になれるぞ」というように、夢を語ってやったり、目標を語ってやる。
 そういうイメージをその子のなかにぼやっとわからせてやるわけ。それも、一人ひとりの子どもに全然違うイメージをね。そう言いつづけていくと、本人もだんだんそう思っていくんだよ。
 そのなかで、徐々にイメージが鮮明になっていく。そうなれば、どんどん自分からそのイメージに近づこうとするようになるんだ。何が必要か自分で考えるようになるんだよ。
 「やらされてる」のか、それとも「自分でやっている」のか、子どもにどう思わせるのかは、非常に大事なことなんだ。
 教育に限らず、どんなことでもそうだけど、やっぱり「こういう人になってほしい」とか「こういうチームをつくりたい」というイメージやビジョンを描けない指導者やリーダーは、人を育てることができないんじゃないかなと思うけどね。
 学習能力がない子は絶対に一流にはなれない。同じ失敗を平気で繰り返すからだ。努力をしない天才はいない。努力なしに素晴らしい勝利や感動は絶対に得られない。
 そういうことに気づかせてやれるかどうかが指導者は非常に大事なんだけど、言葉で言って、それがそのまま子どもの力になるのなら苦労しない。
 そこで大切なのがイメージなんだ。「どうしてやったらその本人にとってベストなのか、同時に周りの人間にも喜んでもらえる存在になれるのか」という青写真を指導者がきちっと自分のなかに焼き付けないと、現実からかけはなれた指導をしてしまうことになる。
 本当に「この子にこうなってほしい」というイメージがあれば、おのずとわかるはずなんだ。わからないのは指導者の愛情が足りないんだよ。
 何でも子どもにやってやるのが愛情なのではない。子どもを信じて、任せる。自分で気づくことができるまで、追い込んでやる。そういう気持ちが、本当の愛だと思うよ
 
「気づかせてやる」ことが一番重要だ。人から言われて気づくかということじゃなくて、「自分から気づく」ようにしてやらなければならないんだ。そういう場面や出会いをどれだけ用意してやれるかということが、指導者には大切だと思うね。
 もうひとつ大切なのが、それぞれの段階段階で「よし、いいぞ」って、きちんとほめてやること。評価してやることだ。そういう達成感の喜びがなかったら絶対ダメだね。もちろん、怒ったあとには、ちゃんとアフターケアーをしてやることは言うまでもない。
(
山口良治:1943年福井県生まれ、ラグビー指導者で元日本代表。高校教師として京都の無名の公立高校をラグビーで全国制覇させた。ラグビー部生徒への体当たりの指導が多くの反響を呼び、TVドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公のモデルとなった)

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教師にとって最も必要な資質とは何か、また授業の実力を高めるにはどうすればよいか

 教師としての楽しみは「教師になってからの努力」によってこそ、もたらされます。初心を忘れ、現状に安住して過ごすようになると、教師人生の楽しみは半減してしまうでしょう。「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」という言葉を心に刻んで進むべきだと思います。
 人生において、自分自身の資質や力量を高めていくことほど、すばらしいことはありません。自分の上達を実感できることは最高の喜びです。
 上達していくためには、他の人からの意見や批判によって、それまでの自分の考え方や感じ方を省みることが必要です。常に「自分の現状の否定と破壊」を自らに課する必要があると言えるでしょう。
 つらいこと、聞きにくいことにも、耳を傾けなければなりません。自分を変えて、変えて、変え続けることによって、徐々に望ましい自分になっていくのです。
 私はこれまで、たくさんのすばらしい先生がたにお会いしてきました。共通するのは、謙虚で素直だということでした。
 教師にとって何よりも大切なのは、自分が人間として教師としても、まだまだ未熟である、という自覚を常に持つことです。そうすれば、より向上したいという意欲がわいてくるものです。
 自分が未熟であることを自覚し、謙虚であり続ければ、正直になります。自分をよく見せようとする必要などありません。
 すると、教師自身が楽になるだけでなく、勇気を持って子どもたちと向き合えることになります。自分が間違っていたとわかったら、素直に改めていけばよいのです。
 自分を省みつつ、向上させていく教師には、子どもたちも心を開き、その姿勢を見て学び、成長していくのです。
 この「謙虚さ」と「向上心」の二つは、すべての教師にとって最も重要な資質と言えるでしょう。
 自分をより高く伸ばそうと思うなら、優れた人に直接会うことが最も近道です。いろいろと問いかけ話の糸口をつくることが望ましい。そして素直に聞くことです。
 上達の一番の条件は素直さです。まずは素直に教えを受け入れ
(1)
その指摘は、私の授業のどこにあてはまるだろうか。
(2)
その指摘を取り入れると、私の授業のどこが変わってくるのだろうか。
(3)
そのように実践したら、私の授業はどういうことになるのだろうか。
(4)
この指導は、私の授業のどこをどう改めよということになるのだろうか。
というように、自分の実践をまな板にのせて、受け入れることが大切です。そうすることによって、より良い実践が生まれてくるはずです。
 授業のレベルを上げるには、優れた授業者の授業を参観することが、最も効果的です。その場合も、発問法を見るとか、受けの技術を見るとか、学習形態の組織の仕方を見るとか、はっきりとした問題意識を持ち、具体的な目的を持って見ることが大切です。
 さらに、自分のふだんの授業を他の人に見てもらうことは、いっそうよい勉強になります。研究授業の回数は多ければ多いほどよいのです。それは教材研究や授業の腕を磨いていくことに役立つのです。
 授業では、子どもたちの反応を見ながら、常に工夫を加えていきましょう。授業を行った後に、指導案に授業の気付きをメモ書きし、反省を記入することをくり返すとよいでしょう。日頃の積み重ねが実力を高めます。
 授業の実践を記録するには、学級通信を利用するのもよい。授業の様子や学級のできごと、教師の思いや意見を記すと、特別に時間をかけなくても、教育実践の記録を積み重ねることができます。
 経験はぼんやりと繰り返しながら積んでも力にはならない。「こうしてみよう」「あれを加えてみよう」「あそこを削ってみよう」と、常に意図的に積むことが肝要なのです。
 私は本当に優れた先達との出会いに恵まれてきました。多くのことを教えてくださる。それが自分の成長の糧となるのです。すばらしい喜びとなるのです。
 一つひとつの出会いに意味を見い出せるかどうか、ということこそが、実は人間の成長の分かれ目のような気がします。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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「子どもが納得していないな」と教師が感じたらすぐに保護者へ連絡を

