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楽しくなければ学校じゃない、学級を楽しくするにはどうすればよいか

 本来、学校は楽しいはずなのに、子どもも教師も「おもしろくない」といじけている。このごろ「学校がつまらない」という子どもが増えてきた。
 子どもたちの顔から笑いが消え、シラけた顔、無気力な顔が増えてきた。学校が楽しくなくなってきたからだ。しかも教師までが「今の学校はおもしろくない、学級担任はつらい」という。
 ほっておいたのでは、いつまでたっても、学校は楽しくならない。楽しくなければ学校じゃない。楽しい笑いを取り戻さなければ、活気に満ちた学校生活はやってこない。
 それには、なんといっても、教師のやる気と創意にかかっている。楽しさの扉は、教師がまず開くのである。教師はおもしろさの仕掛け人であり、楽しい世界をつくる演出家だからである。
 では、どうしたら子どもたちにとって、魅力ある楽しい学校生活をつくりだすことができるのだろうか。
(1)
教師にとって楽しいことをやってみる
 子どもは教師の鏡だから、教師が楽しければ、子どもも楽しくなるのである。教師が笑顔でいれば、子どもも笑顔になる。教師が怒ってばかりしていれば、子どももイライラして、もめごとのたえない学級になる。まず、教師が自分にとって楽しいことをやってみるのである。
(2)
子どものレベルに下りる
 ところが、教師が楽しいことをやろうとしても、子どもたちにとって楽しくなく、のってこないことがある。いったん子どものレベルまで下りて、子どもとチャンネルをあわせ、共感を示さなくてはならないだろう。
 そのレベルから、徐々に、おもしろさの質を高めていけばよいのである。
(3)
子どもの個性を引き出し広げる
 子どもたちは、その個性の中にたくさんのおもしろ世界を抱かえている。それを引き出すことも重要である。
 よく子どもを見ていると、ものの見方のユニークな子、掃除のじょうずな子など、面白い個性がいっぱいである。そうした子どものおもしろさを引きだし、学級の中に広げていくのである。
(4)
たくさんの輪をつくる
 なぞなぞの好きなグループ、ゲームの好きな仲間といった輪が多ければ多いほど、楽しい学級が作れる。人と交われない子どもには、その子ができそうなことを見つけて、なにかの輪に入るように、教師が手助けしてやるのである。
(5)
あそびから始める
 あそぶことは楽しい。教師が先頭に立って、子どもたちとあそぶのである。休み時間、朝や帰りの会、学活、道徳、ときには授業時間を使って集団あそびをする。教師があそびの先頭に立つと、子どもたちは「今度の先生はおもしろそうだ」となる。                              
(6)
あそびたい子からはじめる
 教師が先頭に立っておもしろいことを始めても「くだらない」と、シラける子どもが出てくる。しかし、おもしろいことは押しつけることではない。誘うものである。
 だから、やりたくない子どもはほっておいて、まず「やりたい」子どもたちで、始めればよいのである。そして「おもしろかった」という口コミで、参加者をふやしていくのである。
 つまり、たのしい活動やおもしろい活動は、輪を広げていきながら、そのなかに、シラけや反対する子どもを巻きこんでいくのである。
(7)
子どもたちで、おもしろい活動ができるようにする
 学級に、レク係、あそび係、音楽係、集会係などをつくって、その子どもたちの提案をもとに、学級全体で、自主的におもしろい活動にとりくむ。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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