教師にとって本物に出会い、実践の根底に流れる原理を持つことが重要である
教師は本物の優れた教師に出会うことが大切である。
宮城まり子(注)は「人間は生まれたときから、本物に出会いつづけないと、将来もののよさが分からない人間になってしまう」と言っている。
このことは教師をめざす学生にもあてはまる。彼らがほんものの教師に出会うことが、大切で重要な意味を持っている。私はそういう認識のもと、学生たちに斎藤喜博と深く出あわせるよう努めてきた。
私は授業でビデオ「教える-斎藤喜博の教育行脚」を学生に見せる。学生はつぎのように書いている。
「教育とは、教師と子どもが手をつないで旅をすることと同じことだと思います。教師が子どもたちに声をかけながら手をさしのべることによって、子どもは困難を乗り越えられるのだと思うのです」
充実感を授業の中で子どもたちに味わわせ、子どもと一緒に教材の世界を旅していくのが教師の仕事なのだ。
その教材を通して、子どもたちが今いる世界から、もっとすばらしい世界、心のゆたかになる世界へと、困難をともにしながら旅をしていくことであろう。
教育は「教師対子ども」で行われるものではなく、「人間と人間」でするものなのだ。そうしたことが一番難しく、それでいて一番価値があるのではないか。
ふつうの教室でよく見られる「先生と子ども」という上下関係を斎藤の教室では見いだすことができなかった。
その代わりに、一人の教師が子どもたちと人間として対峙し、追求をしている姿を学生たちは発見していった。
「先生と子ども」の関係でなくて「人間と人間」の関係で教育を行うことが一番難しいが、一番価値があるのではないかと思う。
ユニークな実践者であった小松田克彦(元埼玉県公立小学校教師)は、斎藤喜博が生前、自宅で開いていた第三日曜会という研究会の常連であった。
小松田学級の生活の原理は、単純明快である。それは第一に「ていねいにものごとを行う」こと。第二に「周りの人たちと心をかよわせること」である。
この二つの原理は、国語をはじめすべての授業の中や学級生活のあらゆる場面で貫かれる。子どもは自分をそして仲間を高めていく。子どもの言動がこの原理からはずれると、厳しい叱責の言葉が飛ぶ。
学級が「学びの共同体」として心地よく存在するために、この二つの原理は、ことあるたびに、子どもたち全員で確認をされていた。
大きく息を吸い込み、一語一語の言葉が暗示する世界を心にえがきながら朗読する子ども。教室には、あたたかい空気が広がり、心の中にやわらかく朗読がしみいってくる。
「跳び箱とお話ししてから、飛ぶんだよ」との指示に示されるように、子どもたちは、ともだちだけでなく、まわりのすべてのモノとも心をかよわせ、自分を高める努力をしている。
「子どもの心をしっかりと育てれば、自然と子どもの行動はよくなる」(斎藤喜博著作集第1巻:教室愛,教室記)と斎藤喜博が述べているように、教師が子どもに育てるべきことは、人やものごとと向き合う心である。
小松田がしていることは、一人ひとりの子どもに、人間として行うべき道を示すこと。その原理が「周りの人と心をかよわせ、ていねいにものごとを行う」ということであった。
すぐれた教師は、その実践の根底に流れる原理を明確にもっている。生活の原理が確認できない時、子どもの成長は崩れる。
子どもに示される原理が普遍性を持ち、教師自身の生き方の中に生きているとき、子どもはその学級の一員として、教師とともに生きていく。
(佐久間勝彦:1944年生まれ、神奈川県川崎市公立中学校教師、千葉経済短期大学教授、千葉経済附属高校長、千葉経済短期大学長を経て千葉経済大学学長)
(注)宮城まり子:1927年 東京生まれ、歌手、女優、映画監督として活躍、1968年日本最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」設立。総理大臣表彰、広島大学「ペスタロッチ教育賞」、「東京都文化賞」、尾崎行雄咢堂賞、「石井十次賞」等受賞。ねむの木学園で理事長として教育の現場に立ち、生涯学習を基にした「ねむの木村」を運営する)
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