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子どもに信頼され安心感を与えるには、教師は子どもとどのように接すればよいか

 教師は時代が変わったことに気づかなければならない。子どもとの接し方を変えるしかない。
 これまでの日本の学校では、教師と子どもとの間に一定の距離を置くことが常識的な方法となっていた。あまり近づきすぎると、教師の畏怖感を維持させることができないからだ。畏怖感を持たせることで子どもをコントロールしてきた。しかし、今はそういうわけにはいかない。
 畏怖感を与えるために子どもと距離を置くのではなく、子どもを理解するために「子どもが見える距離」まで近づくべきだ。子どもとの距離を縮めるには、なるべく多くの時間を子どもと過ごさなければ子どものことは見えないし、話しをすることもできない。
 教育の原点とは何だろうか。あえてひと言で言うなら、それは「子どもたちを理解する」ということだ。
 子どもの考え方や行動を認めるにせよ、それではダメだと否定するにせよ、子どもたちを正しく導くためには、子どものことを理解していなければならない。それが教育の大前提だと言えるだろう。
 問題ない子どもなんて一人もいない。どの子どもも、それぞれ人とは違う悩みや問題を抱かえている。そこを見ようとしなければ、その子の成長を助けることはできない。
 教師は、子どもとの距離をできるだけ縮めるよう努力し、彼らの心のドアをノックし続けなければならない。近寄れば近寄るほど、子どものちょっとした変化が見えてくるようになるだろう。
 たとえば昨日元気だった子どもがため息でもついていたら、「何かあった?」と声をかけてやればいい。声をかけても、その大半は取り越し苦労だ。
 でも、仮に取り越し苦労だったとしても、100回に一回は重大な問題に気づくことができる。「そんな効率の悪いことはやっていられない」と思うような人間は、教育に携わるべきではないと思う。
 担任を持っているとき、子どもの様子を見るうえで、私がもっとも大切にしていたのが、休み時間や朝の会と帰りの会だった。授業以外で子どもとふれ合う時間こそ、学校の存在意義があると言える。
 とくに登校後の朝の会は、子どものすべてが見える。前日に何かあった子どもは、そこで必ず何らかのサインを発している。机に伏せて寝ている子どももいる。窓の外をボーッと眺めている子どもいる。
 それはどれも、無意識のうちに発している「自分を見てほしい」「ノックしてほしい」というサインだ。そんなときは、休みの時間にすかさずノックだ。
 だから、ホームルームを大切にしない教師は子どもたちの問題を解決することができない。ホームルームは子どもが発している情報を読み取る場所、つまり子どもたちの日常を「見る」ための場所なのだ。
 現場の教師がホームルームに対する意識を改めるたけで、学校教育は今よりずいぶん良くなるのではないだろうか。
 だからといって、私は授業時間をおろそかにしていいと言っているわけではない。教師にとって教科指導と生活指導は別の仕事だと思っているかもしれないが、決してそんなことはない。
 どちらも、子どもたちの気持ちを引きつけて信頼を得ないとうまくいかない点では同じことだ。したがって「授業がへたでつまらないけど、生活指導はうまい」という教師はまずいない。
 授業中に子どもを引きつけられない人間にどうして生活指導ができるだろうか。日常生活で子どもに言うことを聞かせられるはずがない。
 だから教師は、子どもに信頼される生活指導を行うためにも、子どもの興味をかきたて、勉強の楽しさを味わえるような授業ができるよう、自らの能力を高めないといけない。
 いやいや学校に来ている子どもでも、自分の腕で授業を面白いと感じさせるのが、プロの教師としての仕事だろう。
 私は塾でナンバーワン講師になるぐらいでなければ母校の教師になる資格はないと思っていたので、必死になって授業のやり方を研究したものだ。
 きれいな字で板書できるよう練習をし、人気の高い講師たちの授業を聞きに行った。授業が面白く、子どもたちを引きつける魅力があった。
 他人の良いところはどんどん盗んだほうがいい。人気のある講師はみんな導入がうまい。無駄話から入るのだが、気がつくとそれが授業の本筋とつながっている。間を取り、息抜き時間も用意している。
 授業の技術ばかりに走らず、私が心から授業を楽しむようになってから、評価がどんどん上がっていった。
 教師が授業を楽しんでいると「先生がこんなに楽しそうに教えているんだから、きっと何か面白いことがあるに違いない」と、子どもたちが感じて意欲が上がるはずだ。
 今の教師が子どもに与えるのは、「畏怖感」ではなく「安心感」だと思う。そのためには、まず教師が子どもに近づいて「注目」してやることだ。
 まじめに勉強して良い会社に入れば幸せな未来が待っているという「神話」が生きていた時代なら、子どもたちもそれを信じることで当面は安心感を得ることができた。しかし、今は、そういう将来への安心感が持てない。だからこそ、大人たちが彼らに安心感を保証してやることが大事なのだ。
 誰にも注目されていない状態ほど、人間を不安にさせるものはない。だから子どもたちは、いつも誰かに自分のことを見てほしがっている。
 子どもというのは、将来の定まっていない存在だ。したがって、多かれ少なかれ不安を持って日々の生活を送っている。そんな子どもと距離を置き、なおかつ大人に対する畏怖感を与えてはいけない。
 教師は、子どもと一人の人間として本気で関わらなければ仕事にならない。全身から情熱を発して子どもたちに接するのが、教師の仕事だと思う。自分の持ち味を生かしながらやっていけばいいと思う。
 要は、子どもたちを心底「かわいい」と思えるかどうかだ。子どもがかわいいから「ダメなものはダメ」と熱くなって怒ることができるし、かわいいからこそ熱を持って抱きしめてやることもできる。一緒に遊んで、心から楽しむこともできる。それが教育本来の営みのはずだ。
(
義家弘介: 1971年生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、母校の教師となり活躍する。後に横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

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