 気になることがあったら、すぐに保護者に連絡するようにしましょう。ちっとした手間を惜しむことがトラブルのタネになります。
 ケンカなど子ども同士のトラブルや、厳しく叱って指導した後など、子どもが「納得していないな」と「ピン」と教師が感じたら、すぐに保護者に連絡するとよい。
 納得していない子が、自分の思いを家で保護者に伝えた場合、誤解が生じて思わぬトラブルに発展することがあります。
 子ども同士のトラブルや教師の指導は、必ず納得させて帰らすのが基本です。下校するまでに、その子に目をかけ丁寧に接してあげましょう。笑顔で楽しく下校させることを忘れないようにしましょう。
 たとえ完全に納得しなくても「先生に心配してもらった」と感じれば、保護者も悪い気はしないはずです。
 子どもがスッキリしない顔で「これは納得していないな」と感じたら、必ず保護者にできるだけ早く連絡を入れ、事情を伝えることが大切です。
 
保護者から「心配して下さってありがとうございます」と感謝されることがほとんどです。担任からの連絡で初めて事実を知ることも多く、事情を正確に伝えることができます。
 子どもが帰った後も、教師の仕事は多いもの。でも、何をさておいても、まず連絡を入れておくことです。
 
「後で連絡を入れよう」と他の仕事をしていると、思わず連絡を忘れてしまいます。せっかくの対応も後手に回っては意味がありません。手間を惜しまず、すぐに連絡することが大切です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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教師は被害者意識を持つと、身構え、実践意欲への意欲も湧きにくくなる

 「教師は何をしているのか」「教師がもっとしっかりしないと」などと、教師批判はこれでもか、これでもかと続きます。
 こうした批判を聞くと、不満、反発の声が教師間で交わされます。「どうして教師だけ責められるのか」「保護者の責任はどうなっているの」と、日頃の思いがどっと吐き出されます。この時ばかりは、校長から若い教師まで思いが一致するのです。
 教師ばかりが責められるのは、健全な時代といえないでしょう。保護者が子育てについてもっと考えなければならないし、世の中の在り方だって改めていく必要はあるでしょう。
 教師は仕事に、もっと誇りをもたなければならないし、広い視野から学校や教師の仕事考えなければならないでしょう。できること、手がけられることから、実践や子どもへの接し方を、改めたり工夫したりするとよい。
 教師は、被害者意識の虜(とりこ)になってしまわないことです。そうなってしまえば、実践への意欲も湧きにくくなるし、心意気も高まらないでしょう。そして、防具に身を固めて、外部に対して、身構える姿勢ばかりが強くなってしまいます。
 教師が誠実に日々の仕事を果していれば、だれに何を言われようと卑屈になることなどありません。被害者意識など、もたなくてもいいのです。
 それと、どのような職業であれ、どれほど誠実に仕事をしていても、批判や注文はあるものだと承知しておくことも必要だと思います。
 外部の人の声に耳を傾ける、謙虚さもとても大切です。両者のバランスをとれる教師が、これからの教職の世界に必要だと思われます。
 教師が被害者意識を持つと、ついつい感情的になって「そんなことはできません」「教師を何だと思っているのですか」などと口にしてしまえば、保護者との関係修復は困難でしょう。
 教師の仕事は、相手が子どもであれ、保護者であれ、長期戦の構えが必要なことがしばしばです。もちろん、短期決戦ですぐに手をうたなければならないこともあります。教師には、それを判断する力が重要です。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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子どもたちに「わかりやすい説明」をするためのポイントとはなにか

