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22 87 プロ教師をめざすにはどのようにすればよいか

 何といっても「意欲」のある教師は伸びる。教師修業の原点は「真のプロ教師になりたい」という意欲を持つことだ。
 自分なりの目標を決めて、どうしたら自分らしい学びができるか、どうしたらよりよく学べるか、考えることだ。グループを作って学び合うのもよい。あちこちの研究会に身銭を切って出かけるのもよい。本や雑誌から学ぶのもよい。
 しかし「学び達人」といわれる教師に学ぶと効果が大きい。「まね」をしながら自分の方法(学び方)を創り常に工夫するくせをつけることだ。「あこがれ」(達人の学び方)を持ち、それに近づくにはどうしたらよいか、と常に工夫し、常に何かを試してみることだ。
 そして「学ぶことは、人生、一番最高の贅沢な遊びである」と考えるようにすることだ。学び、研究し、工夫することほど楽しいことはないと思えるようになったとき、その人は大きく成長しているといえる。
 私(有田正和)の場合、どのようにしてきたか振り返ってみる。
 私が高校に入って本格的な歴史を教わり「これはおもしろい」と思った。テストでよい点を取れていたので、ますます面白いと思うようになった。しかし、大学の歴史は全くおもしろくなく興味関心はなくなっていった。
 教育実習に行ったとき、担当の教師が社会科専門で、社会科の面白い授業を見せていただき、社会科への興味関心が再び高まり現在まで続くことになった。大学で満たされなかったものが、一気に満たされた感じがした。
 教職二年目に郡の社会科研究会で研究授業をすることになった。そこで「社会科の授業ではない」とこぴっどくたたかれた。社会科的な発言や考え方が全くできていない。教材が地域の事実に基づいたものではなく、足で取材した教材ではなかったことを叱られたのである。資料が抽象的で理解できるものではないことも指摘された。
 私は変わった。バイクを購入して、教材になりそうなところを見て回るようになった。実力者教師のまねをして、本や雑誌を購入して読むようになった。
 この努力が認められたのか、郡のテストを作成する委員になった。またもや、みそくそにいわれ、作り直しを命じられた。内容、つまり教材の研究がなされていないテストであったのだ。基礎基本を問う内容のないテストだったのである。
 指導法ばかり研究して、かんじんの教材研究を本気でやっていないことに気づいた。そして、奈良女子大付属小学校の研究会で長岡文雄先生の「ポストの授業」と出会い「授業とは何か?」と考えるようになった。
 
「自分を変えなければ」と最初に思ったのは、教師になって初めて卒業生を送り出すときであった。卒業しようとしている子どもから「先生は暗い。もっと明るく、おもしろい先生になってほしい」といわれた。
 この時、ジックを受けるとともに「絶対に明るく、おもしろい教師になろう」と思った。これから、ネアカ修業を始めた。
 明るく、おもしろい先輩教師を見習い、ユーモアやジョークの本を読みあさった。落語を聞き、漫才を聞くことを楽しむように努力した。
 しかし、ネアカ修業の時、ユーモアの最大の先生は子どもであることに気づくまでには、時間がかかった。例外はあるが、子どもはもともとネアカで、おもしろいことが大好きである。この先生に学べるかどうか。それが、成長できるかどうかのポイントである。 
 31歳の時、福岡教育大学附属小倉小学校へ転勤することになった。小倉の町のことを全く知らないのに、11回も地域教材を取り上げた研究授業を行わなければならなかった。
 研究授業のたびに完膚なきまでたたかれて、それまで自分で築いてきたものが音をたてて瓦解するのがわかった。夢にまで批判の様子が出てきて、うなされる毎日であった。
 社会科・学習・指導・案・単元・教材・内容とは何か、発問と質問はどう違うのか、本質とは何か、等々基礎的基本的なことを問われ、何も答えられなかった。
 つまり、社会科とは何かわかっていない自分を発見した。教材研究するといいながら教材とは何かわかっていなかったこともわかった。これまで築いてきたことは、と問いかえすと、何もなかったことに気づいたのである。
 附属小倉小学校に入って、たたきのめされ、自分を変えるしかなかった。30歳まで何をしていたのだろうと思った。大したものをもっていないのに、自分ではかなりのものを体得したと思っていたのだ。
 そこで、今までのものはきれいに捨てさり、新しい自分と、新しい自分らしい社会科を創り出さなければ、これからさき生きていけないと考えた。他人から批判してもらうことが、成長のカテになることに気づき、思いきり批判してもらった。
 そこで、基礎的な勉強をすることになった。「入門書」をさがし求めて読んだ。同時に、小倉の町を歩き回り、教材になるものをさがした。水道の断水があり「断水の歴史」を調べて教材化したりした。
 
「社会科とは何か?」と自問自答しながら、自分らしい教材、自分らしい社会科授業を新しく構築していこうとしたのである。
 
「小倉の町のごみ」という単元をつくり、子ども(三年生)とともに追及した。これは大変おもしろかった。「教材がおもしろければ子どもは追及する」ということがわかった。「ごみ日記」を書いたりする子どもも出てきた。予想もしなかった動きを子どもたちがしたのである。
 この実践をまとめて、共著で「市や町のしごと-ごみの学習」という本にまとめることもできた。ほんの少し自信らしきものができた。しかし、修業は続いた。続けなければ「有田社会科」の輪郭が描けない。まだ入口にきた程度であることがわかっていたからである。
 本当に苦しく、厳しい九年間であった。だが、この小倉時代がわたしの基盤になっている。修業につぐ修業の九年間であった。
 私に多少の資質・能力があるとしたら、それは「努力と挑戦」ができることだろうと思う。私と同じような環境におかれても、全く変わらない人もいる。こういう人は「今の自分でいい。今の実力で十分だ」と考えているのだろう。
 
「生きる力」というのは、生涯にわたって成長できる力であり「努力と挑戦」を続けることができる力である。
 子どもが変われば、それに合わせて自分を変えなければ、時代の変化にとり残されることになる。「成長という時計」を止めないのが本当の教師である。
 しかし、止めている人に時々出会う。そんな人をみて、自分を反省し、努力と挑戦をしたい。 
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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