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教職2年目の若手教師が経験したこと、めざそうとしていることとは

 教職1年目、小学校四年生の担任となった。初任者指導の教務主任に私の授業を見ていただいた。そのときの私の授業は、子どもたちは落ち着きを失い、勉強に集中できるような状態ではなかったことを憶えている。そのあとの教務主任の授業は、授業が進むにつれて子どもの表情が柔らかくなり、集中できるようになってきた。
 子どもたちは楽しそうで、それでいて課題に対して一生懸命考えている。教務主任の温かい雰囲気に引きこまれているように思えた。私は「こんな授業がしたい。この先生を目標にしよう」と心に決めた。授業、温かい人柄ともに師匠と今も思っている。
 私が教師になって一番のテーマにしている「子どもをどれだけ大事にできるか」は、この師匠に教えていただいたことである。
 二学期に大きな壁に当たった。夏休み明けの子どもの変化へのとまどいである。一学期にきちんとできていたことすら、できなくなっていた。
 そのとき、私は叱るばかり。子どもたちとの距離を感じ、自分ではどうしていいか、わからなくなってきた。そこで何度も学年主任に相談したのである。
 そのとき教えていただいたことは、子どもたちとたくさん話をして、今、子どもたちはどういう状態にあるのかを見きわめ、そして、学校での目標をしっかり設定してあげる。その中で、少しずつあせらず指導していくことだった。
 そのときから、教師の思いを一方的に伝えるだけでなく、ありのままの子どもたちの姿を理解し、受け止め、今の子どもたちにどう声をかけてあげればいいのか、何をしてあげればいいのかを考えるようになった。
 こうして、丁寧に子どもたちの表れを理解していくことが教師としての私の成長につながるのではないかと思うようになった。そこで、子どもと一緒に成長する材料として、行事を子どもたちと楽しむことを選んだ。
 行事が成功して、子どもたちの自信にあふれた笑顔を見せてもらい、教師という仕事の喜びを感じることができた。
 教職二年目の学級づくりがスタートした。私は三年生の担任になった。その始業式で私は面食らった。ほかのクラスはピシッと体育座りをしているのに、自分が受け持つクラスは寝そべっている子、ずっと隣としゃべっている子、なかには隣の子とケンカをして泣き出す子もいた。「こりゃ、すごいクラスだな」と思った。
 四月、五月は殴り合いのけんかは起きる、物はなくなる、授業を始めても数人が教室に帰ってきていない、毎日だれか一人は泣く、そうした状態であった。一つ問題が起きるたびに子どもたちの話をよく聞き、そして、ときには大声で叱ることもあった。
 学年主任からは「今年は、よく怒鳴り声が聞こえるね」と、言われた。だが、私は決してやたらと怒鳴っていたわけではない。私自身、去年より怒鳴ることが多いのは気になっていた。だから、子どもの表情や行動を見て、怒鳴るようにしていたのである。
 あまり怒鳴りすぎると、子どもたちは私の顔色ばかりをうかがうようになる。また、怒鳴られることに慣れてしまい、怒鳴っても言うことを聞かなくなる。
 そうなるのが一番怖かったので、怒鳴っても後には決して引きずらない、怒鳴る回数よりもほめることを増やすなど、クラスの雰囲気が悪くならないように努めていた。
 そうして学級経営をしている中で、子どもたちからは「先生は、悪いことしたとき怒鳴ってくれるから好き」という声も出てきた。
 そのことについて考えてみると、クラスでの集団生活の中で、何か悪いことをしたとき、それを毅然とした態度で指導してくれないと、子どもたちは安心して生活できないのだと思う。
 怒鳴ることが必ずしもいいこととは思わないが、怒鳴ることが必要なときもあることを感じている。今では、ほとんど問題は起こらないようになったし、それでいて、元気に授業中に発言したり、外で走り回ったりしている。
 四月、五月の状態を思い返すと「この子たちも、すごく成長したなあ。私もがんばろう」という思いがこみ上げてきて、私もやる気が出てくる。こうしたとき、子どもからエネルギーをもらっていると感じる。
 
「子どもを大事にするということはどういうことか」と問われたら、私の場合、その時々にできる細心の配慮をすることであると思う。  
 どんな小さな問題も真剣に考え、どんな授業も全力で取り組む、問題に対して前向きに取り組む、というのが私の姿勢である。
 この考えに気づいたのが、学生時代の教育実習であった。実習が始まり私は悩んでいた。「おれって、力ないな。頭が悪いな」こんな思いが頭から離れなかった。ある瞬間、パッと考えがひらめいたのである。
 
「自分の力についてあれこれ考えるより、明日の授業をどうすればいいか考えるほうが生産的なんじゃないか」
 
「もともと力があるわけないんだし、今やらなきゃいけないことを一生懸命に考えればいいんじゃないか」
 と、思ったのである。このときのことは今でも鮮明に覚えている。そして教師になった今でも授業や学級経営について悩むことはあっても、自分の力について悩むことはない。 
 
「自分の力について考えるよりも、今、目の前の問題をどうするかを考えたほうが楽だよ」と思っている。
(山崎準二編:1953年生まれ、静岡大学教授などを経て学習院大学教授。専門は教育方法学・教師教育論)

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