 NHKの子どもニュースを担当して、子どもたちに「わかりやすい説明」をするには、いくつかのポイントがあると考えるようになりました。
 
「こんな言い方をして、子どもたちにわかってもらえるのか?」「ひょっとすると、子どもたちは知らないのではないか」と、常に自問自答して、子どもたちへの想像力を持っていないと「わかりやすい説明ができないのだ」ということを思い知ったのです。
 出演者の子どもたちが「わからない」と言ってくれるとき「そんなことも、わからないのか」と言ってはなりません。「何がわからないか」がわかると、そのニュースの説明は八割方はできたようなものです。
 その点について「では、どう言えばわかってもらえるだろうか」と一生懸命に研究すればいいからです。
「うーん、これだったら、わかるかな?」「それでもわからない?」「では、これで、どうだ」「えっ、わかる? ありがという」「わからないと言ってくれたおかげで、こんなにわかりやすくなった、ありがとう」と、常に言うように心がけました。
「きみが、わからないと言ってくれたおかけで、わかりやすくなった」という言い方を繰り返すことで、子どもたちにも番組つくりに参加している実感がわきます。
 こうした経験の結果、私なりに「わかりやすい説明」の方法を編み出していきました。そのポイントを五つにまとめると、
(1)
むずかしい言葉をわかりやすく、かみ砕く
 ニュースにはむずかしい言葉が数多く登場します。意味のわからない言葉が出ると、そこから先は理解が進まなくなります。わかりやすく説明することができれば、見ている子どもたちは「ああ、そういうことなんだ」と腑に落ちることでしょう。
 むずかしい言葉の多くは、漢字の熟語です。その漢字の意味をおさらいするだけで、むずかしい用語の説明ができ、ニュースのポイントも理解できることが多いのです。
(2)
身近な「たとえ」に置き換える
 想像しにくかったりして理解しにくいテーマのとき、わかりやすい「たとえ」を使うと効果的です。
 例えば、H2ロケットの大きさの説明です。高さは50mです。私が思いついたのが「奈良の大仏」でした。高さが16mです。でも、私たちは大仏さまを足元から見上げるので高いというイメージを持っています。
 こうして、H2ロケットの横に大仏さまの模型を並べ「ほら、H2ロケットは、奈良の大仏さまの三倍もの高さがあるんだ」という説明になりました。
(3)
抽象的な概念を図式化する
 抽象的な概念のニュースは映像がなく「見てわかる」ことはできない。図や模型にすれば「見てわかる」ということになります。
 ある概念を子どもたちに伝えようとするとき「絵」として伝えることができないか、と考えます。ある出来事を自分の頭の中でそしゃくして、図解してみます。
 図解しようと努力すると、ものごとの枝葉の部分がそぎ落とされ、本質だけが見えてくることがあるものです。
 自分の頭の中に、その「絵」を描くことができれば、次は、その「絵」を言葉にして子どもたちに届け、子どもたちの頭の中に、その「絵」を再現してもらうのです。
(4)
「分ける」ことは「分かる」ことに
 わかりやすく伝えるためには、伝える内容をきちんと分けてみることです。雑多な情報の中から必要な要素を取り出し、その要素を的確に分け、適切な順番に並べて伝えることが「分かる」ことになります。
 必要な要素を分けて再構成して見せることで、子どもたちの頭の中が整理でき、理解しやすくなるのです。
(5)
バラバラの知識をつなぎ合わせる
 バラバラの知識に「関係性」があることを示すことです。
 ある出来事について、ひとつひとつの言葉や数字を説明するだけでは、本当にわかったとは言えないこともあるのです。
 自分が持っている断片的な知識をつなぎ合わせ、ジグソーパズルのようにはめ込みながら、全体像が作りあげられたとき「わかる」ということになるのです。
 
「わかった!」というのは、知識を得たのではなく、自分の持っている知識によって、ある状況が解釈できたという場合である。頭の中でひとつの「絵」にまとまったときです。
 それと、ただ、ひたすら淡々と説明するのではなく「間」やリズムを大切にして、子どもたちとの会話のキャッチボールができるように留意すると、会話ははずむのです。
(
池上 彰:1950年長野県生まれ、ジャーナリスト。NHKに記者、キャスター、東京工業大学、信州大学、名城大学などの教授歴任した)


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小学校高学年を初めて担任し、いじめなどの対応で体調を崩したが、通院で立て直すことができた

 今の公立小学校に赴任して二年目のとき、初めて五年生の担任になった。その男性教師は物腰が柔らかで性格も温厚、子どもや保護者から教育熱心で優しい教師との評価を受けていた。
 二学期になり学級の雰囲気が少し違うことに気づいた。九月の下旬におとなしく、めだたない男子から相談を受けた。ある女子グループが、やや発達遅れのある男子を「いじめ」ていると話してくれた。からかったり、持ち物を隠しているという。担任は「いじめ」られている男子に事実関係を確認した。本人は何とかしてほしいと言った。
 そこで、翌日、当事者と思われる子ども一人ひとりと面接し、事実を確かめ、言い分を聞いた。始めは否認していたが素直に話すようになり、全員がからからっていた事実を認めた。
 そこで、この事実を自分から親へ報告すること、担任が事実関係を親に伝えると説明して帰宅させた。当日、それぞれの子ども宅へ電話で保護者に説明した。
 翌日、クラス全員に一人の子に複数の子がいじめを行っていたことを説明し、指導を行った。その後は、勤務時間中できるだけ、子どもといっしょにいる時間をつくり、一人ひとりの様子を見守った。
 そのころから担任は、それまで意識もしなかった疲労感を感じるようになった。夜になっても意識が高ぶり睡眠不足が重なっていった。肩こり、頭痛、手足がしびれ、朝の出勤時間になると動機がひどくなっていった。
 不安になり校長に相談し、校長の紹介で私の病院を本人の意志で受診した。原因は心労である。薬物療法で眠る前に一錠を服用し睡眠を確保した。必ず回復するので仕事を続けるよう説明し、二週間に一度面談することにした。
 担任は今まで以上に一人ひとりの子の言動に注意を払い、保護者との連携を密にして二学期を乗り切った。
 二学期の最後の保護者会は、できるだけ父親の参加も呼びかけた。その際には、教師としての今までの体験を振り返り、今「苦悩していること」「目標としていること」「努力していること」などを具体的に話すよう努めた。
 途中からは、保護者から本音に近い悩みも語られ、予定をオーバーして二時間近い話し合いとなったが、充実した保護者会であった。
 クラス全体が安定していくにつれ、担任の体調も回復し、三学期に入ってからは薬を使用しなくても睡眠がとれるようになった。通院で治療は終了した。
 子どもにとって家庭と学校で体験する生活内容は異質のものである。家庭は身内の人間関係で成り立ち、学校は他人との人間関係を通して社会を知る場となる。
 子どもとっての教師は、社会への入り口であり、社会のお手本としての存在である。子どもの行動を一人の大人として教師が受け止め、子どもの行動を吟味し、その内容を子どもたちが理解するまで対応する。
 教師が工夫し、努力し続ける姿勢が子どもの意識を変え、子どもたちとのコミュニケーションが成り立つ。その不断の取り組みが教育の本質である。
 今回の担任はその都度、事実の確認を取り、自分の考え、方針を説明し、行動し、考察し、自分の教育観や限界などを正直に保護者に開示した姿勢がことをこじらせず、学級の状況を好転させた力になったと思われる。
(
岡田 謙:医師(精神保健医)。教師と児童の精神疾患治療で有名な関東中央病院の部長を務め、東京都医師会学校精神保健検討委員会委員。平成18年から「くじらホスピタル」の初代院長に就任)

