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私はなぜ政治を志し、学校を創立して成果を出すことができたのか

 私(田野瀬良太郎)は、政治や教育とは縁もゆかりもない環境に育ちました。私の母親は、今で言うシングルマザーです。私が政治家になろうと決めたのは旅の途中です。学校づくりのきっかけは政治家になってからです。
 私の母は、4人の子どもを食べさせていくだけで精一杯でした。私は自分で稼いだお金で大学へ行きました。必死にアルバイトし30万円を貯めると大学に休学届を出し、海外放浪の旅へと飛び出したのです。
 
「足りなければ現地で稼げばいい、旅の移動はヒッチハイクにしよう」と無謀でしたが、外国を見て体験する期待感のほうが、大きかったのです。
 当時の学生は社会主義のソ連に憧れを抱いている人が多かった。モスクワは見ると聞くとでは大違いでした。「働いても、働かなくても給料が一緒だから」と、みんな無気力でした。人間は頑張ったなりに報われなければ、意欲や生きる気力を失ってしまうのだと痛感しました。 
 当時、日本の成長が著しく、旅のあいだ先々で「日本はどんな国か」と聞かれました。出発のときは「世界を見てやろう」と思っていましたが、フタを開けたら日本のことばかりを考える毎日となりました。
 タイにたどり着いたとき、ほぼ1年が終わろうとしていました。私は旅の総括をしました。「たしかに、日本には良いところも悪いところもあるが、やれば報われる今の自由な社会を守っていかなければならない」と。
 その考えをみんなに伝え、日本をもっとよい国にしていける仕事ってなんだろう。思いついた答えは政治家でした。大学を卒業して薬品会社に就職した後、30歳で市会議員になりました。
 39歳で奈良県の県会議員になった私は、学校不足に悩む奈良県の窮状を知り、議会で議論していくうちに、机上の空論ではなく、学校現場に飛び込んで実践をしてみたいと強く思い、学校づくりにチャレンジしました。
 奈良県に西大和学園を開校(1986)した当初は中堅公立高校のすべり止め、教師もまた公立学校教員採用試験の不合格者だった。
 開校2期生の教員採用試験で、私は特に面接を重視しました。ポイントに置いたのは「ところできみ、お酒は飲めるの?」といった雑談です。
 もちろん、お酒が飲めない人はダメというわけではありません。重要なのは、コミュニケーション能力があるか、ないかです。
 私は「自分の教科を教えるだけではあかんと思う。一つの教科を10年も教えたら、誰だってスペシャリストにもなれるし、東大の問題だって教えられる」
 
「でも、人間力というのは、必死に勉強して身につくもんやない。人間的に魅力のある教師でなければ、生徒を引っ張れない」と考えていました。
 そんな中で日本一の進学校を目指した。そこから、わずかな年月で東大、京大、国公立大学へ多数の合格者を出す進学校になった。
 実は開校した年は、私の長男が高校へ進学した年でもありました。私も高校生の親。だから保護者の声はどれもうなずけるものばかりで、可能な限りその要望に応えてきました。
 
「保護者の声をかなえる学校」というランキングがあったら、開校から現在までの30年間、西大和学園はトップの座をキープし続けていたのは間違いありません。
 
「熟や予備校で勉強するぶんまで学校がカバーする」という、他の進学校では珍しいやり方も、もともとは保護者の要望から始まりました。
 子どもを一番愛しているのは、なんといっても親です。その親が出す意見に理があるのは当然です。ならば、耳を傾け、かなえることが私たちの仕事ではないでしょうか。
 西大和学園が進学校として急激に伸びたのは、この保護者の声をかなえる仕事をやり続けてきたからだと私は自負しています。
 私は高校を手始めに中学、食堂、寮、武道場などの施設を充実させていきました。そのほとんどは借金です。
 親の大切なお金は、親や子どもたちが満足するように生かしていく。それも、学校に限らず経営の基本だと思うのです。
(
田野瀬良太郎:1943年奈良県生まれ、大学時代に1年間アルバイトをしながらヨーロッパや中近東、アジアなど33か国を歴訪。政治を志し、市会・県会・国会議員になった。教育が重要と痛感し、保育園・中学・高校・大学を創立した)

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