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授業のチャイムが鳴っても席につかないし、静かにしないとき、どうすればよいか

 授業の始まりのチャイムが鳴っても、なかなか教室にもどってこない子もいる。授業の開始時間を子どもたちに守らせることが大切である。
 そこで、つぎのように指導する。全員の子どもたちが教室にもどってきたところで、教師が「全員立ちなさい」指示する。
 つぎに「チャイムが鳴ったとき席につけた人は座りなさい」と指示する。そして「座れた人は、りっぱです」とほめる。
 この指示と評価を毎時間続ける。やがて、チャイムが鳴ると全員の子どもが教室にもどってこられるようになる。
 しばらくすると、この約束がまた守れない場面が出てくる。そのときは、班で取り組ませてみる。
 「全員立ちなさい」「チャイムが鳴ったとき席につけた人は座りなさい」と指示する。そして「○班と△班は、全員座れました。りっぱです」とほめる。班で声をかけ合って席につくことに取り組ませるのである。
 授業を始めようとするとき、子どもたちが静かにしないので「静かにしなさい」と教師が指示するのはよくない。では、どうすればよいのでしょうか。
 まず、はじめに音で集中させる。
 
「みんな、手を3回打ちなさい。さん、ハイ」と指示する。半数以上の子が手を打つ。おしゃべりをしていた子も、何が始まったのだろうかと集中しはじめる。
 さらに続けて「今度は、手を4回打ちなさい。さん、ハイ」と指示する。ほとんどの子が手を打つ。
 次は目で集中させるようにする。「指の数だけ手を打ちなさい」と指示し、指を5本見せる。子どもたち全員が手を5回打つようになれば、完全に子どもたちは教師に集中している。
 最後に「手を上げたら、パチパチと拍手をしなさい。手を下げたら、ぴたっとやめなさい」と指示して、手を上げる。子どもたち全員が拍手する。しばらくして、手を下げる。全員が拍手をひたっとやめる。教室が静かで楽しい雰囲気になる。
 子どもたちに作業をさせているときや、グループ学習をしている場合、教師が「やめて、こちらを見なさい」と指示しても、なかなか指示どおりにならない。
 こんなときには、まず「手をひざの上に置きなさい」と指示する。手に何か持っていると集中できないからである。
 次に「先生のほうに、おへそを向けなさい」と指示する。これで自然と教師の方に体が向き、集中する姿勢がとれる。
 それでも、少しざわついている場合は「静かにしなさい」「口を閉じなさい」と指示するよりも「歯を見せないようにしなさい」と指示するほうがよい。
 このような言葉を使うと、子どもたちは、どのように行動すればよいかがイメージでき、すぐに行動に移ることができる。
(
加藤辰雄:1951年愛知県生まれ、元名古屋市立小学校教師。愛知教育大学非常勤講師)

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楽しくなければ学校じゃない、学級を楽しくするにはどうすればよいか

 本来、学校は楽しいはずなのに、子どもも教師も「おもしろくない」といじけている。このごろ「学校がつまらない」という子どもが増えてきた。
 子どもたちの顔から笑いが消え、シラけた顔、無気力な顔が増えてきた。学校が楽しくなくなってきたからだ。しかも教師までが「今の学校はおもしろくない、学級担任はつらい」という。
 ほっておいたのでは、いつまでたっても、学校は楽しくならない。楽しくなければ学校じゃない。楽しい笑いを取り戻さなければ、活気に満ちた学校生活はやってこない。
 それには、なんといっても、教師のやる気と創意にかかっている。楽しさの扉は、教師がまず開くのである。教師はおもしろさの仕掛け人であり、楽しい世界をつくる演出家だからである。
 では、どうしたら子どもたちにとって、魅力ある楽しい学校生活をつくりだすことができるのだろうか。
(1)
教師にとって楽しいことをやってみる
 子どもは教師の鏡だから、教師が楽しければ、子どもも楽しくなるのである。教師が笑顔でいれば、子どもも笑顔になる。教師が怒ってばかりしていれば、子どももイライラして、もめごとのたえない学級になる。まず、教師が自分にとって楽しいことをやってみるのである。
(2)
子どものレベルに下りる
 ところが、教師が楽しいことをやろうとしても、子どもたちにとって楽しくなく、のってこないことがある。いったん子どものレベルまで下りて、子どもとチャンネルをあわせ、共感を示さなくてはならないだろう。
 そのレベルから、徐々に、おもしろさの質を高めていけばよいのである。
(3)
子どもの個性を引き出し広げる
 子どもたちは、その個性の中にたくさんのおもしろ世界を抱かえている。それを引き出すことも重要である。
 よく子どもを見ていると、ものの見方のユニークな子、掃除のじょうずな子など、面白い個性がいっぱいである。そうした子どものおもしろさを引きだし、学級の中に広げていくのである。
(4)
たくさんの輪をつくる
 なぞなぞの好きなグループ、ゲームの好きな仲間といった輪が多ければ多いほど、楽しい学級が作れる。人と交われない子どもには、その子ができそうなことを見つけて、なにかの輪に入るように、教師が手助けしてやるのである。
(5)
あそびから始める
 あそぶことは楽しい。教師が先頭に立って、子どもたちとあそぶのである。休み時間、朝や帰りの会、学活、道徳、ときには授業時間を使って集団あそびをする。教師があそびの先頭に立つと、子どもたちは「今度の先生はおもしろそうだ」となる。                              
(6)
あそびたい子からはじめる
 教師が先頭に立っておもしろいことを始めても「くだらない」と、シラける子どもが出てくる。しかし、おもしろいことは押しつけることではない。誘うものである。
 だから、やりたくない子どもはほっておいて、まず「やりたい」子どもたちで、始めればよいのである。そして「おもしろかった」という口コミで、参加者をふやしていくのである。
 つまり、たのしい活動やおもしろい活動は、輪を広げていきながら、そのなかに、シラけや反対する子どもを巻きこんでいくのである。
(7)
子どもたちで、おもしろい活動ができるようにする
 学級に、レク係、あそび係、音楽係、集会係などをつくって、その子どもたちの提案をもとに、学級全体で、自主的におもしろい活動にとりくむ。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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まじめで誠実な教師の心が壊れていく時代になった

 私どもの学校教職員の専門病院メンタルヘルスケア・センターでは、初診にこられた場合、主につぎの三点についてお話を聞かせてもらいます。
(1)
この方が精神性疾患のレベルに達しているのか。また、症状レベルでどんなものをもっているのか。悩みのレベルなのか、それとも、もう病気に入っているのかを診ます。
(2)
環境要因はどうなのかについて聞きます。学校でのストレスが決定打になっているのか、もしくは家族のことが決定打になっているのか、どちらがどのぐらいか、ということを診ます。
(3)
さりげなく性格的な偏りはどのぐらいかを診ます。これは悪いという面ばかりではありません。先生というのは、まじめ、誠実、がんばりすぎる、几帳面であるというよい面をもっています。
 それが行きすぎるという場合があるので、それがどの程度なのか、もしくは性格に著しい偏りがあって周りを大変な目に遭わせていないか、というようなことを話の中でさりげなく見立てていきます。
 
患者さんは一つの要因で倒れるというのはレアケースのように思います。三つのうちどの要因がどれだけの割合で関係しているかを私どもが最初の段階で見立てていきます。
 それによって「薬物療法」「休業」「精神療法」のいずれかを行うのかなどを決めて、患者さんに説明をします。休みに入ることが多いように思います。
 うつ病の教師が最も多いのです。うつ病というのは、不満やぐち、怒りを外に出せないために自分のほうに矢が自分のほうに向いてしまい、自分自身を攻撃することによって生じる病気だといわれています。
 教師が、怒っていいところで怒れないという状況に追い込まれているために、自分を責めざるをえなくなって、だんだん心が痛んでくる病気だと私は考えています。
 患者さんには 「脳内の物質の代謝異常です」と説明するようにしています。この代謝を良くするために休みや薬が必要であることを伝えて、納得してもらうようにしています。
 うつ病の背景にある要因は
(1)
多忙化
 教師の「忙しさ」があると思います。教師が多忙で子どもと遊ぶ時間がないのです。私は多忙に加えて孤立感で倒れると思っています。同僚や管理職が必ずしも助けてくれる余裕があるとは限りません。皆さん自分のことで精一杯という状況があります。倒れた多くの教師は「支えられているという実感がない」と言っています。
(2)
人間関係の複雑化
 人間関係が複雑で、そのプレッシャーに耐えられないということがあると思います。子どもや保護者そして地域とあたりまえのように関わっていかなければなりません。転勤をきっかけに孤立感に悩むということが起こります。
(3)
子どもや保護者の変化
 子どもが変わった、保護者が変わったということです。保護者の権利意識が強くなり「やってもらってあたりまえ」ということで大変です。
(4)
地域のつながりの変化
 何か問題が起こると、地域で抱かえるはずの問題が、学校なら仕返されなと、ストレスのはけ口として学校に持ち込まれるということが頻繁にあります。「コンビニの前に生徒がたむろしているので何とかしてほしい」という問題にしても、それはコンビニの問題なのですが、学校に言ってきます。
(5)
環境の変化
 教師は五十代になって頻繁に職場異動をくりかえします。それが、うつの引き金になっているというケースは多いのです。せっかくできた人間関係とチームを奪われます。
 教師であるというだけで、うつになりやすい背景には「支えてくれるつながりを失う」「環境の変化」という要因があるのだと思います。
 つぎに多いのが心身症といわれるものです。「腰が痛い、肩こりがひどい、頭痛がひどい」と様々な身体の症状を訴えるのですが、検査の結果はどこも異常はありません。それでも「おかしい、でもどうしても頭が割れそうに痛い」というようなケースです。
 今は、変な教師が倒れるのではなくて、まじめで誠実だからこそ倒れるという時代になっていると思います。だからこそ、制度をきちんとつくって、しっかりと働ける人材を教育現場にお返ししたいと思います。
 ですが、管理制度ができて、先生方は何かビクビクしています。管理職も教師も謝ってばかりです。それはちょうど指導力不足教員の認定や教員評価制度がはじまった頃から起こっているように私は感じています。
(
井上麻紀: 臨床心理士。公立学校共済組合近畿中央病院メンタルヘルスケア・センター主任心理療法士。学校教職員の専門病院で、教員に特化したメンタルヘルスケアや職場復帰支援している)

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学級崩壊から生還した教師たちはどのようにして解決したのか

 子どもが荒れる一番の原因は授業であり学級崩壊は授業崩壊から始まる。また、荒れから生還する唯一の道も授業である、授業の再生が学級を再生することを肝にめいじて授業をしなければならない。授業がしっかりしていけば、学級経営もしっかりしていく。
 教師が勉強し、授業を変えていくことこそが、学級を良くしていく最善の方法である。授業がへたな教師は、教師優先の我流の授業スタイルが多い。教師が変わらなければ、子どもも変わらないし学級崩壊は解決しない。
 学級崩壊の大半の責任は教師にあると素直に認めることである。授業がへたでつまらなかったことであり、その点を反省することである。これまでの我流をすべてすてて、素直に多くの教師の実践の成果に学ぶことである。
 つまり、これまでの自分を否定し、新しい出発をする決意をすることである。そうすれば、未来は明るい。教師が変わり、授業が変わり、子どもが変わるのである。
 
「子どもの事実」こそが大切なのだ。「子どもの事実」が評価する唯一の基準だ。ごまかしがきかない。なぜ、失敗するのか。それは自分のやり方が未熟だからだ。自分の未熟さに目を向け、それを克服していくため日々、挑戦し続けなければならない。たとえ「ほんのちょっとの、子どもの変化」を生み出すにも、山のような反省と自己変革が必要だ。
 そして、つかんだ子どもの変化は、ずしーんと腹の底まで響く手応えがある。これこそが実践であり、教師の仕事なのだ。どれだけ困難な子どもでも、その可能性を伸ばすことに挑戦するのが教師の仕事だ。
 学級崩壊で大切なのは、学級崩壊から生還した事実なのである。悩んでいる多くの教師の福音になる。子どもや保護者は救われるだろう。学級崩壊から生還した教師たちが体験したことをみていくと、つぎのようなことがいえる。
(1)
現場で悩んだとき「どうしたらいいか」を研究会やサークルに参加して具体的に教えてもらう。子どもたちへの指示・発問のやり方や、楽しい授業、知的な授業など多くの情報に出あえることができる。
(2)
学級経営や授業について優れた本を読み、追試(すでに行われた研究成果をその通りに行って試すこと)し、優れた学級経営や授業を積み重ねる。そのとき、優れた実践の裏にある考え方を知ることが大切である。
(3)
学級を統率するのは自分だという、気概、気迫、責任感を持つ。
(4)
教師は時として「ダメなことはダメ」と毅然とした態度をとらなくてはいけない。
(5)
新年度、最初の「黄金の三日間」を大切にする。
(6)
一人では立ち直ることはできない。よき相談相手、理解者が必要である。
(7)
保護者との連絡(家庭訪問、学級通信など)を密にしてコミュニケーションをはかり、理解を得るようにする。
(8)
子どもたちへの見かたを変える。子どもを叱ることで動かすのではなく、子どもたちの良いところを見つけ、ほめる。楽しいゲームや遊びなどもふくめ、一人ひとりの子どもとの関係改善をはかる。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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授業のスピードを加速すると学習が楽しくなり、高度なことに挑戦すると能力が向上する

 授業のスピードを加速すると学習が楽しくなります。
 速く、テキパキと、パッとできることって気持ちいいことです。それなのに、授業の最初に「きりーつ、れいー」と、ノロノロするのではなく、「起立、礼、着席!」までを2秒以内でできるまで指導しましょう。授業の始まりの集中力が見違えるように変わります。
 授業の導入に、スピードを重視したさまざまな基礎練習を毎日、反復しています。たとえば、10マス計算(1ケタの計算問題が10問ずつ記載されているプリントを使った反復学習)です。たとえば「10問を5秒で解きます」と言ったら「えー、無理」と言いだす子がいます。
 そんなときは「じゃあ10秒」と言って始めます。タイムを競わせることもあります。タイムを競ううちに「速くできた!」と、速さの気持ちよさも実感できるようになるのです。
 あいさつも10マス計算も音読も、常にスピードを意識させます。最初は優しく接して雰囲気づくりをします。信頼関係ができあがったら、高速で基礎固め、反復学習を始めます。
 すべてをスピードアップすることで、他のクラスが1時間で教えることを5分で終わることもできるようになります。その分、発展的な内容を、深く教える余裕も生まれるのです。
 最初からスピードアップして始めれば、最後までスピードが保てます。速いのは楽しいと思えば学習が楽しくなります。
 高度なことに挑戦させることが能力向上につながります。
 高度なことをやらせて、次々にレベルの高いことをやらせる理由は、いくつかあります。
(1)
小学生のうちに
 漢字プリントにしても10マス計算にしても、超高速でやることで小学生は盛り上がります。そして効果が出てきます。しかし、中学生になったら「何でこんなことをやらなきゃいけないの」と、真面目に取り組もうとしないでしょう。
(2)
現代の情報化の時代の問題
 インターネットがあり、情報は簡単に手に入ります。交通機関も発達し、いろいろな場所に行けます。携帯電話の進化もものすごい速さです。こういう環境になると「便利=ラク」と思うようになってもしかたがありません。
 だからこそ、自分で汗をかいて獲得した能力に感動するのです。そして「もっと伸びたい」と、さらに汗をかくでしょう。
 自分が苦労して手に入れた技術、能力は一生ものです。イチロー選手だって、毎日同じトレーニングをして、自分で能力を高め続けてきたからこそ、大きな記録を生み出すことができたのです。
 たとえば、漢字プリントや10マス計算、そして百人一首で札を取る速さもそうですが、高度なことをやらせるとき、私がよく言うのは「できなくて当然だよ」です。
 トップレベルのスピードを私が見せることで、子どもたちは挑戦したいと思います。トップレベルになるための練習ですから、夢中になってやります。
 しかも、そのトップレベルをクリアしても「やった! できた!」と、安心させません。「これで終わりじゃないよ。次のレベルのスタートだよ」と言って、次々に与えます。
 漢字ができた、つぎは熟語、つぎは意味を覚えろと、必ず「つぎ」があります。「漢字を一通りできた? じゃあ漢字検定の勉強だ」と、これで実際に合格した子どももいます。
 なぜ、子どもを安心させないのか。学習能力を鍛える効果があるからです。一回やって、わかったつもりになるのが、今の小学生のよくないところです。それでは、内容がわからず授業から落ちこぼれていく子どもが出てしまいます。
 私は毎日、少しずつ繰り返し教えます。一人ひとりの子に対して、どこがわからないか、その部分を補強し、高度なことに挑戦させるのです。
 次々に高度なことをやる楽しさがわかった子、自分が伸びるおもしろさを知った子は、他の子には見えない世界が見えてきます。
 有名なスポーツ選手や科学者だって「人生はつねに学び。これで終わりということはない」という意味のことを言っているでしょう。小学生がこの境地に立てるのです。
(
杉渕鉄良:1959年東京生まれ、東京都の小学校教師。「教育の鉄人」と呼ばれる実践家、子どもを伸ばす為に命をかける熱血教師。ユニット授業研究会代表。その実践スタイルは全国の教師、保護者から支持を受ける。2003年夏、日経スペシャル「ガイアの夜明け」に出演。PHP「VOICE」や、経済誌「プレジデント」での教育シリーズに取り上げられ、各方面からの注目も高い。ユニット授業、10マス計算、表現読み、指名なし発言など、子どもの可能性を引き出すため、さまざまな工夫を凝らした教育実践を行っている) 

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面白くなければ授業ではない、教師の道に惚れ込み、面白さを見出すのがいい

 教師にとって授業が面白くなければ、子どもにとっても面白いはずがない。面白いということは、笑いがあるということである。笑いがある授業は楽しいのである。野口芳宏は面白い授業を求め続けている。
 笑いというものは楽しい時にしか生まれないから。良い授業には必ず楽しさがある。子どもの表情が生き生きするのである。そういう面白い授業を子どもたちにしていく、心がけが必要である。
 しかし、むろん笑いだけが面白さではない。笑いはしないが、考え合い、問いつめ、新しい解決の糸口を見つけ出せた時の喜びは格別すばらしいものである。
 そういった「知的興味の充足」も「面白さ」である。そのような面白さは、問いや、課題の質によって決まってくるとも言える。
 知的な面白さのコツは、ちょっとむずかしい問題を出し、初めは「わからない」と思わせ、少しずつその不満状態を解決していくプロセスをドラマにしていく点にある。
 野口の「うてとこ」の授業(「子どもを動かす授業の技術20+α」明治図書刊)などはその一例になろう。
 また、初めの考えが、時間の経過とともに否定され、やがて脱皮し、成長していくそのプロセスも、十分に子どもの知的興味をかきたてる。
 さらに、子どもが教師を乗り越えていくこともまたすばらしいドラマを生み、子どもを大いに楽しませる。
 教師の解答に不満や誤りがあり、子どもがそれを見つけ、教師の考え方を改めさせていくという面白さは、本当に教師も子どもも燃えに燃えることになる。その例としては、野口の実践「菜畑」が好適である。
 いずれにせよ、授業は面白くなければいけない。面白くなければ授業ではない、とさえ言ってよいだろう。野口は、あえて自らにそう言いきかせている。それをめざすところに、授業の腕を磨く楽しみもまた生まれてくるに違いない。
 教師の道を選んだなら、教師の道に面白さを見出し、教師の道に惚れ込んで、のめりこみをするのがいい。
 だから、どうしても教師という仕事、授業という仕事に面白味を見いだせないとしたら、教師としての人生はさぞ味気ないものになるだろう。また、そういう教師に教わる子どもたちの不幸も大きいことになるのではないか。
 私は人生にとって何に「面白さ」を見出すかということがたいへん、たいせつであるように思うのである。できうれば自らの選んだ職業の中に「面白さ」を見出し、それにのめりこんでみることが良いと思う。そういう、のめりこみの姿勢こそが、自らの人生の「探究」そのものになるのだと思うのである。 
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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子どもとよい関係をつくるためには、教師はどうすればよいか

 いまの子どもたちとつきあうのは、本当に疲れる。いいかげんにしてくれよと言いたくなる。とにかく子どもたちは我慢ができない。トラブルは日替わりメニューのように起きる。教室にはトラブルメーカーの子どももいる。こうした子どもたちを相手に教師はどうすればいいのだろうか。
 子どもの荒れが広がり始めたころ、私は子どもの言動を許せず苛立っていた。教室にザラついて空気が流れ、不信は不信を呼び、子どもたちは私の言うことを聞かなくなった。
 現実を変えることができないと悟ったとき、子どもへのまなざしを変えなければと考えた。腹立たしい子どもを嫌わないためには子どもの見方を変えるほかない。
 私の家庭での子育ての経験がヒントになった。家で小学生の姉が失敗した。私は思わず激しく怒ったのに、幼い弟が同じ過ちをしても、幼児は「できなくて当たり前」と思うから腹は立たなかった。
 一人ひとりの子どもの細部を丁寧に見れば、どんな子どもにも健気な気持ちや成長したいという願いと小さながんばりがあり愛おしくなる。肯定的に子どもを見て、よさを発見することが教師と子どもとの関係を変える。
 そう考えると、教育は恋愛に似ていると思い始めました。人は恋すると好意を寄せ、よさを見出してくれる。好きな人のために、自分を向上させようとするエネルギーが生まれる。片思いでさえも好意が伝わる。
 教師の子どもへのあたたかい感情なしに教育は成り立たない。苦手な子、なかなか好きになれない子でも、関心や期待を寄せることならできる。
 どんな子どもも、愛されたいと願っている、誇りがある、心の奥で自分を成長させたいと願っていることを胸に刻んでおきたい。
 子どもへの対応にはマニュアルはない。教師は学校現場で学び、幅広い読書や文化のなかからできるだけ人間的な直観を養うほかない。「子どもだった自分なら、こうは言われたくない、こう接してほしい」と思う対応ができれば、子どもの心に届くものがあるはずだ。
 子どもたちは私たちがかつてそうであったように、大人になる過程でいつか変わり、成長する。根っこから悪い子も、いつまでも悪い子もめったにいない。
 そうだとすれば、目の前の悪い子を嫌わず、いつか「変わりゆく子」のために、何かを心に残すことが教師の仕事だと考えるようになった。それは「悪かったが、信頼してくれた先生がいた」という思いであり、すぐに成果が出るかどうかより、教師が何を願い、何を試みていたかが子どもの人生に残ればいいと思う。
(
佐藤 博:1948年香川県生まれ、元東京都公立中学校教師。千葉大学・法政大学非常勤講師。教育科学研究会常任委員、「学びをつくる会」世話人)

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教師と子どもの関係づくりに必要な3つのこととは何か

 子どもたちは、大好きな教師からほめられたら、うれしいでしょう。しかし、反対にあまり好きでない教師にほめられてもさほどうれしくないものです。言葉よりも、誰にほめてもらったかが重要なのです。
 教育は、教える者と教わる者の関係性が鍵になります。そのためには、
(1)
教師が子どもたちから信じられること
 人は信頼している人の言葉には耳を傾けて、従います。教師は、子どもからも保護者からも「信頼」を得ることがまず大切です。
 教師は、子どもたちに「望ましいこと」を語り続けます。
「昨日よりも今日、今日よりは明日と、いつも進歩を心がけましょう」
「自分の考えに責任を持って行動しましょう」
「すすんで学校をきれいにしましょう。ゴミを拾いましょう」
 これらは、立派な言葉です。立派な指導です。ただ、教師自身が、はたしてそのような自分の言葉にふさわしく生きているかが問題です。
 教師が語る理想と、本人の日常がかけ離れたものであれば、その教師が子どもや保護者に受け入れられることはないでしょう。一つひとつの小さな言動が、子どもにも保護者にも納得されるものであってこそ、初めて教師は信用され信頼されるのである。
 そして、教師自身も、子どもを信じなくてはなりません。「必ずよい子になる。よい子にさせる」という信念で子どもに接してこそ、日々の実践に力が入り、教育の楽しみを生み出すことができるのです。
(2)
子どもに敬われること
 人は「あの人は立派だ、人格者だ」と敬服するとき、初めてその人の言葉に耳を傾け、受け入れようとするのです。自分の不十分なところに気づき、補おうとして努力を続ける謙虚な人に対してこそ、人々はあこがれを抱き、あのようになりたいと思うのです。
 そして、教師は「これだけは」と誇れるものを持ち、その姿を子どもたちに示しましょう。たとえば「ぼくらの先生は、とても教え方がうまい」「先生のように歌えたら楽しいだろうな」といったことです。これといった特技でなくても、教育にかける情熱や、子どもと遊ぶことなど、何でもよいのです。
 教師もまた子どもを敬うことが大切です。子どもの背後には、両親をはじめ、その子に望みと期待をかけ、愛を注いでいる人たちがたくさんいます。その人たちの存在に気づいて「大切な宝をお預かりします」と心から思えたときに、教師は子どもを尊敬できるのです。
 そうなれば、教師は子どもたちに「きみたちはかけがえのない大事な人間だよ」という言葉をかけ、敬意をもって接しられるようになるでしょう。
 このように尊重される子どもは、自分を重んじ、軽はずみな行動をしなくなります。そして、教師との心のつながりが太くなり、教育の効果も上がるのです。
(3)
慕われること
 子どもたちが教師を尊敬するが敬遠するようでは、真の教育にはなりません。「先生から教わりたい」「先生に会いたい」という、子どもからの慕わしさを生むのは、人間としての「温かさ」であり、「優しさ」であり、「寛大さ」であり、「明るさ」であり、「大らかさ」です。
 人は誰でも、温かさを感じるところに寄っていこうとするものです。特に、小学校の教師は、まず明るく温かくなくてはいけません。
 子どもが、先生が好きでたまらないとき、教育の実は大いに上がります。「先生と話がしたい」「先生の顔が見たい」と、子どもが教師を慕い、先生に会うことを楽しみにするようになったら、教師として本物だと言えるでしょう。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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